フラッシュ287
2016年8月24日
 

米政府、TPP批准手続きを開始

 
滝井 光夫
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
桜美林大学 名誉教授
 

8月12日(金)の午前、USTR(米国通商代表部)はオバマ大統領の方針によって、TPP(環太平洋経済連携協定)に関する「行政措置声明」(SAA, Statement of Administrative Action)の草案を議会に提出した。これは、オバマ政権が11月8日の大統領・議会選挙後に開かれるレームダック会期で、TPPを批准する手続きを開始したことを意味する。

そもそもSAAとは何か。なぜSAA草案の提出がTPP批准の開始を意味するのか。オバマ大統領に成算はあるのか。クリントン大統領候補はレームダック会期におけるTPPの批准に反対しているのではないか。議会が提起していたTPPの問題点は解決されたのか。議会はどう対応するのか。ここでは、こうした諸点を説明し、今後の動向を検討する参考としたい。

1.行政措置声明(SAA)とは何か。

SAAとは、米国の国際協定を含む連邦法および州法との関係から見たTPP各章の解釈、TPPの施行と運用、現行法の改正点、TPP締約国間の連絡を円滑にするための米国側の連絡部局(Contact Point)などを規定している。SAAの草案は全体で36ページから成り、TPPの第1章(冒頭規定および一般的定義)、第26章(透明性および腐敗行為の防止)、第27章(運用および制度に関する規定)、第28章(紛争解決)、第29章(例外および一般規定)および第30章(最終規定)の6章については、一括してSAAの冒頭5ページ半を使って記述し、残りのTPP各章は第2章(内国民待遇および物品の市場アクセス)から第25章(規制の整合性)まで、順に解説されている(注 1)。

SAAは、このように米国が、TPPを批准し、施行するためには不可欠な文書であり、政府と議会が共同して作成するTPP批准法案(TPP Implementation Bill)のベースともなる。SAAの最終テキストを確定するためには、議会の採決は必要ないが、議会の関与が必須となる。政府が議会に「草案」を提出するのは、議会の検討と承認を得て、SAAを最終的なものにするという意味を持つ。

2.SAA草案の提出がTPP批准への第一歩

TPPは、2015年6月に成立したTPA(貿易促進権限法)に規定された手続きに従って、批准される(TPAについては、拙著「2015年貿易促進権限法の制定」『季刊国際貿易と投資』2015年10月、参照)。

TPAの106条(a)(1)(D)は、SAAの草案が政府から議会に提出されると、その少なくとも30日(TPAは、最終版のSAA等の議会提出日を基準にして表記しているため、その「30日」と書かれている)には、議会との協議を経て最終的なものとなったSAAが、TPP批准法案の草案およびTPPの最終テキスト等と合わせて、政府から議会に提出されると規定している。つまり、SAA草案の提出が、図1で示したように、TPP批准プロセスの第一歩となる。政府がこの第一歩を踏み出すと、批准へのプロセスは中断することができないし、もとに戻すこともあり得ない。中断ないし後戻りすることは、オバマ政権によるTPP批准が不可能となったことを示す。

図1:TPA法に基づく貿易協定批准までの手順

 

図1で示したように、SAAの最終版が完成すると、次の段階は、最も重要なTPP批准法案の確定となる。最終的なTPP批准法案は、まず政府が議会にTPP批准法案の草案を提出し、これを下院歳入委員会(委員長はケビン・ブレディ、共和党テキサス州選出)および上院財政委員会(同オーリン・ハッチ、共和党ユタ州選出)が精査し、場合によっては公聴会を開催し、さらに「モック・マークアップ」と呼ばれる模擬逐条審議を経て、確定される。

「モック・マークアップ」は下記のとおり、一旦議会に提出された批准法案は修正できないために行われるが、今回モック・マークアップを開催する時間的な余裕がない場合には、ホワイトハウスと議会指導部との間で緊密な協議を行うことによって代えることも考えられるという(8月12日付POLITICO紙“Obama puts Congress on notice: TPP is coming”)。

この確定されたTPP批准法案は、まず下院の歳入委員会と本会議で審議、採決された後、直ちに上院の財政委員会および本会議で審議、採決される。この間の審議期間は、最長で下院は60日(歳入委員会45日、本会議15日)、上院は30日(財政委員会15日、本会議15日)の、合計して最長90日と規定されている。

なお、日数は暦日ではなく、議会開催日で計算する。この日数は上限の日数であり、2011年10月に韓国、コロンビアおよびパナマとの貿易協定を批准した際には、下院は8日、上院は2日でそれぞれ審議、採決を終わっている(注 2)。レームダック会期は日数が限られているが、この前例を見る限り、批准審議が不可能ということはない。2000年以降の議会をみると、レームダック会期の最短は2002年(107議会)の下院16日、上院14日、最長は2012年(112議会)の下院52日、上院51日であった(いずれも暦日計算)(注 3)。

