一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2015/07/14 No.242トルコのしたたかな民主主義~戦略的投票行動が求める「明るい未来」~

夏目美詠子
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員

<AKP単独政権の時代は終わり>

7月9日、トルコの連立政権樹立に向けた交渉が始まった。6月7日の総選挙で与党・公正発展党(AKP)の得票率は前回(2011年)の49.83%から40.87%へと大きく落ち込み、議席数は258と国会定数550の過半数を割り込んだ(図表1参照)。13年に及ぶAKP単独政権の時代は終わった。民意は、エルドアン大統領が切望したAKP圧勝による憲法改正と大統領権限の強化をはっきり拒絶し、連立政権を選択した。連立交渉は第1党となったAKPを軸に、共和人民党(CHP)、民族主義者行動党(MHP)、人民民主主義党(HDP)の4党の間で行われる。

大きく躍進したのはクルド系のHDPだ。HDPの前身である平和民主党(BDP)は前回選挙で、クルド住民の多い南東部やイスタンブルなど特定の選挙区に無所属候補を立てて35人を当選させた(注1)。しかし、今回クルド系政党として初めて全選挙区に候補を擁立、国会議席獲得に必要な全国平均10%を上回る13.12%の票を得て、80議席を獲得した。

図表1:トルコ総選挙結果(2015年6月7日)

注:HDPの前身である平和民主党(BDP)は、2011年総選挙で特定の選挙区に無所属の候補を擁立し、35人が当選。初登院後、議会会派を結成。出所:トルコ高等選挙委員会(YSK)

<選挙後1ヵ月を経てやっと始まった連立交渉>

AKPのダウトオウル首相率いる内閣は、議席の大幅減を受けて6月9日に総辞職したが、新政権成立まで暫定的に職務を継続している。憲法規定(第116条)によれば、選挙後初めて召集された国会で議長団が選出された日から45日以内に新内閣の組閣・信任を完了しなければならない。連立組閣が失敗した場合、大統領が再選挙の実施を決定する。

6月23日に選挙後初の国会が開かれ、当選議員たちが宣誓を行った。国会議長選挙は第4回投票までもつれ込み、7月1日に議長選出、続く議長団選出は各党への人数配分などで調整が難航し、9日に国会承認された。同日エルドアン大統領がダウトオウル首相に組閣を命じ、選挙から1ヵ月を経てやっと連立交渉が始まった。組閣指名を急ぐ様子もなかった大統領は、連立交渉紛糾の末の再選挙を望んでいると言われている。政治混乱を嫌う有権者にもう一度AKP単独政権を選択させようという目論見だ。しかし世論調査では、再選挙が行われても各党の票配分はほとんど変わらないという結果が出ている(注2)。8月23日までに連立組閣できなかった場合、再選挙実施が確定する。

<大連立を望む経済界>

経済界や市場関係者が望むのはAKPとCHPの大連立だ。トルコ工業・実業家連盟(TÜSİAD)、独立工業・企業家連盟(MÜSİAD)、トルコ商工会議所連合会(TOBB)等の主要経済団体や労働組合は、選挙直後から各党に連立に向けた歩み寄りと再選挙回避を呼びかけた(注3)。政治混乱の長期化は、投資の停滞、通貨トルコリラのさらなる下落、景気減速、失業率の上昇を招く(注4)。AKP・CHP両党の議席は合わせれば390議席となり、国会定数の3分の2を上回る。イスラム的価値観を重んじるAKPと世俗主義堅持を掲げるCHPが連立すれば、13年に及ぶAKP政権下で進んだ宗教をめぐる国民の二極分解も「和解」へ向かうという期待もある。

しかし、連立交渉の行方を占う前哨戦とされた国会議長選挙で各党の歩み寄りは見られず、最終的にMHPの棄権によってAKPのユルマズ前防衛相が選出される結果となった。CHP・MHP・HDP3党が協力すればAKPからの議長選出を阻むことができたのに、MHPが「抜け駆け」してAKPに「恩を売った」ことで、AKP-MHP連立への観測がにわかに高まった。

