フラッシュ15

2001年9月25日

同時多発テロと米国経済

国際貿易投資研究所 客員研究員
〔桜美林大学国際学部教授〕
滝井 光夫

国家対国家ではない新たな戦争の意味

 いまだにあのワールド・トレード・センターのツインタワーズが崩壊してしまったとは信じられない思いが続いている。大型旅客機がビルに吸い込まれるように突入し、爆発したいまわしい映像は現実のものだが、喪失感が埋められない。あのビルには何回となく出入りした。日米企業への訪問、南棟107階のレストラン、ウインドウズ・オン・ザ・ワールドでの会食、110階展望台から眺め…。8年間のニューヨーク生活からあのビルを切り離すことはできない。個人的感傷は別にしても、ニューヨークの市民や米国の国民が受けた多くの犠牲と衝撃は想像に余りある。
 9月11日の未曾有の自爆テロに関連してまず指弾しておきたいのは、テロを招いた原因として米国の「原罪」を問う考え方である。米国を非難しても、テロによる亜国家主体と国家主体との間の紛争(低強度紛争)の解決にはまったく意味がない。今回は、これまでの対米テロ以上に米国として軍事力の行使を避けることができないが、この種の紛争解決には軍事力の行使に限界があることもすでに指摘されている(注1)。同時に、米国中心で行われる紛争解決の成果如何では、米国が一層内向きになる危険性も秘められている。その意味で、今回の悲劇を契機としてとられる諸国間の協調的措置は、冷戦後拡大、激化している低強度紛争の長期的な抑止に結実し、冷戦後の新しい世界秩序を構築できるか否かの成否にも絡んでいると認識すべきであろう。

景気減速は一段と進む

 経済面での展望に目を向けると、短期と中長期の影響を検討する必要がある。年内までの短期を見通すと、景気の一層の減速は避けられないであろう。すでに昨年夏から始まっている実質経済成長率の低下は、個人部門による下支えによってかろうじてマイナス成長を回避してきたが、米国本土内の前代未聞の大被害と不安心理の残存は個人消費を抑制させ、景気の下支え役が失われることになる。
 4‐6月期のGDPは8月末に0.7%から0.2%に改定されたが、来週9月28日(金)東部時間朝8時半(日本時間29日夜9時半)に発表される確定値に大きな修正はないとみられる。8月の改定値の大幅下方修正は6月の貿易赤字の拡大と在庫投資の減少によるもので、個人消費は上方修正された。
 7‐9月期は日数からみてテロの影響は小さいが、この期からいよいよ個人消費の鈍化が表面化していくことになろう。非農業部門雇用の減少(7月1.3万人増、8月11.3万人減)、失業率の上昇(6・7月4.5%、8月4.9%)は家計の消費支出を慎重にさせ、消費者信頼感指数は低下し(6月118.9、8月114.3)、貯蓄率を上昇させている(6月1.0%、7月2.5%)。企業部門では鉱工業生産指数、設備稼働率が8月で11ヵ月連続の前月比マイナスとなっているが、在庫調整の進展や全米購買者協会景気指数の改善(7月43.6、8月47.9)からようやく底打ちの気配も見え始めている。しかし、企業収益の縮小は依然として歯止めがかかっておらず、設備投資が増加に転じるにはまだ時間がかかる。こうしてみると、7‐9月期は軽度のマイナス成長、10‐12月期はテロの影響が家計と企業の両方に打撃を与えてマイナス成長の度合いを高めるのではないかと考えられる。

限定的なブッシュ減税の効果

 この段階でブッシュ減税の効果はどうだろうか。この減税で、納税者が昨年度分の戻し税を小切手で受け取り始めるのは7月23日からで9月24日には終わる。戻し減税の総額450億ドルは個人消費支出の0.6%だが、これは消費支出の減少分を十分カバーするものではないであろう。一方、戻し税以外に個人所得減税は今年度から始まるが、税率上位4段階(39.6、36、31、28%)の今年度の引き下げ幅はそれぞれ0.5%ポイントだけで、6年かけて3.0%ポイント引き下げられる(ただし最高税率39.6%の引き下げ幅は4.6%ポイント)。しかも、この減税は恒久減税ではないため、新たな減税法が成立しなければ、個人所得税はすべて2011年度には減税前の水準に戻される。
 結婚重課税(注2)の段階的是正も始まるのは2005年度、相続税の完全撤廃は2010年度、子供の扶養控除額が現行の500ドルから1000ドルに引き上げられるのは、引き上げのペースが毎年度100ドルではないため2010年度となる。減税総額は1兆3500億ドルだが、こうした内容をあらためてみると、減税効果が一気に出てくるわけではない。 

来年は徐々に好転へ

 中期的にはどうか。来年に絞ってみると、経済状況は徐々に改善されるとみる。軍事的なテロ対策が短期的であれ成果を挙げれば、状況はさらに改善しよう。そのようにみるのは、需要サイドの変化のほかに、第1に米国のインフラの強さが再確認されたこと。17日に再開されたニューヨーク株式市場は10日の終値比で7.1%の下落となったが、出来高は過去最高の23億株を記録した。しかし、取引システムに障害は出ておらず、金融の中心を襲った直撃が米国の経済基盤に長期の影響を残すとはみられない。
 第2は迅速な金融、財政措置の発動効果。出張先のスイスから軍用機でワシントンにもどったグリーンスパン連銀議長の流動性の大量供給と政策金利の引き下げ決定は、87年のブラックマンデーを思い起こさせる。今年1月から始まった金融緩和の効果も来年になれば徐々に現れてくる。政府と議会が連携し、財政支援策でも動きが早い。400億ドルの緊急支援に続いて、航空業界に対する包括支援策も実施されるほか、キャピタルゲイン減税など新たな減税措置の検討にも入ると報じられている。
 しかし、長期的にみると問題もある。最大の問題は財政収支の悪化であろう。経済刺激策の議論では、公的年金基金を取崩してでも減税を行う案がまかり通っていると報じられている。財政節度を無視したこんな乱暴な議論は、テロ以前には見られなかった。2011年度までの想定累積財政黒字5.6兆ドルは、大減税と国防費、医療費などの大幅な歳出増、景気の急減速による歳入減によって早目になくなり、再び財政赤字に落ち込む可能性が高い。グリーンスパン議長は議会指導者に会って、拙速を避け、まずは事態の推移を慎重に見極めるべきだと説得している。「米国人は盆の上の豆にはなれない」(ニューヨーク大学佐藤隆三教授)、つまり盆が傾いても必ず盆にへばり付いている豆があるように、流れに抗する米国の良識が危機に瀕した際にも発揮されると信じたい。これは経済面だけに限っての期待ではないのは勿論である。

(注1)低強度紛争(リック、LIC= Low-Intensity Conflict)と新世界秩序の議論については、加藤朗『現代戦争論−ポストモダンの紛争 LIC』中公新書、1993年によっている。
(注2) 結婚重課税  夫婦共稼ぎの所帯に対し夫婦の所得に個別に所得税を課税すと、夫婦の合算所得に比べ所得税が低くなる場合もあること。