ITIコラム

2020年2月3日

 

新NAFTA(USMCA)の発効とサプライチェーンへの影響

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所
研究主幹

 

米中貿易摩擦やUSMCAによるサプライチェーンの変化

米中貿易戦争は着実にアジア太平洋地域におけるサプライチェーンを変化させている。実際に、2018年の中国のメキシコへの投資は自動車産業などを中心に前年から22.9%増を記録した。中国の対メキシコ進出企業は2018年には67社、韓国は44社、日本は36社も増加しており、新NAFTA(USMCA)における自動車分野の原産地規則の強化にもかかわらず、米中貿易摩擦はメキシコへの投資の拡大を促している。

日本企業のサプライチェーンは米中貿易摩擦だけでなく、TPP11や日EU・EPAの発効やUSMCAの合意を契機に変化を余儀なくされている。実際の日本企業における生産ネットワークの移管は、米国企業や中国企業よりは慎重であるものの、幾つかの例が散見される。例えば、中国からの生産移転の例としては、ファーストリテイリングが衣料品の一部を中国からベトナムへ移管、NOKが防振ゴムの生産の一部を中国からタイに移管、ジーテクトが車体部品の金型の生産の一部を中国から日本に移管、などが挙げられる。

米国企業においても、ユニバーサル・エレクトロニクスが中国からフィリピンに新たな生産委託先を確保し、アイロボットがロボット掃除機のルンバの生産をマレーシアで開始している。こうした企業の動きは、トランプ大統領による中国への追加関税のためと思われているが、米中ビジネス協議会のアンケートでは、生産移管の要因は中国における生産コストの上昇と答える企業の方がやや上回っている。

USMCAの発効が近づく中で、自動車などの製造業においては、従来以上に北米域内での調達を重視する企業が多くなり、さらには現地生産・現地販売の傾向が強まっていくものと思われる。一方、前述のように、自動車関連だけでなく米国の繊維・アパレル、履物、家具などの産業では、その生産・調達を中国からASEAN、メキシコなどの第三国にシフトする動きが着実に進展すると思われる。

しかし、中国から全て他国に移管することは現実的ではなく、一定の歯止めがかかると考えられる。つまり、中国の労働コスト上昇に伴い一定程度進んでいた「チャイナ+1」が一層加速されるということだ。ただし、トランプ大統領が目論んでいたメキシコなどからの米国企業の国内回帰は、産業用ロボットなどによる自動化の進展次第であるものの、限定的と見込まれる。

米議会がUSMCA実施法案を承認

米民主党のナンシー・ペロシ下院議長(カリフォルニア州)は2019年12月10日、米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)の修正について、トランプ政権と合意に達したことを発表した。これを受けて同日、米国のライトハイザーUSTR代表、カナダのフリーランド外相、メキシコのヘスス・セアデ外務省北米担当次官は、メキシコシティの国立宮殿において、USMCAの内容を一部修正する議定書に署名した。

そして、12月19日、米議会下院で修正案を盛り込んだUSMCA実施法案が385-41の圧倒的多数で可決された。米国上院では、気候変動に触れていないとの反対もあったものの、年を明けて2020年1月16日、USMCA実施法案が賛成89、反対10の大差で可決された。これを受けて、トランプ米国大統領は1月29日、USMCA実施法案への署名を行った。これにより、米国の批准手続きは完了となる。

ペロシ下院議長は記者会見を開き、「USMCAはNAFTAよりも優れたものだが、民主党の取り組みによって、トランプ政権から当初提示されたものより飛躍的に改善した」と表明した。USMCAの修正合意には労働、環境、バイオ医薬品のデータ保護期間、執行、などに関する内容が含まれる。

USMCAの署名式や議会での承認に至った背景として、米国通商代表部(USTR)がUSMCA締約国と水面下で修正議定書案を交渉し、同意を得ることに成功したことが挙げられる。ライトハイザーUSTR代表は民主党とのUSMCAの修正でも手腕を発揮しただけでなく、カナダ・メキシコとの調整でも成果を上げたことになる。

メキシコは、USMCAを議会で承認した最初の国であるが(2019年6月)、修正議定書の署名のわずか2日後の12月12日、USMCA修正案を上院の審議で107-1票の圧倒的多数で可決した。大統領が官報で批准を公布すれば、メキシコの批准手続が完了する。ただし、メキシコの政府高官の2020年1月中旬の発言によれば、統一された規則に関する作業が残っているためUSMCAの発効にはまだ時間が必要とのことである。このため、カナダの議会は1月下旬に休会明けとなるが、4月までに批准するよう期待されている。

各締約国は、USMCAの発効のために必要な国内手続を完了したときは、他の締約国に対し書面により通報する。協定は最後の通告の後、3か月目の月の初日に効力を発生することになるので、もしもカナダが4月に批准し手続きを終えるならば、USMCAは最短で7月初日に発効することになる。ただし、予想以上に自動車分野の原産地規則に関わる具体的な解釈や適用方法、あるいは手続きなどを定めた統一規則が仕上がるまでに時間がかかれば、その分だけ延びる可能性もある。

