ITIコラム

2016年3月14日

 

中南米で広まるジカ熱感染症

内多 允
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員

 

1. ジカ熱感染症防止への取り組み

中南米各国で蔓延しているジカ熱感染症(以下、ジカ熱)は、まだ予防薬や治療薬が開発されていないことに加えて、感染源である蚊の駆除を徹底することについても、まだ十分な成果を上げるには至っていないのが現状であろう。

世界保健機関(WHO)は2月1日、ジカ熱に関する第1回国際保健規則(IHR)緊急委員会を開催した。同委員会の勧告を踏まえて、WHOはブラジルにおける小頭症や神経障害の急増が、「国際的に懸念すべき公衆の保健に関わる緊急事態(Public Health Emergency of International Concern)」であることを宣言した。この宣言では妊娠中や妊娠適齢期の女性の感染地への渡航制限や、感染防止の対策を勧告した。

国際機関や関係国では、感染拡大防止には、迅速な行動が必要なことが認識されている。

ジカ熱の蔓延が、経済活動を停滞させることも、懸念されている。各国政府や国際機関も、ジカ熱がもたらす被害の防止に取り組んでいる。例えば、世界銀行は2月18日、中南米におけるジカ熱対策に、1億5,000万ドルの緊急支援を供与すると発表した。その具体的な支援内容として、感染者の早期発見や危険性についての広報活動の経費支援や、専門家チームの派遣である。世界銀行はこの緊急支援と同時に、2016年の中南米における経済損失規模の見通しを発表した(表1)。

同見通しによれば、中南米全体の所得損失規模は、34.78億ドルで、財政収入損失規模は4.2億ドルである。これらの損失額は表に計上された8か国に集中している。世界銀行が発表した損失見通しの表によれば、これら8か国は「金額規模が大きい国」と「GDP比率が高い国」に分類している。8か国の所得損失額合計は24.02億ドル(中南米合計の68.7%)、また財政収入損失額合計が3.03億ドル(同72.1%)である。

同表では金額規模が大きい国には、中南米では経済規模が大きい3か国(メキシコとブラジル、アルゼンチン)に加えて、キューバとドミニカ共和国の5か国が計上された。

損失額のGDP比率が高い国に分類されたのが、中米・カリブの5か国である。これらの諸国は経済規模は小さいものの、損失額のGDP比率が高いことから、ジカ熱が蔓延することによる深刻さが予想される。特に、キューバとドミニカ共和国は損失規模が大きい国であることに加えて、GDP比率が高い国として両方に分類された。

米国疾病管理センター(略称CDC)によれば、中南米におけるジカ熱が発生した国・領土は28に上る(2016年2月23日現在)。一方、この28の国・領土リストに掲載されなかった国は7か国(つまり、ジカ熱が発生していない国)である(表2)。

CDCは3月11日、ジカ熱が発生する地理条件として、海抜2,000メートル基準を発表した。つまり、ジカ熱の感染媒体である蚊は、海抜2,000メートル以下の地域で生息している。ジカ熱ウイルスを媒介する蚊は、デング熱のウイルスも媒介するが、この種の蚊は海抜2,000メートル以上の場所では「稀(rare)」であると報告している。同日のCDC発表ではジカ熱発生国・地域の海抜2,000メートル以上と以下を色分けした地域と、その中の主要都市の位置を記入した地図を発表した。

ジカ熱による経済的な損失は、感染者が確認されていない国にも及ぶことが想定されることから、前記の世界銀行による損失額見通しの対象国には、非感染国も含まれている。

(表1)ジカウイルス感染症の2016年経済損失規模 (単位 金額:100万ドル GDP比率:%)

 

所得損失規模

財政収入損失規模

金額規模が大きい国

金額

GDP比率

金額

GDP比率

メキシコ

744

0.06

80

0.01

キューバ

664

0.86

na

na

ドミニカ共和国

318

0.50

43

0.07

ブラジル

310

0.01

75

0.00

アルゼンチン

229

0.04

72

0.01

GDP比率が高い国

 

 

 

 

ベリーズ

21

1.22

5

0.29

キューバ

664

0.86

na

na

ジャマイカ

112

0.81

27

0.19

ドミニカ国

4

0.77

1

0.18

ドミニカ共和国

318

0.50

43

0.07

(出所)世界銀行 2016年2月18日発表

 

(表2)感染症が発生しなかった中南米諸国(7か国)

 アルゼンチン  チリ  ペルー  ウルグアイ
  キューバ  ドミニカ国   ベリーズ

(注)感染症の発生状況によっては、本表の掲載国の内容も変更されることもあり得ることに留意されたい。
(出所)米国疾病管理予防センター(CDC)アクセス日付2016年3月4日

 

