2016/02/18 No.266英国のEU離脱(Brexit)問題の行方-EU首脳会議、EU改革で合意できるか-
田中友義
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
米国のシンクタンクが昨年の世界のトップ10・リスクの第1位に「欧州の政治」を挙げたが、この予想が的中、仏政治週刊紙シャルリー・エブド襲撃テロ事件、ギリシャ・チプラス急進左派連合政権誕生後の財政支援を巡る対立とユーロ離脱危機、殺到する難民・移民危機と国境管理の強化(シェンゲン協定の一時的停止)、フランスをはじめとするEU各国での右翼政党の勢力拡大、多数の犠牲者を出したパリ同時多発テロ事件など多事多難な一年であった。
さて、今年のトップ10・リスクをみると、第1位は「同盟の空洞化」(欧米同盟の脆弱化)、第2は「閉ざされた欧州」と、今年も引き続き欧州がリスクの最大の震源地とみている(注1)。英エコノミスト誌は本年早々、金融市場の5つの潜在的なサプライズのひとつとして英国のEU離脱(Brexit,ブレグジット)を上げている。記事の主旨は、本年中にEU離脱に関する国民投票を実施される可能性が高く、世論調査では現在「残留」「離脱」がほぼ膠着状態に陥っているが、英国の有権者が大量流入する移民問題に抗議して、「離脱」を選択した場合、キャメロン首相は間違いなく辞任に追い込まれかねない政治的なリスクが高まるというものである(注2)。
2月18日、19日ブリュッセルで開催される欧州理事会(EU首脳会議)で、キャメロン首相がさる11月に提案した「EU改革案」が主要議題として取り上げられる。もし、首脳間で合意が成立すれば、キャメロン首相は、6月頃と予想される国民投票の直前まで、政治生命を賭して、EU残留に向けた政治的なキャンペインを大幅に展開することになろう。
英首相が離脱論議に点火
英国のEU離脱論議に火をつけたのは、キャメロン首相が2013年1月、2年後(15年5月)の総選挙で第一党になった場合、EU残留か離脱かを求める国民投票を17年末までに実施するとの声明を出したことが切っ掛けである。声明の背景として考えられた理由は、①保守党内の欧州懐疑派勢力への懐柔、②野党の労働党を下回って低迷する保守党の支持率の回復、③EU加盟条件の再定義(換言すれば、英国民のEU残留支持を高めるため、EUに委ねている権限の一部返還を迫る加盟条件の見直し)などであるが、キャメロン首相自身はEUからの離脱を強く望んでいるわけではない(注3)。
2015年5月の総選挙は、大方のメディアや世論調査の予想を覆して、キャメロン保守党が単独過半数を獲得、公約に掲げたEU加盟継続の是非を問う国民投票が実施されることがほぼ確定した。現在、2016年6月後半に実施されるという予想が英メディアで報道されている。国民投票が前倒しになるとの予想の根拠として、EU主要国の総選挙が2017年に予定されているからである。フランスの大統領選挙と国民議会選挙が2017年5月~6月ごろ、ドイツの連邦議会選挙が2017年9月ごろにそれぞれ実施される。両大国ともに選挙態勢に突入すると、外交ではなく、内政重視に傾斜することになることから、キャメロン首相としては、それ以前、つまり今年前半中に、どうしてもこの問題に決着を付けておくかなければならないという事情がある。
4つのEU改革案(Wish List)
キャメロン首相は2015年6月の欧州理事会で説明した英国案の概要は、①新規のEU移民に対し英国の社会保障制度を4年間は適用しない、②欧州が1957年以来、基本条約で引き継いできた「絶えず一層緊密な連合を目指す(ever closer union)」という文言を英国は受け入れない、③EU28ヵ国が参加する欧州単一市場の政策をユーロ19ヵ国だけでは決められないような仕組みを確立する、④EU加盟国の議会に条件付きでEU法案の拒否権を与える、というものである(注4)。しかしながら、ギリシャ危機問題が緊急課題として取り上げられたため、英国案はほとんど議論されず、先送りされた経緯がある。
2015年11月、キャメロン首相は英国のEU改革案(これを英メディアは「Wish List :英国のほしいものリスト」と報じている)を発表するとともに、トゥスク欧州理事会常任議長(EU大統領)に対して、6ページにわたる改革案を記した書簡を送付した(注5)。
欧州委員会のトゥスク委員長は2016年2月2日、英国のEU離脱を回避するために、キャメロン首相が求めるEU改革案について、EU加盟国に譲歩案(欧州理事会草案)を提示した。英国の4つの要求内容とEUの譲歩案の概要は表1のとおりである。
