2014/12/09 No.215APECの新たな争点:FTAAP構想をめぐる米中の対立
馬田啓一
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
杏林大学 教授
はじめに
APEC(アジア太平洋経済協力会議)は、FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)の実現をめぐる米中の主導権争いの場となってきた。2014年11月に中国の北京で開かれたAPEC首脳会議は、焦点のFTAAP構想について、「可能な限り早期」の実現を目指すとした首脳宣言を採択した。
TPP(環太平洋パートナーシップ)交渉に参加していない中国は、米国が主導するTPP交渉に警戒感を強めている。中国が提案したFTAAPロードマップ(工程表)の策定も、漂流しかねないTPP交渉の機運を削ぐ狙いがある。
本稿では、APECの新たな争点となったFTAAP構想をめぐる米中の対立に焦点を当てて、亀裂も懸念されるAPECとアジア太平洋の新通商秩序の構築に向けた動きを展望する。
1.FTAAPへの道筋
FTAAP構想は、アジア太平洋地域にAPEC加盟国をメンバーとする広域のFTA(自由貿易協定)を構築し、貿易・投資の自由化と幅広い分野の経済連携を目指すものだ。2004年にABAC(APECビジネス諮問委員会)がサンチャゴでの首脳会議に、この構想を提案した。
当初、実現可能性の点から冷遇されていたが、2006年にベトナムのハノイで行われたAPEC首脳会議で米国がFTAAP構想を打ち出すと、一気に関心が高まった。FTAAPは長期的な目標として位置づけられ、これを促進する方法と手段について作業部会で検討することになった。
米国がFTAAPを提案した背景には、東アジア地域主義の台頭がある。東アジア経済共同体を視野に入れた広域FTA(ASEAN+3やASEAN+6)の構想はいずれも米国を排除したもので、そうした動きを牽制する狙いがあった。
FTAAPの実現がAPECのポスト・ボゴール目標と位置づけられたのは、2009年のシンガポールで開催されたAPEC首脳会議においてである。FTAAPの実現に向けた道筋を検討することで一致し、これを受けて、2010年の横浜でのAPEC首脳会議で、FTAAPへの道筋を示した「横浜ビジョン」が採択された。FTAAPは、TPP、ASEAN+3、ASERAN+6の3つの地域的な取り組みを基礎として更に発展させることにより、包括的なFTAとして追求されることになった。
なお、その後、ASEAN+3とASEAN+6はRCEP(東アジア地域包括的経済連携)に収斂されたため、現在は、TPPとRCEPの2つのルートによるFTAAPの実現可能性に注目が集まっている。
2.中国はTPPに参加するか
米国は、中国も含めてTPP参加国をAPEC全体に広げ、FTAAPを実現しようとしている。しかし、中国が、今後、ハードルの高いTPPに参加する可能性はあるのか。国家資本主義(注1)に固執する中国だが、APEC加盟国が次々とTPPに参加し、中国の孤立が現実味を帯びてくるようになれば、中国は参加を決断するかもしれない。
2013年9月に設立された中国(上海)自由貿易試験区は、中国が選択肢の一つとして将来のTPP参加の可能性を強く意識し始めていることの表れだろう。勿論、中国が今すぐTPPに参加する可能性は極めて低い。TPPと中国の国家資本主義とは大きくかけ離れており、その溝を埋めることは非常に困難とみられるからである。溝を埋めるためには、TPPのルールを骨抜きにするか、中国が国家資本主義の路線を放棄するか大幅に修正するしかない。しかし、そのどちらも難しい。
一方、中国をTPPに参加させたいが、TPPの枠組みが固まっていない段階でかき回してもらいたくない、というのが米国の本音だ。中国がTPP交渉に参加すれば、米国の主張との対立点を浮き彫りにすることにより、性急な自由化に慎重な新興国・途上国を取り込むといった戦略をとるだろう。こうした展開は米国が最も避けたいところである。
米国としては、中国抜きでTPP交渉を妥結し、その後APEC加盟国からのTPP参加を増やし中国包囲網を形成する。最終的には投資や競争政策、知的財産権、政府調達などで問題の多い中国に、TPPへの参加条件として国家資本主義からの転換とルール遵守を迫るというのが、米国の描くシナリオである。米国はTPPを通じて中国の国家資本主義と闘うつもりだが、果たして思惑通りに事が運ぶだろうか。
3.TPPかRCEPか、深まる米中の対立
