フラッシュ464
2020年6月1日
 

コロナ禍でガバナンス問われるブラジル

 
堀坂 浩太郎
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
上智大学 名誉教授

 

一世紀ぶりに地球を襲った未曽有の感染症・新型コロナウイルス(COVID-19)によって世界各国のガバナンス(統治能力)が問われている。その典型のひとつが、5月23日時点で、米国に次ぐ世界第2の感染者数を記録した南米の大国・ブラジルである。東アジア、欧米よりかなり遅れて流行が始まったが、その感染の勢いは1日当たり2万人超と際立っている。日本の23倍の国土の大きさに加え、連邦制・大統領制の下での調整に手間取り、かつ大統領の自己中心的な言動によって、国家一体となった対策立案に失敗、体制のあり方そのものが問われかねない事態に陥っている。

世界2番目の感染者数

ブラジルで最初にCOVID-19の感染が把握されたのは2月26日、イタリアからの帰国者の発症だった。この感染症による初の死者が伝えられたのは、3月17日で感染者数は米ジョンズ・ホプキンス大学の集計数値で234人に留まり、まだ世界で30位のレベルだった。それが、4月1日には感染者5812人、死者202人に、1か月後の5月1日には感染者8万7,187人、死者6,006人と跳ね上がった。3週間後の同月23日には、感染者数33万890人で世界第2位となり、死者は2万人を突破した。

このため、新型コロナウイルス流行の新たな震源地として国際的にも一斉に着目されるようになる。日本を含め世界のマスメディアからは、「ファベーラ」と呼ばれる大都市圏の貧困住宅密集地域に発症のスポットが当てられた。ブラジル保健省のデータによると、5月29日時点で巨大都市を抱えるサンパウロおよびリオデジャネイロ両州の感染者はそれぞれ全国(46万5,166人)の21.8%、10.3%と断然多い。しかし地方別にみると、この二つの州が含まれる南東部が36.9%、北東部が33.6%、アマゾン熱帯の北部も21.7%とほぼ全国に広がっている。先住民インディオや黒人を含め底辺層の感染者、死者が多いが、知事27人のうち6人の感染も報じられている。富裕層も感染の脅威から逃れられているわけではない。5月29日時点の死者は1,124人増で、累計2万7,878人に達した。

政治改革の齟齬が露呈

爆発的な流行に加え、事態急変を無視するかのように「単なる風邪にすぎない」「経済活動を最優先すべき」と言い切るボルソナーロ大統領の独断言動も、国際メディアで大きく報じられた。混乱の極みのように映るブラジルの現況の背景には、軍政から民政へ体制移管を果たした1985年以降の、民主化35年の政治改革の齟齬が露呈した形だ。この国は、19世紀末以来の連邦共和制・大統領制の枠組みを維持しながら、1988年憲法によって立法・司法の権限を大幅に強化し、さらに州および市町村(ムニシピオ)に自律性を与え、かつ市民活動の活性化に注力してきた。

ソーシャル・メディアの浸透・情報発信も進み、ボルソナーロ大統領は、米トランプ大統領並みに時々刻々ツイート戦術を展開する。それだけに、国論の集約は容易ではない。急増する患者や防疫は地方政府任せにされ、経済最優先の大統領は、「隔離は老人およびハイリスクの者に止め、若者は働け」と檄を飛ばす。

3月下旬時点で、首都ブラジリアの連邦区および26州の大半が、公衆衛生上の危機を宣言し、学校やレジャー施設を閉鎖、商業活動の制限措置に踏み切ってはいるが、対応はばらばらだ。しかし、実効性が一向に上がらないことにいら立つ大統領は、事もあろうに、感染抑制対策の最前線に立つサンパウロ、リオデジャネイロ両州の知事を「くそ!」とののしる始末。連邦と州は最悪の関係になってしまった。かろうじて、5月21日開催の大統領と全国州知事によるテレビ会議で、総額1,250億レアル(財政支援600億レアル、連邦政府・公的銀行・年金会計等への支払い猶予650億レアル。1レアル約20円)の緊急支援が固まり、双方ひとまず矛を収めたかたちだ。

保健相の相次ぐ辞任

大統領と連邦議会および最高裁との関係も険悪化している。昨年1月に発足したボルソナーロ政権1年目の最大の得点は、10月末に決着した同国積年の懸案事項・年金改革だった。これには、上下両院の審議熟成をじっくり待つ、大統領の新たな政治スタイルが奏功した面が少なくない(2019年11月14日付け「フラッシュ」442号参照)。三権分立強化を踏まえ国民総意形成尊重の動きともみられたのだが、その半面、両院議長に脚光が当てられた。

ブラジルの大統領制は、首相ポストをおかずに政府首班が直接、行政府を統括する米国型の「強い大統領」制である。内外から高い評価を得た年金改革ではあったが、大統領にとっては議会にお株を奪われた格好となった。これが裏目に出て、コロナ対策を巡る政策立案では、双方の面当てが増した形だ。

加えて、10年代に入ってからの相次ぐ疑獄事件や、ルセフ元大統領の弾劾裁判(16年)、 収賄や資金洗浄を巡るルーラ元大統領の逮捕・拘禁(18年、現在保釈中)といった過程の中で、極めてアクティブになった最高裁の存在がある。最高裁は憲法判断の権限を有し、COVID-19対策においても、連邦政府とは独自に、地方政府が外出制限措置等の各種の規制を発することにお墨付きを与え、「国民の生命健康を脅かす科学技術的根拠のない行為は刑罰に処せる」との意見を発出している。ボルソナーロ大統領は、トランプ大統領と同様、世界保健機関(WHO)が承認しない抗マラリア薬のクロロキンを治療薬として推奨してきた。4月、5月と立て続きに起き、世界を驚かした保健相二人の相次ぐ辞任も、国内外の医学的知見重視の大臣と、「すべては(元首である)大統領が決められる」とばかりに強硬姿勢を貫く大統領との見解の相違によるところが大きかった。

