フラッシュ44
2003年5月30日


イラク戦争のもうひとつの側面
〜ユニラテラリズムのコスト〜


(財)国際貿易投資研究所
研究主幹 田中 信世


  2003年5月1日、ブッシュ大統領によるイラク戦争の戦闘終結宣言によって米国によるイラク攻撃は終わり、 米国への一極集中(ユニラテラリズム)の議論が賑やかである。 しかし、通貨の面に注目すると、 米国の同時テロ事件以降のアフガニスタンやイラクでの軍事行動やそれらによって一段と強まったとされる米国のユニラテラリズムのもうひとつの顔が見えてくる。 以下に最近のユーロ高(ドル安)傾向とその含意(インプリケーション)について考察してみよう。

  欧州の単一通貨ユーロの対ドル相場は、 1999年1月の発、ほぼ一貫してユーロ安で推移し2000年秋には1ユーロ=0.82ドル台に下落した。 しかし、2002年に入ってからユーロの対ドル相場は一転してユーロ高に転じ、 特に2003年に入ってからは顕著なユーロ高傾向を示してきた。そして2003年5月27日、 東京外国為替市場でユーロの対ドル相場は1ユーロ=1.1912ドルと、 これまでの最高値であった1999年1月のユーロ導入当初につけた1.1893ドルを上回り、 史上最高値を記録した。ユーロは対円でも同日、139円台と最高値を更新するなど、独歩高の様相を強めている。

  こうした最近のユーロ高の要因としては様々な要因が指摘されている。 要因の第1に挙げられるのは、まず米欧間の金利差であろう。米連邦準備理事入って11回にわたって政策金利であるフェデラルファンド(FF)金利引き下げを行い、 さらに2002年11月にもう一段の利下げを行ってきた。現在のFF金利は1.25%という低水準にあり、 このため、景気回復のために一段の金融緩和を行いたくてもその余地は小さいものと思われる。 一方、欧州中央銀行(ECB)も、ユーロ圏諸国の景気低迷に対処するため、 米連銀の利下げに歩調を合わせる形で政策金利である市場介入金利の引き下げを実施してきた。 直近では2003年3月に市場介入金利をこれまでの2.75%から2.5%に引き下げたが、 現状では米欧の金利差は1%以上の開きがある。

  一方、長期金利(10年国債の金利)の場合は、米国の3.34%に対してユーロ圏の場合(ドイツ連邦債10年物)は3.68%であり、 政策金利ほど大きな金利差は認められない。しかし投資家にとって、厳しい財政規律が設けられているユーロ圏の国債の場合、 軍事費や大型減税によって財政赤字に陥った米国債に比べて、財政赤字拡大による相場下落のリスクは相対的に小さく、 資金の運用難に悩む日本の投資家などがユーロ建て国債への投資を増やしているとされている。


ユーロの対ドルレートの推移
Since January 1999
January 1999 to May 2003
(出所)欧州中央銀行ホームページ


  こうした米欧間の金利の格差を生んだ背景としては、米国経済の急速な景気の冷え込みが大きな要因になっていると考えられる。 米政府は経済建て直しのため政策金利を引き下げ、大幅減税を行ってきた。 その結果、2001年9月の同時テロ事件以降の国防費の支出増大も相俟って、2002年度(2001年10月〜2002年9月)の財政収支は赤字に転落した。 2003年度はイラク戦費の発生によって財政赤字はさらに拡大すると見込まれている。
  米国は2001年9月のテロ事件以降、テロ対策を通じて世界の中での一極集中(ユニラテラリズム)を高めてきた。 今年3〜5月の対イラク攻撃を通じてこの傾向は一層強まったように見える。 しかし、足元の国内経済の冷え込みは前述のような欧米間の金利差を生み、投資資金の欧州への流入によって、ユーロ高をもたらした。 米国は地政学的にはユニラテラリズムの立場を一段と強めたように見えるが、 少なくとも通貨の面で現実に進行している姿は、米国への一極集中(ユニラテラリズム)と逆行した動きである。 いわば、米国はドル安(ユーロ高)というコストを払って地政学的なユニラテラリズムの立場をさらに強めたといえるのかもしれない。 こうした、経済・通貨面でのユニラテラリズムに反する動きは、短期的に見れば、 極めて強大に見える米国の力に当面それほど大きな影響を与えるものとは思われない。 しかし長期的に、今後の国際社会に占める米国の独占的な力の持続について考えるとき、 こうした経済・通貨面でのユニラテラリズムと逆行した動きの持つ意味は決して小さいものではないと思われる。

