フラッシュ269
2016年3月14日
 

為替操作国に是正・対抗措置 ― ベネット・ハッチ・カーパー修正条項の制定

 
滝井 光夫
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
桜美林大学 名誉教授
 

1.強まる為替介入批判

民主党の大統領候補、クリントン前国務長官は、2月23日「大統領に当選すれば、我々は為替介入に断固たる措置を取る。中国、日本およびその他アジア諸国は自国通貨の価値を引き下げ、何年にもわたって人為的に自国製品を安価に抑えてきた。我々は、新たな監視体制や透明性の確保だけでなく、関税など効果的な対抗措置を取らねばならない」と訴えた(注1)。

TPP協定に対して米国の産業界、労働界が最も厳しく批判しているのが、クリントン候補が言及した「為替操作と通貨安政策に対する断固たる措置」の欠如である。為替操作と通貨安の阻止が、去年の6月に成立した2015年貿易促進権限(TPA)法の「貿易協定交渉の主要目的」に含められたにもかかわらず、この目的を遂行する手段が締結されたTPP協定には全く盛り込まれていない。これでは中国や日本の通貨安政策を阻止できない。従って、TPA法に反するTPP協定にもそう易々とイエスと言えない。これが米国産業界や労働界の大方の意見である。

こうした業界の見解は、昨年12月初めにUSTR(米通商代表部)に提出されたACPTN(貿易政策交渉諮問委員会)の報告(注2)に明らかだが、そうした業界の懸念は、二つの措置によっていまや解消されつつあるようにみえる。

二つの措置とは、第1が2015年11月4日に発効した「TPP参加国マクロ経済政策当局共同宣言」(Joint Declaration of the Macroeconomic Policy Authorities of Trans-Pacific Partnership Countries)、第2が2016年2月24日に制定された「2015年貿易円滑化・貿易履行強制法」(Trade Facilitation and Trade Enforcement Act of 2015)のベネット・ハッチ・カーパー修正条項 (Bennet-Hatch-Carper Amendment)である。以下、順に詳しく見てみよう。

2.TPP参加国マクロ経済政策当局共同宣言

この共同宣言は、2015年11月5日、オバマ大統領がTPP協定締結の意思を議会に通知した、まさにその日に米財務省から発表された。財務省の同日付のファクト・シートにも明示されているように、この宣言は、上述したTPA法の交渉目的である「為替操作の回避および通貨安政策への対策」に対応して作成されたものである。為替介入対策はTPP協定の本文に盛り込むべきだとの意見が多かったが、これを協定交渉に含めると交渉は成立しないという交渉当事者の意見を入れて、2015年TPA法に「主要交渉目的」としては書き込むが、TPP交渉の対象からは外したという経緯がある(注3)。

しかし、議会がTPP実施法案を審議する(つまり批准する)際、議会が最初に政府に問うのは、TPA法に規定されている交渉目的が、TPPでどう達成されたかの確認である。通貨問題は議会が重視する最重要問題のひとつであるため、予め政府は答えを用意しておく必要がある。その一環としてUSTRは財務省に協力を求め、この共同宣言を取りまとめたものとみられる(注4)。

共同宣言には次のように書かれている。①TPP参加国はマクロ経済政策と為替政策に関する協調を強化する。②自国の国際収支対策や不公正な利益確保のための為替操作を回避するとともに、競争的な通貨切り下げを慎み、競争目的で為替レートを操作しない。③通貨政策の透明性を高め、為替介入、外貨準備、国際収支等のデータの公表をTPP参加国に義務付ける。④TPP参加国はマクロ経済政策および為替政策を協議する「TPPマクロ経済担当官グループ」(Group of TPP Macroeconomic Officials)(注5)を創設して、定期的に協議を行う。⑤今後TPPに参加する国もこの宣言に加わることとする。⑥この共同宣言は2016年2月4日、TPP協定の締結と同時に発効する。

ただし、この共同宣言には、TPP参加国がこれらコミットメントを遵守しなかった場合の対抗措置については何ら言及されていない。このため、米業界は共同宣言に実効性はないと批判するが、この点を補完するのが、次のベネット・ハッチ・カーパー修正条項であり、しかも対象国はTPP参加国だけに限定されていない。

