ITIコラム

2013年4月3日

 

関税自由化を克服したカナダのワイン産業

(一財)国際貿易投資研究所
研究主幹 高橋俊樹

   
 

カナダに駐在していた10年少し前には、何度もナイアガラを訪れた。トロントに近いナイアガラ地域は、有名な滝があるだけでなく、ワインの生産地としても知られている。車で行くと、ワインルートが表示されており、それにしたがって各ワイナリー(ワイン醸造所)で試飲したり、購入したりすることができる。

アイスワインで有名なイニシキリンのワイナリーでは、日本人のスタッフがおり、丁寧に栽培から飲み方まで説明してくれた。アイスワイン用の葡萄は、マイナス8度の厳寒に摘み取らなければならず、体が心底から冷え込んでしまう重労働とのことであった。

カナダのワイン産業は、関連産業を含めると、今日では3万人以上の雇用を生んでいる。ナイアガラのワイナリーの数は200を超え、周辺の観光スポットを訪れる旅行客は年間300万人に達するようである。

このように、今日では隆盛を誇るカナダのワイン産業ではあるが、1989年に発効した米加FTA(CUFTA)の時は存亡の危機に立たされていた。本稿では、なぜカナダのワイン産業が、関税無しで入ってくるカリフォルニアワインの脅威を克服できたのかを探ってみたい。

米加FTAの前は在来種を栽培

はるばるヨーロッパからカナダに渡ってきた移住者達は、ヨーロッパワインに適していた葡萄のビィニィフラ種を持ち込んだ。しかし、カナダの気候はヨーロッパに比べて冬は寒く、当時のビィニィフラ種の栽培には適してはいなかった。

そこで、ワインの醸造においては、在来種であるラブラスカ種を用いるか、ラブラスカとビィニィフラの混合種で対応しなければならなかった。ケベックを中心とする葡萄の生産地は、当時はロワーカナダと呼ばれていた。それが、次第にアッパーカナダであるナイアガラ地域に移っていった。

実際のカナダにおけるワイン産業は外国と比べると相対的に新しく、1800年代からスタートした。カナダで最初の商業的なワイナリーは、エリー湖を挟んで米国のデトロイトとクリーブランドの真ん中当たりに位置するペレー島(Pelee Island)で1866年に操業を開始した。

ラブラスカ種で醸造したワインは安価で、質よりも量を重視するものであった。アルコールを添加したアルコール酒精のものが多く、甘くて高いアルコール度数が特徴であった。これが、カナダ産ワインの悪い評判につながったことは、想像に難くない。

しかし、1916年〜27年までのカナダの禁酒法の時代には、このようなワインでも需要が絶えることはなかった。禁酒法の時代の最後には、ナイアガラを主な生産地に持つオンタリオ州では51のワイナリーが乱立していた。しかし、禁酒法の終了とともに、他の酒類との競争が厳しくなり、1930年代後半にはワイナリーの数は激減した。1974年までは新規に参入する生産者はなく、ワイナリーの数は6にまで縮小した。

禁酒法以降はアルコール管理局が保護

カナダのビールやワイン産業を支える手段として、禁酒法の最後の時期である1927年、オンタリオ州政府はアルコール飲料を管理する局(LCBO)を設立した。アルコール全般の生産、流通、販売などを全面的に管理下において、そこから得られる利益を独占する制度であった。

2010年のオンタリオ州のLCBO販売店は618店舗もあり、取扱商品は2万点以上にも及んでいる。世界屈指のアルコール飲料の購入・販売業者であり、7,000人の従業員を抱えている。

LCBOには少なくとも3つの強い権限が与えられた。1つは取扱商品をリストアップする(listing practices)権利であり、どの商品をLCBOで販売するかを選択することができる。外国の輸出業者がLCBOに申請しても、もしも選ばれなければ、事実上オンタリオでの量販は閉ざされることになる。

