一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2001/10/29 No.4牛肉・航空機で争うブラジルとカナダ

内多允
国際貿易投資研究所 客員研究員


 カナダ政府は2月2日、狂牛病(ウシ海綿状脳症)を予防するという理由でブラジル産牛肉の輸入を禁止した。同時にカナダと共にNAFTA(北米自由貿易協定)を構成する米国とメキシコもこれに追随した。この措置は同月22日に取り下げられた。思いがけない牛肉摩擦の背景には、カナダとブラジルの航空機産業への補助金を巡る対立が影響していると指摘する向きもある。ブラジルは北米と中南米をひとつの自由貿易圏に統合するFTAA(米州自由貿易圏)構想の実現の鍵を握る大国である。それだけに、今回の牛肉紛争からは西半球における主導権をめぐる大国の思惑も垣間見えた。 

波紋を広げた牛肉摩擦

ブラジル政府はカナダによる牛肉輸入禁止措置が各国に波及することを警戒して、その安全性を内外に訴えた。カナダ側の説明によると、ブラジルの牛肉を輸入禁止としたのは技術的な理由であるとしている。カナダは狂牛病発生の可能性についてのデータ―を米国やオーストラリア、ニュージランド、アルゼンチンからも取り寄せた。しかし、ブラジルだけが狂牛病予防措置についての情報開示が不十分であったために一時的に輸入を禁止したというのがカナダの言い分である。ブラジルから急送されたデータに基づいて可能なら輸入禁止措置を解除する方針であった。NAFTAとしても米国、カナダ、メキシコ3カ国の専門家で構成する衛生監視団をブラジルに派遣して、牧場や飼料工場等の施設を視察して、安全性を確認した後に輸入禁止措置を取り下げた。カナダはブラジ牛に狂牛病はないということについては理解を示した。
 
ブラジルは1997年までにフランスやドイツ等の欧州諸国から4,391頭の生体牛を輸入したと伝えられている。これらの牛は交配用ではないと、ブラジル側はいう。カナダではこれらの生体牛がブラジルでどのように取扱われているのか懸念していたことも、今回の輸入禁止の動機となっている。カナダがブラジルの場合のように情報が不十分と判断されると輸入禁止措置を取るのは、狂牛病への予防方法が確立していないからである。狂牛病の発病や感染のメカニズムは十分解明されていない。その病原体は「プリオン」と呼ばれるたんぱく質でウイルスでも細菌でもない。狂牛病は人間にも感染する可能性も指摘されている。プリオンが食肉に含まれていると、30分煮ても壊れない厄介な存在である。人間が発症すると急速に痴呆症が進み、多くは数ヶ月で死亡する。プリオンを含む肉や骨を原料とする飼料も感染経路である。狂牛病は羊がかかる「スクレイピー」と同種の病気である。狂牛病はスクレイピーにかかった羊の肉や骨からの飼料を食べた牛に蔓延したと推測されている。このような経緯から、狂牛病を防ぐには家畜の状況を完全に把握することが必須条件となっている。カナダは牛肉輸入再開の条件として、牛がブラジル生まれであり牧草で飼育されて動物性飼料は与えられていないことの証明書の添付を要求している。

カナダがブラジルからの牛肉輸入禁止措置を取り下げるまでにブラジルでは、広範囲な批判の動きが展開された。輸出関係者からはカナダに損害賠償を要求すべきであるという意見が出ている。サンパウロのレストラン業界がカナダ産品のボイコットを表明した。農業団体からは肥料原料である塩化カリウムのカナダからの輸入停止が提案された。これが実行されるとカナダは2億ドルの損失を受ける。因みにブラジルからカナダへの牛肉輸出額は昨年、560万ドルだった。ブラジルがカナダの政策に反発した理由として、次の2点がある。第1点は狂牛病に関しては汚染の事実がなく、その対策にもブラジルは自信を持っていることである。第2点は両国の航空機メーカー輸出補助金を巡る対立が以前から続いており、カナダが報復措置として牛肉輸入を停止したのではないかと受け取る向きがブラジルにあった。カナダが牛肉輸入禁止を発表した前日の2月1日にWTO(世界貿易機関)では、航空機問題の紛争調停のためのパネル設置をブラジルが阻止していた。このような背景事情からカナダの牛肉輸入禁止を、ブラジルでは航空機問題の報復措置と受け取られた。

