ITIコラム

2016年11月17日

 

トランプ政権の経済通商政策と日本の対応
 ~TPPの批准やRCEP交渉の現状と今後の行方~

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所
研究主幹

 

驚きをもって迎えられたトランプ新大統領誕生

11月8日(火)の米国大統領選において、トランプ氏が270の過半数を超える選挙獲得人を獲得して新大統領に選ばれた。このニュースは、世界中に驚きをもって迎えられた。

トランプ氏とクリントン氏の政策を比較してみると、どちらかと言えば穏健なクリントン氏に対して、トランプ氏は過激である。この刺激的な言動の理由は、これまでリーマンショック以降の経済回復の中で、取り残されていた人達に光を当てようというものだ。つまり、中低所得の労働者に雇用と所得の拡大の機会を与えることを最優先にしている。

このような観点から、トランプ氏は、アメリカ第一主義‘America first’を掲げた。経済では「米国を再び偉大な国にする」と表明。まず、TPP離脱、NAFTAの再交渉、連邦法人税を35%から15%へ。年収2万5,000ドル未満の独身者と5万ドル未満の夫婦世帯の所得税免除などを公約にしている。所得税は、現在の最高税率である39%を33%へ低下し、0%、12%、25%、33%の4段階に単純化されている。

保護主義的な経済通商政策

また、中国のWTO加盟で5万の工場閉鎖と数千万人の雇用を失ったとし、中国の為替操作や不公正な補助金を批判。これを背景に、中国からの輸入に45%の関税を課税すると圧力をかけている。

一方、メキシコに対しては、NAFTAによる米国の対メキシコ投資により、米国の雇用機会を失っただけでなく、不法な移民によっても米国民の職や社会不安が脅かされているとして、メキシコからの輸入に35%の関税を賦課することを表明している。大統領選挙のキャンペーン中に、トランプ氏が米国とメキシコ国境沿いに壁を作ると発言したことは、世界中に衝撃を与えている。

リーマンショック後に成立した金融改革法であるドット・フランク法は、巨大金融機関への監視を強めデリバティブ商品の規制を強いており、トランプ氏は反対している。ドット・フランク法は、ボルカールールを採用し、銀行に自己勘定投資の規制とヘッジファンドなどへの投資規制を求めている。ドット・フランク法が廃止されれば、金融産業の自由度が高まることになる。

さらに、トランプ陣営は、1兆ドルのインフラ投資計画を発表。減税などの経済浮揚効果から、雇用は1,300万人の増加を見込んでいる。トランプ氏の経済政策は、インフラ投資による政府の歳出を増やし、法人税や所得税の減税で歳入を減らす方向に向かうことになるが、政府債務は増えないとしている。これは、税額控除などにより、企業の投資が大きく拡大し、経済成長率が引き上げられる。その結果、歳入が増加することにより、政府の債務は増えないというロジックに基づいている。

この他に、トランプ氏は国民皆保険制度であるオバマケアの廃止を求めている。オバマケアにより5,000万人近くいた無保険者が2,000万人近くも減っている。しかし、小さな政府と自己責任を重んずる共和党やトランプ陣営は、新たに販売された健康保険の保険料が値上がりしているし、安かろう悪かろうという面は否めなく、保守層にとって使い勝手が悪いと主張している。

外交関連では米ロ関係の改善、パリ協定からの離脱、在日米軍やNATOの予算見直しを主張。トランプ氏は、自身の外交政策を、アメリカの人々やアメリカの安全保障の利益をいつも第一にするものだ、と公言している。"My foreign policy will always put the interests of the American people and American security first."この他に、日本と韓国が核を装備する可能性についても言及(現在は、トーンダウンしている)。また、日本やNATOだけでなく、中東諸国にも軍事費負担の増額を要求。中国に対しては、45%の関税の賦課に見られるような経済的な圧力を加えながらも、対話への努力を続けることを表明している。

