2011/04/01 No.140TPP交渉と論点(3)
石川幸一
(財)国際貿易投資研究所 客員研究員
亜細亜大学 教授
今回は、商用者の一時的入国、貿易救済措置、競争政策、環境と労働、分野横断的事項および新規加盟問題をとりあげる。
(8)商用者の一時的入国
P4では、締約国のビジネス・パースンの一時的入国と滞在の円滑化が規定されている。
「ビジネス・パースン」は物品とサービスの貿易に従事する締約国国民、「一時的入国」は居住を目的としない締約国領域への入国と定義されている。この規定は市民権、国籍、雇用、移住、永住に関する措置には適用されない。締約国は、一時的入国のための入国管理手続きを簡素化・透明化し、一時的入国を円滑化すると同時に国内労働力と雇用を保護する。
米韓FTAでは、商用者の一時的入国に関する章が置かれていない。韓国との交渉の際に米国側は、移民関連法規は議会の専管事項であり行政府は交渉権限がないことを理由に交渉を拒否した。米国はTPP交渉でも一時的入国の促進に消極的といわれる。
ビジネス関係者の出張や駐在の際のビザ手続きの迅速化や受入れ拡大に関する規定であり、単純労働者の受入れや移民に関する規定ではない。
(9)貿易救済措置
P4では、WTOのセーフガード協定、アンチダンピング協定(1994年GATT第6条の実施に関する協定)、補助金および相殺措置に関する協定による権利と義務を確認している。チリは特定品目(乳製品)について関税削減期間中に特別農業セーフガードが設けられている。
米韓FTAでは、①一般セーフガード、②繊維・繊維製品セーフガード、③農産品対象セーフガード(韓国)が設けられており、2010年12月の最終合意で自動車セーフガード(米国)が設けられた。一般セーフガードは、WTO協定に比べ、適用可能期間を短くするなどより厳格な運用を求めている。アンチダンピングと相殺関税については、事前通知、事前協議、貿易救済委員会での点検が規定されており、これらの措置の乱用へのブレーキになることが期待されている。
(10)競争政策
P4では、オープンで競争が行われる市場を創り出し維持するために、民間および政府のビジネス活動を含む全ての商業活動に、事業体による差別および原産地および仕向地による差別を行わない方法で競争法を適用することにより、貿易・投資に対する障壁を削減・除去することを約束するとしている。
競争法と施行については、①締約国は反競争的ビジネス行為を禁止する競争法を採用あるいは維持すること、②反競争的な取決めと競争者により申し合わされた慣行および独占的な地位の乱用に注意を払うこと、③競争法は全ての商業活動に適用されるが、適用除外措置と分野を設けることができること、④反競争的なビジネス活動を禁止する措置の施行に責任を持つ競争政策執行当局の創設・維持を行うこと、などが規定されている。
協力については、締約国の競争政策分野での情報交換により協力を行うこと、P4の発効後に競争当局間で協力協定の締結を探求することが規定されている。公企業および特別あるいは排他的な権利を付与された企業については、自国の法律に従い独占を指定あるいは維持できる(国営および指定独占)。独占を認められた企業については、物品およびサービスの貿易を歪曲するような措置を採用、維持することがないことを締約国は確保する。ほかに、通報、協議と情報交換、紛争解決が規定されている。
競争法の適用除外は、ニュージーランドとシンガポールについて付属書で示されている。ニュージーランドは、①Pharmac(Pharmaceutical Management Agency)による製薬補助金、②輸出取決め(Export arrangements)、③農業生産局(Agricultural Producer Boards)が指定されている。シンガポールは、郵便サービス、上水道、下水道、公共交通、貨物ターミナル運営、自動手形交換所による手形決済と交換、法により認可されたM&Aとなっている。
米国は、Pharmacによる補助金を問題視している。ニュージーランド政府は、価格補助金の対象となっていない薬品の販売を制限していないが、保険会社は補助金対象外の薬品を保険の対象外とし、医者は対象外の薬を投与したがらないという。そのため、製薬会社は補助金対象外の薬品の販売をしない傾向がある。米国企業は、Pharmacの透明性と予測可能性の欠如、煩瑣な認可手続きを批判しており、1993年にPharmac設立後数社の米国の製薬会社がニュージーランドから撤退している。米豪FTAでは、米国企業が機会を得ることが出来るように同様な制度について協議と透明性を高めるメカニズムを作ることに合意している。