TPAにより一旦議会に提出された批准法案は修正することは認められていない。政府も議会も、貿易協定の締結までには多大の時間と労力を費やしているから、間違いなく批准法案が成立するように、批准法案の確定に万全を期す。同時に、政府も議会も賛成票の確保に全力を注入する。これまで貿易協定批准法案は、下院の反対で審議がやり直された例が1回だけあるだけで、否決された例はない。

3.オバマ大統領に成算はあるのか。

11月8日の大統領・議会選挙が終わり、レームダック会期を開いて、TPPを批准するというオバマ大統領の方針は揺らいでいない(拙著フラッシュ281「米国のTPP批准作業はどこまで進んでいるか」参照)。

民主党のクリントン候補も共和党のトランプ候補もTPPを批判し、クリントン候補はレームダック会期での審議に反対している。しかし、5年半に及んだ困難な交渉を成し遂げ、今後、環太平洋諸国に拡大して行くことが確実視される歴史的な貿易協定を締結したのは、大統領である自分なのだというオバマ大統領の自負は強い。大統領には、我が政権下で批准されなければ、TPPは日の目を見ないこともあり得るとの懸念もある。まずSAAの確定、そして最も重要なTPP批准法案の確定に要する作業日数を考えれば、この時期に政府がSAA草案を議会に送ったことは、必然的なことであった。

レームダック会期でTPPを批准するオバマ大統領の意思は明確である。

7月29日のホワイトハウスで行われたプレス・ブリーフィングで、シュルツ副報道官は、記者の「フィラデルフィアの民主党全国党大会の結果をみて、大統領はTPPを諦めたのではないか」、「民主党内でも批准に向けて進展がないのではないか」といった質問をはっきりと否定し、また「レームダック会期での批准に向かって進むのか」との質問に対しても、「大統領は年内に批准すべきであると断固として信じている」と答えている。さらに、「フィラデルフィアの党大会で、大統領とクリントン候補の間で裏取引がなされたのか」との同じ記者の質問に対して、「二人が数分間会う時間があったかも知れないが、そこには彼女の家族もいたし、特定の政策問題を深く突っ込む時間はなかったはずだ。兎に角、我々の焦点は上下両院で十分な支持票を確保することにある」と述べている。

さらに、オバマ大統領は米・シンガポール国交50周年記念のため訪米したリー・シェンロン首相との共同記者会見(8月2日)で、「民主、共和両大統領候補がTPPに反対しているのに、レームダック会期で批准をどのように達成しようというのか」との記者の質問に対して、次のように答えている。「現時点で、私が大統領であり、私は良い協定を締結した。労働や環境規定を強化したのはTPPだ。ベトナムは初めて労働法制の改革を進めており、憲法を改正して労働者の団結権が認められるようになった。この選挙戦が終われば、政治的フットボールは終わり、議会と議論し、TPP批准を成し遂げる」。

レームダック会期でのTPP批准の見通しは、議会選挙の結果とも深く関係する。8月初めの世論調査によると、下院における両党間の議席数は縮小するが、下院の共和党多数は変わらない見込みである。しかし、上院は民主党が多数を奪回する可能性が高い(注 4)。民主党が多数党になれば、現在の委員長も委員会の党派別議員構成も変わる。現在、下院歳入委員会は共和党24議員、民主党15議員で、今回の選挙で全員が改選となる。上院財政委員会は共和党13議員、民主党11議員(うち改選議員は共和党8議員、民主党3議員、合計11議員)だが、民主党が多数党になれば、マコーネル院内総務もハッチ財政委員長も民主党議員に取って替えられる。

選挙の結果、基本的にTPP批准に賛成しているハッチ上院財政委員長が替わることになれば、レームダック会期でのTPP批准の機運はより高まるであろう。一方、大統領選挙戦では、トランプ候補の劣勢は一層はっきりしてきた。イラクで戦死し、金星章を授与されたパキスタン系米国人弁護士の子息と母親に暴言を吐き、予備選挙ではライアン下院議長とマケイン上院議員を支持しないと公言(後に撤回)して以降、トランプ候補の支持率は急落した。その後も、オバマ大統領とクリントン候補はISIS(イスラム国)の「生みの親」だと主張し続け、8月8日には、共和党政権の元閣僚、補佐官50人余から「トランプ候補は米国の最高司令官としての資格がない」との烙印を押された。

8月22日現在の選挙予想では、トランプ候補の獲得代議員数は全体の14%で、クリントン候補の地滑り的勝利(ニューヨーク・タイムズのUpshot’s election model)とも伝えられる。TPPに反対するクリントン候補の大統領就任が確実になれば、レームダック会期での批准を渋っていた共和党幹部も方向転換し、オバマ大統領に塩を送ることにはなるが、新大統領就任前にTPPを批准して結果を残しておきたいという共和党上院議員はより多くなろう。