色々な分野から成る修正議定書

USMCAは、自動車貿易で免税の特典を受けるためには、自動車に組み込まれる鉄鋼とアルミニウムの70%が北米産である必要があるという要件を設けた。同協定の修正議定書では、北米の自動車生産に関する米国の懸念に対処するため、自動車の原産地規則をさらに強化することになった。すなわち、自動車の原産地規則を満たすためには、修正議定書では、協定発効から7年目以降において、自動車に組み込まれる鉄鋼は北米域内で溶かし流し出されて製造されたものでなければならないと規定された(melted and poured standard )。アルミニウムについては、締約国は協定発効から10年目に適切な要件を考慮することになる。

知的財産に関しては、新規のバイオ医薬品に関するデータ保護期間はUSMCAでは最低10年間とされていたが、修正議定書では条項そのものを削除した。これは、民主党が薬価の高騰を招くと批判していたためで、トランプ政権が譲歩することにより実現した。現在、米国では12年、カナダでは8年、メキシコでは5年のデータ保護期間を設けている。

また、紛争解決の問題の1つとして、米民主党は審議におけるパネル形成において被提訴国がパネルの設置をブロックできることに懸念を示していた(パネルブロッキング)。その結果、修正された議定書では、当事者がパネリストの選出プロセスへの参加を拒否した場合にパネルの形成を確保することにより、紛争解決パネルの設置がブロックされることを防いでいる。

労働の分野に関しては、メキシコ労働法の実施状況を監視するために、新しい米省庁間委員会が創設されメキシコの労働改革の実施に関する要件が議会に報告されるとともに、労働アタッシェの設置が盛り込まれた。組合結成の自由や団体交渉権が確立されていない工場で生産された製品やサービスへの罰則規定も設けられた。また、修正前の規定では、労働者の権利に関する違反が「貿易と投資に影響する形で」発生したことを証明する必要があったが、修正後においては、パネルが特に明記しない限り違反が貿易と投資に影響を与えると想定することができる。一方では、米国側がメキシコ国内の工場に米国査察官が視察できるよう求めていたが、修正議定書では強制的な査察は規定されなかった。

環境に関しては、環境条項の法的強制力に関する議会の懸念に対処するため、USMCAの修正議定書は環境の章を改訂し、米省庁横断組織や環境専門アタッシェの設置等、協定の適用範囲および監視機能を拡大した。また、議定書に環境関連の多国間枠組み(MEA)との整合性を維持するための条項を新たに盛り込んだ。USMCAの修正議定書では、オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書、船舶による汚染防止のための国際条約、湿地に関するラムサール条約、南極海洋生物資源に関する条約、国際捕鯨条約、米州熱帯マグロ条約などのMEAについて、締約国がそれらMEAを順守することを規定している。

電子商取引に関しては、メキシコは国境税関での免税措置のデ・ミニミス関税基準を117ドルに引き上げたものの、相互主義の観点から、米国が800ドルの閾値を下げることを可能にした修正議定書における脚注は削除された。米産業界は、こうした修正案を盛り込んだUSMCA実施法案が上下両院で可決されたことを歓迎し、早期発効を求めた。

新たな原産地規則にどう対応するか

USMCAの発効は、北米を中心とするサプライチェーンに大きな影響を与えることは明白である。特に、自動車関連を中心に原産地規則を満たす域内調達の動きが活発化することは確実だ。しかしながら、日本企業がメキシコでの自動車の製造における原産地規則を満たすことはかなり難しい。

例えば、完成車の原産地規則を満たすにはエンジン、変速機、車体・シャシー、車軸、ステアリングシステム等のスーパーコア部品の7品目で域内原産比率が75%を超える必要があるし、自動車部品においても原産地規則を満たすには基幹部品(Core)であるエンジン、リチウムイオン電池、ショックアブソーバー等で75%の域内原産比率をクリアしなければならないが、いずれもその計算の過程で原産地規則の1つである関税番号変更基準(CTC)を使えないだけにその達成は厳しい。関税番号変更基準では、域外国から輸入された部品や原材料の全ての関税番号(HSコード)が、域内で製品に組み立てられた後に、別な関税番号に変化していれば、輸入部材は北米原産と認められる。

さらに、前述のように、修正議定書における鉄鋼・アルミの70%の域内での鋳造を求める条項の導入で、原産地規則を満たすことは当初のUSMCAの合意内容よりもさらに厳しくなった。自動車関連以外でも、繊維・アパレル、化学品、ガラス、光ファイバーなどの分野において原産地規則が厳格化されている。

ところが、USMCAの発効前から中国を中心に韓国や日本の企業において、中国の製造拠点をメキシコにシフトし、対米輸出を狙う動きが表面化している。これは、NAFTAの利用で関税削減の可能性があることと、例え利用できなくてもメキシコから米国に輸出するときに賦課される関税の方が、中国から米国への輸出する時に課税される追加関税よりも負担が軽いためでもあると考えられる。

