フラッシュ31
2002年3月13日


貿易戦争が始まる? 米国、鉄鋼輸入にセーフガード発動

国際貿易投資研究所
理事長 佃近雄 


「(米国の)鉄鋼産業は管理保護貿易措置を脅しとして最も露骨に使ってきた。」
(アン・クルーガー『アメリカ通商政策と自由貿易体制』、原著は1995年刊)



 米国の鉄鋼業界が苦境に陥っていることは、過去4年間に29企業が破産を申し立てたことですでに明らかである。しかしこれは新しい問題ではない。1960年代後半から実に40年近くもの長い間(好況で息をつく時期もあったが)、 同じ問題が解決されることなく続いてきたのだ。その間業界は、困難の主因は安価な外国製品の流入にあるとして、輸入抑制を強く求め、政府は、さまざまの貿易上の措置を講じて業界の要望に応えてきた。補助金相殺関税の適用を脅しに使った自主規制取極めの事実上の強制(1968、欧州製品を対象)、アンチ・ダンピング措置に関わる「トリガー・プライス制度」の導入(1977、当初は日本製品、後に欧州製品にも適用。同じ時期に米国主導で、OECD鉄鋼委員会を新設)、新たな輸出自主規制協定(1982−1992)、ブラジル、韓国等「新興輸出国」の鉄鋼製品に対する高率のアンチ・ダンピング関税および相殺関税の賦課(1980年代央)、外国の政府補助金の廃止を目指す多角的鉄鋼協定を提唱(1989、交渉は結局失敗)、自主規制の失効にともない関税措置を導入(1992、多くは今日も残存)等*。
* これらの措置の記述は、G.Hufbauer and B.Goodrich,“Steel: Big Problems,Better Solutions”,Institute for International Economics,July 2001に基づく。

 これらの措置は、国際経済学の通常の考え方からすれば、業界に対して立ち直りの時間を与え、国際競争力の回復を支援するものであるべきだった。しかし、米国事情に詳しい当研究所木内研究主幹によると、過去の一連の措置の主目的は、市況の安定と収益の確保であって、鉄鋼産業の競争力改善はレトリックとしては言及されたものの主たる関心事ではなかった。すなわち、国際競争の圧力を軽減すること自体が政策目的だったことになる。今日の米国鉄鋼業の苦境は、構造的問題が解決されないまま現在に至ったことの当然の結果と言える。

 このように見てくると、今回のセーフガード発動によって米国鉄鋼業の根本問題が解決に向かうとは到底考えられない。苦しい時は輸入制限に頼るという発想では問題の先送りにしかならない。「開かれた貿易は、製品市場のみならず、生産要素市場に対しても、効率改善を刺激する誘因として、比類のない有効性を発揮する」という1987年のOECD報告『構造調整と経済パフォーマンス』の指摘は大変重要だ。輸入制限が事実上恒常化する状況のもとでは、米国鉄鋼業は益々衰退していくことになりかねない。

「すべての専門家は、高炉一貫の大企業の高コスト構造と適応能力の欠如が、利潤減少と競争力喪失の主な原因だと指摘している」
(クル−ガー前掲書)

 米国の鉄鋼業は、なぜ外国との競争に負けるのか。この点、米国の業界も政府も、外国で広く見られる政府補助の慣行やダンピングを指弾する。だが、上記のさまざまの輸入規制措置の下でも米国鉄鋼業の競争力が改善しなかったという事実は、米国の主張の妥当性を疑わせるに足る。それでは何が原因か。有力な候補は、多くの米国企業に共通する高コストの構造的要因であり、そのひとつは労働賃金が飛びぬけて高いことである。2001年の米国鉄鋼業の時間あたり賃金(諸手当を含む)は、37.91ドルで、全産業の20.81ドル、製造業の24.30ドルを大幅に上回る。ちなみに労働省統計により推計すると、日本の鉄鋼業の一時間あたり現金給与は、2000年に約2900円だった。高コストのもう一つの要因は、過去の労使交渉の結果、人員削減の代償として組合側が獲得した権利―いわゆるレガシー(遺産)コスト―である。具体的には、退職労働者に対して支払われる年金および医療給付で、その負担は、高炉一貫鉄鋼メーカーの場合トンあたり30ドルから65ドルに達するという*。
* 出所は前注と同じ。