ブラジルとカナダは航空機メーカーに対する政府の輸出補助金がWTOの規則に違反しているかどうかを巡って1996年以来、対立が続いている。リージョナルジェット航空機に対する世界の需要は地域間航空輸送の拡大を反映して増加している。カナダのボンバルディア、ブラジルのエンブラエル両社は世界のジエット旅客機市場で、激しい競争を繰り広げている。エンブラエルは日本企業も関係している。川崎重工業は主翼の開発に参画しており、同社の岐阜県内工場ではエンブラエルと共同開発中の70人乗りジエット旅客機用主翼部の組み立てラインを新設した。また、住友精密工業は米国メーカーと共同でエンブラエル機の空調システムの開発に参加している。

米州市場統合に影響力を与えるブラジル

今回の狂牛病を巡る騒動自体は、ブラジル経済全体に特に深刻な影響を与える問題ではなかった。農産物貿易に限っても狂牛病に対する警戒を反映して、ブラジルの大豆や鶏肉の需要拡大が見込まれている。ブラジル政府としては、牛肉問題の背後で指摘されている航空機に関わる問題についても弱腰でないことをアピールする意図がうかがえる。さらに、通商問題についても北米あるいはNAFTA(北米自由貿易協定)主導型の解決策への牽制効果を狙ったと考えられる。ブラジルの経済力は輸出構造についても、農産物に加えて航空機のような先端技術分野の工業分野にも進出している。これには、海外からの企業進出も貢献している。国際経営コンサルティング会社ATカーニーが今年2月に発表した海外直接投資信頼度指数順位表によればブラジルは第3位の評価を受けた。この順位は中南米諸国では最高の評価である。

ブラジルの牛肉輸出の主要市場は米国であるにもかかわらず、ブラジルとカナダの牛肉紛争では米国の対応は極めて冷静であった。カナダが牛肉輸入禁止措置をブラジルに課したことに対して米国はNAFTA加盟国として、実務的に同調したが積極的に発言することもなかった。米国ブッシュ新政権の外交政策が、米州自由貿易圏(FTAA)を実現させるためには中南米ではずば抜けた経済力を有するブラジルとの関係が重要なかぎを握っている。西半球の経済統合を実現させるには、北のNAFTAとブラジルが影響力を及ぼしているMERCOSUR(南米南部共同市場)との協調が欠かせない。ブラジルはFTAAがNAFTAを拡大する形で実現して西半球におけるリーダーシップが米国に奪われることを警戒している。FTAAの実現はブラジル、米国の南北を代表する大国の歩み寄りにかかっている。それだけに、米国の国益に大して影響を及ぼさないブラジル・カナダ間の通商摩擦に介入してブラジルを刺激することを回避したと考えられる。4月20日から21日にわたってカナダ・ケベックで米州サミットが開催され、FTAAも議題になる。カナダの牛肉輸入禁止決定を受けて、ブラジルのカルドーゾ大統領は「米州サミットに出席出きるような雰囲気ではない」と述べた。米国では1月に発足したブッシュ新政権は中南米重視の外交姿勢を表明している。民間でも外交評議会が2月にブラジルは対南米外交の重要なパートナーと位置づけ、ブラジル重視の政策をブッシュ政権に提言した。ブラジルの対外経済関係では欧州も需要な地位を占めており、近年は中国や韓国等のアジア諸国との関係強化にも積極的である。ブラジル経済の対米依存はメキシコや中米・カリブ地域のように高くない。それだけに、米国にとってブラジルは手強い交渉相手である。

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