一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2019/09/24 No.69米中貿易摩擦の影響の計測:学術研究の最新動向

伊藤恵子
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
中央大学商学部 教授

2018年3月以降、米中における関税引上げ措置がエスカレートし、米中間の貿易減少のみならず、日本の輸出も減少が続くなど、世界経済に深刻な影響を与え始めている。米中貿易摩擦の経済的影響については、各国の政府系・民間シンクタンクなどさまざまな調査分析レポートを公表するなど、政策担当者や産業界から非常に高い関心を持たれている。

今年に入り、学術研究の世界においても、米中貿易摩擦の影響を精緻な経済モデルに基づいて推計する研究が活発に行われてきた。今年の春から夏にかけて、いくつかの国際学術会議に出席したが、米中貿易摩擦に関連した研究報告は多くの聴衆を集め、世界中の研究者らの関心の高さをうかがわせた。ここでは、最近のいくつかの学術研究成果を引用し、米中貿易摩擦の影響を国際経済学者らがどのように分析し、どのような結果をこれまでに得ているかを紹介したい。

まず、今年に入って研究者らから最も高い関心を集めたのは、国際経済学分野で世界トップ水準の研究者らが精緻な経済理論に基づいて分析し発表した2つの論文であろう。1つは、ニューヨーク連銀のアミティ氏、プリンストン大学のレディング教授、コロンビア大学のワインスタイン教授の3人による論文で、米中貿易摩擦が米国内の価格や米国の経済厚生に与えた影響を計測したものである(Amiti et al. 2019)。もう一つは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のファジュゲルバウム准教授、イェール大学のゴールドバーグ教授、カリフォルニア大学バークレー校のケネディ研究員、そしてコロンビア大学のカンデルワル教授の共同論文で、これも米中貿易摩擦の米国内への影響を推計したものであるが、米国内の詳細な地域別に影響をブレークダウンして推計しており、さらに中国からの報復措置の影響についても推計している(Fajgelbaum et al. 2019)。

アミティ氏らの論文の主要な結果は、2019年5月に米国のコロンビア大学日本経済経営研究所が主催して東京で開かれたカンファレンスでも報告されたが、2018年に実施された関税引上げの影響を推計したものであった。もし、米国が中国からの輸入品の関税30パーセント引き上げたとしても、中国の輸出企業が輸出品価格を30パーセント引き下げて安く米国に売れば、米国内での国内価格は変わらず、米国民はこれまでと変わらない価格で中国製品を購入でき、米国政府には関税収入が入る。関税引き上げ分、商品価格を値下げした中国企業の利潤が減り、中国企業がすべての負の影響を被ることになる。しかし、米国が関税を引き上げたとしても中国企業が商品価格を下げなければ、関税の増加分は米国の消費者が負担することになる。中国企業がどのような価格設定行動をとるかは、当該商品の市場における中国企業の価格支配力や米国消費者の選好(類似した他の商品に代替可能かどうか)、また米国内企業や中国以外の外国企業が代替品をどれだけ安く供給できるかなど、さまざまな市場の条件によって決まってくる。こうした市場の条件は商品ごとに異なっており、アミティ氏らは、さまざまな品目においてこうした市場条件を考慮した上で、米国の消費者が受けた影響を推計し、さらには米国全体の経済厚生の変化を計測している。

彼らの分析によると、関税引上げ分は、中国企業が輸出価格を値下げしたというよりもむしろ、米国消費者への価格に転嫁され、米国消費者が輸入価格増分を負担した分が大きかったという。つまり、米国市場での価格上昇のために消費者の負担するコストが増えたとともに、価格の上昇によって当該商品の消費をあきらめた消費者がいたため、消費者の厚生が減少(経済学ではこれもコストと考える)した。また、中国からの輸入品価格が上昇したことにより、輸入品が米国産品と代替される部分もあるため、米国企業の生産や利潤が増える面もある。ただし、米国企業が完成品を製造するために、中間財を中国から輸入しているものもある。中国からの輸入中間財の関税引き上げによって中間財価格も上昇すれば、必ずしも米国企業の利潤が増えるとも限らない。こうしたさまざまな影響を考慮して、米国の経済厚生の変化を推計したところ、2018年1月から11月までの期間に米国内の負担総計は192億ドル相当であったという。一方、2018年1月から11月までの米国の関税収入は123億ドル相当であったので、総負担の192億ドルから関税収入123億ドルを除いても、米国の経済厚生は69億ドル相当分減少したという。

