2016/11/25 No.306対談:トランプ新政権をめぐる米国経済の展望(その2)
滝井光夫
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
桜美林大学 名誉教授
高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹
―――TPPの脱退をはじめ、トランプの暴走を宥める役割を担えるのは誰でしょうか。
高橋:
やっぱり中国の存在というのが大きくて、もしも今のままTPPがだめになってしまうと、中国が一番、多分それを喜ぶと思うんです。そうすると、中国はRCEPだとか、日中韓FTAとかを指向しますし、中国は最近では東アジア経済共同体(EAEC)構想を持ち出して、ASEANに日中韓を加えた「ASEAN+3」といった経済共同体を進めようとしています。アメリカ抜きの東アジアのそういう経済統合を進めれば、日本は入っていてアメリカはそこに入れなくなってしまうとことになる。そうなるとアメリカの東アジアの市場を狙った戦略は成り立たなくなってしまう。そう考えると、次期副大統領のペンス・インディアナ州知事とか、ライアン下院議長なんかは自由貿易主義者ですから、中国の影響を考えると、そういったチャネルを使って、TPPの再交渉を進めていくべきだと思います。
滝井:
その可能性がどのくらいあるかですね。重要なのは、今高橋さんが言ったように副大統領となるペンスだと思います。この人はインディアナ州の知事です。彼は下院議員を十数年やって、ワシントンにはかなり精通している。だからペンスの役割が非常に重要になってくるのではないかと思います。トランプの方向を軌道修正するような方向でペンスが力を発揮し、閣僚や補佐官の体制を作り上げる役割を果たしていけば、トランプの方向も少し変わってくるではないかと思います。ただそのときに、トランプを支持した有権者がどう反応するかはまた別問題ですが。
ブッシュ政権のときに、チェイニー副大統領が影の大統領みたいにして、ブッシュ大統領を牛耳ったように、ひょっとしたらトランプ政権ではペンスの力が非常に重要になってくるのではないかと思っています。インディアナ州は日本の企業もたくさん受け入れているからね。
高橋:
そうですね。そのとおりだと思います。ジェトロからもかつて輸入促進専門家がいて知事とは交流が深かった経緯があります。日本のインディアナ人脈の出番かもしれませんね。
滝井:
ただ、ペンスはティーパーティー系の人物です。それだからトランプが副大統領に選んだのでしょうが、彼は自由貿易政策の積極的な推進者であることは間違いないですね。
高橋:
そうですね。ペンス知事もそうですし、ライアン下院議長なんかも自由貿易の旗頭ですから、結構、上院も下院も共和党が多数派を占めたので、結構、リーダーたちがうまく引っ張ってくれれば、TPPを審議するということはあり得るのかなと。
滝井:
ペンスは中国のWTO加盟を支持し、対中最恵国待遇の付与も支持した。TPPにはもちろん支持をしています。ですからそういう面では節を曲げずに、トランプが批判している自由貿易政策をちゃんとやった人ですね。
―――今後TPPをどうすべきでしょうか。
高橋:
あとは、今TPPの各国の批准状況を見てみますと、日本はトップランナーで、衆議院で可決している。参議院はこれから審議待ちということですけれども、そのほかに、結構こういった批准のレースで走っているのはニュージーランドです。国会で今審議中ということで、立法化をやろうと思えばできる可能性が高い国です。それからマレーシアは、TPPの協定文を批准しているというか、可決しています。ところが実施法案はまだですので、一応TPPの協定文は認めたという段階です。この3つの国が批准のレースでは先を走っている。これ以外の国はWait and Seeという感じで、カナダなどは、2017年までに批准ができるかどうかということなどに関して、コメントを受け付けているようです。
あとは色々な国がありますが、シンガポールなどは、首相はTPPの賛成派みたいですけれども、それでもまだ実施法案を出していないし、ベトナムは焦らず2018年までには議会に法案を提出するようです。したがって、今のTPP加盟国の審議状況を見ていますと、日本は、当面はニュージーランドやマレーシア、あるいはオーストラリアなどと組んでTPPの批准や再交渉をアメリカに求めるという戦術が考えられるのかなと思います。