<連立交渉とリンクするシリア国境地帯の攻防>

折しもシリア北部では6月15日に、トルコ領アクチャカレと向かい合うテルアビヤドをシリアのクルド人組織「民主統一党」(PYD)の軍事部門「人民防衛隊」(YPG)が「イスラム国」(IS)から奪還、900kmに及ぶトルコ・シリア国境の約3分の2をYPGが制圧する事態となった。エルドアン大統領は6月26日、「シリア北部で(クルド)国家樹立の動きがある。トルコはこれを決して許さない」と述べ、29日に国家安全保障会議を招集、政権に近いメディアは一斉に、「トルコ軍が間もなくシリア領に侵攻し、緩衝地帯設置を開始する」と報じた(注5)。昨年秋にYPGがISから奪還したシリア国境の町コバニから西へ約90㎞の国境地帯は、シリアの反政府組織・自由シリア軍(FSA)が支配しているが、テルアビヤドから敗走したISが制圧を狙って攻撃を始めた。FSAを支援し、ISを撃退するために緩衝地帯を設置するとダウトオウル首相は主張するが、真の目的はPYD・YPGの全国境地帯の支配を阻止することだ(注6)。トルコ政府とクルディスタン労働者党(PKK)との「和平交渉」(注7)に反対するMHPは、PKKと同盟関係にあるPYD・YPGの勢力拡大を阻むこの作戦に賛同すると見られ、AKP-MHP連立は「戦争遂行内閣」だという懸念が広がった(注8)。しかし軍参謀本部は、政治責任が明確でない暫定政権の指令には従えないと要請を断った。8月には高等軍事会議(YAŞ)で参謀総長以下が一斉交替する人事も控えている。国連決議や米国、イラン、ロシア、アサド政権との合意もなしに越境すれば、トルコは「他国領土を一方的に侵略したとみなされる」と指摘するなど、軍首脳は冷静だ(注9)。その一方で、国境防衛強化のための部隊増派は続いている。

<AKP過半数割れの主因はクルド保守票の離反>

シリアへの越境攻撃をちらつかせるAKPと、PKKとの和平交渉停止を連立受諾の条件に掲げるMHPによる連立は、選挙で示された民意を明らかに裏切るものだ。なぜか。選挙後に調査会社や研究者が発表した選挙分析によれば、AKPを単独政権から引きずり下ろしたのは、従来AKPに投票してきた宗教心の強い保守的なクルド票の離反だという(注10)。AKPのクルド問題解決への努力を高く評価してきた彼らが、なぜAKPを見限ったのか。最大の理由は、昨年9月から今年1月まで続いたシリア領内の国境の町コバニを巡るISとYPGとの攻防戦で、AKP政権、とりわけエルドアン大統領がISよりもYPGを敵視してYPGへの支援を拒否したことだと言われる(注11)。同胞を助けようと、トルコからクルド人の若者が続々とコバニへ越境するなか、同大統領は「コバニは間もなく(ISの手に)落ちる」と述べた。PKKのオジャラン党首は「コバニが陥落すれば和平交渉は打ち切る」と警告、南東部では政府の方針に怒ったクルド人の若者と治安部隊の衝突が頻発し、50人が死亡した。AKP政権の背信に怒ったクルドは、雪崩を打ってHDP支持に回った。クルド票の離反は、AKPの対シリア政策への抗議であり、AKP・MHP連立はクルドが挙げた抗議の声を踏みにじるものだ。

クルド票の劇的な動きは、6月18日に世論調査会社KONDAが発表した選挙分析にはっきりと示されている。図表2‐1を見ると、2015年総選挙では、前回AKPに投票した人のうち7.48%がMHP、8.49%がHDPに流れた。AKPへは前回のMHP票の7.57%が流れたのみで、HDP、CHP支持層からの移動はほとんどなく、得票は純減となった(図表2‐2参照)。HDPは、前身のBDP票をほぼ100%維持したまま、AKP支持の保守層を切り崩したほか、今回初めて国政に投票した若者の半数以上から支持を集めて、得票を倍増させた。同社によれば、HDPの得票の84%をクルド人が占めた。クルド人は2014年地方選挙で42%がAKP、32%がHDPに投票したが、2015年総選挙ではAKP20% 、HDP59% に逆転した。

