一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2012/04/23 No.154健康不安を抱えるチャベス大統領の選挙戦

内多允
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員

ベネズエラのチャベス大統領は1999年に就任以来、貧困層の圧倒的な支持を得て、独裁的な権力を掌握してきた。同大統領は大統領の3選を禁止していた憲法を廃止して、連続多選を認める新憲法を発効させて、長期政権の実現を目指してきた。ところが、チャベス大統領のがん発病が、2011年6月に発表されてからは、彼の長期政権構想の前途が危ぶまれるようになってきた。翌2012年2月には2回目の手術を受けた。同年10月7日の大統領選挙の投票日までに、チャベス大統領の健康状態がどのように推移するか注目される。

1.チャベス大統領のがん治療の経緯

チャベス大統領は昨年と今年における手術と、手術後の治療はハバナで受けている。キューバでの手術に至る経緯について、同行していたマドゥーロ外相の説明によれば、2011年6月6日より7日にかけて、ブラジル、エクアドルを訪問している際にチャベス大統領は腹部の不快感が昂じていた。そしてキューバの首都ハバナに8日、到着した。同地で医師の検査を受け、緊急手術が必要と診断された。そして、10日に骨盤膿瘍の手術を受けた。さらに骨盤部位で発見されたがんの摘出手術を20日に受けた。

チャベス大統領は7月4日に約1カ月ぶりに帰国した。手術後の治療を受けるために7月16日に再び、キューバに出発して23日に帰国した。キューバから帰国するスケジュールにも、チャベス大統領が健在であることをアピールする機会を確保する狙いがうかがえる。帰国した翌7月5日はベネズエラ独立記念日である。特に2011年の同日は独立200周年の式典が行われた。チャベス大統領は治療中という事情から式典には参加しなかった。その代りに大統領官邸からの演説が、式典会場の大画面に映された。

7月における2度目のキューバでの治療から帰国した翌24日は、ベネズエラを独立に導き、ラテンアメリカ解放の英雄であるシモン・ボリバルの誕生日である。

2011年7月28日、57歳の誕生日を迎えたチャベス大統領は大統領府のバルコニーから、集まった群衆に「人生半ばにたどり着いた。これから57年間は生きる」と冗談を言った。また、何かにつけて反目する米国政府が債務上限引き上げのための法的措置実現に苦慮していることについて、「米国人は金に困り、借金も返済できない」と述べ、「オバマ大統領に金を貸そうか」と群集に問いかけ、「嫌だ」という声に対してチャベス大統領は「意地悪なことを言うではないと」と笑って言い返した。このように群衆相手に冗談を言って、元気な様子をアピールした。

8月から10月にかけても毎月、数日間の治療をキューバで受けた。10月の検査について、チャベス大統領は記者会見で「化学療法による臓器への副作用は認められなかったし、がんの転移は認められなかった」と述べた。そして、放射線治療も10月末で終了して、大統領の職務に専念することや、大統領選挙に向けての活動も再開する意向を表明した。

しかし、チャベス大統領の健康状態は、2012年に入るとがんが再発したことにより一層危惧されるようになってきた。同年2月27日、昨年と同じ部位に生じた腫瘍を除去する手術をハバナで受けた。

チャベス大統領は2012年2月から毎月、治療のためにベネズエラからキューバに赴いている。その両国間の往復日程は、次のようになっている。

ベネズエラ出国日
キューバからの帰国日
2月24日
3月16日
3月24日
3月29日
3月31日
4月4日
4月7日
4月11日
4月14日
 

最近の事例では、4月11日に帰国して、14日にキューバに向かっている。これは後に記すように4月11日が、チャベス政権打倒を目指すクーデターが起きて、10周年の節目の年を迎えたことによる。チャベスはこの期間を利用して、有権者へのアピールを展開した。

2.疑問が残るチャベス大統領の回復状況

チャベス大統領の健康状態については、本人は常に回復に向かっていることをアピールしているとは言え、正確な状況が発表されないので、さまざまな推測が報道されてきた。がんが転移していることも、報道された。また、同大統領の余命は1年あるいは2年ということも伝えられた。また、キューバを治療の場所に選んだ理由も、公式の説明はないが、次のような理由が考えられる。

権力者は健康状態について、詳細な情報を発表しないことが多い。特にチャベス大統領は、選挙で支持を確保するためには、健康であることが絶対条件である。健康状態については、厳重な秘密保持が求められる。昨年からの治療の場所についても、キューバを選択したことも、秘密保持の観点が重視したことがうかがえる。

