フラッシュ108
2008年3月4日
 

大統領選挙にみるアメリカの変化(1)
クリントン・オバマの貿易論争 その2

 
(財)国際貿易投資研究所
研究主幹
   佐々木 高成
 

  民主党内のNAFTA論争は当然の成り行きと言うべきか隣国の反発を買っている。両候補が討論の中でメキシコやカナダが環境・労働規定を強化することに合意しない場合にはNAFTAを離脱する可能性を示唆した。これにメキシコの外交官やカナダの財務大臣が懸念の意を表明したと伝えられている。

  両国政府関係者が米国内の議論についてアメリカのマスコミ等から聞かれれば、当然このように答えるだろう。まだ候補者だからといって隣国が遠慮することはない。米国政府自身がクリントン政権時代も含めてこれまで何回もNAFTAは米国経済にとってプラスだったという報告書を出している。消費者や経済全体に対する効果もさることながら、米国は自国の経済安全保障において両国の農産物、資源、エネルギーの安定供給を受けられることは大きな意味がある。これらの分野での企業の相互進出も進んで実態では一体化が進んだ。一体どちらの国がメリットを享受しているのか、こういうことを米国は忘れているのではないか、と両国は言いたいだろう。

  もう少し具体例を示そう。移民を別にすればNAFTAによって人の移動はかなり自由になった。特に技術を持った人やビジネス目的のビザ手続きは簡略化されている(「北米経済統合への新たな課題」季刊53号、2003年)。 看護師もそうである。カナダの看護師資格を持った人は米国でも働けるし、米国で働いている人は多い。米国の看護師不足をカナダが補っている。米国の看護師をカナダの看護師が低賃金で駆逐しているわけではない。従って、メリットはカナダよりも米国に大きい。

  メキシコの鉄道会社をアメリカの鉄道会社が買収して、今や鉄道はメキシコからアメリカの都市まで単一の鉄道会社が一貫輸送できるようになった。これはNAFTA以前では考えられなかったことである。北米の輸送が効率化すれば経済全体にとってプラスである。鉄道の結節点であるテキサス州サンアントニオ市では鉄道ターミナルを利用した企業誘致が盛んである。鉄道ターミナル内の工場で加工し、すぐ配送に回せる。UPSやFedEx等の国際航空輸送会社が自社のハブ空港で行っているようなことが鉄道ターミナルでも始まっている。これはアメリカ国内に雇用を生み、地域経済を活性化させている例ではないだろうか。テキサス州などではNAFTAが労働者の雇用を奪う悪い協定だと思っている人は少ないだろう。

  候補者がテキサスでNAFTAについてどう言ったか。オハイオと違うことを言っているとすれば選挙レトリックに過ぎないことがわかる。NAFTA交渉当時メキシコの経済規模はアメリカの20分の一程度で、そもそもNAFTAが米国経済に与える影響は小さいと考えられた。NAFTAは経済よりも国境を接するメキシコの経済改革・自由化を逆行させないための一種の制度的な歯止めの役割として考えられていたし、そちらが重要だった。それに後から労働・環境規定を追加したのがクリントン政権である。そのクリントンが今になって同じ民主党の候補者や夫人から批判されているのは皮肉としか言いようが無い。

  もう一つ、日本にとって忘れられないのは、NAFTA法案の議会通過を推進したクリントン政権の論法がある。それはNAFTAがなければ国際競争で日本に負けるという論法である。今だったら、何と言うだろうか。どうも米国政権が日本を引き合いに出す時はあまり感心しない論法で、政策を自己正当化する材料として使われる傾向があるのが気になる。

  ヒラリーがNAFTAに本当に反対したか、当時のファーストレディーの発言記録から知るのは難しそうである。しかし、思わぬところから目撃証言が現れた。クリントン政権時代に労働長官だったロバート・ライシュである。ライシュ自身は民主党候補者がNAFTAを悪者にしていることはそもそも間違っていると考えているから、この非難合戦を苦々しく思っている。しかし事実関係としてヒラリーはNAFTAに昔から反対していたのかを語るにはうってつけだ。ライシュの話では、ヒラリーはクリントン政権がNAFTAの議会通過を推進することを望んでいなかったのは事実だそうだ。それはヒラリーがNAFTAそのものに反対だったからではなく、むしろNAFTAがクリントン政権の政治的なエネルギーを消耗してしまうことで、自分がめざす医療保険改革が頓挫することを恐れたからだという。

  こう書くとヒラリーが夫の過去の政策に決別し反旗を翻している勇ましいイメージになるが、よく考えるとヒラリーが自分の特色を出そうとするたびに夫の過去の政策が付きまとってやりにくい状況だと言える。同情すべきは反旗を翻された夫ではなく、夫というハンディを抱えたヒラリーの方かもしれない。