甦る長期軍政の記憶

このように、大統領の行動には自己中心的なところが目立ち始めている。とりわけ上下両院議員と州議会議員をそれぞれ務める3人の息子に公金横領や資金洗浄、フエイクニュースを使った教唆といった嫌疑が取り沙汰される中で、自分の家族防衛的な言動が増え、注目を集める。それを国民の目にさらしたのが、最高裁の判断によって、5月22日に公開に付された4月22日開催の閣議ビデオの映像であった。その中で大統領は、家族警備のセキュリティに強い不満を表明したうえ、「私の家族の崩壊を待つわけにはいかない。(連邦警察の)担当者を変えよ、それが無理ならトップを、それがだめなら大臣を交代させる」と怒りを露わにした。

この閣議結果を受けた形で、2日後の4月24日、モロ法相は辞任している。同法相は、ラバジャット(高速洗車機)とコードネームがつけられた疑獄事件の第一線で審理に当たった連邦裁判事出身で国民の信頼が厚く、経済政策を担うゲデス経済相とともに政権を支えるスーパー・ミニスターとの位置づけであった。しかし最近は、准司法機関として政治から独立した権能を付与されている検察や警察人事への大統領の干渉・介入に不満をつのらせていた。

ビデオ公開と時を同じくして、最高裁の了承の下、連邦警察によるフエイクニュース源特定の捜査も始まった。SNS(交流サイト)が拡散する中で、それを多用する大統領および息子たちと、グローボ(TV)やフォーリャ・デ・サンパウロ(日刊紙)といった伝統的なメディアとの間で激しい応酬が繰り広げられ、ボルソナーロ派運動員の妨害行為を理由に、大統領官邸前で連日行われている「ぶら下がり会見」の取材を見合わせる報道機関も現れたほどだ。

感染爆発と同時進行で展開する政治劇に、論争好きのブラジル国民もあきれ顔といったところで、従来3割台に留まっていた「政権不満」の意思表示が、5月末に発表された最新の世論調査(Poder360社)では、44%に跳ね上がった。まだ「政権支持」は3割近くいるものの、高等教育レベル、富裕、24歳以下の青年の各層で「不満」が5割を超えたのも、公開ビデオへの反応が明確に現れた結果とみられる。回答者(2,500人)の51%が部分的視聴も含めビデオを観たと答え、その存在を知らなかったとの回答は13%に留まった。

士官学校出身で20歳代前半まで軍務をつとめた大統領(退役陸軍大尉)にとって、頼みの綱は軍の存在だ。退役将軍の副大統領のほか、閣僚22人のうち軍出身者が、空席の保健相の代理を含めて9人を数える。保健省には、医務経験が全くない陸軍将軍クラスの大臣代理の下で、中核部署に軍人17人を配置し、感染症との闘いに挑む構えだ。軍の組織力と明確な指示系統、忠誠心に訴えてのことと思われるが、このように政府部内における軍人プレゼンスが高まるにつれ、国民の間に、1985年まで21年間続いた長期軍政の記憶をよみがえらせるきっかけともなっている。

給付金の支払いで安心感

事あるごとに首都ブラジリアで大統領を取り巻き、熱烈な示威行為に及ぶボルソナーロ派運動員の間からは、「AI-5」のプラカードがちらほらする場面もしばしばみられる。AI-5は1968年に公布された「軍政令5号」のことで、議会の閉鎖、地方政府への執政官派遣、政治犯・思想犯の人身保護令停止などを規定した、軍政の法的支柱のひとつだった。当然、有識者の間には批判の声が上がり、旧与党の労働者党(PT)をはじめ左翼系の野党9党や400を数える市民団体からは、大統領弾劾の議案が議会に提起されている。このような情勢の中で、モウロン副大統領をはじめ、主要な軍人閣僚の間からは、「クーデターを起こす状況には全くない」と、冷静な対応を促す声も上がっている。

ブラジル経済は、国土地理院の発表で、第1四半期は前期比マイナス1.5%であった。個人消費およびサービス・セクターの落ち込みが響いたもので、第1四半期のマイナスは、二年連続の深刻な不況に陥った14年(同年第1四半期マイナス3.5%)、15年(同3.3%)以来のこと。中銀が5月下旬段階で集計した市中エコノミストによる今年の経済見通しはマイナス5.89%だが、他の国と同様に、予断は許されない。4月の失業率は12.6%で、正規の雇用ポスト86万人分が失われたという。物価は速報値の段階だがマイナスとなり、指標金利のSelicは創設(1996年)来最低の年率3%の水準にある。中銀によると、4月末の外貨準備高は輸入の約1年半分に相当する3,393億ドルであった。

こうした中で、失業者や非正規労働者などの貧困層を対象とした、月額600レアル(約12,000円相当)・3か月連続給付の支援策が下層の人々には一定の安心感を与えている。3月半ばに経済省が発表し、同月末に議会の承認を経て4月半ばから個人口座に振り込まれている。その数は5,000万件を突破した。5月からは2回目の給付が計画どおり始まっており、このスピード感は民主化以来、ブラジルが整備してきた貧困層支援のデジタル網がこの状況下でも機能し得ることを示している。こうした仕組みを十分に活かすことができるか、COVID-19によって、この国のガバナンスと本気度は確かめられている。