キューバではカストロ前議長が2006年7月に受けた外科手術(症状は腸の急性出血と報道)とその後の経過について、詳細な情報は公表されなかった(なお、カストロ前議長は当時は現役の元首である国家評議会議長で、引退は2008年2月24日)。非公式な情報も極めて少ないことからも、キューバの秘密保持が徹底していることがうかがえる。チャベス大統領が情報統制が徹底しているキューバで、手術を希望したことは当然であろう。また。チャベス大統領が師と仰ぐキューバのカストロ前議長の存在も重要な要因である。チャベス大統領ががんを発病していることを最初に宣告した人物は、カストロ前議長であったと伝えられている。独裁政権を倒して今日の社会主義政権を樹立するまでの武力闘争の時期や、近年の重病の過程で、幾度も修羅場を経験してきたカストロ前議長は、チャベス大統領が最も心を許せる相談相手であろう。

キューバ以外には、ベネズエラが当然考えられる。しかし、チャベス大統領の政治は貧困層の圧倒的な支持を受けている。その反面、医師のような上・中流層からの反発は大きい。従って、政敵の目が光っているベネズエラ国内では、情報の秘密についてのリスクはキューバよりは高いことが懸念されると思われる。ベネズエラ国内における主治医の氏名や、関係の医療機関の存在すら詳らかでない。ブラジル政府もチャベス大統領に治療を提案したことを受けて、関係者が密かに病院を視察したことも報道された。

医療水準の高い近隣の国では、米国があげられる。しかし、反米的な言動が目立つチャベス大統領が米国で手術を受けることを希望するとは考えられない。

チャベス大統領が米国に関して、話題になった発言は2011年12月、「ガンにかかった南米各国首脳の人数は確率の法則では説明がつかない。米国でがんを発病させる技術が開発されたのかも知れない」という推測の見解を述べたことであった。

南米ではチャベス大統領に加えて、ルゴ・パラグアイ大統領が2010年、悪性リンパ腫の薬物療法を受けた。ブラジルではルセフ大統領が、ルーラ前大統領の閣僚を務めていた時期(2009年)に悪性リンパ腫の治療を受けた。ルーラ前大統領は2011年に喉頭ガンが見つかり、化学療法により現在は完治したとされている。アルゼンチンのフェルナンデス大統領については2011年12月27日、甲状腺がんを患っていることが発表された。しかし、翌年1月4日の手術ではがんではなく小さなこぶで良性の腫瘍であったことが判明した。

チャベス大統領による前記の米国陰謀説はこれら南米首脳のがん発病例を交えて、世界に向かって報道された。チャベス大統領が発言した翌日(2011年12月29日)の米国務省における定例記者会見では、記者から「チャベス大統領が米国と対立しているラテンアメリカ諸国の大統領にがんを発症させる新技術を米国が開発したといったが、これに対して同大統領に何か言うことは」という質問が出た。これに対して、同省のビクトリア・ヌーランド(VictoriaNuland)報道官は不快感を表明した(同報道官の意見は‘WithregardtotheChavezstatements,letmesimplysaythattheyarehorrificandreprehensible’とwebsiteに記載)。

3.依然として高いチャベス大統領の支持率

野党は優勢が伝えられるチャベス大統領に対抗するために、民主統一会議(略称MUD)を結成して、予備選挙による統一候補を選出した。野党による大統領予備選挙は、ベネズエラ史上、初めてである。これを決定するための選挙が、2012年2月12日に実施された。この選挙では約290万人が投票してエンリケ・カプリレス・ラドンスキー(HenriqueCaprilesRadonski)ミランダ州知事(39歳)が、開票率95%の段階で、得票率62%を獲得して、他の4候補を抑えて当選した。

野党統一候補者が決定後の大統領選挙候補者の支持率については、やはりチャベス大統領の支持率が優勢な状況を維持している。

次に紹介する世論調査の結果は現地の世論調査機関GSXXI(GrupoInvestigacionSigloXXI)が2012年2月29日から3月5日にわたって、2,500人(男女比率は男性50.2%,女性49.8%)を対象とする支持率調査からの抜粋である。同調査対象者の年齢構成は、18-29歳35%、30-49歳41%、50歳以上24%となっている。