この69億ドルという数値はどれほどのインパクトなのだろうか。米国の2017年のGDPが19.4兆ドルであった(約2,130兆円。ちなみに日本の2017年GDPは約547兆円、中国は約1,330兆円である)。19.4兆ドルを比べると、69億ドルと微々たるものかもしれない(0.1パーセントにも満たない)。ただし、顕著な関税引き上げは2018年10月以降に実施されたので、69億ドルの経済厚生ロスのうち29億ドル分は10月、11月の2か月間で発生している。また、2018年1月から11月までに実施された関税引き上げは、2,530億ドルの輸入に対する追加関税であったが、2019年5月には、すでに追加関税が発動されている2,000億ドル相当分の輸入に対し追加関税をさらに引き上げ、9月には1,120億ドル相当の輸入に対して新たに追加関税が発動され、12月には残りの約2,000億ドル相当の輸入にも追加関税が発動される予定である。アミティ氏らの分析は、2018年の関税引き上げの影響のみを推計したものであったため、米国のGDP規模からみれば大きな金額ではなかったかもしれない。しかし、2019年にはその影響は大きく拡大することが予想される。

一方、ファジュゲルバウム准教授らも、アミティ氏らとは異なる分析枠組みで米国の対中関税引き上げの影響を分析しているが、両者は整合的な結果を得ている。彼らの推計結果は下の表のとおりであるが、彼らは2017年1月から2018年11月までを分析期間とし、対中国への関税引き上げだけでなく、他国への関税引き上げや、また、外国からの報復関税の影響も考慮して分析している。分析期間や対象、方法が異なるため単純比較はできないが、アミティ氏らの研究でもファジュゲルバウム准教授らの研究でも、米国による輸入品の関税引き上げ分の大部分が米国での市場価格に転嫁され、米国消費者が価格上昇分を負担したことになったと指摘している。そのため、下の表のとおり、関税上乗せによって高い価格で輸入品を購入しなければならなくなった米国の消費者や生産者の損失が688億ドル相当であったという。一方、米国による関税引き上げは、外国製品から米国製品への需要シフトをもたらす場合もあり、また外国による関税引き上げは米国製品の需要を減らし他国製品の需要を増やす効果もあるなど、米国製品と他国製品との間の代替を起こす。代替の結果、米国製品への需要を相対的に増やす効果の方が大きく、米国製品の価格が上昇し米国生産者の利益が増えた分が、216億ドル相当であった。しかし、関税収入分394億ドルを考慮しても、米国と諸外国との貿易摩擦は合計で78億ドル相当のマイナスの効果であったという。しかし、この変化は米国のGDP規模からみれば0.04パーセントであり、米国民一人当たりの負担は24ドルで、この数値自体はそんなに大きくないのかもしれない。もしかしたら、一人2,500円程度の負担で中国をいじめられるなら負担してもいい、と考えてしまう意地悪な人もいるのかもしれない。

表:Fajgelbaum et al. (2019)による推計結果(2016年の通貨価値に換算)

(出所)Fajgelbaun et al.(2019)Table 8

しかし、ファジュゲルバウム准教授らはさらに興味深い研究結果を報告していて、米国内の詳細な地域別(州よりも細かい郡のレベル)で貿易摩擦の影響の違いを推計し、各郡の政党支持者構成との関係を考察している。まず、貿易摩擦の影響は郡によって大きく異なっている。政党支持者構成との関係をみると、関税による保護が最も強いのは、共和党支持者の割合が中程度(40〜60%)の地域で、共和党または民主党支持者のどちらかが明確に優勢な地域よりも、両政党支持者の割合が拮抗している地域で、より強く保護されていた。しかし、外国からの報復関税によって負の影響をうける産業は、共和党支持者の多い地域に多い傾向がみられ、さらに実質賃金に対する負の影響も共和党支持者の多い地域で大きいという。