一方同社は、選挙前に予想された「従来CHPを支持してきた高学歴・高収入で都会暮らしの世俗的トルコ人(Beyaz Türkler:白いトルコ人)」がエルドアン大統領の専横と強権化を止めるため、戦略的にHDPに投票して全国得票率10%の達成と議席獲得を助けるだろうというemanet oyları(預託票)の動きは立証できなかったとしている。CHPからHDPへの票の移動は、図表2‐1でも1.89%にとどまっている。ただし、HDPの地域別得票分布を見ると、32%をクルド人が多い南東部から、18%をイスタンブルから得ており、イスタンブルでは高級住宅地が集中するボスフォラス海峡沿いでHDPの高得票が確認されたとして、一定のemanet oyları(預託票)の存在も示唆している。

図表2-1:各党支持層の2011年/2015年総選挙における投票行動の変化

注:新有権者とは2011年総選挙時に18歳未満で、2015年選挙時には有権者だった若年層。出所:KONDA:7 Haziran Sandık ve Seçmen Analizi(6月7日の総選挙分析)、P.50。

図表2-2:2011年/2015年総選挙の各党票配分

出所:トルコ高等選挙委員会(YSK)データをもとに筆者作成

<「ダメなら変える」有権者>

HDPはクルド系政党のBDPを核に、2011年総選挙で共闘したさまざまな市民組織を糾合して2012年10月に結成された。AKP/イスラム主義とCHP/世俗主義の二極分化に代わる第3の選択肢となるべく、左派政党、労働組合、女性団体、民族的・宗教的・性的少数派(LGBT)、環境団体、人権団体など多様な組織を傘下に収め、党組織の各レベルで女性(50%)、若者(10%)、LGBT(10%)への役職割り当てを定めるなど、クルド色を薄めた全国政党としてリベラルや若年層への浸透を図った。2014年8月の大統領選挙にはセラハッティン・デミルタシュ共同代表が出馬して9.76%を得票、今回の総選挙でもアルメニア人やヤズディ、シリア正教徒の候補を当選させている。しかし、HDPを国政に送り込むことでトルコ政治の地殻変動を引き起こしたのは、リベラル左派や多様な少数派からなる広範な支持層ではなく、中核的支持層のクルドの怒りだったことが前述の調査などから明らかになっている。

世論調査会社Metropoll(注12)が選挙後に行ったアンケート調査(注13)の質問「今回総選挙でAKPに単独政権樹立を不可能にした最大の理由は何だと思いますか」への回答は、①エルドアン大統領の言動(16.3%)、②AKP政権の汚職・不正(14.2%)(注14)、③クルドのHDPへの投票(6.9%)、④(エルドアン大統領の)大統領制導入への固執(4.2%)、⑤(エルドアン大統領の)強権化(3.9%)だった。AKPへ投票した人の16.8%でさえ、AKP過半数割れの責任はエルドアン大統領にあると答えている。実際はクルド票の離反が過半数割れの最大要因だったとしても、国民が今回の選挙で示した最大のメッセージは「エルドアンを止めろ」だった。

トルコの有権者は、2002年11月の総選挙でもMHPを含む3党連立政権を罰してAKPを圧勝させた。原因は、戦後最悪の不況を引き起こした2001年2月の金融危機だった。失業や困窮に直面した有権者は、トルコを財政破綻寸前まで追い込んだ連立政権の失策に怒り、退場させた。AKPはイスラム系政党として初の単独政権を樹立した。それまで、政治の混乱、経済破綻、治安の悪化やテロの横行など国が乱れるたびに秩序を回復してきたのは軍だった。軍は1960年、1971年、1980年と3回クーデタを起こし、1997年にはイスラム系政党首班の連立政権を退陣に追い込んでいる。しかし、AKP政権下で進んだ民主化と憲法改正で軍の政治介入は不可能となった。国民の意思はひとえに投票行動を通して示され、劇的な政権交代も連立も国民が選んだものだ。トルコでは投票は義務で、棄権には原則罰金が科される(注15)ため、投票率は高い。それでも、「ダメなものは変える」という毅然とした姿勢で政治変革を起こすトルコの民主主義は健全で、あっぱれなほど成熟している。AKP-MHP連立政権が戦争に向けて走り出すのを国民は許さないだろう。再選挙になれば、国民の意思を汲まない政治家たちをもっと厳しく罰するに違いない。