また、社会階層(所得水準)別の世論動向も調査している。その階層区分は最上位層をAクラスとして、以下B、C、D、Eクラスの5階層である。この世論調査における回答者の階層別構成比率はAB合計3%、Cクラス17%、DクラスとEクラスが各40%である。

2名の大統領選挙候補者の支持率はチャベス大統領55%に対して、野党のカプリレス候補は22%とかなり差をつけられている。その他の回答比率は「わからない18%」、「支持候補なしと投票しないの合計5%」である。この支持傾向は「大統領選挙で投票する場合、チャベス候補とカプリレス候補のどちらに投票したいか」という設問に対する回答である。

男女別や年齢層別の支持率はチャベス大統領が50%台に対して、カプリレス候補が20%台となっている。社会階層別の支持率では、両者の支持基盤の違いが鮮明に表れている(表参照)。チャベス大統領が貧困層に手厚い政策を実施する社会主義国家の建設を目指す一方、民間企業への締め付けを強化してきたことが、支持率の違いにも表れている。当然、企業経営者や専門職等の高所得者層からは、チャベス大統領に対する反発が高まる。表によれば、所得水準が、上位2階層(AとBの合計)ではカプリレス支持率が過半数を超え(55.4%)ている。一方、下位の2階層(DとE)では、チャベス支持率が過半数を占めている。最下層のE階層に至っては66.1%がチャベス支持となっている。

この調査の階層別の回答者数については、AB階層がわずか3%に過ぎない。これに対してチャベス支持率が高いD、E両階層で80%を占めている。従って、全回答者に占めるチャベス支持率が高くなるのは当然である。従来のチャベス政権の選挙(大統領選挙や議会選挙)では、有権者数で過半数を占めるD層とE層に支えられて勝利を得てきた。この傾向が次の大統領選挙でも反映されるなら、チャベス大統領の優勢は保たれると予想される。

表 大統領選挙候補者の階層別支持率(単位%)

 

AB

C

D

E

チャベス

24.3

30.6

56.2

66.1

カプリレス

55.4

42.3

20.7

12.5

(注)各階層の回答比率合計が100%にならない理由は、2名の候補者を支持しないことや、投票の意思がないこと等による。調査の実施時期や方法、対象者については本文参照。
(出所)GSXXI

4.大統領選挙に影を落とす2002年反チャベス政権クーデター

チャベスは大統領選挙の野党統一候補者カプリレスを、チャベス政権に批判的な階層からの挑戦者と見做して、敵意を露わにしている。その背景には2002年4月に起きた、チャベス政権打倒を目指すクーデターが影響している。

このクーデターは次のような経緯であった。2002年4月11日、労働組合、経済界、市民団体などの反チャベスグループが支持して、軍部がクーデターを起こした。翌12日、経済団体連合会のペドロ・カルモナ会長が暫定大統領に就任した。しかし、同暫定大統領が強権的な政権運営を目指す姿勢を見せたことが、チャベス大統領の支持基盤である貧困層の抗議デモを激化させた。13日には軍部もチャベス側に寝返り、カルモナ暫定大統領は辞任を表明して、その後身柄を拘束されクーデターはたった2日間で失敗した。14日深夜にチャベスは大統領官邸に到着、翌日には大統領府で職務に復帰した。

クーデター決行の背後には、チャベス大統領の施政に反発する経済界に加えて米国政府関係者(CIAや国務省、在ベネズエラ米国大使館)の関与も報道され、チャベス大統領が対米不信を一層募らせる結果を招いた。

クーデターに関与した人物の中にカプリレスの名前があることも、チャベス政権は見逃していない。2002年クーデターで、カラカスのキューバ大使館が襲撃された。カプリレスもこれに関与したと伝えられている。チャベス政権と友好関係を維持しているキューバの共産党機関紙グランマ(GranmaInternational英語電子版2011年3月15日付による)は、カプリレスに関して概略、次のように報道した。先ず、政治活動の背景としては「カプリレス自身は、政治的には中道左派と称している。2000年に新自由主義政党PrimeroJusticia(公正第一)を創設した」ことを取り上げ、この政党が米国から資金提供を受けていること、またベネズエラの法律では政党が外国から資金提供を受け取ることを禁止していることも指摘している。また、Wikileaksが暴露した米国務省文書にカプリレスの名前は2002年クーデターで、在カラカス・キューバ大使館が襲撃された事件と、2004年に同クーデター容疑者の捜査を担当していた検事が殺害された事件に記録されていると報じた。2004年の検事殺害とは、次のような事件である。