こうした研究から、貿易摩擦の米国に対する影響は、2018年までのところ米国の経済規模と比較すれば大きくないといえるかもしれない。しかし、プリンストン大学のクルーグマン教授や多くの経済学者も指摘するとおり、2019年以降追加関税措置はさらに拡大され、米国経済への負の影響はだんだん無視できない大きさになっていく可能性がある(たとえばNew York Times紙に 2019年3月3日に掲載されたクルーグマン教授のコラムなど)。 また、ファジュゲルバウム准教授らの分析のように、影響の大きさは地域によって異なり、今後米国の大統領選挙のゆくえにも影響を与えるかもしれない。そして、上述のコロンビア大学主催東京カンファレンスで、イェール大学のカリエンド教授が自身の研究の中間報告をされたが、カリエンド教授の分析でも貿易摩擦は米国にとってよい影響はもたらさない。カリエンド教授は、貿易障壁が上がることは、米国に生産活動をある程度戻すことになる可能性はあるが、それには一定の時間がかかること、もし米国内に生産活動が戻っても輸入品よりも生産コストが高く物価が上昇するため、労働者の実質賃金は下がると予想している。つまり、製造業が米国内に戻ったとしても、人々の生活水準は下がる可能性が高いというのだ。

これらの研究は、米国内への影響を精緻に分析したものであるが、他国への影響の分析も今年に入って急速に広がっている。さまざまな学術会議で米中貿易摩擦に関連した研究が報告されているが、それらはまだ分析の中間段階で、公表可能な情報でないものも多い。今後、さらに新しい研究成果が公表され、現段階の結果や議論が更新されていく可能性が高いことには留意されたい。しかし、米中貿易摩擦は、米中両国だけではなく、国境を越えた生産ネットワークを通じて各国に影響を及ぼし、世界的なインパクトは甚大であるという報告もあった。また、米国の中国からの輸入が、台湾やベトナムなど他のアジア諸国から輸入に置き換わったという貿易転換効果も確認されている。しかし、代替的な輸出国からの製品は、もともとの中国からの輸入品よりも高い価格で米国市場にて販売されている状況や、貿易転換がある程度起きているものの、すべてが転換されたわけではなく、やはり世界経済全体に対して負の効果をもたらしているなど、さまざまな議論が展開されている。

こうした新しい研究成果が、今後さらに公表されてくると思うが、多くの国際経済学者の見解としては、貿易戦争は世界に利益をもたらさない。米中両国もすでに追加関税引き上げ措置の応酬の不毛さに気づき始めているかもしれないが、一刻も早く世界の二大国が大国としての役割と責任を再認識してくれるよう、望むばかりである。現在、急速なデジタル技術の進歩の下で、国家安全保障という名のもとにモノ・サービスの移動のみならず、さまざまな情報の移動を規制・管理する動きも出ている。国家安全保障が極めて重要事項であることは間違いないが、いかに、どの程度規制するのが望ましいのか、規制の根拠は何か、ルールの透明性をどう確保するかなど、通商問題に関して各国が協調して話し合うべき喫緊の課題は多い。世界各国の指導者たちが、各国共通の課題に真剣向き合い、協力して世界経済の繁栄に向けた議論を開始すべきである。

<参考文献>

Amiti, M., S. J. Redding, D.Weinstein (2019) “The Impact of the 2018 Trade War on U.S. Prices and Welfare,” NBER Working Paper No. 25672, National Bureau of Economic Research.

Fajgelbaum, P. D., P. Goldberg, P. Kennedy, and A. K. Khandelwal (2019) “The Return to Protectionism,”NBER Working Paper No. 25638, National Bureau of Economic Research.

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