中国は、TPP交渉が始まった当初は平静を装い、これを無視する姿勢をとった。しかし、2011年11月に日本がTPP交渉参加に向けた関係国との協議入り声明を出したのをきっかけに、カナダやメキシコも追随し、TPPが一気に拡大する雰囲気が高まった。このため、TPPによる中国包囲網の形成に警戒を強めた中国は、TPPへの対抗策として、RCEPの実現に向けた動きを加速させている(注2)。
2011年11月のASEAN首脳会議でASEANが打ち出したのが、RCEP構想である。ASEANは、日中共同提案(2011年8月)を受けて、膠着状態にあったASEAN+3 とASEAN+6 の2構想をRCEPに収斂させ、ASEAN主導で東アジア広域FTAの交渉を進めようとしている。
中国は、そうしたASEANの野心を承知の上で、ASEANの中心性を尊重し、ASEAN+6の枠組みにも柔軟な姿勢をみせた。米国が安全保障と経済の両面でアジア太平洋地域への関与を強めるなか、米国に対抗するにはASEANを自陣営につなぎ留めておくことが欠かせないと考えたからだ。もちろん、中国の本音は、ASEANをRCEPの議長に祭り上げ、黒子としてRCEPの操縦桿を握るつもりである。
2012年11月の東アジアサミットで、RCEPの交渉開始が合意された。これを受けて、RCEP交渉は2013年5月に開始、2015年末までの妥結を目指している。しかし、RCEPは同床異夢の感が拭えず、交渉は紆余曲折がありそうだ。
アジア太平洋地域における経済連携の動きは、米中による陣取り合戦の様相を呈し始めた。米中の角逐が強まる中で、TPP、RCEPの動きが、同時並行的に進行しつつあるが、注意しなければならない点は、その背景に「市場経済対国家資本主義」という対立の構図が顕在化していることだ。中国は、TPP交渉を横目で見ながら、国家資本主義の体制を維持しながらRCEPの交渉を進めようとしている。
こうしたなか、代替(競争)的かそれとも補完的か、TPPとRCEPの関係に俄かに注目が集まっている。今後のTPP拡大にとってASEAN諸国の参加は必要条件だが、RCEPを警戒する見方は米産業界に多い。RCEPがTPPと比べ参加国に求める自由化レベルが低いため、ASEAN諸国がTPPよりも楽なRCEPの方に流れてしまうのではないかと懸念している。このため、米国では、中国包囲網の完成のためTPPへのASEAN諸国の取り込みに腐心している。
4.APECの新たな争点:FTAAPロードマップ
APECは、将来的にFTAAPの実現を目指すことで一致しているが、TPPルートかそれともRCEPルートか、さらに、両ルートが融合する可能性があるのか否か、FTAAPへの具体的な道筋についてはいまだ明らかでない。
こうしたなか、北京APECの準備に向けて2014年5月に中国・青島で開かれたAPEC貿易相会合で、FTAAP実現に向けたロードマップを作成することを明記した閣僚声明が採択された。
この会合において議長国の中国は、声明にFTAAP実現の目標時期を2025年と明記し、具体化に向けた作業部会の設置も盛り込むよう主張したが、FTAAPをTPPの延長線と捉えている日米などが反対し、声明には盛り込まれなかった。
表 北京APEC首脳宣言の骨子(抜粋)
11 我々は、APECが地域経済統合を形成し、育む上で重要な役割を有することを認識し、アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)をビジョンから現実にするための育ての親(インキュベーター)として、より重要かつ意義ある貢献を行うべきことに一致する。我々は、APECの地域経済統合のアジェンダを進展させるための主要な手段としての最終的なFTAAPへの我々のコミットメントを再確認する。 12 この点に関し、我々は、FTAAPの最終的な実現に向け、包括的で体系的な方法により、そのプロセスを開始し、進めることを決定し、「FTAAP実現に向けたAPECの貢献のための北京ロードマップ」(附属書A)を承認する。このロードマップの履行を通じて、我々は、継続中の道筋の結論に基づき、FTAAPを実現するための努力を加速することを決定し、継続中の地域的取り組みを基にして、可能な限り早期のFTAAPの最終的な実現へのコミットメントを確認する。 13 我々は、地域経済統合(REI)の強化及びFTAAPの進展に関する貿易投資委員会(CTI)議長の友グループの設立を歓迎し、議長の友グループの作業の継続を促す。我々は、FTAAPの実現に関連する課題にかかる共同の戦略的研究を立ち上げることに一致し、実務者に対し、この研究を実施し、関係者と協議を行い、2016年末までにその結果を報告するよう指示する。 |
下線は筆者による。
その後、FTAAPロードマップをめぐり水面下での中国の巻き返しが激しくなるなか、11月に北京で開かれたAPEC首脳会議は、FTAAPの「可能な限り早期」の実現を目指すと明記した首脳宣言を採択し閉幕した。