表1 英国のEU改革案とEU譲歩案
英国のEU改革案 | EUの譲歩案(欧州理事会草案) |
経済統治:非ユーロ加盟国の権利保護 | 非ユーロ圏諸国の権利・権限は尊重される一方、EMU(経済通貨統合)の深化を阻害しない |
競争力:生産性が高いより競争力あるEUの構築 | 消費者・環境などに関する高度の規制基準を確保しつつ、不必要な立法を廃止する |
主権:EUの「絶えず一層緊密な連合」の英国への適用除外 | 英国はEUの政治統合にコミットしていないことの承認。各国議会にレッドカード制度(EU法案の撤回)を導入 |
移民:移民に対する英国の福祉制限 | EU市民には自由移動の権利はあるが、その乱用を防止する。急激な流入を抑制するための経過措置を認める |
2月18、19日の欧州理事会では、英国の4つの改革要求のうち、経済統治、競争力、主権の3つの改革については、合意が得られる見通しが強いが、最も合意が難しいのは、移民への福祉制限案である。キャメロン首相は英国民の不満が強い移民流入を制限するため、移民に対する福祉を4年間制限する要求案を提示している。EUの譲歩案では急激な移民流入で福祉制度に「過度の圧力」が加わったと証明できた加盟国に対して、EU理事会で一定の受給制限を認めるというもので、緊急措置に限定するため、「自由移動」を謳うEU基本条約を改正せずに済むというものである。
これに対して、EU域内での自由移動に対する規制は、EU統合の基本理念に反するとして、欧州委員会のみならず、メルケル独首相、オランド仏大統領などの首脳が否定的な意見を表明しているうえ、多くの移民労働者を送り出しているポーランドなど中・東欧加盟国首脳は、激しく反対することは明らかである。今回の首脳会議で合意できない場合、3月の欧州理事会まで決定が先延ばしされることになるが、先に述べたように、独仏などの政治日程を考えれば、それ以上の先延ばしは無理だろう。
ところで、EU譲歩案に対する評価であるが、保守党の反ユーロ派や英独立党(UKIP)からは内容の乏しいものだと批判されることが予想されるが、キャメロン首相が英国にとって妥当な合意を確保したとみられている。フィナンシャル・タイムズ紙は、英国がユーロやシェンゲン協定、その他の司法・内務に関する合意事項に参加していないことから、キャメロン首相がEUとの再交渉から大きな譲歩を引き出せる余地がほとんどないことが明らかであった。それでも、キャメロン首相が求めた各分野で具体的な進展が見られたと論評している(注6)。
英世論、離脱支持が残留を上回る
英世論調査会社YouGov(ユーガブ)が明らかにした2016年2月3,4日の最新の世論調査結果によると、離脱支持が45%と、残留支持の36%を上回った。EU域内から流入する難民移民の急増や2015年11月のパリ同時テロなど英国民の不安や不満が強まり、EU離脱を強く支持する層が増えたとみられている。EU首脳会議の結果次第で、英国世論は変わる可能性もある。
今後の国民投票までの流れは、EUとの残留交渉結果(2月か3月中か)を英国議会に提示し、議会の決議を経た後、国民投票を実施(6月中か)、残留支持が多数の場合は、新しいEUとの関係の下で残留する。もし離脱賛成派が多数の場合、EU基本条約第50条の規定に基づいて、離脱手続に着手する。離脱手続きは、欧州理事会への告知から開始される。欧州理事会が定める指針に沿って、離脱協定の交渉が行われる。この交渉期限は2年間であるが、延長は可能である。しかし、現実的には、EUとの不透明な関係の期間をそれほど長期にしておくことができないので、おそらく2年以内の協定締結となりそうだ。
英国政府がEU離脱手続きを推し進める場合、親EU色が強いスコットランドが英国から独立したうえで、EUに加盟することを目指す可能性が高い。スタージョンSNP(スコットランド国民党)党首は国民投票でスコットランド住民の意に反する形でEU離脱賛成派が勝利した場合、先の2014年9月の英国からの独立に関する住民投票を再度求めるとの可能性が高まると述べた(注7)。
もともと、キャメロン首相は親EU派である。国内世論や党内右派、英UKIPなどの動きに押されて、EUに対する強硬姿勢を打ち出しているに過ぎない。6月に予想される国民投票で、EUへの強硬姿勢を国内にアピールしながら権限移譲を一部勝ち取り、英国民をなだめた上で投票を否決に持ち込むというのがキャメロン首相のシナリオである。