2つ目は、LCBOは手数料をマークアップ (pricing practices) できることである。1985年までは、オンタリオ州地場のワインに対するマークアップ率は58%であったが、カナダの他州ワインには105%、輸入ワインには123%が課せられていた。3つ目は販売の設置場所やスペースを決定できる(product placement)ことである。たとえ、商品の販売が認められても、陳列する場所が狭かったり、店舗の後ろの方であったりすれば、その商品の販売促進効果はあまり期待できない。

こうしたLCBOの制度は、ヨーロッパ諸国などから批判を浴び、1979年のGATT東京ラウンドにおいて、カナダの通商交渉者らは8年以内に商品のリストアップ(listing)の透明性などの非関税障壁を取り除くことを約束した。しかし、その後もカナダ側の情報の提供が不十分であることや、リストアップやマークアップに関する約束の実行を巡って論争が続いた。

なぜヴィニィフラ種への転換が進まなかったか

オンタリオの葡萄生産者は、1980年代の前半においても相変わらずラブラスカ種を中心に栽培していた。しかしながら、消費者は質の高いワインを求めていた。このため、安価な酒精強化ワインからヨーロッパ産ワインへ需要がシフトしていたが、葡萄やワインの生産者はヴィニィフラ種へ転換するリスクを避けていた。

CUFTAの動きが表面化するようになっても、葡萄やワイン生産者の動きは依然として鈍かった。オンタリオ州政府は転換を奨励していたが、1981年には輸入ワインに0.65Cドルのハンドリング・チャージを課している。

また、葡萄やワインの生産者は、ヴィニィフラ種への転換を進めようとしても、資金は不足していた。それに、たとえ売れ残ったとしても、政府が余剰生産物を買い取ってくれるため、リスクを犯してまで品種の転換を図る必要がなかった。

葡萄・ワイン調整計画を実施

1976年の時点では、オンタリオ州におけるラブラスカ種の栽培本数は1,000万本、ビィニィフラ種は20〜30万本、混合種は300万本であった。これが、CUFTAの直前の1980年代の後半には、ラブラスカ種が750万本に減る一方で、混合種が450万本、ビィニィフラ種が100万本に増加し、変化の兆しが見られるようになった。

これは、CUFTAにおける関税撤廃だけでなく、LCBOの権限に対する規制緩和の見通しも大きく影響を与えている。例えば、CUFTAでは、カナダ政府はLCBOによる商品のリストアップを透明化し外国生産者を差別しないこと、マークアップ率を内外無差別にすることに合意している。

オンタリオ州の地元ワインのマークアップ率は1986年には1%で、他州ワインと輸入ワインは66%であった。CUFTAでの合意により、オンタリオ州ワインのマークアップ率は、1989年から1995年までの間に、輸入ワインのマークアップ率の66%まで、その差がなくなるように段階的に引き上げられることになった。

カナダのワイン業界は大きな衝撃を受け、当然のことながら、こうした関税撤廃やLCBOによる規制緩和のバランスを求めた。その結果、1989年には、葡萄・ワイン調整計画「The Grape and Wine Adjustment Program」が打ち出された。この連邦とオンタリオ州政府によるプログラムの予算総額は、1億Cドルに達するものであった。

これは、まずビィニィフラ種への作付け転換を図るための「金融支援」を含むものであった。具体的には、葡萄栽培農地の整理・合理化支援、オンタリオ産葡萄とカリフォルニア産葡萄との価格差補償、過剰生産葡萄の買い上げ、ワイナリーが所有する小売店舗への融資、などから構成されていた(注1)。

また、栽培面積の拡大や低コストで高品質な葡萄の栽培技術の取得のための「研究技術開発促進プログラム」、オンタリオ州ワインのイメージを向上するための「市場促進プログラム」を盛り込んでいた。


1表 オンタリオ州の整理・合理化プログラム

 

1989 年

1990 年

1991 年

1992 年

1993 年

合計

申請数

833

196

117

95

109

1,350

整理面積 ( エーカー )

