フラッシュ35
2002年4月18日


ドイツのPISAショック


国際貿易投資研究所
研究主幹 田中信世 



 PISAといっても、ピサの斜塔で有名なイタリア・フィレンツェ近郊の都市ピサのことではない。OECDがこのほど実施したProgramme for International Student Assessment(PISA)のことである。日本語では学習到達度調査と訳されている。

 同調査は、OECDが加盟32カ国の26万5,000人の15歳の生徒を対象に、「読解」「数学」「科学」の3分野について生徒の能力を評価するためにスタートしたプロジェクトである。PISAは2000年に初の本調査を実施し、以後、3年ごとのサイクルで実施することになっている。各調査サイクルでは3分の2のテスト時間を費やす主要分野を重点的に調査し、他の2つの分野は概括的な状況を調べるという方法をとっている。2000年調査では「読解」が主要分野になり、@情報の取り出し、A情報の解釈、B熟考・評価の3つの側面から「読解」能力が総合的に評価された。2003年調査は「数学」、2006年調査では「科学」が主要分野になる。2000年調査は、1998年調査手法の開発、99年予備調査および調査手法のテスト、2000年本調査実施、2001年調査結果の評価、2002年調査結果の公表という手順で実施された。

 この2000年PISA調査で、ドイツは参加32カ国中、「読解」(総合能力)で21位、「数学」と「科学」でそれぞれ20位という不本意な結果が明らかになったのである(ちなみに、日本は3分野でそれぞれ8位、1位、2位)。生徒の学力低下は、そうでなくてもEU諸国の中で構造改革の遅れが指摘されているドイツにとって、専門的労働者の不足、技術革新能力の不足など形で将来のドイツ経済に“ブロー”で影響が出てくる問題だけに事は重大である。
 そもそも、ドイツでは3分岐型の学校教育制度1)がとられ、これは二本建て制度(Dual System)を特徴とする職業教育2)とともに、第二次世界大戦後の奇跡の経済成長を支えたすぐれた教育制度として自他ともに認められてきた。それだけに、今回のPISAの調査結果に対するショックも大きかった。PISAの調査結果は、ドイツの教育制度が、銀行と企業間の株式持ち合いなどと同じように、戦後の経済成長期には有効な制度として機能してきたものが、世界的な経済のグローバル化の進展に伴う競争社会の出現や、急速な情報技術革新の進展などに即応できなくなり、機能不全に陥ったことを示す例として挙げられるかもしれない。
 今年1月、ベルリンで開催された「教育フォーラム」の最終会合での演説の中で、ブルマーン連邦教育研究相は、「PISA調査の結果は(ドイツの教育に)警告を発するものである。政治経済的に主要な地位を占め、教育国家としても国際的にトップグループ入るドイツが(PISA調査で)OECDの中で中庸の地位、ましてやそれ以下の地位にとどまるということはあってはならないことである」と述べており、ドイツ国民、なかでもドイツ政府が今回のPISAの調査結果に大きなショックを受けていることを物語っている。

 もっとも、ドイツの学校の学力低下が指摘されたのは今回のPISAがはじめてではない。PISA以前に実施されたTIMSS(Third International Mathematics and Science Study、第3回国際数学・理科教育調査)などの国際学力比較調査でもドイツの教育制度の弱点や生徒の学力低下が指摘されてきた。このため連邦政府は、各州政府の教育相(教育行政は州政府の管轄)で構成される「教育フォーラム」を組織し、ドイツの教育制度の改善や学力向上の方策を議論してきた。
 PISAの調査結果は、この一連の「教育フォーラム」会合の最終段階で明らかにされたものであるが、いずれにしても、ドイツの教育制度の改革に一層のモチベーションを与えるものになったことは確かである。

 前述の「教育フォーラム」の最終会合の演説の中でブルマーン連邦教育研究相は、今後のドイツ教育制度の見直しの方向性として、次の3点を挙げている。

  1. 子供の言語能力、読解力をつける教育を出来るだけ早い段階(幼稚園、基礎学校の低学年)で、集中的かつ個別能力に応じて行う(勉強の開始時期が遅くなればなるほど、それを取り戻すのが困難になる)。
  2. 教育を受けることが困難な人を特に支援する(公正の観点からのみならず、有資格専門労働者に対する産業界の需要を満たすためにも重要)。
  3. 教育制度の中に一貫した生涯教育の原則を組み込む。

 さらに、上記「教育フォーラム」は、2001年11月、「教育フォーラムの勧告」と題する240頁以上に及ぶ膨大な報告書を発表した。同報告書の中には、連邦教育研究相が挙げた3点のほか、@教育改革のカギとなる教員の質的改善・待遇改善、A教育への男女平等参加、B将来のための資格の取得(確固たる専門知識の習得)、C新しいメディアの利用、D移民に対する教育の充実、E教育機関の自己責任の拡充と外部評価の活用、など12項目が「勧告」として掲げられている。

 このようにPISAの調査結果を契機として、今後、ドイツの教育制度、教育のあり方をめぐる議論はますます活発になると思われるが、この問題は今年9月の議会選挙でも与党の社会民主党(SPD)・緑の党連立政権とキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)の最大野党グループの間で大きな争点となるに違いない。PISAの調査結果によれば、戦後、社会民主党(SPD)が伝統的に支配してきたノルトライン・ウェストファーレンなどの州で成績が相対的に悪く、CDU/CSUの次期総裁候補に推されているシュトイバー氏(CSU)が州首相を務め、同党が支配を続けるバイエルン州で成績が相対的に良かっただけになおさらである。
 シュトイバー・バイエルン州首相は、PISAの調査結果が明らかにされると早速、各州レベルのPISAの結果に言及し、「SPDは最低の水準で教育を平等にするという方針をとっている」とシュレーダー政権を非難している。


注1)ドイツの教育制度は10歳の時点で「基礎学校」「実技学校」「ギムナジウム」の選択を行う3分岐型学校制度がとられている。義務教育は6歳から始まり9年間(一部の州では10年)続く。6歳になると「基礎学校(小学校)」に入学し、1〜4学年までの4年間(6歳〜10歳)が終わる10歳の時点で、@「基礎学校」(5〜9学年または10学年)にとどまるか、A「実技学校」(5〜10学年)、または、B「ギムナジウム」(5〜14学年の9年制の高等学校)のいずれにかを選択する。上記のうち、「基礎学校」を選んだ生徒は、義務教育終了まで基礎学校で勉強し卒業する。「実技学校」を選んだ生徒は、卒業すると、全日制職業学校である「専門上級学校」に進学できる。一方、「ギムナジウム」を選択した生徒は、10学年を終了した時点で「中等教育終了資格」を得て途中でやめることも出来るが、最終学年まで進んで卒業試験をパスすると大学入学資格である「アビトゥア」取得の道が開かれる。
注2)ドイツの職業教育は、@「企業内職業教育」と「定時制職業学校」の二本建て制度(Dual System)、または、A全日制職業学校(「職業専門学校」「専門上級学校」等)において行われている。二本建て制度は、職業学校が企業と職業訓練契約を結び、企業内で各職業訓練ごとの指針に沿った教育を行うもので、定時制職業学校就学が義務づけられている。二本建て制度による職業教育のうち、企業担当部分は「連邦職業教育法」、学校担当部分は各州の「学校法」で定められている。二本建て制度の職業教育は3年間で、国家試験をもって終了する。通常、「基礎学校」終了後、二本建て制度の職業教育を受けるのが一般的で、その数は同年齢層(16〜19歳)の6割以上を占める。



関連サイト
ドイツ連邦教育研究省