前記の世界銀行による見通し表の7か国の内、4か国(アルゼンチン、ベリーズ、キューバ、ドミニカ国)では、CDCによれば感染者発生が確認されていない(中南米でジカ熱感染者発生が確認されていない国は、表2参照)。

しかし、感染者が確認されている国と国境を接し、活発な入国・出国が繰り返されて感染のリスクにさらされている。

南米における大規模な人的移動の要因としては、リオデジャネイロで開催されるオリンピック(8月)とパラリンピック(9月)があげられる。カリブの小規模国が、ジカ熱による経済損失が大きい理由も、観光産業が重要な経済部門であることが影響している(カリブの観光産業については、拙稿「キューバ観光人気を警戒するカリブ諸国」当フラッシュ225,2015年3月24日参照)。観光産業が国境を越える人の移動を促している。ジカ熱の蔓延は、人の移動を制約する動機となることから、対人サービスで成り立つ観光産業を停滞させる。

既に各国政府は、ジカ熱に胎児が感染すると、小頭症で生まれるリスクが懸念されること、予防ワクチンや治療薬がまだ開発されていないことから、感染地への渡航者には慎重な対応を求めている。

ジカ熱の症状はアフリカで蔓延したエボラ出血熱のような死亡率が高い深刻な症状は、想定されていない。2016年における中南米のジカ熱がもたらす経済的な損失についても、世界銀行は“modest”(緩やか)と表現した。

しかし、今後の影響については楽観できない要因も存在する。世界銀行は2月18日の緊急支援の発表の中で、ジカ熱の蔓延を早急に抑制しなければ、感染の影響や経済活動への被害が拡大することを警告した。蔓延している当事国に加えて、国際機関や先進国政府も連携して被害防止に取り組んでいる。特に中南米各国とは人の往来が盛んな米国政府は、対策を強化している。オバマ大統領は2月8日、議会に対して18億5,600万ドルのジカ熱対策の緊急対策予算を求めることを発表した。

2. 楽観できないジカ熱と症例の因果関係

ジカ熱が引き起こす症例については、小頭症とギラン・バレー症候群が疑われている。何れも研究ではまだ決定的に確認されていないが、ジカ熱に感染するとこれらの症例が目立つことから、関連性が高いことが認識されるようになっている。これについて以下、イギリスで発行されている医学誌ランセット(The Lancet) の電子版(3月1日付け)からその概略を紹介する。

同誌はジカ熱ウイルスは、蚊の媒介と並んで、人から人に伝搬する経路として性行為や母乳を指摘している。

母乳が疑われている背景としてはデング熱ウイルスが、母乳経由で乳児に伝搬することをあげている。

ジカ熱による小頭症の新生児の増加が目立つブラジルでも、問題が大きくなったのは2015年からである。

デング熱ウイルスを持つ蚊が、ジカ熱ウイルスも伝搬するからである。この種の蚊はアルボ・ウイルスを伝搬する。アルボ・ウイルスは吸血性節足動物(蚊やダニなど)から人などの脊椎動物に、ウイルス性脳炎や黄熱病等を発症させる。

ジカ熱ウイルスは2007年以前は爆発的な蔓延は確認されなかった。そして、関連症例は軽症であると見なされた。これの爆発的な発生は2013から2014年にかけてフランス領ポリネシアで、この時期にギラン・バレー症候群の感染者がでた。同症候群は手足の筋肉の力が衰え、呼吸不全も併発することもある神経疾患である。

ジカ熱ウイルスと小頭症やギラン・バレー症候群の因果関係や、ウイルスの伝搬経路については厳密な学術研究では、まだ立証が不十分であるという意見がある。それでもジカ熱ウイルスを媒介する蚊が存在している環境の下で、患者が急増している状況を無視できなくなっている。国際機関や関係国政府が対策を急ぐ理由としては、アフリカで2014年、エボラ出血熱の蔓延を早急に阻止できなかった反省がある。疾病の蔓延を阻止するためには、迅速な初動が如何に重要であるかを、エボラ出血熱対策の事例が示した。

ジカ熱対策では、改めて蚊の発生を防ぐ重要性が認識された。そのためには、蚊が生まれる水に関わる環境整備(例えば、屋外の水たまりの解消)が必要である。また、上水道を整備することも求められる。

前記ランセット誌によれば、ブラジルでは2010年の公式データによれば、都市部では92%の家庭が上水道を利用している。しかし、断水に備えて日常使う水を貯めている家庭もある。一方、農村部の上水道普及率は28%であるという。

このような実態は数値こそ違え、他の途上国でも指摘されている。蚊がもたらす感染症対策は、蚊の駆除薬の散布に加えて、関連のインフラ充実が不可欠なことはいうまでもない。