フラッシュ98
2007年8月10日
 

私の「西高東低」考

 
(財)国際貿易投資研究所
研究主幹
   田中 信世
 

  このところ「西高東低」ということが気になっている。冬型の気圧配置の西高東低のことではない。首都圏の中での東京の中心部からみての西側と東側のことである。

  例えば、不動産の価格や地価などを見ても、東京の西部とくらべて東部の価格は相対的に安い。また、首都圏に住んでいる人が抱いているイメージも、都心や西部が高級イメージを持たれているのに対し、東部のイメージはいまひとつであり、住んでいる人の民度についても東部の方が低いというイメージが一般的であるような気がする。千葉県、茨城県、あるいはそこに住んでいる人のことを「チバラキ」といったりするのを時に耳にすることがあるが、これなども都心や西部の人が深層心理として東部の人に対して日頃抱いている田舎者的なイメージを揶揄する気持ちが言葉として現れたものであろう。

  こうした東京の東部およびそこに住む人に対する低いイメージは小説などを読んでいてもときどき現れてくる。例えばこういう文章がある。

「『…(彼女は)浅沼智雄のプロダクションでAVギャルをしていた女の子で、当時19歳だったそうです。一応、プロダクションに所属していたんですが、ほんとのところは、浅沼智雄の愛人で、千葉県松戸市の賃貸マンションで暮らしていたんです。…』」 (『赤かぶ検事奮戦記秋田湯沢 七夕美人殺人事件』和久峻三、徳間文庫)(下線は筆者)

  これなどは、愛人の住んでいる賃借マンションの場所を、例えば東京の「品川」や「浜田山」にしたのではイメージが高級すぎて合わないということなのであろう。このあたりまでは何となくわからないでもないという気がするが、次の文章になると「松戸」(あるいは「松戸」という言葉に代表される東京の東部)に対する蔑視がより濃厚に現れているように感じられる。

「『馬鹿な奴だったんですねえ。殺した男の胴巻を捨てでもすることか、自分が平気で使ってたなんて。おまけに小判に血がついているのも気がつかない……松戸のごろつきだけのことはありますさ』」(『春の高瀬舟−御宿かわせみ24』平岩弓枝、文春文庫)(下線は筆者)

  こうした東京の東部に対する差別的なイメージは一体どのようにして生まれてきたのだろうか。このことと関連して、最近読んだ本の中に次のような記述があったことを思い出した。

「荷風は生まれも育ちも東京だったとはいえ、山の手の人間である。東京というところは面白い差別思想があって、山の手と下町は思った以上にはっきり区別されている。現在はそれほどではないと思うが、山の手の人の中には、下町にはけっして足を踏み入れるものではないと思っている人がいたくらいである。」(『永井荷風という生き方』松本 哉、集英社新書

  東京の前身である江戸は江戸城を中心に開発が進められ、1657年(明暦3年)の明暦の大火後、隅田川に両国橋が架設されたときには隅田川までが江戸市中であった(両国橋は武蔵と下総の両国を結ぶ橋と言う意味)。しかし、江戸市中が手狭になったことから、両国橋架設の20年後、江戸と下総の国境は隅田川より東の江戸川まで移動された。このように東京の東部は江戸時代にはいわば新開地であったことが東部に対する差別的なイメージの背景にあるのではないかと思われる。これが、前述の本の中で触れられているように、明治時代における東京の山の手の人の下町に対する差別的な意識として引き継がれたものであろう。

  ところで、こうした「西高東低」は日本だけのことであろうか。筆者がフォローしている欧州について考えてみると、人びとの深層心理の中に「西高東低」、東側に対する差別的な感情があるような気がしてならない。
  欧州についてこの問題を考えるときは人種の問題も絡んでくるため、少々やっかいであるが、経済的な問題だけに限ってみても1人当たりのGDPは西側諸国の水準に比べて東側は大幅に下回っているし、賃金をはじめとする投資関連コストをみても東側の方がはるかに低い。こうした経済的な「西高東低」に加えて、次のような事例が、西側の人の東側を見る場合の目線を感じさせる。
    例えば、1989年に東欧で体制転換が行われたとき、その直前に東欧諸国(特にハンガリーの人びと)が日常生活で不足している物を調達するために、東欧と国境を接していたオーストリアのウィーンの町に車で殺到した。当時筆者はウィーンに駐在していたが、ウィーンの人びとがしばしば東欧の人に対して見下すような態度をとっていたことを思い出す。また、90年10月に東西ドイツ統一が実現したとき、ドイツの再統一に歓喜したのもつかの間、旧東独の経済再建に対する負担の重さなどから、西独の人びとが東独の人びとを「オッシー」という蔑称(もっとも「オッシー」は西独の人を指す「ウェッシー」に対する言葉で、言葉そのものに差別的な意味合いはないといわれている)で呼び、二等国民扱いする風潮が一時見られたことはよく知られていることである。

  もちろん、現在の欧州の人(特に西側の人)に正面切ってこうした差別意識を持っているかと聞いても、差別意識は一切ないという答えが返ってくるに違いない。東京の人に東部に対する差別意識を持っているかと聞いても同様の答えが返ってくることが予想されるのと同じである。また、東欧諸国の体制転換から17年の歳月が流れた現在、東欧諸国の人びとの生活水準も大幅に改善し、生活水準の低さからくる差別意識といったものがあったとしても随分緩和されたに違いない。

  しかし、表面的な差別意識の解消と深層心理の中に眠っている差別意識とは別物ではないかというのが筆者の仮説である。

  現在EUは加盟27カ国になった。加盟国の数が増えれば増えるほど、話し合いの場で合意を見つけることは困難になる。現在、EU加盟国の間では今後のEUの先行きを左右する新EU条約の細部を詰める政府間交渉が行われているが、政府間交渉においては各国の利害の対立が予想されている。EUが主権国家の連合体である以上、利害の対立はある意味では当然のことであり、今後、合意の形成に向けて理性的な話し合いが進められることになると思われる。しかし交渉が難しくなればなるほど、「深層心理の中の差別意識がこうした交渉の場で影を落とすことがないのか」というのが筆者の密に抱いている懸念である。このような懸念が筆者の想い過ごしであり杞憂に終わることを筆者は切に願っている。