TPPとNAFTAの見直しを誓う

トランプ氏は、労働者の雇用を確保するため、フォードやGMのメキシコへの投資をブロックすることを公約に掲げている。これにより、メキシコからの小型車は5,000ドルの価格が上乗せされるとの報道もある。こうした圧力により、フォードとGMは大統領選挙結果を踏まえて、トランプ氏に米国の経済成長と雇用の確保で協力することを表明した。米国自動車業界は未知数であるトランプ氏の経済通商政策に対して、とりあえずは協力の姿勢を見せることで、柔軟に対応している。

TPPに関しては、新聞ではKillとかDead in the waterという表現が使われている。TPPの批准に関しては、ライアン下院議長(共和党、ウイスコンシン)が年内の米議会での審議はないと発言したことにより、実質的には困難になった。しかも、トランプ新大統領は、NAFTAの再交渉を求めている。それは、何百万もの米国の労働者の職が、メキシコなどへの投資や工場閉鎖、あるいは輸入増によって奪われているためとしている。

カナダでもメキシコにおいても、当面のトランプ新大統領への対応策はTPPの批准を求めることではなく、NAFTAの再交渉に応じ、何とか北米間のFTAのメリットを維持したいというものだ。両国とも、TPPの批准を声高に要求しない方が得策と考えている。カナダのスタンスは、TPPよりもNAFTAの再交渉を優先し、そしてTPP参加国とは2国間FTAを結ぶというものだ。カナダは日本とは日加EPAを交渉中である。

余談ではあるが、カナダでもトランプ氏の当選は大きな驚きだったようで、ビジネス界でも政治の世界でもほとんどトランプ氏と親しい人物はいないようである。現トルドー政権はほぼ100%クリントン支持で、トランプ人脈をほとんど築いていないのは日本と同様である。その中で、マルルーニー元首相夫妻はトランプ氏と交友関係があると報じられている。マルルーニー元首相は1984年から9年間にわたってカナダの首相を務めたが、この間にピエール・トルドー前政権と違い親米・対外開放路線を進め、100年間にもわたって交渉が妥結しなかった米加自由貿易協定(FTA)を成立させた。

現在のTPPの加盟各国の批准プロセス

現時点(11月15日)でのTPP加盟国における、TPPの議会での批准の状況を見てみると、米国を除く11カ国で、進展しているのは日本とニュージーランドとマレーシアの3ヵ国である。残りの8ヵ国においては、カナダ、メキシコ、ペルー・オーストラリアでは議会の委員会などでTPPの批准に対するコメントを受け付けたり、議論を進めていたりしているが、TPP実施法案の提出はまだである。ベトナムやブルネイは早急に議論を進めるのではなく、時間を掛けてTPPの批准を検討する姿勢を見せている。

米国では、周知のように、オバマ大統領のレイムダック期間中の議会審議を探る動きもあったが、前述のように既に共和党のリーダーであるライアン下院議長は年内の審議はないと表明している。したがって、他の選択としては、トランプ新大統領のもとでTPPの議会での批准を行うことが考えられるが、肝心のトランプ氏はTPPに反対であり、今後の動向は全く不透明である。