先ほど申し上げましたように、カナダとメキシコはNAFTAに手一杯で、むしろカナダはTPPよりも、NAFTAファーストで、それから2国間FTAを進めたほうがいいという考えも出ているぐらいですから、なかなか積極的なパートナーとしてカナダ、メキシコを巻き込むことは難しいような気がします。
―――当面1月20日以降、就任直後のトランプのショック政策はどうなりますか。
滝井:
日本と新政権との関係を見る前に、共和党指導部とトランプとの関係がよくわかりません。トランプという人は、要するに選挙で選ばれて公職に就いたことがない。軍役も経験していない。ワシントンでは全くの素人で、ワシントンの政界のことは全く知らない。彼が生きてきたのは不動産業界だけですし、不動産業界というのも特殊な世界です。
ところで、トランプが大統領就任後100日間でやると公言したことは、全部で28項目あります。これは選挙戦も終わりに近い10月22日にペンシルバニア州のゲティスバーグで発表したものです。まず第1日目、就任した日にやることというのは、全部で18挙げられています。第1グループの6項目は、ワシントン政治の浄化で、議員の任期制限、連邦の職員数の凍結、議員等のロビイストへの転職禁止などです。
それから次に7つの項目を挙げていますが、最初が、NAFTA再交渉または撤退の表明、それから2番目がTPPからの撤退。3番目は、財務省に指示して中国を為替操作国として認定する。4番目が、商務長官と通商交渉代表部に指示して、外国の不正貿易慣行を停止させる。それから5番目が、シェール、石炭、天然ガスなどエネルギー開発の規制撤廃。6番目が、キーストーンパイプラインの不許可といったエネルギー産業の促進を阻止しているオバマ政権による規制の全面撤廃。7番目は、パリ協定の脱退です。
第3のグループの5項目は、まずアメリカの安全保障の回復、次にオバマ政権が出した行政命令の全廃。オバマ大統領は共和党多数の議会で法律の制定が進まなかったため、移民関連などで行政命令を多発した。それから3番目が、最高裁の欠員となっている判事の任命です。それを自分の持っている20人のリストから選ぶ作業を始める。それから200万人の有罪となった不法移民の国外退去と移民入国者に対する厳格な身元調査の実施。これが5項目の内容です。
さらに、議会と協力して100日間に、新しい法律を10本制定すると言ってます。最初に挙げたのが、法人税を15%に引き下げ、個人所得税の簡素化と最高税率を33%に引き下げる税制改革。それから企業の海外移転阻止、エネルギー開発と10年間で1兆ドルのインフラ投資促進、教育改革、オバマケアの撤廃などです。これら法案を最初の100日間で全部制定するのは、かなり難しいでしょうね。
第1期オバマ政権のときは、大統領に就任する前からリーマンショックによる不況対策法案の作成が進められ、就任から1ヵ月も経たない2月17日に総額8,000億ドルの景気対策法を成立させました。トランプの場合、すべてが白紙状態ですし、経済閣僚人事もこれからですから。ただし、共和党議会も経済界も大歓迎している減税とインフラ投資法案の成立は早いのではないかと思います。
高橋:
私も今おっしゃっていたようなことが、トランプ氏は、まあ、100日でできるとは思いませんけれども、意外とこういう方針は実行するんじゃないかと思います。例えば一番最初におっしゃったTPPからの離脱とか、NAFTAの再交渉とかは、恐らくそういう方向で動くことは間違いないと思いますし、それから法人税を15%まで下げるとか、個人所得税を下げるということも進めると思います。個人所得税では、2万5,000ドル以下の独身者だとか、5万ドル以上の世帯の者の所得税をゼロにすると公約しています。実際にこのような数字通りに実行するかどうかわかりませんけれども、少なくともこういうアクションをとるということは間違いないと思います。
ただ、着手すると思いますが、できないものもやっぱりある。できないものは、多分、中国に対する45%の関税賦課とか、メキシコへの関税を35%に引き上げるというものだと思います。そういう動きを見せるということはあり得るかもしれませんけれども、こういう高い関税を課すると、自らの首を絞めることは明らかですので、これはできないのではないかと思います。あと心配なのは、インフラ投資の1兆ドル。それから所得税の減税、法人税の減税です。なぜこういったマジックができるのかといいますと、トランプ陣営は、税額控除だとか、そういうことをすることによって、企業が投資をどんどん拡大するんだと言ってます。どんどん投資を拡大して経済成長するので、こういった政府の歳出が増えるけれども、歳入もどんどん上がって債務は増えないんだというロジックです。
