フラッシュ115
2008年9月17日
 

ロシアのグルジア侵攻の波紋
〜南オセチア、アブハジアの独立問題解決が今後のカギ

 
(財)国際貿易投資研究所
研究主幹
   田中 信世
 

  ロシア軍のグルジア領内での軍事行動は、北京五輪が華やかに開幕した8月8日、世界の関心が五輪に集中するタイミングを見計らったかのように始まった。各種の報道によれば、戦闘の直接的なきっかけは、南オセチアによるグルジア軍やグルジア系住民への攻撃にグルジア軍が応戦したことによるといわれており、これをきっかけに、南オセチアを支援するためにロシア軍がグルジア領内に侵攻したというのが真相のようである。その後事態は、8月12日のメドベージェフ・ロシア大統領とEU議長国のサルコジ仏大統領との会談で、戦闘が始まる前のラインまで両軍が撤退することなどを内容とする「6原則」合意が成立、同22日のロシア軍のグルジアからの撤退完了表明などで、危機的な状況は脱したかに見えた。しかし、ロシア軍の撤退完了表明後も治安維持などを理由に、ロシア軍が依然として南オセチアやアブハジア周辺に設けられた緩衝地帯や黒海沿岸の港湾都市ポチなどにとどまっていることが判明したことに加え、同26日には、ロシアが南オセチアとアブハジアの独立を一方的に承認したため、再び緊張が高まった。
  ロシアとグルジアの対立の根っこにあるのは、グルジアからの独立を求める南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の問題である。ロシアは南オセチアとアブハジアの独立を支援し、それに反対するグルジアと鋭く対立してきた。グルジアの南オセチアとアブハジアは、アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ、モルドバのトランスニストリアとともに、それぞれ本国からの独立を主張し、ロシアの支援で軍事的に勝利して国際承認を求めている。しかし、承認が得られないために、いわゆる旧ソ連領内の4つの「未承認国家」と呼ばれている。ロシアはアブハジアや南オセチアの住民にパスポートを与えており、両地域の住民の90%以上がロシア国籍を有しているとされている。(注1)
  1991年にソ連からの独立を果たしたグルジアは、独立後、この問題に対するロシアの介入を阻止するために、欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)への加盟を希望するなど、欧米への接近姿勢を鮮明にしてきた。これに対して、ロシアは自国と国境を接するグルジアがNATO加盟国になることに神経を尖らせ、対立が先鋭化してきた。一方、EUにとっては西欧と中央アジアを結ぶ石油や天然ガスのパイプラインがグルジア国内を横断して敷設されていることから、この地域の政治的な安定はEUが安定的なエネルギー供給を確保するために至上命題となっている。
  こうした中、ロシアはグルジアの欧米への接近をけん制するため、2006年以降、グルジアに対してロシアに居住するグルジア人の追放、グルジアからの主要輸入商品の輸入禁止など、グルジアの親欧米姿勢をけん制する政策をとってきた。今回の南オセチアとグルジアの紛争をきっかけに、ロシアが親欧米的な姿勢を改めないグルジアに対して侵攻という強硬策に踏み切ったのは、ロシアが強硬策をとったとしても、石油や天然ガス輸入の約3割をロシアからの輸入に頼るEUは強硬な対抗策を打ち出せない、また、米国も大統領選挙の最中にあり具体的な対応策を取りにくいという読みがあったと見られる。ロシアのグルジア侵攻はこうした西側の足元を見透かしたうえでの行動であったともいえる。