6,692

642

446

354

444

8,578

予算、 1,000C ドル

34,936

4,262

2,646

2,402

3,230

47,478

(資料) The Adjustment of Ontario’s Grape/Wine Industry to Free Trade , Centre for Trade Policy and Law(CTPL)、より作成


1表は、オンタリオ州の葡萄栽培農地の整理・合理化計画に関するプログラムを示したものである。葡萄栽培農地における撤退プログラムの総額は、5年間で約5,000万ドルであった。最初の年の1989年は、予算の執行が2度に分けられており、1年目で多くの支出が行われた。この結果、2000年代以降においては、ヴィニィフラ種の栽培割合は、ラブラスカ種と混合種を合計した割合を上回るようになった。

この他に、オンタリオ州では、ヴィニィフラ種への転換に伴い、ワインの新たな品質基準が設けられた。それはVQA(The Vintners Quality Alliance)と呼ばれるもので、生産地、品種、生産方法において一定の基準を満たしていれば、品質保証を示す「VQAラベル」を使用できることを規定したものである。今日、日本でカナダ産ワインを購入すれば、ほとんどのボトルで葡萄のデザインをあしらったVQAラベルを確認することができる。

カナダ産ワインの成功

葡萄・ワイン調整計画の実行やVQAの導入により、カナダ産ワインの質は劇的に向上した。これは、それまでは縁がなかったワインの国際的な賞を多く獲得できるようになったことからも証明できる。

品質の向上やイメージの改善だけが、オンタリオ州のワイン産業における成功の全てではない。オンタリオ州産ワインの売上は、1990年の1.4億Cドルから、2004年には4億Cドルに拡大した。VQAを保証されたワインの売上は、500万Cドルから1.3億Cドルに急増した。ワイナリーの数は20から90に、オンタリオ州政府の収入は200万ドルから2.4億Cドルにも増加した。

カナダのワインの輸入は1991年から2004年まで年平均で9.7%増加し、2004年には12億ドルに達した。これに対して、輸出は同期間の年平均成長率で23.3%増を記録し、2004年には1,600万ドルの売上を達成した。1991年の輸出は100万ドルにも満たない金額であったので、輸出競争力が飛躍的に高まったことが窺われる。

主な輸出先としては、米国、台湾、日本、シンガポール、中国、ヨーロッパが挙げられる。輸出の拡大は、品質の向上やアイスワインという付加価値が高い商品を育てたことが大きいが、カナダ政府の交渉によるEUへの販路拡大の成果も無視できない。

カナダのワイン産業がCUFTAに直面し、それを見事に乗り切ったサクセス・ストーリーは、今日の日本の農業政策にも多くの示唆を与えるものである。カナダのワイン産業は、作付け転換や質の向上のための調整計画に加え、VQAに代表されるイメージ改善による市場拡大のための諸策、あるいは生産者の技術向上や内外企業の買収ノウハウの取得まで、重層的なプログラムを実行することにより成功を収めた。オンタリオ州政府は、ワイナリーがレストランやワイン小売店舗を開業するための支援も行っている。日本も同様に、品質保証の導入などの効果的な対策が求められている。

なお、カナダはTPP交渉において、日本と同様に農業分野で問題を抱えている。それは、酪農製品や鶏肉などに関する供給管理政策である。国内の酪農家に一定の生産量を割り当てる制度であり、これにより外国の酪農製品はカナダの市場には自由に入れなくなっている。

日本も米や乳製品、牛肉などの自由化交渉を控えており、他のTPP加盟国との交渉が厳しくなることが予想される。日本がTPP交渉を有利に展開するためには、供給管理政策で問題を抱えるカナダとの連携が不可欠であると思われる。


(注1) 高橋俊樹著、「カナダの経済発展と日本」明石書店、p141〜143

 

ITIの関連論文など

カナダとTPP(フラッシュ148、2011年)