4.TPPの問題点は解決したのか。

議会は、政府が議会に何の相談もなくSAAの草案を提出したことに反発していると伝えられる(8月15日付POLITICO・Morning Trade紙)。しかし、主要企業のCEOが集まるビジネス・ラウンドテーブルは、政府の草案提出を歓迎する声明を出している。声明は出していないが、TPPを推進する全米商業会議所、全米製造業者協会、TPP支援連合も同様に歓迎している。

TPPの問題点は、生物製剤のデータ保護期間5年ないし8年を米国の現行法である12年に延長する問題、金融サービス業に対するコンピューター関連設備の現地化禁止規定の採用、タバコのISDS(投資家対国家の紛争処理手続き)除外の撤回などがある(拙著上記フラッシュ281参照)。さらに民主党議員は労働および環境規定の強制力が弱く、為替操作に対する対抗措置も不十分だと指摘している。

これについて、8月12日付のPOLITICO紙は、「オバマ政権は、労働、環境規定、為替操作問題は進展しており、金融などの問題はすでに解決したと主張している」と書いている。

8月12日の段階では、ライアン下院議長およびマコーネル上院院内総務は、これら問題の解決がTPP批准審議の大前提だとの姿勢を変えていないようだが、オバマ政権はこの問題をどう乗り切るのか、POLITICO紙のいうオバマ政権の「解決の主張」が詳しく説明されていないだけに見通し難い(なお、為替操作問題についてはほぼ解決したが、その内容は拙著フラッシュ269「為替操作国に是正・対抗措置-ベネット・ハッチ・カーパー修正条項の制定」、およびフラッシュ277「米財務省、外国為替政策報告書を発表-新設した『監視リスト』」を参照)。

2016年の議会選挙では、大統領予備選挙におけるトランプ候補の反グローバリズムの主張が浸透し、改選議員はTPP賛成の見解を表に出せない状況だと伝えられるが、選挙戦が終われば、議員の声もより明確に表明されることになろう。

5.今後の展開状況のポイント

これからの批准手続きの進展で注目すべきポイントは、第1に、政府と議会が9月末頃までにSAAの最終テキストを確定することができるか否か、第2に、政府がTPP批准法案の草案をいつ議会に提出するか、そして第3に、政府と議会が最終的なTPP批准法案をいつ完成できるか、である。もし、SAAの最終テキストの確定が遅れれば、TPP批准法案の草案の議会提出も、押せ押せで遅れ、レームダック会期での批准審議に影響が出てくる。

TPP批准に賭ける大統領の強い決意と行動の如何によって、オバマ大統領は、TPPという歴史的協定を批准し、発効させた大統領として歴史に名を残すか、歴史的快挙を達成しながら、批准できなかった大統領として名を残すかが決まる。このため、9月からの2、3ヵ月間の動向が極めて重要となる。

9月5日の国民の祝日「レーバーデー」(労働祭)で議会の夏季休会は終わり、選挙戦は本格化する。オバマ大統領は浙江省杭州で開かれるG20サミット(9月4~5日)に出席し、その後、米国大統領として初めてラオスを訪問する。出席するビエンチャンでの米ASEAN首脳会議および東アジア・サミットで、オバマ大統領は米国のTPP批准の決意を内外に改めて表明することになろう。

 

1.8月12日に公表されたSAA草案をみると、TPP批准法案の条項を具体的に挙げながら説明されているから、TPP批准法案の草案は公表はされていないが、すでに出来上がっているとも考えられる。
2.しかも、批准審議では3本のFTA(自由貿易協定)が一括して同時に審議された。これはFTAの批准としては初めてのことである。これが可能になったのは、それぞれのFTAについて議会の要請から再交渉が行われ、公聴会が2011年の1~4月に、模擬マークアップは同年7月に完了していたという事情があった。さらに、オバマ大統領が韓国の李明博大統領の米国到着前に、米韓FTAを批准するよう議会に要請した結果、議会側が審議時間を大幅に短縮したことも要因となっている。
3.CRS(議会調査局)のLame Duck Sessions of Congress, 1935-2012, Sep. 19, 2014 (RL33677) による。
4.「もし今日下院議員の選挙が行われたとしたら、あなたの選挙区ではどの党の候補者に投票しますか」との質問に対して、NBC-WSJ、McClatchy-Marist、Bloomberg Politics の世論調査(8月初旬実施)は、いずれも民主党への投票率が共和党よりも高い結果を出している。また、8月22日付のRealClearPolitics の獲得議席予想は、下院:共和党226、民主党187、接戦22、上院:共和党44、民主党47、接戦9としている。なお、8月23日時点の議席数は、下院:共和党247、民主党186(両党間の議席差61)、欠員2、上院:共和党54、民主党44(同10)、無党派2である。