<好調なグルジア経済に冷や水>
  グルジア経済は、1990年代のソ連からの独立運動に伴う混乱で深刻な打撃を受けたが、独立後IMFや世銀などの支援を受けて、2000年以降経済は回復軌道に乗り、近年は、ロシアによる禁輸措置にもかかわらず、外国直接投資の活発な流入と政府支出の拡大を背景に、GDP成長率は06年に9.4%、07年には12.4%と高い伸びを示してきた。民営化などによる外国直接投資の拡大に加え、建設、銀行サービス、鉱業部門の成長が高度成長をけん引する要因となっている。その他、グルジアの主要な産業には、ブドウ、かんきつ類、へーゼルナットなどの農産物、マンガン、銅などの鉱業、製造業では、アルコールおよび清涼飲料、金属、機械、航空機、化学品などがある。
  CIAのTHE WORLD FACTBOOKによれば、07年の輸出は19億7,000万ドル、輸入は47億9,000万ドルであり、主な輸出品はくず鉄、ワイン、ミネラルウオーター、鉱石、果実、ナッツなど、また、主な輸入品は燃料、自動車、機械および部品、穀物、その他食料品となっている。
  好調な成長を続ける同国経済にとって懸念材料となっているのは、貿易赤字が近年急速に拡大していることである。欧州復興開発銀行(EBRD)の「移行報告書」(2007年版)によれば、同国の貿易赤字は、05年の12億ドルから06年には20億ドルに急増し、07年には27億ドルに増加するものと予測されている。また、物価上昇も懸念材料のひとつであり、消費者物価上昇率は05年8.4%、06年9.2%と高水準で推移している。
  一方、外国からの直接投資も活発に行われており、上記報告書によれば、グルジアへの外国直接投資(ネット)は05年の5億ドルから06年には11億ドルに急増し、07年も約18億ドルに達するものと予測されている。ドイツのハンデルトブラット紙(08年8月19日付)によれば、07年には、外国企業による大規模投資も活発に行われ、チェコ企業による電力ネット企業Energoproの買収、カザフスタン企業による黒海のBatumi港の港湾施設の買収、フランスの銀行Société Généraleによるグルジア共和国銀行の買収、アラブ首長国連邦の不動産グループRakeenによるグルジア最大のショッピングモールの建設開始など大型案件が相次いだという。

  表1 グルジアの国内総生産(GDP)の部門別内訳(2007年)(単位;%)

金融

2.3

建設

7.8

教育・保健

8.7

製造業

10.3

農業

11.1

交通・通信

13.4

行政

14.7

商業

15.2

その他

16.5

(出所)ハンデルスブラット紙、2008年8月19日付
(原資料はドイツ連邦統計局、IMF、EBRD等)

  グルジアはCIS(独立国家共同体)の中では、経済改革が最も進展した国のひとつとされている。欧州復興開発銀行(EBRD)は、上記「移行報告書」の中で、グルジアの市場経済への移行指数のスコア(注2)を下表のようにランク付けしており、ロシアを含むCIS(独立国家共同体)諸国の中では、グルジアをアルメニアに次いで市場経済への移行が最も進んだ国として評価している。こうした経済改革の進展が評価され、グルジアは00年6月に世界貿易機関(WTO)への加盟が認められた。

  表2 欧州復興開発銀行(EBRD)によるグルジアの分野別移行スコア

人口( 2007 年央、 100 万人)

4.5

GDP に占める民間部門の比率( 2007 年央、%)

70

分野別移行スコア

企業

大規模企業の民営化

3+

小規模企業の民営化

4+

企業統治と企業改革

3

市場および取引

価格の自由化

4

貿易および外国為替制度

4+

競争政策

3-

金融制度

銀行改革および金利の自由化

4

証券市場およびノンバンク金融機関

3

インフラ

インフラ改革

3

(出所)欧州復興開発銀行(EBRD)、Transition report 2007より作成

  今回のロシアの軍事行動は、このように好調な成長を続けるグルジア経済に冷や水を浴びせることになった。ロシア軍は今回の軍事行動で黒海沿岸の最大の港湾都市ポチから首都トビリシを通り、アルメニアやアゼルバイジャンに抜ける高速道路M1沿いの重工業都市Kutaisiやトビリシに近いGori−Kascuri間の高速道路など戦略拠点を占領するとともに、港湾都市ポチを爆撃した。また、高速道路M1と並行して走る鉄道はGori−Kaspi間で鉄橋が爆破され運行が不能になったという。グルジアを通る石油パイプライン(BTC石油パイプライン)(注3)もロシア軍の空爆でパイプラインの近くに被弾し、BPは送油を一時中断したが、幸い弾がそれたために被害は免れたという。また、産業施設では、具体的な被害状況は明らかではないが、トビリシ近郊のトビリシ航空機工場が爆撃を受け、また、進出企業でも同じくトビリシ近郊のKaspiに進出しているドイツのセメント製造企業ハイデルベルク・セメントが被弾し、大きな被害を受けたと伝えられている(いずれもハンデルスブラット紙、08年8月19日付)。
  今回のロシアの軍事行動で、グルジアの受けた被害はインフラへの損害が特に大きいとされている。欧州復興開発銀行の専門家は「グルジア経済はこれまでのところ特別大きな打撃を受けたわけではないが、ロシア軍のグルジア領からの撤退が遅れた場合やEUなどからの大規模な復興支援が行われない場合には、グルジア経済への打撃は深刻になる」との見方を示している(同上紙)。

