フラッシュ259
2015年12月8日
 

ブラジル、財政欠陥で大統領弾劾? 複雑な予算制度と指導力低下が招いた政治ドラマ

 
堀坂 浩太郎
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
上智大学 名誉教授
 

ブラジルのルセフ大統領が弾劾裁判のリスクに直面している。連邦政府首班が弾劾の矢面に立たされるのは、1992年に結審の直前で辞任したコロル大統領以来、85年の民主化後二人目である。コロル元大統領の場合は側近中の側近による汚職への監督責任が問われたが、今回はまだ決算も終わっていない本会計年度(2015年1月~12月)における財政資金の遣り繰りが提訴の論拠となっている。このような嫌疑で大統領を弾劾に付すことができるのか、世界的にも極めて異例の事態といえる。その背景には、90年代以降の経済再建過程で構築してきた厳格な予算制度の下での財政出動の難しさと、加えてそれをマネージする政治指導力の低下がある。

2000年以降、新興国の雄として注目されたブラジル経済に安定をもたらしてきたのが、カルドーゾ政権2期目(1999年~2002年)に導入されたインフレ目標、為替の変動相場制、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字維持であった。その後も経済安定の「三本柱」として、対立政党である労働者党(PT)の前ルーラ(2003年~2010年)、現ルセフ(2011年~)両政権にも引き継がれ、変動相場制が維持され、インフレもかろうじて上限の6.5%で抑え込む形で目標値(年率4.5%±2%)をクリアーしてきた。

中でも利払いを除いた財政収支であるプライマリーバランスは、2008年までGDP(国内総生産)比3%台の黒字を維持し、リーマンショックの影響が現れた2009年でも同1.9%のプラスを達成した。ルセフ政権第1期も黒字幅こそ縮小したものの、同2%前後の数値を上げ、GDP対比の公的総債務残高も50%台にとどまってきた。「健全財政」がブラジルに対する内外経済界の信用を引き留める売り物となってきたといっても過言ではない。

この構図が一気に変わったのが、政権2期目に入った今年(2015年)である。国会が承認した当初予算は553億レアル、GDP対比1%の黒字が見込まれていたのに、年が押し詰まったさる12月2日、難産の末に国会が承認した修正予算は1199億レアル、GDP対比2.08%の赤字転落である。「今回の危機の最も驚くべき特徴のひとつは、財政悪化のスピードにある」。経済専門誌として定評のあるバルガス財団の『コンジュントゥーラ・エコノミカ』誌は、10月の財政特集でこう言い切っている。12月3日‐4日に予定されていたルセフ大統領の訪日が急きょ取り止めとなったが、これも背に腹は代えられない資金繰りの緊迫ぶりを物語っていた。

長年の黒字財政を可能にしたのが、2000年にカルドーゾ政権下で成立した財政責任法だ。憲法補足法の形で制定された法律で、連邦、州および地方自治体(ムニシピオ)の各政府に極めて厳格な均衡財政を義務づけた。財政金融規律に反した場合、各政府首班には被選挙権停止を含めた罰則・罰金を科している。予算は、①多年度投資計画(PPA)、②予算編成方針(LDO)、③年次予算(LOA)の3本からなり、3予算間で整合性を保つ必要があるほか、借り入れ枠も含め議会の承認を必要とし、かつ決算を審査する会計検査院は行政府から独立、立法府の傘下に移された。

1980年代、ブラジルは外国からの債務返済不能に陥り(債務危機)、「失われた10年」と呼ばれた深刻な経済危機に見舞われた。その反省から財政の肥大化を極力避けようとして生まれたのが財政責任法である。連邦政府の予算案に、以前は別建ての資金調達ルートであった政府系金融機関や国営企業を含め、さらに社会保障費、公債費も加えて均衡を図ることが求められている。