USMCAの原産地規則においては、その多くの製品・材料の免税要件として、関税分類変更基準(CTC)を満たすことが要求される。この意味において、原産地規則がかなり厳しくなった自動車以外の分野で、CTCをクリアすることでUSMCAの活用を探る意義はあると思われる。自動車においても、引き続きメキシコでの自動車生産において、米国やカナダから部材の調達を増やすなどをしながら、域内の原産地規則をクリアする努力が求められる。

もしも、通商拡大法232条の自動車への適用の可能性が低くなったのであれば、その25%の追加関税のリスクが軽減されるので、たとえ乗用車の2.5%の関税を支払っても、既存のサプライチェーンを無理に変えずに北米戦略を組み立てることも検討に値する。

USMCAのメッセージ

USMCA発効が我々に投げかけている大きなメッセージは、この大きく改定された新NAFTAが米中貿易協定に対しても、日米貿易協定にも、おそらく米欧貿易協定にも、その枠組みの形成に大きなインパクトを与えるということである。その中でもデジタル貿易協定については既に日米貿易協定に取り入れられているし、これからはバイオ医薬品のデータ保護期間などの知的財産権、自動車の原産地規則、国有企業、税関・貿易円滑化、労働、環境、為替条項どの規定でも他の貿易協定の枠組み形成に影響を与えると思われる。

また、第1段階の日米貿易協定は2020年1月から発効したが、その関税削減の対象となる品目は限定されるので、本格的な関税削減が進展するのは第2段階での合意を待たなければならない。第1段階での農産物や加工食品の合意においては、米国は和牛輸入のWTO関税割当を拡大し、切り花、柿、緑茶、チューインガム、醤油などの日本からの輸入品の関税を削減・撤廃した。

工業製品については、米国は「特定の工作機械、ファスナー、蒸気タービン、自転車、自転車部品、楽器」など、1部の日本製品の関税削減・撤廃を実施している。しかし、その関税撤廃の対象品目は全部合わせても199品目にすぎない。内訳を見ると関税撤廃は150品目でその輸入が65.8憶ドル、関税半減は49品目で5.9億ドルである。自動車・同部品の関税削減については、第2段階での議論に持ち越された。この意味において、第2段階を含む日米貿易協定の全体の成果が本格化していない現状では、NAFTAやUSMCAは日本企業にとって依然として北米戦略での最も有効なツールであると考えられる。

USMCAの実施法案の審議を開始するため、トランプ政権と民主党は2019年の最後の土壇場まで、USMCAの修正議定書の合意に向けた調整が続けられた。ペロシ下院議長は9人の民主党議員からなるUSMCAワーキンググループ(WG)を指名し、労働、環境、バイオ医薬品のデータ保護期間、執行の問題で徹底的に修正案を練るよう求めた。

ペロシ下院議長と民主党のWGに大きな影響を与えたのは、米国労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)のリチャード・トラムカ会長であった。特に労働に関する問題においては、たびたび同会長の発言が影響を与えているし、修正議定書に北米域内で鉄鋼を溶かし流し出すという鋳造要件が導入されるなど、労働界寄りの内容に結びつく要因になっている。

また、ペロシ下院議長はUSMCAの修正案のカードとして、途中からトランプ大統領の弾劾裁判を持ち出しており、トランプ大統領やライトハイザーUSTR代表に強いプレッシャーをかけた。USMCAの修正議定書がまとまったのは、ペロシ下院議長の圧力に耐え、最後まで調整の労をいとわなかったライトハイザーUSTR代表の功績によるところも大きい。同代表は民主党のWGとも連絡を絶やさず、各委員からの信頼も厚かったようだ。USMCA修正議定書の署名後も、米国の査察官の派遣の解釈で米国とメキシコの間で食い違いがあった時も、ライトハイザーUSTR代表はメキシコのヘスス・セアデ外務省北米担当次官に査察官の派遣はないと明確に回答したことで、同次官に安心感を与えたと伝えられる。

ライトハイザーUSTR代表はUSMCAの交渉だけでなく、米中貿易協定、日米貿易協定、米インド貿易協定の交渉にも辣腕を振るっており、文字通りの八面六臂の活躍であった。同代表は、レーガン政権時代にUSTR次席代表として対日鉄鋼協議で日本に輸出自主規制を呑ませたタフなネゴシエーターであり、豊富な経験を生かしているものと思われる。

したがって、同代表が、第2段階の米中貿易交渉はトランプ大統領が主張する2020年早々とは違い第1段階の結果を待ってからと言及したこと、米欧貿易交渉は2020年の貿易アジェンダの優先事項の1つで2019年には1,800憶ドルと見込まれる貿易赤字の解消が最優先となり貿易障壁の撤廃も同時並行的に行いたいと表明したこと、第2段階の日米貿易協定交渉の予定に関して第1段階の交渉途中で2020年中ごろと発言したこと、などは一段と注目される。