3.ベネット・ハッチ・カーパー修正条項

2015年貿易円滑化・貿易履行強制法案の原形は2015年2月、下院に提案され、修正案を含めた最終法案が去年の12月11日に下院を256対158で通過し、上院は今年の2月11日に75対20で可決した。2月24日、オバマ大統領の署名を得て制定された2015年貿易円滑化・貿易履行強制法(HR644、PL114-125)は、アンチダンピング法、相殺関税法および貿易救済法などを強化したものだが、上院の審議で下院可決法案に第7編として為替操作国に対する措置が盛り込まれた。第701条と第702条の二つの条文から成る「第7編 為替レート・経済政策取り極め」(Title Ⅶ Engagement on Currency Exchange Rate and Economic Policies)は、ハッチ上院議員(共和党、ユタ州)が提案し、ベネット(コロラド州)およびカーパー(デラウエア州)の両民主党上院議員が共同提案者となったため、ベネット・ハッチ・カーパー修正条項と呼ばれている。

第7編第701条は、「米国の主要貿易相手国との為替レートおよび経済政策の取り極めの促進」と題し、次のように規定している(注6)。

①財務長官はこの法律制定から180日以内に、米国の主要貿易相手各国について、米国との貿易収支、直前の3年間における経常収支のGDP比、外貨準備額の短期債務額比とGDP比を含む報告書を上院財政委員会および下院歳入委員会に提出し、以後順次、180日以内に次回報告書を提出する。

②重大な対米貿易黒字と実質的な経常黒字を有し、外為市場に対する長期かつ一方的な (persistent one-sided) 介入を行った米国の主要貿易相手国については、マクロ経済および為替政策に関する高度な分析 (enhanced analysis) を行い、財務長官はこの法律制定から90日以内に、この分析で使用した諸要因を公表する。

③上記②の高度な分析には、当該国の(i)可能な限り詳細な為替介入の推移を含む当該国の為替市場の展開、(ii)実質有効為替レートの変化および為替切り下げ度合の変化、(iii)資本規制および貿易制限の推移に関する分析、および(iv)外貨準備高の傾向を含むものとする。

④大統領は財務長官を通して、マクロ経済および為替政策に関する高度な分析の対象国と高度な二国間取り極め(enhanced bilateral engagement)を開始する。「高度な二国間取り極め」は、(i)当該国通貨の過小評価、大幅な対米貿易および実質的な経常黒字の要因に対処するための政策の実行を当該国に促し、(ii)通貨の過小評価と大幅黒字に対する米国の懸念を表明し、(iii)当該国が適切な政策を採用しなかった場合は、大統領が取り得る行動を当該国に忠告し、(iv)通貨の過小評価と大幅黒字に対処する具体的な行動を伴う計画を作成する、ために行われる。

上記(iii)の「大統領が取り得る行動」は次のよう規定されている。

高度な二国間取り極めの締結を開始した日から1年後に、当該国が通貨の過小評価、大幅な対米貿易黒字および実質的な経常黒字の是正策の採用に失敗したと、財務長官が決定した場合には、大統領は次のひとつ以上の行動を取る。(i)海外民間投資公社(OPIC)による当該国に対する新規融資等の禁止、(ii)連邦政府による当該国からの財・サービスの調達・契約締結の禁止、(iii)IMF米国代表理事による当該国のマクロ経済および為替政策の厳格な監視および公式協議の要求、(iv)当該国との二国間または地域間貿易協定の締結または交渉参加の是非の検討。

続いて第702条は、財務長官に政策を諮問するため、「国際為替レート政策に関する諮問委員会」(上院仮議長(現職はハッチ上院議員)、下院議長(同ライアン下院議員)および大統領が各3名の委員を任命し、合計9名で構成。委員の任期は2年、更新可能)を新設することを規定している。

4.共同宣言と修正条項は車の両輪

共同宣言は強制力を持たない。しかし、TPP12ヵ国および今後TPPに参加する国は、「マクロ経済政策と為替政策に関するTPP参加国の協調を強化する」こと、および「自国の国際収支対策や不公正な利益確保のための為替操作を回避するとともに、競争的な通貨切り下げを慎み、競争目的で為替レートを操作しない」こと、を共通のコミットメントとして受け入れている。共同宣言に強制力はないが、コミットメントは極めて重いものである。しかし、ベネット・ハッチ・カーパー修正条項の存在によって、共同宣言は単なる宣言ではなくなった。強制力がない、TPP協定の枠外の取り極めに過ぎない、と批判されていた共同宣言にとって、この修正条項が成立した意味は極めて重大である。

ただし、修正条項には通貨の過小評価、対米貿易黒字、経常黒字の程度をどのような水準に置いているのか、主要貿易相手国とはどこまでをいうのかなど、不明確な部分も多い。この点は、今後、議会と政府が新法をどのように運用していくのかによって決まっていくことになろう。ピーターソン国際経済研究所(PIIE)のフレッド・バーグステン、シニア・フェロー兼名誉所長は2016年1月7日、下院歳入委員会が開催したフォーラムで、共同宣言と修正条項によって為替操作という新たなリスクを防止する重要な進展が図られたとし、米・EU間の大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)にも同様な措置を導入すべきだと主張している(注7)。

