一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2019/06/19 No.64新NAFTA(USMCA)は批准されるか〜大きい今後の政局や大統領選に与える影響〜

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

一斉に始まった議会での新NAFTAの批准手続き

2018年の夏から秋口にかけて約1年をかけたNAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉が合意に達し、11月末に署名を終えたにも係わらず、米国、カナダ、メキシコの3ヵ国とも、その後の議会での批准の動きは鈍かった。業を煮やしたトランプ大統領は、議会の批准手続きを促すため12月にNAFTAから離脱する意思を示したものの、下院での多数を占める民主党を動かすには不十分であった。しかしながら、2019年の夏を前にして、その動向は急速な進展を見せることになった。

ロバート・ライトハイザー米国通商代表部(USTR)代表は2019年5月30日、議会に新NAFTA(USMCA:United States?Mexico?Canada Agreement、米国、メキシコ、カナダ協定)の実施に関する行政行動声明(Statement of Administrative Action)の草案を提出した。同様に、メキシコ政府も同日、USMCAの条文を議会上院に送付したし、カナダでは新NAFTAの実施法案を5月29日に下院へ提出している。

この3カ国による議会での批准手続きがいよいよ本格化するが、これまでの道のりは平坦ではなかったし、今後においても米国の議会での批准手続きは難航するものと予想される。

鉄鉱・アルミへの高関税の解除がきっかけ

カナダとメキシコにおいて、これまで議会への法案の提出が行われなかった大きな理由の1つは、言うまでもなく新NAFTA(USMCA)への署名以降も、米国通商法232条に基づく鉄鋼とアルミニウムに対する高関税の適用が続いたからであった。トランプ政権はNAFTA再交渉の早期締結のカードとして鉄鋼・アルミへの高関税を使った経緯があり、カナダとメキシコはNAFTA再交渉の合意・署名により、速やかに撤廃されることを要求していた。

それにも係わらず米国は高関税を継続したため、両国とも新NAFTAの議会での批准手続き開始の取引材料としてその解除を持ち出していた。その結果、トランプ政権は2019年の5月17日において、カナダとメキシコに対する鉄鋼・アルミへの高関税を撤廃することに合意した。それを受けて、ペンス副大統領は5月30日にカナダを訪問し、トルドー首相と会談を行い、2019年の夏までのUSMCA実施法案の批准について議論を行った。これは、米加両国とも歩調を取り合いながら、7月〜8月までに批准を達成しようと動いていることを示唆している。

余裕はない2019年内の批准までの時間

カナダ・メキシコの鉄鋼・アルミ製品への高関税の撤廃に伴い、今後は両国において批准に向けた動きが活発化することは疑いない。一方、トランプ大統領はUSMCAの早期の批准を達成するよう民主党などの米議会関係者に働きかけてはいるものの、2020年の大統領選挙を前にした思惑もあり、民主党リーダーに対する説得は遅々として進まず、批准は一筋縄ではいかない状況にある。

民主党指導部は、ライトハイザーUSTR代表がUSMCAの実施に関する行政行動声明の草案を議会に送付したことに対して、まだ議論を詰めていない段階での提出は時期尚早だとしているし、まだまだ議論を交わさなければならない分野が残っていると主張する。

そうはいっても、民主党も既に米国経済に深く組込まれているNAFTAの更新版(USMCA)を通過させる重要性は十分に理解している。今後の民主党のトランプ政権との批准での駆け引きでは、いかに大統領選挙という主戦場までにUSMCA実施法案へメキシコの労働者の権利行使を確保できるか、あるいはトランプ大統領との2兆ドルのインフラ投資の話し合いでどれだけ民主党の主張を盛り込むことができるか、などが争点になると思われる。

民主党は、メキシコの労働者におけるストライキや賃金交渉などの権利行使のメカニズムがUSMCAへ効果的に導入されなければ、生産コストで不利になる米国の労働者が雇用機会や所得の面で悪影響を受けると主張する。したがって、そうした交渉の帰趨が今後の議会での批准動向を大きく左右することになる。もしも、米国での批准が2019年内に実現できなければ、2020年は大統領選挙のため現実的には無理であり、その場合は2021年まで延びると予想される。

カナダでは2019年の10月に総選挙が行われるが、6月末には議会は休会に入り9月まで再開されないことから、休会前までに批准を終えるには、かなり慌ただしいスケジュールをこなさなければならない。ただし、日本時間で6月14日(金)に入ってきたニュースによれば、トルドー首相はこの夏に議会を招集し、USMCA実施法案の批准を審議できるようだ。カナダとしては、米国の議会での審議日程とかけ離れて批准することに抵抗があるので、その可能性は低くないと思われる。もしも、このような機会を逃すならば、2020年まで批准のチャンスは遠のいてしまう。メキシコにおいては、今のところ2019年内の批准には特段の問題はないと思われる。