2010年横浜APECの成果を踏まえ、FTAAP実現に向けたAPECの貢献のための「北京ロードマップ」が策定され、共同の戦略的研究(collective strategic study )を実施し、2016年末までに報告することが合意された。
中国は再度、FTAAP実現の目標時期を2025年と具体的に設定するよう主張したが、TPP交渉への影響を懸念した日米などの反対で、目標時期の設定は見送られた。
他方、共同研究については、域内で先行するTPPやRCEPなど複数の経済連携を踏まえてFTAAPの望ましい道筋についてフィージビリティ・スタディ(実現可能性の研究)を行ことになった。しかし、研究報告の後に直ぐAPEC加盟国がFTAAP交渉に入るわけではない。研究とその後の交渉は別というのが、日米の立場である。目標時期設定の見送りと共同研究の実施は、日米と中国、双方の痛み分けとなった(注3)。
FTAAPのロードマップ策定についての提案は、中国の焦りの裏返しと見ることもできる。中国の狙いはどこにあるのか。①「TPP以外の選択肢」を示し、TPPを牽制、②ASEANのTPP離れを誘う、③FTAAP実現の主導権を握る、の3つが考えられる。
米国はTPP交渉をまず先にまとめ、その枠組みに中国を含むAPEC加盟国を参加させる形でFTAAPを実現するつもりだ。しかし、中国からみれば、それではアジア太平洋の新通商秩序の主導権を米国に奪われ、下手をすれば孤立する恐れがある。そこで、TPP参加が難しい中国は、TPP以外の選択肢もあることを示し、TPP離れを誘うなど、TPPを牽制しようとしている。
FTAAPへの具体的な道筋について、中国としては米国が参加していないRCEPルートをFTAAPのベースにしたいのが本音だ。だが、それでは端からAPEC内の意見がまとまらない。そのため、中国はTPPでもRCEPでもない「第3の道」として、正論を逆手に取ってAPECルートを新たに提示し、APECにおいてFTAAP実現の主導権を握ろうとしている。ただし、APECルートに対する中国の本気度については疑わしく、漂流しかけているTPPルートに揺さぶりをかけるのが真の狙いとも見られる。
どのルートかでFTAAPのあり方も変わってくる。中国がFTAAPを主導するかぎり、国家資本主義と相容れない高いレベルの包括的なFTAは望めそうもない。
5.FTAAP交渉の含意:APECの変質
当初、APECにおけるFTAAP実現に後ろ向きだった中国が、北京APECを契機に、中国の存在感を誇示するため、日米に対抗してFTAAPを主導する構えを見せた。中国の思惑通りに、APEC内においてFTAAP実現に向けた交渉を開始(APECルートを選択)することになれば、それはAPECの変質を意味する。
1989年に創設されたAPECの大きな特徴は、非拘束性と自主性を原則とした「緩やかな協議体」である点だ。このためAPECは協議の場であって交渉はしない。また、合意内容は協定でなく、声明や宣言の形式をとり、あくまで自主的な努力目標であって法的な拘束力はない。
これに対して、FTAAPは、法的拘束力を持つ差別的な協定である。したがって、APEC自らがFTAAPの実現を目指せば、非拘束原則の放棄を余儀なくされ、APECの変質は免れない。
因みに、2010年横浜APECの議長国であった日本は、APECによるFTAAPの実現を睨んで拘束原則の導入を試みたが、中国など一部東アジア諸国の反対が根強く、APECを変えることはできなかった。FTAAPへの道筋を描くなかで、将来も法的拘束力を持てないのではないかというAPECの限界に直面し、結局、APECの内ではなく外から、TPPなどの拡大を通じてFTAAPの実現を目指すことになった。他方、APECは自らを変質させることなく、脇役に回り、FTAAPの実現に向けて「インキュベーター」(育ての親)の役割を果たすことになった。
今回の中国提案(北京ロードマップ)がきっかけで、もしAPECにおいてFTAAP交渉が行われるようになれば、APECの性質が大きく変わることになる。APECルートが実現するためには、APEC内で拘束原則が容認されなければならない。東アジア諸国の拘束アレルギーは、二国間FTAやTPP、RCEPなどを通じて次第に薄れつつある。
だが、今のところAPECルートの実現可能性は低い。TPPルート(RCEPルートとの融合も含む)を軸としたFTAAPの実現を目指している日米などが強硬に反対し、潰しにかかると見られるからだ。かつてはAPECルートの可能性を模索した日米両国が、今はAPECルートを否定する立場に回るのは、何とも皮肉な話だ。APECを舞台に、FTAAP構想をめぐる米中の対立がますます先鋭化していくのは避けられないだろう。