ACTPNも、USTRに提出した報告書で、「TPPに強制力のある通貨規律を含めることは不可能だと貿易交渉当事者は言うが、共同宣言とベネット・ハッチ・カーパー修正条項を実行すれば、我々は2015年貿易促進権限に定められた交渉目的を達成する上で効果があると信じ、政府に新政策の精力的な実施を要請する」と述べている。なお、インターネットで関連情報を検索すると、韓国ではベネット・ハッチ・カーパー修正条項によって、韓国が為替操作国に認定されればTPPに参加できなくなるといった議論が出ているという。

 

〔注〕
1. 為替操作国に対して断固たる措置をとるとの主張は、5項目からなるクリントン候補の貿易政策の3番目に挙げられたもので、他の4項目は次のとおり。①米国の労働者を守るために貿易ルールの強力な適用、②中国の不正に対する対抗措置の発動、③米企業の海外流出優遇措置の停止、④貿易協定に求められる高い基準の設定。また、④に関連してクリントン候補は、「新たな貿易協定は良き雇用を生み、賃金を引き上げ、国家の安全保障を強化するものだけを支持する。TPPも将来の貿易協定も、この基準に合致しなければ反対する」と書いている。この主張は、2月23日付のメイン州で発行されている新聞Portland Press Herald に掲載された。2月24日付朝日新聞夕刊の記事にはクリントン候補が地方紙に寄稿したとあったが、地方紙はメイン州の上記新聞であることがインターネットの検索で判明した。
2. 2015年貿易促進権限(TPA)法は、大統領が貿易協定締結の意思を議会に通知した日から30日以内に当該貿易協定に関する評価報告書の提出を貿易政策交渉諮問委員会(ACTPN)に義務付けている。ACTPNおよびその下部委員会の報告はすべてUSTRのホームページから読むことができる。
3. 2015年5月19日付の財務省リリース、Treasury Secretary Jacob J. Lew Sends Letter to Senate Finance Leadership は、ルー財務長官が2015年TPA法に為替操作に対する罰則を含めるとTPP交渉が頓挫する危険性を指摘するとともに、Trade Priorities and Accountability Act of 2015(当時の法案名) にBennet-Hatch-Carper amendment を追加することに賛意と支持を表明している。
4. 共同宣言がUSTRではなく財務省から発表されたのは問題の性質に由来するものだが、為替介入阻止という重要問題が、TPP協定に不可欠な補完協定ではなく、TPP12ヵ国の共同宣言として米国から発表されたことが注目される。なお、この共同宣言は、日本の内閣官房TPP政府対策本部のホームページには掲載されていないが、財務省のホームページには収録されている。財務省の仮訳は「環太平洋パートナーシップ参加国のマクロ経済政策当局間の共同宣言」。米国でも共同宣言はUSTRのTPPのホームページには存在せず、財務省のホームページにのみ存在する。日本の財務省による仮訳のアドレスは次の通り。https://www.mof.go.jp/international_policy/others/20151106_thejointdeclaration_4.pdf
米財務省による原文のアドレスは次の通り。https://www.treasury.gov/initiatives/Documents/TPP_Currency_November%202015.pdf
5. 共同宣言は、Groupの構成メンバーをTPP参加各国の a senior macroeconomic policy official と規定し、会合は少なくとも年1回行われるとしている。共同宣言はIMFの規定に沿って行われ(TPP12ヵ国はすべてIMFのメンバー国)、TPP12ヵ国が対等の立場に立っていることを示しているが、主役は米国の財務長官であることは明らかである。また宣言の末尾の Endnotes には、ブルネイ、マレーシア、シンガポールおよびベトナムの4ヵ国については、公表するデータ内容などを特定している。
6. 以下の条文は理解しやすいように記述したので、正確な訳文ではないことを予めお断りしておきたい。
7. http://www.piie.com/publications/testimony/testimony.cfm?ResearchID=2902. TPP and Exchange Rates (http://blogs.piie.com/trade/?p=480)も参照。下院歳入委員会のフォーラムはTrading Views: Real Debates on Key Issues in TPP と題している。このフォーラムで、バーグステンは、通貨操作は2013年頃まで頻繁に行われていたが2014年には減少し、2015年には殆ど行われなくなったと述べ、為替操作の例として日本と中国の事例を挙げている。