<注>

1. トルコの選挙法では、政党として参加する場合は全国平均10%の得票率が議席獲得の条件となるが、無所属の場合は立候補した選挙区での得票数によって当落が決まる。

2. Hürriyet, Erken seçimde sonuç değişmez(早期(再)選挙でも結果は変わらず)、2015年6月23日。

3. Hürriyet, MÜSİAD Başkanı Nail Olpak: ‘2016’yı bile kaybederiz’ (ナイル・オルパクMÜSİAD会長「(政治混乱が長引き、再選挙となれば、2015年ばかりでなく)2016年も失う」)、2015年6月22日。

4. Hürriyet, Siyasi belirsizlik sürdükçe ekonomide gerileme büyüyor(政治的不安定が長引けば、景気後退も進む)、2015年7月2日。

5. Yeni Şafak, Operasyonun eli kulağında (作戦は間もなく開始)、2015年6月28日。

6. Hürriyet, ‘Hazır ol’ emri’ (「作戦準備」指令)、2015年6月27日。

7. AKP政権は2005年以来、国外でクルディスタン労働者党(PKK)と和平に向けた秘密交渉を進めるとともに、クルド語放送・教育の拡充などを実現してきた。政権は2012年12月に、イムラル島刑務所で服役中(終身刑)のアブドゥッラー・オジャランPKK党首と国家諜報局(MIT)幹部との直接交渉開始を発表、並行してHDP議員が獄中のオジャラン党首に会い、北イラクのPKK指導部に彼の指示を伝達、3月には停戦が実現した。2013年7月には、武装解除したPKK戦闘員の身の安全や政治活動の自由を保障する法律も成立・発効した。

8. Milliyet, Ak Parti ve MHP savaş hükümeti kurmak istiyor(AKPとMHPは戦争内閣樹立を望んでいる)、2015年7月2日。

9. Hürriyet, ‘Hazır ol’ emri’ (「作戦準備」指令)、2015年6月27日。
Radikal, Hükümet Suriye’ye müdahale istiyor, asker çekiniyor(政府はシリア介入に傾くが、軍は抵抗)、2015年6月27日。

10. 世論調査会社のKONDAが6月18日に発表した”7 Haziran Sandık ve Seçmen Analizi”(6月7日の総選挙分析)
    The Stockholm School of EconomicsのErik Meyersson氏のウェブサイト上の選挙分析 ”How Turkey’s social conservatives won the day for HDP”

11. Fehim Tastekin, Kurds abandon AKP, Al Monitor, 2015年5月20日。

12. MetropollとKONDAは今回の選挙結果に最も近い選挙予想をはじき出した世論調査会社とされる。

13. Metropoll, Türkiye’nin Nabzı Haziran 2015 “Seçim Sonuçları ve Koalisyon Seçenekleriyle Siyasette Yeni Dönemin Gündemi “(トルコの鼓動・2015年6月 「選挙結果と連立に関する新たな政治課題」)

14. イスタンブル検察庁は2013年12月17日、閣僚3人の息子、国営銀行頭取、エルドアン首相(当時)に近い実業家ら50人余りを、資金洗浄、公共工事に関わる贈収賄や不正の疑いで逮捕した。息子が逮捕された3閣僚が12月25日に引責辞任したのを受け、首相は汚職捜査の対象となった1閣僚を含む7閣僚を交替させる内閣改造を行った。同時に、汚職捜査は米国在住のイスラム教指導者フェトフッラー・ギュレン師が率いる「ギュレン運動」による「政治的陰謀」だと非難、警察・検察の捜査担当者を一斉に更迭して事態の沈静化を図った。ところがその後も、不正に関わったとされる政府高官らの盗聴音声のインターネット流出が止まらず、2月24日にはついにエルドアン首相と息子の電話内容とされるデータが公開された。データは汚職捜査が開始された12月17日から翌日にかけて交わされた5回の会話からなり、首相が息子に自宅や親族宅にある多額の現金を直ちに隠ぺいするよう指示しているのに対し、息子が「まだ3,000万ユーロ(約42億円)残っている」と答えている。首相は「データはすべて捏造」と断じ、政府は不正疑惑の拡散を阻止しようと、3月20日にTwitterを、3月27日には機密情報漏えいを理由にYouTubeを遮断した(その後、裁判所の違憲判決を受けて遮断解除)。

15. 国会議員選挙法第63条に、正当な理由なく棄権した者には罰金を科すと定められている。

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