今回の大統領弾劾は、この予算制度の厳格なところを突いた一市民グループの提訴がきっかけとなった。その指摘するところは、予算の遣り繰りに窮した政府が、社会保障事業などの窓口となっている政府系金融機関へ支出すべき資金を留め置き、事実上、未承認の借り入れを発生させたというもので、その責任を問うている。俗に「ペダラーダス」と称される直訳すれば「自転車操業」の手法で、カルドーゾ政権時代から使われてきたというのが政府側の言い分だが、弾劾を求める市民グループにとっては、国営石油会社ペトロブラスを舞台とした汚職疑惑(ペトロロン)などと同様に、与党による資金操作のための不正な会計処理と映っている。

いずれにしろ、プライマリーバランスの急速な悪化は、過去数年の「自転車操業」のツケが一気に噴出した疑いは免れない。

本稿執筆の段階では、弾劾提訴を下院議長が受理し、下院に設置された特別委員会が議案として取り上げるかどうか審議する段階にある。ルセフ大統領としてはこの段階で弾劾取り下げとなるのが望ましいが、取り上げが決まれば、下院の全体会議に付され、賛成3分の2の議決で上院に最高裁長官を議長とした弾劾法廷が開設される。弾劾には上院議員の3分の2の賛成を必要とする。

世論調査における大統領の支持率は10%と低く、これを機に街頭デモをはじめ世論がどう動くか、ここまでのドラマティックな展開に、国民は今後の推移を固唾を呑んで見守っている。

国民が何よりも心配しているのは、来年度予算の行方であろう。ブラジルでは12月が年度末である。本来の予定では、クリスマス直前の12月23日から来年の1月一杯国会は休会に入る。しかしまだ、2016年度の予算編成方針(LDO)は審議途上で、歳入欠陥を考えると政府としてはなんとしても増収策の承認を得ておきたいところだ。その中には、2007年に廃止された通称「小切手税」と呼ばれる金融取引暫定負担金(CPMF)の復活や、汚職捜査の過程で脱税ルートとして浮き彫りとなった不正な海外預金に対する新たな課税、国庫への貢献が大きい水力発電所等の入札許可の取り付けといった施策が含まれる。今年を例にとれば予算(LOA)の承認は2016年4月まで待てるとしても、予算編成方針(LDO)が承認されなければ、政府支出がストップする事態さえ招きかねない。

このように経済は極めて深刻な局面に立ち至っているが、政治も混迷を極めている。そもそもルセフ大統領を再選した2014年10月選挙は、民主化後最も僅差(3.28%)の選出であったため地域的、階級的、さらには政策路線上においても、国家を二分する状況をもたらした。少数与党のため上下両院議長を最大政党のブラジル民主運動党(PMDB)に委ね、さらに閣僚等の政権ポストを連合を組む政党に分配し、ここまで政治勢力の保持に務めてはきたが、ペトロロンの捜査進展とともに議員は浮足立っている。

検察によって50人近くの政治家が捜査、告発線上に上り、一部はすでに起訴されている。11月末には捜査妨害の疑いで、上院の与党代表および近年、急成長で名を馳せた独立系投資銀行BTGパクチュアルのトップが逮捕された。弾劾提訴を受理した下院のエドワルド・クーニャ議長自身も、捜査過程でスイスに秘密口座を保有していることが判明し、去就を問われる事態に陥っている。

2016年8月にはリオデジャネイロ市で五輪(オリンピック・パラリンピック)が開催され、その2か月後には全国ムニシピオ(市町村)の首長選挙が控える。景気後退、インフレ再燃*、失業率の増勢といった厳しい経済情勢の中で、民主化・経済再建の過程で培ってきた制度を有効に活用し国論を集約できるのか、ルセフ大統領はもとよりブラジル政界全体の姿勢が問われる深刻な政治ドラマの展開といえそうだ。

 

* ブラジル中央銀行集計による市場予測(2015年11月27日現在の平均値)は、GDP増減率が2015年-3.18%、2016年-2.01%、拡大消費者物価指数(IPCA)は各10.34%、6.67%、年末の為替は1ドル=3.94レアル、4.16レアル、工業生産は-7.38%、-2.12%である。