確かに法人税や個人所得税の減税に着手するし、インフラ投資もするでしょうけれども、それが順調に債務の増加なしに行くかどうかは非常に疑問です。ここら辺を、どういうふうにクリアしていくかということが、彼の今後の非常に大きな課題かなと思います。
滝井:
財政赤字の削減は共和党の重要課題ですからね。一説によると、トランプ政策を実行すれば、10年間で財政赤字は10兆ドルになるとか、別の予測では5兆ドルになるとかいう膨大な赤字を議会が認めるかどうか。トランプが目指す年率4%の経済成長を達成すれば、赤字はそれほど増えないとも言われますが、どうも楽観的ですね。
高橋:
ありえないですね。45%も関税を引き上げて高い経済成長を達成することは困難です。関税を引き上げれば、相手側もリタリエーションしますので、輸出は減りますよね。報復のマイナス効果はとても大きくなります。
今のアメリカの経済は大体2%強の成長ですよね。直近のこの4月-9月が年率2.9%ということで、それなりにいいので、多分12月の金利の引き上げということはあり得ると思います。このように、順調になった経済を、保護貿易主義をやることによって、かなりリタリエーションを招くということは大きな賭けになるので、これはできないんじゃないかと思います。
滝井:
注目したいのは、トランプが大統領に就任した第1日目に、NAFTA再交渉とか、あるいはTPP撤退とか、中国は為替操作国だと認定するというようなことをやるかどうかですね。本当にやらなければ、これはやっぱりトランプの言っていたことは眉唾だったんだとなってしまうし、やればやったでえらいことになる。
―――日本の米新政権チャネルのキーマンは誰になりますか。
高橋:
ペンス次期副大統領を選んだのがニュージャージー州知事のクリス・クリスティー氏と、トランプ氏の次男と言われてます。もともとは元下院議長のギングリッチさんは副大統領候補だったんですけど、これをペンス氏に変えたのはこの2人らしいですね。クリス・クリスティー氏はわかりませんが、ギングリッチ氏、ジュリアーニ元NY市長などの新政権入りが予想されます。この中でも、共和党のなかで気骨を持って大統領の経済通商政策を左右する人物として、ペンス次期副大統領が挙げられます。
滝井:
世界経済を混乱に陥れさせないために、まずトランプの暴走を止めなければならない。止められるのは、上院であれば院内総務のマコーネル、下院であればライアン議長でしょうか。ただし、トランプがちゃんと共和党指導部の忠告を聞き入れるかどうか。やはり、ペンスの役割が非常に大きいと思いますね。
日本との関係という観点からすれば誰でしょうか。例えばマイケル・フリンでしょうか。前国防情報局長官で元陸軍中将、トランプと非常に近く、日本にも事前にやってきました。ほかに思い当たりませんが、国務長官、財務長官、通商代表などに誰が選ばれるかが日米関係の先行きを考えるうえでも重要だと思います。
高橋:
今までそういう対日人脈というんですか、そういう人たちを通じて、アメリカの新政権とパイプを築くというのがこれまでの日本の対米政策だったわけですよね。ワンクッション置いて、直接じゃなくてやるという方針で来たわけですね。この人たちをもちろんこれまでと同様に使うことは大事です。しかしながら、今回の場合は、カナダでも、今のトルドー首相はほとんどトランプ氏と人脈がない。彼はもうそういうことで諦めちゃって、もう一からやっていくんだということで、直接彼と会ってやるというふうなことのようです。ですから日本もカナダにならって、あまり対日人脈だけに頼らず、直球でやっていくというふうなことを選んだほうが、むしろ今回はいいような気がいたします。安倍総理が乗り込んだみたいに。
―――どうも有難うございました。アメリカも日米関係の安定が自国の国益だと容易に理解することを期待します。アジアの視点をトランプ政権に伝える日本の役割は一層重くなったと言えそうです。
了
(この対談は2016年11月14日、ITIで行われました。聞き手は湯澤三郎。)
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