ダニーロ・アンデルソン国家検察官は2004年11月18日、帰宅途中で自ら運転していた乗用車が2回にわたって爆発、炎上して炎に包まれながら走行後、店に衝突して大破した。死亡したアンデルソン検察官の車は、密かに車内に置かれた火薬が、リモートコントロールで爆破されたのではないかと推定された。

同検察官の職務は2002年4月の反チャベスグループのクーデター関与容疑者の捜査であり、告発を受けた何名かの反チャベス派の起訴を担当していた。スパイ映画さながらのこの爆殺事件について、政府も反チャベス・グループの計画的な暗殺と見ている。

チャベス政権は2002年クーデターでわずか2日間とは言え、反チャベス派が暫定大統領を就任させたことは大統領交代に関する憲法の規定に違反していることを指摘している。

ルイサ・オルテガ・ディアス検事総長の見解(2012年4月12日付現地紙報道)によれば、2002年4月11日の事件は合法的な選挙で成立した政権に対するクーデターである。そしてこれに関与した21名(この内、16名は軍人)には逮捕状が出ているが、未だ身柄は拘束されていない。国際刑事警察機構(インターポール)の国際手配を通じて、身柄引き渡しを要求している。クーデターで暫定大統領に就任したカルナモのようにコロンビア政府が、政治亡命者として扱っている場合は、身柄引き渡しは不可能であると述べている。

以上のような一連のクーデターと関連の事件はチャベス政権に対する、挑戦であった。

チャベス大統領が2002年クーデター10周年である2012年に大統領選挙が行われることに合わせて、4月11日にキューバから帰国したこともこの記念日を政治的に利用する意図がうかがえる。国民に10年前のクーデター失敗を想起させることによって、チャベス政権の憲法上の正統性と国民の支持を受けたことや、国外からの干渉を排除して独立を守ったことをアピールする機会となるからである。

さらに、このアピールがカプリレスに対するマイナス・イメージを有権者に与えようとする意図も感じられる。4月13日、チャベス大統領は大統領官邸バルコニーから2時間にわたって集まった大勢の支持者からの祝福を受け、大統領選挙の勝利を目指していることやガン治療を継続していることを語った。また、4月14日と15日にわたって隣国コロンビアで行われる米州サミットへの欠席を決めているが、バルコニーからコロンビアとキューバのどちらに行くべきか挙手を求める場面もあった。群衆からは大統領に休息を勧める声が上がった。翌14日、チャベス大統領はキューバに向かった。米州サミットを欠席した理由は健康問題もさることながら、米国がキューバの出席を認めなかったことや、英国が領有権を譲らないフォークランド諸島に対して、返還を求めるアルゼンチン(同国の呼称はマルビナス諸島)の主張を認めない会議は無意味であると考えていることも影響している。

5.変化しているチャベスの内面

常に闘争的な態度で、主張を述べ病気についても回復していることをアピールするチャベス大統領の外見は、一見変わらない印象を与えるがその内面は、変化している様子がうかがえる。先ず、報道機関が注目したのは言葉の変化である。がん発病前はチャベス大統領の演説やツイッターの締めくくりの言葉は「社会主義祖国か死か、打ち勝とう!」(原文はPatriasocialistaomuerte,vencemos!)であった。これが第1回の手術後に迎えた57歳の誕生日(2011年7月28日)に、「死」(muerte)という言葉を使わないことを提唱した。そして、「社会主義祖国と勝利、生きよう、打ち勝とう!」(PatriasocialistayVictoria,viviremosyvencemos!)を使うようになった。

この日から「死」(muerte)という言葉を使っていない。4月14日にキューバに向かう際に発信したツイッターの締め括りの言葉は、更に簡潔に「ViviremosYVenceremos!」(生きよう、打ち勝とう!)である。

このような言葉遣いの変化と並んで、チャベス大統領の内面的な変化として、ローマ・カトリックへの信仰も心の支えにしている様子が最近の報道(2012年3月から4月)からうかがえる。