トランプ当選の直前における米国以外のTPP批准状況は以下のとおりである。

  • 日本の衆議院はTPP法案を可決、参議院はこれから審議。

  • NZは既に立法化の手続きを進めている。

  • マレーシアの上院は1月に協定書を批准、しかし実施法案はまだ提出されていない。

  • カナダの下院国際貿易委員会はTPPの批准に対するコメントを受付中。

  • メキシコもTPPに関する上院公聴会を開始[スペイン語]、しかしまだ実施法案は提出されていない。

  • ベトナムはTPPの批准を据え置く方針。トランプ選出でこの方針の堅持を決定。

  • シンガポール首相リー ・ シェンロンは最もTPPの推進派であるされているが、TPP 実施法案はまだ提出されていない。

  • ブルネイの政府は2年以内にTPPを批准しようとしている。まだこれに対する措置を講じていない。

  • ペルーのTPPは、外交委員会で議論されている。報道によると、厳しい議論が行われているようだ。

  • チリの貿易省は国内でTPPの利点を積極的に説いている、まだ議会では実施法案は提出されていない。

  • オーストラリアでは、TPPの実現に関する上院の公聴会が2017年にTPPの批准の可能性について審議中。

TPPに関する今後の日本の対応

トランプ氏が大統領に就任すれば、当面はTPPの批准は行われない可能性が高い。例え議会で可決されたとしても、大統領が署名しなければ、議会は3分の2以上の多数を得なければ拒否権を覆すことができない。米国の批准が無ければ、現時点のルールではTPPの発効はあり得ない。米国なしでのTPPの発効も論じられているが、理論的や戦略的にはあり得ても、実質的にはTPPの効果は期待できない。やはり、米国という巨大な経済大国抜きでは、このメガFTAの価値は大きくはない。

TPPが頓挫すれば、実際にはその分だけ米国の通商戦略の効力は低下するし、日本においてはこれまでのFTA戦略の再検討を迫られることになる。つまり、署名済みのTPPをテコにして、RCEPや日中韓FTAの交渉を有利に進め、この2つの経済統合を自由化率と質が高いものにするシナリオが崩れてしまうのだ。

その一方で、中国のFTA戦略や地域戦略は力強さを増すことになる。RCEPや日中韓FTAをTPPという足かせ抜きで交渉することが可能になるからだ。AIIBを利用したインフラ投資を中心にした経済協力を、これまで以上にFTA戦略の中に盛り込んでいくものと思われる。さらに、中国は東アジア経済共同体(EAEC)を推進し、ASEANに日中韓の3国を加えた経済圏における経済共同体の創設を図っている。これにより、東アジア地域における、中国の影響力を高めようとしている。

このような状況下において、色々なオプションが考えられる中で、日本は今後のTPPなどの通商戦略をどのように推し進めていけばいいのであろうか。

まず第1には、当面は、TPPを批准し自由貿易を進めることが、米国や日本などの利益に最もかなうことを、トランプ新大統領に訴えることだ。すなわち、日本が積極的にTPPを推進し、自由貿易主義の旗頭になることだ。この時に、カナダ・メキシコはNAFTAを優先するかもしれず、まずオーストラリア、NZなどが連携候補として挙がってくる。安倍総理が11月19-20日のリマでのAPEC首脳会議前に、トランプ氏と会談する予定であるが、まさにTPPの批准を訴える絶好の機会だ。

第2には、一定期間後、TPPの再交渉を開始することが考えられる。NAFTAの再交渉では、カナダは名称を変えて再交渉することもありうるとしており、これをTPPの再交渉においても応用できる。

FTAの再交渉の例としては、米韓FTAは2007年に締結されたが、米国議会では承認されず、4年後の2011年10月に米議会を可決されたことを挙げることができる。米韓FTAは、米自動車産業の保護を盛り込んだだけでなく、貿易調整支援法(TAA,米国通商法に基づき輸入増加の影響を受けた国内企業、雇用者を支援するもの)を成立させることによって議会の承認を得た。米韓FTAは再交渉分をside agreementでもって追加・変更し、2012年3月に発効した。

第3には、当面は、TPPファーストから、RCEP・日中韓FTAファーストに方向転換し、東アジアの経済統合を優先するという選択もある。日本のRCEP、日中韓FTAへの傾斜は中国の影響力を高めることになり、最終的には、米国に対してTPP再交渉への圧力につながることが予想される。

第4には、TPPをあきらめ、TPP加盟国との2国間FTAを推進することが考えられる。これによって、日米FTA、日加EPA、日NZ・EPAが新たに成立する。これ以外のTPP加盟国とのFTAは、既に存在する日本との2国間EPAの再協議を求め、TPP並みの質を高めるという方向を模索することもありうる。