米国のTPP推進企業の集まりであるTPPビジネス連合(U.S. Business Coalition for TPP)は、TPPに含めるべき基本原則の一つに「公平な競争と同等の競争条件(fair competition and a level playing field)をあげており、特に、国営、国家出資、国家が優遇する(state-favored)業界が民間企業および外資と同等の条件で競争することを確保することを要求している。公企業による独占、指定独占はTPP交渉の争点になっていると思われる。
(12)環境と労働
P4には環境と労働に関する規定が含まれている。これは、ニュージーランドの労働党政権が労働団体や環境保護団体の支持を得るために盛り込んだものである。
環境協力に関する協定では、基本的な約束として、①高いレベルの環境保護と多国間の環境約束、実行計画の実施、②国際的な環境約束に調和した環境法・規制・政策・慣行の保持、③主権の尊重、④保護貿易の目的で環境法・規制・政策・慣行を定め、利用することは不適切であることを認識、⑤貿易投資を奨励するために環境法・規制を施行・運用しないことは不適切であることを認識などが規定されている。ほかに、協力、制度的取り決め、協議、情報開示などの規定がある。米韓FTAの環境の規定は、環境保護のレベル、多国間環境協定、環境法の適用と施行、手続き、保護の実効を高めるためのメカニズムなど環境保護の実施に力点を置いた規定である。
P4の労働協力についての覚書では、基本的な約束として、①ILO加盟国である締約国は労働の基本原則と権利宣言とそのフォローアップへの約束の確認、②国際的な労働約束に調和した労働法・規制・政策・慣行の確保、③主権の尊重、④保護貿易の目的で労働法・規制・政策・慣行を定め、利用することは不適切であることの認識、⑤国内労働法で規定された保護を弱め、削減することにより貿易投資を奨励することは不適切であることの認識などが規定されている。ほかには、協力、制度的取り決め、協議などの規定が設けられている。ILOの労働の基本原則と権利宣言では、基本的な権利として①団結の自由と団体交渉、②強制労働の廃止、③児童労働の廃止、④雇用と職業に関する差別の撤廃、などが掲げられている。
日本では外国人労働者の受入れ規定と誤解されているが、労働協力に関する規定は、労働者の権利や保護の確保に関するものであり、外国人労働力の受入れは対象外である。
米韓FTAの労働の規定は、ILOの義務の確認、ILOの労働の基本原則と権利宣言の基本的な権利の採用・維持、労働法の適用と施行など労働者の権利の保護を強く打ち出している。
環境と労働は米国がFTAで最も重視している分野である。2007年5月の通商政策に関する超党派合意で明記されており、2009年2月のオバマ政権最初の通商政策アジェンダでは、通商政策における社会的責任(労働、環境など)を重視している。
環境と労働に関する規定の目的は環境と労働者の保護を目的にしている。同時に、環境と労働者の保護はコストがかかるため、環境と労働保護の国際的な基準を守らず低コストで生産を行うこと、さらにそうした国に企業が進出することを防止することが目的になっている。一方で、偽装した保護主義を防ぐことも規定に含まれている。
(13)分野横断的事項
分野横断的事項は、TPPの対象とする各分野に共通して適用されるコンセプト、ルールなどである。P4に規定がない新たな交渉事項であり6月に交渉予定である。米国が重視している分野であり、USTRの交渉担当者リストでは、規制制度間整合<規制の調和>(Regulatory Coherence)、中小企業、競争力、地域統合、政策の統合、開発、透明性、現存する協定などがあげられている。この中で注目すべきは規制制度間整合であろう。
規制制度間統合について、米国議会の資料(The Trans-Pacific Partnership Agreement, November 2010,Congressional Research Service)は、「非関税障壁を撤廃し規制制度をより互換的で透明なものにする試みであり、政府の規制を行う権利に介入するのではなく、現存および新たな規制について自国内の規制の整合性と協力をTPP参加国間に拡大していくことが目標である。国内の規制の整合性を達成するための一つの方法は、米国の管理予算局の情報および規制部(Office of Information and Regulatory Affairs in the Office of Management and Budget )のような規制調整機関を作ることである」と説明している。これによると、国内規制制度の整合性を図ることとTPP加盟国間の規制制度の透明性を向上し両立できるように協力することが狙いとなっている。
日本政府の資料(2011年2月「TPP交渉の24部会において議論されている個別分野」)では、「同一物品に対して適用される基準が国により異なり、重複する規制が国内当局により適用されることから生じる企業負担を減らすために今後新たな規制を導入する前に当事国の規制当局同士の対話や協力を確保するメカニズムの構築が行われている」と説明している。
