一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2000/12/19 No.2ゴアにあった土壇場逆転の「禁じ手」

木内惠
国際貿易投資研究所 研究主幹

 米国大統領選挙はようやく決着しました。ブッシュが新大統領に決まるまでには本当にいろいろありました。こんなにも手間がかかったのは、最後まで二転三転したフロリダ州での票の数え方をめぐって紆余曲折があったからです。

 「政治は数」といわれます。先日のいわゆる加藤政局が頓挫したのも不信任案支持票の数がそろわなかったからだと伝えられています。数をめぐる争いという側面が政治の分野で最も分かりやすく表われるのが選挙です。今回の大統領選挙とりわけフロリダ州での票集計をめぐる騒動は、一票の重みを改めて浮き彫りにしました。ここでいう「1票」の重みとは必ずしも、たとえ話ではではありません。今回の選挙ほど文字どおり「1」がキーワードになった選挙は過去になかったのではないでしょうか。

マジックナンバーは1

 ブッシュ勝利の直接のきっかけとなったのは12月12日連邦最高裁判所が下したフロリダ州最高裁決定の差し戻し判決。その表決は5対4と、わずか1票差でした。この連邦最高裁判決が対象としたのは、手作業による票集計を認めたフロリダ州最高裁の12月8日付判決ですが、これも4対3の1票差でした。

 手作業集計の是非をめぐる国民の見方も真っ二つにわかれました。ニューズウィーク誌によれば、手作業集計を「認めるべきだ」とこたえた人は46%、「認めるべきでない」は47%でした。その差は1ポイントです。

 11月7日の大統領選挙と同時に議会選挙も行われましたが、ここでも1がマジックナンバーとなりました。上院議員選挙直後の共和党と民主党の議席分布は50対49で、1議席差でした。しかし、結果的に共民の議席分布は50対50の全くの互角になります。上院議員のまま副大統領に立候補して敗れた民主党のリーバーマンが上院に戻るからです。その場合でもマジックナンバーの1が大きくクローズアップされる可能性が出てきます。仮に上院での表決が同数になり、行き詰まった場合には1票のキャステイング・ボートが創り出されることになっているからです。この辺の仕組みについて少し説明しますと、次のようになります。

 米国連邦憲法は「合衆国の副大統領は上院の議長となる。ただし、可否同数の場合を除き、表決権を有しない」(第1条第3節4項)と定めています。つまり、副大統領は上院議長でもあるのですが、普段は投票することができません。だが、特別な場合には投票することができるというのです。表決が全く互角となった時です。たとえば、ある案件への表決が共和党と民主党で真っ二つに分かれ、50対50になったとします。これでは上院としての決定を下すことができないので困ります。そういう時には副大統領が上院議長として1票を投ずることができると憲法は定めているのです。共民で票が全く互角になった場合にはブッシュ共和党政権の副大統領チェイニー氏が投票することができます。その意味では上院の共民新分布は実質的には51対50、議席差は1になります。

 538と537―この2つの数字も1違いです。何の数字かお分かりになりますか。538は大統領選挙での選挙人の総数。537はフロリダ州での票集計でブッシュとゴアの票差です。537票というのはフロリダ州でゴアとブッシュに投じられた583万票の0.009%、つまり1万分の1にも満たないのです。今回の場合、この537票が全米1億強の投票結果をも左右したわけです。これがどんなに小さい差であるかは、マラソン競走に例えれば、42キロを走ってわずか20センチの差といえば実感がわくでしょうか。

 とにかく、あれほどスッタモンダの末、落着いた数字が537で、選挙人総数538と1違いとなったわけです。もちろん、これは偶然の結果ですし、土台、これら2つの数字の性格も違います。ですが、それにしても、あまりにも近すぎる数字だとは思いませんか。