  99年1月のユーロ発足以来のユーロの対ドル相場の推移(図参照)を眺めていてもうひとつ気がつくことがある。 米国の同時テロ事件が起こったのは2001年9月であった。 そして、アフガニスタンでのテロ報復軍事行動に米国が踏み切ったのは同年10月、さらに米国がイラク攻撃を開始したのは2003年3月である。 これらの時点におけるユーロの対ドル相場をみると、いずれの場合もユーロ高傾向は崩れることなく、 従来から言われていた「有事に強いドル」というドル高現象が見られなかったことである。 特にイラク攻撃以降のユーロの対ドル相場が急伸していることが大きな特徴である。 一般的にある国の通貨が国際的通貨として選択される条件としては、 @その国の経済規模が十分に大きいこと、A金融市場が発達していること、 B金融政策が安定しており対内的対外的に通貨の価値に対する信認が強いこと、 C金融政策の安定を支える基礎として政治的に安定していること、などが挙げられる。 そして、これらの条件をすべて満たすドルは、 これらの条件の総合的な現れとして、これまで有事に際して「強い通貨」を演じてきた。 この「有事に強いドル」の現象が、同時テロ事件以降の「有事」に際しては現れなかったのである。 こうした「有事に強くなかったドル」を内外に示した(あるいは示さざるを得なかった)ことも、 上記の文脈の中で考えると米国のユニラテラリズムの高まりと逆行する通貨面の動きとして捉えることができよう。

  直近のユーロの対ドル相場の急伸が、 スノー米財務長官のドル安容認発言(5月17日)やウェルテケドイツ連邦銀行総裁等による欧州サイドのユーロ高容認を暗示する発言によってもたらされたことは周知のとおりである。 スノー米財務長官のドル安容認発言は、 当面、ドル安をテコにした輸出増加によって米国経済の建て直しを図ることを重視したものと思われるが、 上記の文脈に照らして考えるとき、基軸通貨としてユーロの地位の向上をある程度容認した発言として捉えることも可能である。 逆にドイツ連銀総裁等のユーロ高容認を示唆する発言は基軸通貨としてのユーロの地位をより高めたいという意思表示と受け取れないこともない。

  一方、過去最高のユーロ高を実現した欧州経済の現状はどうか。 EUの欧州委員会の2003年春季経済予測(4月18日)によれば、2003年のユーロ圏の実質GDP成長率は1.3%と予測されているが、 2003年第1四半期の成長率がゼロ成長にとどまるなど、景気回復の足取りは重い。 特に最近のユーロ高による輸出産業への打撃がユーロ圏諸国の景気回復の足かせとなりそうである。 ドイツ連邦銀行も2003年5月の月報で初めてユーロ高のドイツ輸出産業への影響について分析した記事を掲載している。 同月報は、2003年に入ってからのユーロ切り上げ率は16%に達しそれによってドイツ輸出産業の価格競争力は4.6%落ち込んだと分析したうえで、 現時点までのユーロ高による価格競争力の喪失は99年以降のユーロ安で得た利益を吐き出したに過ぎないが、 今後、ユーロ高はドイツの輸出産業に大きな影響を及ぼすことになろうと懸念を示している。

  当面、現在のユーロ高傾向を大きく修正する材料は見当たらないが、 現在のユーロ高が米国とEUの経済力を反映したものであるかどうかについては疑問が残る。 いずれ中長期的に見れば、ユーロの対ドル相場は彼我の経済力を反映した水準に落ち着くことになろうが、 その過程でユーロ安が続くような局面も十分考えられよう。