中露の接近も気になる。ウクライナ危機によって米国との対立が深まっているロシアが、「敵の敵は味方」とばかりに中国に同調する姿勢を見せている。APECの亀裂も懸念されるなか、APECからFTAAPへの移行を目指す「APECのFTA化」は、今後、紆余曲折が予想される。
いずれにしても、非拘束原則は、2016年末までに報告する共同研究で取り上げられる論点となろう。APECにおけるFTAAP交渉の是非について議論が行われる過程で、非拘束原則の変更(拘束化へのシフト)について検討が深まれば、まさに「瓢箪から駒」ということになるかもしれない。
注
1) 市場原理を導入しつつも、政府が国有企業を通じて積極的に市場に介入するのが国家資本主義。米国は、中国政府が自国の国有企業に民間企業よりも有利な競争条件を与え、公正な競争を阻害していると厳しく批判している。
2) その他、TPPに対抗して中国は、アジアから中東、欧州につながる経済・貿易協力の枠組みとして「シルクロード経済ベルト」、「21世紀海上シルクロード」といった経済圏構想を提唱し、北京APECで400億ドルの「シルクロード基金」の設立を表明している。
3) それでも中国の習近平国家主席は、宣言後の記者会見で、ロードマップの採択について、「歴史的な一歩だ」と述べて北京APECの成果を強調した。日本経済新聞2014年11月12日付。
参考文献
馬田啓一「APECとTPPの良い関係・悪い関係:アジア太平洋の新通商秩序」国際貿易投資研究所『季刊国際貿易と投資』No.92(2013年夏号)。
馬田啓一「TPPと新たな通商秩序:変わる力学」石川幸一・馬田啓一・木村福成・渡邊頼純編著『TPPと日本の決断』文眞堂、2013年。
浦田秀次郎「APECの新たな展開と日本の対応」馬田啓一・浦田秀次郎・木村福成編著『日本通商政策論』文眞堂、2011年。
山澤逸平『アジア太平洋協力:21世紀の新課題』ジェトロ、2010年。
山澤逸平「APECの新自由化プロセスとFTAAP」山澤逸平・馬田啓一・国際貿易投資研究会編著『通商政策の潮流と日本』勁草書房、2012年。
APEC, The 18th APEC Economic Leaders’ Meeting, The Yokohama Vision-Bogor and Beyond, Yokohama, Japan, 13-14 November, 2010(「第18 回APEC首脳会議:横浜ビジョン-ボゴール、そしてボゴールを超えて」2010年11月13~14日<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/apec/2010/docs/aelmdeclaration2010_j.pdf>。).
APEC, Pathways to FTAAP, 14 November 2010(「アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)への道筋」2010年11月14日<http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/apec/2010/docs/aelmdeclaration2010_j03.pdf>。).
APEC, The 22nd APEC Economic Leaders’ Declaration, Beijing Agenda for an Integrated, Innovative and Interconnected Asia-Pacific, Beijing, China, November 11, 2014(「第22回APEC首脳宣言:統合された、革新的な、相互連結のアジア太平洋のための北京アジェンダ」2014年11月11日<http://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/apec/page22_001657.html>。).
APEC, The Beijing Roadmap for APEC’s Contribution to the Realization of the FTAAP(「アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の実現に向けたAPECの貢献のための北京ロードマップ」2014年11月11日<http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000059196.pdf>。).
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