 高炉を持たない製鉄企業いわゆるミニミルの場合には、事情は異なり、多くは一貫メーカーに対して、あるいは国際的に見ても十分な競争力を持っている。それは、レガシー・コストと資本コストが、いずれも一貫メーカーよりはるかに少ないことが主因である。さらに、製造工程上、ミニミルはくず鉄を鉄源として使用するが、スクラップ価格が景気変動に連動して不況時に低下することも、ミニミルのコスト優位に寄与している。その結果米国の鉄鋼生産におけるミニミルのシェアは、1975−2000年の期間に倍増して45%に達した*。それにもかかわらず、ミニミル企業は、今回一貫メーカーに同調して、セーフガードの発動を政府に働きかけたと伝えられている。ミニミルの行動が一貫メーカーの行動に近づくのは、米国鉄鋼業の将来にとって決して好ましいことではないと思う。
*Hufbauer and Goodrich,“Time for a Grand Bargain in Steel?”, IIE, January 2002.

 「たとえアメリカの官僚が「公正」だと信ずる方法で(通商政策が)策定されたとしても、外国の政府から対抗策を引き出す可能性がある。それでもアメリカの政策は報復のもたらすリスクをとろうとしており、破滅的な通商戦争を導く一連の動向の引き金となりかねない。 ・・・国際貿易関係の中でのアメリカの攻撃性は、(国際貿易を)危険な状態に向かわせている。」
(クル−ガー前掲書)

 上記のクルーガーの言葉は、1995年の著書(日本語版は1996年)からの引用だが、今日の事態をぴったり言い当てているように思える。今回の米国の措置に対しては、直ちに各国から厳しい批判が表明された。とりわけ米・EU通商関係にはただならぬ雲行きが漂い始めた。言葉の上の戦いはすでに始まっているが、これが行動上にも現れる危険は小さくない。ここでWTOの規定を簡単にレビューしておくと、セーフガード発動に際して、輸入国は輸出国と協議の上セーフガード措置と同程度の代償を与えるように「努力する義務」がある。この協議が不調の場合、輸出国は対抗措置をとることができるが、それには重要な制限がある。すなわち、セーフガードが輸入の絶対的増加に対応したものであり、かつ、当該措置がWTO規定に適合するものである場合には、セーフガード発動後3年間は対抗措置をとることができないとされているのである。

 EU側は、輸入は米国鉄鋼業の苦境の原因ではないとし、セーフガード発動の正当性そのものに疑念を抱いている模様だが、その点は一応別にして、直ちに代償措置を講ずるよう米国に要求する意向を示した。米国はこの要求を拒否する構えであり、対抗措置を含むEUの対応が焦点になりつつある。

 米国側の姿勢も強硬だ。もともとセーフガード発動は、議会の中間選挙を控えた国内政治対策の色彩が強いだけに譲歩が極めて難しいという事情は想像できるが、それだけではなく、クルーガーのいう「攻撃性」が目立つと思うのは筆者だけだろうか。商務省のアドナス国際貿易担当次官補が、フィナンシャル・タイムズのインタビュー(FT.com,March10)で行った発言を見よう。同氏は、セーフガード発動に対して各国から抗議が寄せられているが、米国政府は断固としてその立場を維持するとして「代償措置に関するEUの要求を米国は拒否するだろう」と述べ、また「国際金融不安を心配しなければならない状況ではなくなったこともあり、われわれは、貿易政策のスタンスを硬化させる(“stiffen”)用意がある」と語った。さらに同氏は、EU及び日本の経済拡大が実現しない場合には、米国の農業やハイテク産業の回復が困難になると言明し、貿易摩擦が鉄鋼から他の分野に拡大する可能性を示唆した。

 この発言を見ると、米国は鉄鋼以外にもさまざまの分野で各国に注文を付け、要求が容れられなければ「断固とした」対応に出るつもりかもしれないと感じられる。鉄鋼問題が契機となって「近隣窮乏化政策」が蔓延する事態が起きないように、各国政策当局の冷静かつ賢明な対処を期待したい。