TPPビジネス連合の規制制度間整合ワーキンググループの資料はより具体的で踏み込んだ提案をしている。目的の一つとして、規制制度間整合を戦略的・政治的課題とし出来る限り拘束的な約束を求めることをあげており、できれば政府の規制に介入できることを望んでいる。前述のように米政府交渉官は政府に介入することは否定している。規制制度間整合をTPPの主要な目的と位置づけ、TPPの前文と各章に盛り込むべきとして様々な提言を行っている。提言には、①OECDやAPECなどの規制のベスト・プラクティスを導入する、②SPS協議委員会の創設、③APECの通信機器適合性評価のMRA(相互承認協定)などの特定業種のMRAに参加する、④TPP規制委員会の創設、⑤知的財産権の強い保護を基準に含めそうした基準を規制のベースとすることを明確にする、などが含まれている。
4.新規加盟について
P4はAPECのFTAを企図しておりAPEC加盟国の参加を可能としていた。条件はP4全締約国の合意である(20条6章)。TPPも同様に全ての交渉参加国の合意があれば交渉に参加できる。交渉参加には、全ての事項を交渉のテーブル載せること(everything on the table)が求められる。交渉参加前に全て自由化し合意することは求められておらず、バーバラ・ワイゼルUSTR・TPP首席交渉官は、参加料は払う必要はない(no entrance fee)と発言している。最初から米の例外扱いを要求すると交渉参加は認められないことになる。
また、米国は通商交渉開始90日前に議会に通告することが必要であり、TPP交渉参加を決定し関係国に通告してから交渉が始まるのは90日後になる。たとえば、マレーシアは2010年7月に交渉参加を決定し、実際に交渉に参加が認められ参加できたのは10月だった。交渉に参加を決めても認められないこともある。カナダは2010年6月に交渉参加を拒絶されており、米国とニュージーランドが反対したといわれる。
参考資料
①公的機関の資料
首相官邸「包括的経済連携に関する基本資料」、国家戦略室「包括的経済連携に関する資料」、外務省「TPP交渉の24部会において議論されている個別分野」、ジェトロ「環太平洋戦略経済連携協定の概要」、アジア経済研究所「アジ研ワールド・トレンド2010年12月号 特集APECはどこへ行くのか」などが主要なものである。
公的機関の資料ではないが、馬田啓一・浦田秀次郎・木村福成「日本通商政策論」文眞堂、2011年は、WTO、APEC、TPPを含むFTAなどについて幅広く分析している。
②P4について
最も基本的な資料は協定文(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)である。協定文はシンガポール国際企業庁およびニュージーランド外交通商省のウェブサイトから入手できる。様々な視点による多角的な研究として、日本機械輸出組合「アジア太平洋におけるFTAの在り方」が刊行されている。日本語のP4の解説は、国際貿易投資研究所「国際貿易と投資」81号に掲載されているが2010年8月時点の情報に基づいて執筆されているので新しいデータにより補足する必要がある。英文の解説はニュージーランドの外交通商省が発表している。
③米国のFTAについて
米国のFTA協定は、USTRのウェブサイトから入手できる。また、FTA政策や貿易相手国の貿易障壁などの問題点についてはUSTRの資料が便利である。米国のFTAを含む通商政策についての日本語の資料では、国際貿易投資研究所「米国のFTA政策と我が国経済への影響」、同「オバマ政権の通商政策動向と対アジアFTA政策」が詳しい。また、「国際貿易と投資」には、オバマ政権の通商政策やFTA政策、アジア政策に関する論文が随時掲載されている。米韓FTAの内容については、ジェトロ海外調査部「米韓FTAを読む」が詳しい。より広い観点による分析では、奥田聡「韓米FTA」、「韓国のFTA」(ともにアジア経済研究所)が詳しい。
④TPPについて
交渉参加国政府のウェブサイトと新聞報道が基本的な情報源である。米国については、議会調査局(Congress Research Series)のTPPについての報告が有益である。USTRのウェブサイトは多くの情報が掲載されており、親切である。海外の情報源として便利なのは、TPP Digest のウェブサイトである。オークランド大学からの資金によるプロジェクトであり、交渉参加国のTPP関連ウェブサイトとリンクしている。政府資料、新聞報道、産業界、NGOや反対派資料まで幅広く情報を得ることができる。また、農業、環境、投資、労働、原産地規則など項目別の検索も可能である。(完)