フラッシュ135
2010年2月25日
 

石焼いもとパリのカフェ

 
(財)国際貿易投資研究所
研究主幹
   鬼塚 義弘
 

  木枯らしの吹く寒い夜石焼芋の売り声を聞くのは冬の風物詩といっても良い。先日、NHKで石焼いもの行商の話が放送された。昭和30年代から東京で石焼いもの行商をしていたのは新潟県の山間部である東頸城の出身の人であったという。100人を超える人々が冬季に東京まで出てきてリアカーを引きそれぞれの地域を行商した。新潟出身の人が東京で成功し、故郷の人が、冬季仕事が無くなるのを見かねて呼び寄せ仕事を与えたという。雪深い地域の人は忍耐強く、寒い冬の屋外の仕事もいとわなかった。ある方は3人の子供を焼き芋の行商で育て上げたといっていた。またアルバムから当時の写真を取り出し少女の姿を示し、この方にはいつも買っていただいたという老人もいた。
  歳をとり故郷で暮らしているが、焼き芋の技術を生かし今でもふもとの町まで焼きいも行商に出ている人もいる。

  これと似たような話題がフランスにもある。マロニエの街路樹のした道路まで大きくはみ出したパリのカフェでみちを行く人を眺めるのは楽しい。そのパリのカフェの経営者の80%はオーヴェルニュの出身と言う。玉村豊男の『パリのカフェをつくった人々』によると、オーヴェルニュはフランスの中央部から南西部にかけた山岳地帯であるが、貧しい地域の代名詞となっている。しかしこの地域の人は我慢強く律儀で働き者である。故郷の知り合いを頼りパリに出稼ぎに来てまずはアパートの上の階まで水の運搬、燃料の炭の運搬といった重労働に従事した。その後、水や炭の運搬からワイン、コーヒーまで販売するようになりカフェの原型となる。オーヴェルニュから地縁血縁を頼り多くの若者がこの業界に入っていった。今でも経営者だけでなく使用人、ギャルソンも圧倒的にオーヴェルニュ人である。

  この二つの話に共通するのは、特定の業界への人的参入には地縁血縁の引きが大きく影響するということである。特に厳しい環境下の重労働には労働をいとわない忍耐強さを求め声がかけられる。しかしその根底にあるのは厳しい地域の実情を知った者による郷土愛である。故郷の人を助けたいという郷土愛により成り立つ。
  さらにニッチな仕事であっても多くの人々が生活し子供を育てていく何がしかの糧を得られる分野の存在に気付かされる。

  リーマンショックのあと08年末、年越し派遣村が話題となった。職と住宅を失い路頭に迷う人々が出現した。個人にとってのセーフティネットはまず家族であり地域でもある。
  派遣村に集まった人々はこれに頼ることができなかった。
  今、私たちはパラダイムシフトの真っただ中にいる。大量生産・大量消費の枠組みが変わる。ビジネスチャンスと言う大げさな言葉ではなく、ささやかに人々の生活を支えていく仕事の場を作り出し、再度家族の絆と地域の連帯感を取り戻す試みが必要である。