したがって、国民の関心が高いUSMCA実施法案は、トランプ大統領にとって今や最も大きな政策課題の1つになっているが、その2019年内の批准のために残された時間はそれほど多いわけではない。

NAFTA再交渉の妥結とその影響

トランプ大統領は就任直後に1994年発効のNAFTAの見直しを主張し、2017年8月16日にその再交渉が開始された。その約1年後の2018年8月27日に米墨間で暫定合意に達し、米加間でも9月30日に合意に至った。その新名称であるUSMCAは残念なことに発音しづらいのが難点であるが、結局は「ユーエスエムシーエー」という読み方が浸透している。カナダでは、CUSMA(Canada–United States–Mexico Agreement)と呼ばれている。

NAFTAの再交渉では、農業、原産地規制、税関・貿易円滑化、政府調達、投資(ISDS条項)、紛争解決といった分野が争点であった。交渉の新規項目はデジタル貿易、国有企業、腐敗の防止、良い規制慣行、中小企業、貿易円滑化、環境と労働(サイドレターから本協定へ編入)、為替条項、などが挙げられる。逆に、エネルギー章は取り除かれた。

原産地規則では、乗用車の域内原産比率はこれまでの62.5%から75%まで引き上げられたし、自動車部品においては65%〜75%までその比率を上昇させなければならなくなった。さらに、賃金条項も盛り込まれ、時給16ドルを超える労働者が生産する自動車工場からの部材購入額やその賃金の割合が最終的には40%〜45%を満たすことが求められる。一方では、TPP11でも盛り込まれた完全累積基準が導入され、非原産材料であっても、北米域内で行われた非原産材料の加工で加えられた価値、及び当該非原産材料に含まれる域内国原産材料の価額は域内原産比率に積算できるようになった。

したがって、今後は新NAFTAが発効すれば、自動車・同部品を中心に対米投資を促進し米国での現地生産や現地販売の比率を引き上げるような圧力が強まるし、従来よりも北米域内からの部材の調達比率を上昇させなければならない。

USMCAの経済へのインパクトを公表

トランプ大統領はUSMCAの署名を終えた後の2018年12月始め、NAFTAを離脱する用意があることを、アルゼンチンで開催されたG20からの帰国の途上において、エアーフォースワンの機上で記者団に表明した。離脱の通知から6か月後にはNAFTAから脱退できるので、この声明は2019年半ばまでのUSMCAの批准を促す議会への圧力であることは明らかであった。しかし、大統領はこの後の2か月以上もの間、何も行動に移すことはなかった。この間は、メキシコとの国境の壁建設でその予算を巡り民主党と対立しており、その煽りを受けて一部政府機関が2019年の1月25日までの35日間も閉鎖され、USMCAの影響報告書の提出が遅れたこともその原因の1つであったと考えられる。USMCAの影響報告書は、本来ならば3月15日に公表される予定であったが、実際には1か月延期された。

米国国際貿易投資委員会(ITC)はUSMCAの影響報告書を4月18日に発表したが、概ねその経済や産業への影響はポジティブであると結論付けている。USMCAはNAFTAに大幅な修正を加えたもので、原産地規則をクリアする条件はかなり厳しくなっている。しかし、現行のNAFTAにおいても関税はほとんどの品目で撤廃されており、USMCAに移行したとしても関税削減効果はほとんどなく、原産地規則やデジタル貿易、農産物貿易などの規制変更の効果による生産や雇用への影響の拡大がそのインパクト評価の基本となる。

ITCによるUSMCAの影響力報告書は、GDPを0.35%、雇用は17.6万人を増加させるとしている。また、原産地規則の厳格化によって、米国の自動車販売台数は価格の上昇から14万台減少するものの、雇用は2.8万人増加すると見込んでいる。USTRも独自に試算を行い、自動車産業で7.6万人の雇用を生み、今後5年間で340億ドルの新規投資が生まれるとしている。