3月17日、大統領官邸のバルコニーから集まった群衆に「大いなる意志、神に対する信仰、大いなる愛と共に(キューバから)帰国した」と述べた。

チャベス大統領は4月4日にキューバから、直行のコースで出身地のバリナスに帰国した。翌日、同地の教会に赴き、両親や実兄(バリナス州知事)等の親族と一緒にミサに参列した。4月5日はキリスト教徒にとって、大切な木曜日である。つまり、復活祭が始まる(4月8日)直前の木曜日は、洗足木曜日(イエス・キリストが最後の晩餐の席で弟子達の足を洗ったことに因む)で、信者にとって尊重すべき日である。

チャベス大統領は「私に命をお与え下さい。私にはまだやるべきことがあるからです」という主旨のことばで、キリストに懇願した。同大統領が祈る姿はテレビ放送の中継で全国に伝えられた。

正確な病状が公表されないまま、チャベス大統領が真剣に教会で、自らの命が続くことを祈る姿は、果たして有権者に安心感を与えるのか、或いは不安感を募らせるのかどちらであろうか。チャベス大統領の健康状態についての懸念は、周辺国にも及んでいる。特にキューバ等のカリブ諸国に対して、チャベス政権は国際相場よりも低い価格で石油を供給して友好関係を強化してきた。キューバはもちろん、国をあげて最高の医療をチャベスに施していることは言うまでもない。キューバのような開発途上国の医療水準については、懸念する向きもあろうが、例えば米国のジョージ・タウン大学の胃がん専門家の見解によれば、キューバにおける医療設備は良好で、チャベス大統領に必要な医療は可能であると聞いているということである(この見解はメキシコの新聞LaJornada2012年2月27日付電子版による)。

ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴでは大統領官邸内の礼拝堂で4月10日、チャベス大統領の健康を祈願するミサが行われた。このミサには大統領夫妻や閣僚、ベネズエラ大使を含む同地の外交官が参列した。

ベネズエラ内外で、チャベス大統領が完全に健康を取り戻したことを確信できる情報が欠けていることが、多くの人が神に祈りたい気持ちに駆り立てているのではないだろうか。

しかし、権力者の健康状態は国家の命運を左右しかねない。それだけに、チャベス大統領自身も国家の行く末を考えて神にもすがる境地であろう。

人の命が如何にはかないかについて、浄土真宗中興の祖と仰がれる蓮如上人(1415−1499)は、「されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」と説いた。人の余命を詮索することは、不謹慎であろう。

しかし、一国の命運に責任を担う最高権力者が深刻な病状を抱えると、余命について考えざるを得ない。その意味で、現状は高い支持率を維持しているチャベス大統領と言えども、投票日までの健康状態の変化が、選挙に影響する。

今後、大統領選挙キャンペーン活動が本格化すれば野党候補のカプリレスの政見も注目される。カプリレスは野党候補者に選出された直後は、チャベス大統領を直接、攻撃する言動は避けている。チャベス大統領は常に貧困層のための政治をアピールして、チャベス政権以前の既得権を握っていた富裕層を攻撃してきた。これに対して、カプリレスはこのような攻撃的な姿勢を取っていない。その政策は市場経済を重視する政策の中で貧困対策も重視して、階層間の分裂を煽る言動を避けていると見られている。

前記の世論調査でもそうであるが、有権者の多数を占めるチャベス支持票を取り込まなければ当選は難しいことから、野党勢力もチャベス大統領に対するあからさまな対決を回避している。

各種の世論調査はチャベス大統領が、選挙活動を継続することを前提にしているので、従来の支持率の傾向からチャベス優勢という結果が出るのは当然である。しかし、チャベス大統領が立候補を断念することを想定した場合の選挙予測については、野党への支持が高まるという報道もみられる。あくまでも仮定の話ではあるが、チャベス大統領に代わる別の人物が立候補すると、場合によってはカプリレスが優勢という見解も報道された。これには、世論調査の回答者のなかで、各階層にわたって選挙に無関心あるいは投票したい候補者がいないと回答した層が、チャベスが立候補しなくなると、野党候補者に投票するということを想定していることが影響している。

チャベス大統領に匹敵する支持を得られそうな人物が、与党に見当たらないことが野党への支持が増えることを期待させることが背景にある。

また、選挙情勢の変化あるいは権力の交替の状況が生まれると、チャベス大統領を支えてきた軍部の出方も、注目されるだろう。

チャベス大統領周辺は依然として、健康状態に問題がないことを強調している。しかし、報道機関に対する政府の締め付けがあると見られるベネズエラ国内ですら、このようなことが報道されるようになったことにも、チャベス大統領の健康状態についての説明が十分納得されていない状況がうかがえる。

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