外交面でも英国の影響力の低下が浮き彫りになっている。ドイツとフランスが仲介したロシアとウクライナの停戦交渉で、英国は蚊帳の外に置かれた。中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)にも、米国の反対を事実上無視してG7の中で先陣を切って参加するなど米英の「特殊な関係」に隙間風が吹いている。
米国は英国がEU離脱した場合、英国と個別にFTAを締結することにそれほど前向きではないと反対している。フロマン米通商代表部代表は「英国はEUの一部であるために貿易交渉における発言力が強くなっていることは明白である。英国がEUを離脱すれば、米国の自由貿易網の外側にいるその他の各国と同様に、関税や貿易障壁に直面することになる」と指摘している(注8)。
離脱した場合の経済的影響
国民投票の結果、もし離脱賛成派が多数を占めて、英国が離脱した場合、経済的な影響はどれくらいになるのだろうか。すでにいくつかの予測が出されている。その一つである英国のシンクタンク・オープン・ヨーロッパ(Open Europe)による分析結果のレポートは、英国の2030年のGDP(経済的厚生の利益・損失の合計)は、2018年以降残留した場合に比べて、最悪2.2%減から最善1.6%増の4つのシナリオを提示している(表2参照)(注9)。
最悪のケースは、EU域内外諸国との自由貿易協定(FTA)が締結できなかった場合である。最も望ましいのは、EU域内外諸国とのFTAを締結し、幅広く規制緩和を実行した場合である。この他、交渉次第で現実的なシナリオとして、EUとのFTAのみの場合0.8%減(英EU・FTA1)、EU域内外諸国とのFTAを締結した場合0.6%増(英EU・FTA2)となる予測している。
オープン・ヨーロッパの予測に対して、潤沢な労働力が不可欠としたうえで、EU離脱は利益をもたらすとする分析結果が楽観的過ぎるとの批判が出されている(注10)。例えば、英国がEU離脱後、欧州委員会が積極的に貿易交渉に取り組むかどうか不明であること、離脱後の英国が単独で他国とFTA交渉を行うことは難しいなどの理由が考えられる。
表2 英国のEU離脱の影響(4つのケースのシナリオ)
DP(%、2030年) | 最悪のケース(FTA未締結) | 英EU・FTA1(EUとFTA締結) | 英EU・FTA2(EU・非EUとFTA締結) | 最善のケース(英EUFTA2+規制緩和) |
初期コスト | ▲2.76 | ▲1.03 | ▲1.03 | ▲1.03 |
EU予算節約 | 0.53 | 0.22 | 0.22 | 0.53 |
片務的自由貿易 | ― | ― | 0.75 | 0.75 |
規制緩和 | ― | ― | 0.7 | 1.3 |
厚生的得失合計 | ▲2.23 | ▲0.81 | 0.64 | 1.55 |
ところで、英国のビジネス界はどのようにみているのだろうか。金融サービス業界首脳は、ギリシャのユーロ圏離脱(Grexit)という差し迫った問題よりも、英国がEUを離脱(Brexit)する可能性の方が心配だという。その理由としては、英国経済はEUの中でドイツに次ぐ第2の規模であるため、英国の離脱の方が、金融ビジネスにとって、はるかにリスクが大きいとみている。もし、英国離脱が決まった場合、大陸欧州に拠点を移すという(注11)。
英産業連盟(CBI)は2015年10月、英国がEU離脱すれば、英国の貿易が大きな打撃を受けるとしてEU残留を求める報告書を発表した(注12)。CBIは、国民投票を実施する前にEUとの関係を見直すとしているキャメロン首相の方針を支持している。いずれにしても、今週末の欧州理事会の結論次第で、英国のEU離脱問題は大きく動き出す。
注・参考資料:
1.米ユーラシア・グループ「トップ・リスク2016」(2016/01/04)
2.The Economist(2016/01/08)
3.The Economist(2013/01/26)
4.European Commission(2015/06/28)
5. Financial Times(2015/11/11)、日本経済新聞(2015/11/11).
6. Financial Times(2016/02/03)
7.Reuters(2015/06/02)
8.Reuters(2015/10/29)
9. Open Europe Report: Britain &the EU(London,UK,2015/03/23)
10.ジェトロ:世界のビジネスニュース(英国)(2015/04/21)
11.Reuiters(2015/06/26)、Reuiters(2015/06/29)
12.Reuters(2015/10/21)
フラッシュ一覧に戻る