デジタル貿易関連では、データの自由な移動に加えて、Eコマースによる無税での越境取引の拡大の効果が期待できる。米国はEコマースによる取引において、既に800ドルまで税関での無税枠を拡大しているが、カナダはUSMCAにおいてその無税枠を20Cドルから150Cドルへ、メキシコは50ドルから110ドルに引き上げている。USMCAの影響報告書は、これにより米国の電子商取引によるカナダへの輸出は3.3億ドル、メキシコへの輸出は9,100万ドル増加すると見込んでいる。すなわち、本や雑誌、CD、医薬品などのEコマースを利用した中小企業の越境サービスは、USMCAの恩恵を受けることになる。

農産物のUSMCA協定においては、カナダは乳製品などの供給管理政策の変更を受け入れているし、米国とメキシコは農業分野での保護主義的な関税や補助金を禁止することに合意している。こうした新たな枠組みにより、北米域内の農産物取引は活発化することが期待される。

USMCAの批准の行方

米国とメキシコ両国政府の不法移民対策に関する協議が合意に達し、トランプ大統領が表明していた2019年6月10日からのメキシコからの全輸入品目への5%の関税賦課は、無期限で停止されることになった。これを受けて、メキシコでのUSMCA実施法案の上院での審議は、早ければ6月中にも可決されるとの観測もある。

しかし、カナダにおける6月末の休会までの批准には十分な時間はないし、米国でのトランプ政権と民主党との批准への話し合いは難航することが予想される。ペロシ下院議長は民主党がUSMCAの批准手続きを進める上での問題点として、賃金交渉などのメキシコの労働者の権利行使が保障されていないこと、環境対策への執行に問題があり有毒投棄の増加などへの効果的な制裁が機能していないこと、バイオ医薬品のデータ保護期間を10年(TPPでは8年)としたことで薬価が高止まりする可能性があること、などを挙げている。また、トランプ政権は米国の労働省国際労働局の予算を79%もカットすることを提案しており、メキシコの労働法執行の監督責任を果たす役割の低下を懸念している。

こうしたペロシ下院議長の申し立てを受けて、メキシコは連邦労働法を改正し、2019年5月1日に施行した。メキシコ政府は労働法の改正を行い労働者の権利行使の改善を進めたが、今後も過激な組合からの干渉を避けることは可能であり、ペロシ下院議長は今後のメキシコでの労働法の執行状況を見守るとしている。ある議会関係者は、こうした民主党の関心事項は、労働や環境の分野ではサイドレターに追加・修正することによって解決できると指摘する。

ライトハイザーUETR代表は、行政行動声明の送付から30日経過後にUSMCA実施法案を議会に提出できるが(規則上は6月29日)、実際には上下両院が開会する7月9日以降となると考えられる。しかしながら、ペロシ下院議長などの民主党指導部は労働・環境などの見直しを強く求めているため、USMCA実施法案は民主党との綱引きに解決の糸口が見えない限り提出されにくいと考えられる。なぜならば、ひとたび実施法案が提出されれば、下院は30日以内に投票しなければならないからだ(抜け道を考えることは可能だが)。

ペロシ下院議長らが労働・環境分野での要求にこだわり2019年内の批准手続きを遅らせるかどうかであるが、民主党はUSMCAが広く国民や産業界から支持を得ていることを認識しており、要はトランプ政権がどれだけ民主党の要求に応えられるかにかかっている。さらに、インフラ整備への2兆ドルの投資において、民主党がトランプ大統領からどれだけ譲歩を勝ち取ることができるかどうかで、その落としどころが決まってくると思われる。

民主党が2020年の大統領選挙で勝利するには、中西部などの中間層の支持を得ることが不可欠であるが、最新の調査ではUSMCAは4対1のマージンで国民から支持されているようである。その背景として、米国の農業分野はUSMCAでのカナダの供給管理政策の変更で、鶏肉、卵、乳製品の生産と輸出を拡大できるし、何百万もの多くの雇用を抱える自動車関連産業は原産地規則などの厳格化により雇用や部品の域内サプライチェーンの拡大を達成できること、などを挙げることができる。さらに、Eコマースの進展で、3,000万の中小企業がカナダやメキシコへの輸出を促進できる。

つまり、USMCAが議会で批准されなければ、それはトランプ大統領にとっても民主党にとっても不利な方向に向かうことを意味する。結局は痛み分けをしながら、2019年夏を目指した批准手続きが進められて行くものと思われる。それに、もしもUSMCAの批准手続きを完了させられなければ、米中貿易戦争で火花を散らしている中国から、既存の貿易協定の変更も批准できないとして、侮られる可能性があるとの見方もある。

まさに、USMCAが議会で批准されるかどうかは、トランプ大統領の腕の見せ所であり、これを上手く解決できるかどうかは、今後の政局や大統領選を占う大きな材料の1つになると思われる。

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