 選挙人とは「大統領を選出する人」のことです。大統領選挙は間接選挙です。11月7日に行なわれた大統領選挙では、有権者は大統領を直接選出したのではありません。「大統領を選出する選挙人」を選出したのです。選挙人総数は538人ですから、その過半の270人を取った方が勝ちになります。ブッシュ対ゴアの選挙人獲得結果は271対267でした。ここでもマジックナンバー1が登場します。ブッシュの取った271というのは過半数の270を1だけ上回った数字なのです。

土壇場逆転の悪魔のシナリオ

 12月18日には、各州大統領選挙人による大統領選出投票が行なわれ、ブッシュは271人の選挙人を獲得しました。今後は(1)2001年1月6日、上下両院本会議で投票結果を開票・集計(その結果、ブッシュが大統領に正式当選)、(2)1月20日、新大統領の就任――という具合に事態は進みます。

 ここで、推理小説風にシナリオを描けば、面白いことに気付きます。実はゴアが土壇場で逆転勝利する奥の手がなかったわけではなかったのです。ただし、「禁じ手」ですが…。

 有権者が選ぶのは「大統領を選出し得る選挙人」であることはすでにいいました。それでは投票日に有権者は選挙人の名前を見て投票するのでしょうか。そうではありません。投票用紙に記載されているのは、通常、大統領候補の氏名のみです。選挙人は自らが支持する大統領候補を事前に明らかにしています。それゆえ、一般有権者が投票用紙に記載されている特定の大統領候補に投票することは、厳密には「特定の大統領候補を支持する選挙人」を選んだことを意味します。選挙人の確定は、実質的に大統領選出選挙と同じことになります。その意味で、選挙人とは自ら判断する「質的」存在というよりも「量的」存在といっても過言ではありません。

 ここで問題をひとつ。仮に271人のブッシュ支持選挙人の中から2人が裏切ってゴアに票を投じていたならば、どうなったでしょうか。269対269で全く同数になってしまいます。しかし、その場合でも、結局はブッシュが大統領に選出されたでしょう。選挙人投票で結果が全く互角の場合には、採決は各州一票として下院にゆだねられることになっているからです。大統領選州別結果でブッシュはゴアよりも多くの州で勝利(ブッシュ30州、ゴア19州+ワシントンDC)を収めていたことから、「各州一票」である限り、ブッシュ勝利は揺るがなかったはずです。

 それでは仮に3人が裏切ってゴアに票を投じていたならば、どうだったでしょうか。ブッシュ対ゴアの選挙人投票結果は268対270となり、勝負はひっくり返ってしまうのです。

 選挙人の裏切りなどあるはずがない、とばかりはいえません。調べてみると、支持大統領候補を事前に明らかにしていた選挙人が、選挙人選挙で別の候補に票を投じた例は過去に9回もあるのです。勿論、このような裏切りを許さない決まりを設けている州もあります。これらの州は所属政党以外の候補者への投票を州法や選挙人の党への誓約を通じて禁じています。だが、問題は誓約選挙人として自党候補への投票を義務づけているのは24州とワシントンDCだけだということです。逆にいえば、仮に裏切りがあってもどうしようもない州が26もあるということです。こうした事態に連邦憲法は無力です。選挙法は州の排他的権限に属しますので、連邦は口出しできないことになっているからです。

 もっとも、民主党陣営が組織的にこうした奥の手を画策することはあり得なかったでしょう。問題は、271人の共和党支持選挙人のなかから、個人的動機による裏切りが出るかどうかだったのです。ちなみに1988年の大統領選で、裏切り投票をした選挙人の一人はその動機について「歴史に名を残したいから」といっています。ただし、この時には裏切りが選挙結果を左右することはありませんでした。しかし、今回の場合、理論上はわずか3票の裏切りがあれば、世界最強国の最高権力者を選ぶ選挙結果がひっくりかえる可能性があったわけです。「1票の重み」としてこれ以上大きなものはなかったはずです。

 だが、これはあくまでも米国の選挙制度の盲点をついて「悪魔のシナリオ」を描いていたならば…という話であって、実現の可能性は皆無に近かったといえます。このような禁じ手を通じて生まれた政権は、「正義」好きの米国で存続が許されるわけがありません。

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