<EUの調停で当面の危機拡大は回避か>
  ロシアのグルジア侵攻という事態を受けて、EUは「EU各国の一致した対応が重要」(メルケル独首相)との認識のもとに、9月1日に緊急欧州理事会(首脳会議)を開催し対応を協議した。しかし、EUといっても決して一枚岩ではない。ロシアへのエネルギー依存度が高いドイツ、フランス、イタリアとロシアへの依存度がそれほど高くない英国などとの間には、ロシアへの対応に温度差がある。
  緊急首脳会議後に発表された共同声明をみると、ロシアの南オセチアやアブハジアに対する一方的な独立承認については、「一方的な独立承認を非難する。他国がこれに追随しないよう要求する」という強い調子の文言が盛り込まれたが、英国などが主張していた経済制裁などの強硬措置は盛り込まれなかった。これは、「経済制裁が行われた場合には対抗措置をとる」とするロシア政府首脳の強硬発言からみて、経済制裁がロシアからのエネルギー供給の停止といった重大な事態をもたらすことをEUが懸念したことによるものとみられる。その後開催された欧州議会では、EUの近隣諸国支援策の一環としてロシア向けに実施されている年間6,000万ユーロの経済支援を凍結する方向で議論が進んでいると伝えられているが、仮にこの決議案が通ったとしても、支援金額が小さいことから、実質的な経済制裁というよりもロシアに対する政治的メッセージを送るとの意味合いの方が強い措置になるものとみられている。
  一方、共同声明には、英国などの主張で「ロシア軍が完全に撤退するまで、今年7月に再開したロシアとの間の新パートナーシップ協定交渉を凍結する」という文言が入れられた。しかし、エネルギーの安定供給を含めた新パートナーシップ協定の成立をより強く望んでいるのはロシアよりむしろEUであり、協定交渉の凍結はロシア側にとってはそれほど大きな問題ではないように思われる。共同声明はまた「国際的な孤立はロシアの利益にならない」とロシアをけん制しているが、ロシア政府が孤立も辞せずという強い姿勢をみせている以上、EUの声明がどれほどの効果を持つものか疑問である。
  また、共同声明では、紛争地域へのEUからの停戦監視団の派遣やEU議長国のサルコジ仏大統領によるロシア政府への紛争解決に向けた働きかけの実施などが盛り込まれた。この共同声明を受けて、9月8日にモスクワで開催されたサルコジ仏大統領とメドベージェフ・ロシア大統領の会談で、メドベージェフ大統領は1ヵ月以内にグルジア領からのロシア軍の撤退を完了すると表明した(注4)。グルジア領からのロシア軍の撤退がメドベージェフ大統領の表明どおりに行われるとすれば、今回の危機の拡大はひとまず回避されることになるものと思われる。また、ロシア・グルジア対立の根っこにある南オセチアとアブハジアの独立問題についても、この問題についての国際会議を10月にジュネーブ開催することで合意した。
  しかし、ロシアは、一方的に独立を承認した両地域との間で外交関係を樹立する方針を表明するなど、南オセチアとアブハジアの独立を支持する立場は変えておらず、むしろ独立支持の姿勢を強化しているようにみえる。EUの調停努力で当面の危機はなんとか回避されそうだが、南オセチアとアブハジアの独立を巡る根本的な問題が解決されない限り、ロシアとグルジア、ロシアと欧米の政治的な緊張関係はまだまだ続きそうである。


注1)スラブ研究センター、「スラブ・ユーラシアの今を読む−第1回 最近のグルジア情勢に寄せて」、廣瀬陽子による。

  2)欧州復興開発銀行(EBRD)による移行経済国の経済改革の進展度を評価する指標で、改革の進展度を「1」〜「4+」で評価。厳格な中央計画経済からほとんど変化してないか全く変化していない場合を「1」、工業化された市場経済の基準に達した場合を「4+」とし、それぞれの項目(分野)別の移行状況を「1」から「4+」の間で数値化して評価したもの。

  3)アゼルバイジャンのバクー(カスピ海沿岸)からグルジアのトビリシを経由して、トルコのジェイハン(地中海沿岸)に至る総延長1,760キロメートルの原油輸送パイプライン。

  4)その後の新聞報道等によれば、ロシアは9月14日にポチなどグルジア西部からの軍の撤退を完了し、現時点ではアブハジア自治共和国と南オセチアの周辺の「緩衝地帯」に駐留する軍の撤退が次の焦点になっている(日本経済新聞、2008年9月15日付)。