一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2018/10/03 No.403マンダレーからモンユワへ~ITIミャンマー研究会現地出張報告(9)~

藤村学
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
青山学院大学 教授

ミャンマー第2の都市、マンダレーはミャンマー内陸部の物流ハブである。特に、中国との最大の国境貿易ゲートがあるシャン州北部国境の町ムセとマンダレーを結ぶ国道3号線(AH14号線、460キロ)は、中国からの物資(スマホ、日用雑貨品、二輪車、機械部品など)を運ぶミャンマーにとってまさに「大動脈」となっている。マンダレーに集まった物資は、マンダレー地場企業の工業製品と共に国内市場に出回る。その行き先は、国内市場のみならず遠くインド市場まで及ぶ。今回、ITIミャンマー研究会(公財JKA補助事業)では、マンダレーからモンユワ、カレーミョを経由してインド国境のミャンマー側の町、タムーまで約700Kmを陸路移動した。ミャンマー北部の道路、流通、産業事情について、研究会メンバーである藤村学青山学院大学教授に伺った。(聞き手はITI事務局長 大木博巳)

マンダレー工業団地が沿線にある国道1号線は、物流の動脈で貨物トラックが往来しています。

‐マンダレー市街中心地は王宮の南側を東西に広く伸びていますが、物流については南方向に伸びる1号線が最大の動脈となっています。その沿線にはコマツの建設機械サービスセンター、地場農機メーカーGood Brothers、 米系のハレー・ダビッドソンの販売店などを見かけました。

1号線を走行中、ヤマハのオートバイの新車を8台ほど載せたトラックを追い越しました。マンダレーから走っているということは雲南省から輸入されたものだと思います。オートバイはヤンゴン市街では走行禁止なので、最終販売先は地方都市かヤンゴン郊外でしょう。

最近のヤンゴンでは日本の中古車のプレゼンスはかなり小さくなりましたが、マンダレーの街は朝の通勤の足としてトヨタ・ライトエースが活躍し、物資輸送にはいすゞ、日野、日産の中古トラックや中古ダンプカーが活躍しています。

1号線には線路が並行しており、鉄橋がなぜか3本かかっている箇所があります。そのうち2本は単線の一方通行、真ん中の1本はバイク用ですが、バイク用はもう使っていないとのこと。以前は道路よりも鉄道のほうが重要な交通手段だった証拠です。東南アジア全般に、道路網が充実してきたおかげで、こうした古い線路は使用頻度が落ち、リハビリされないまま放置されているのでしょう。

マンダレーからモンユワまで約160kmの道路事情はいかがでしたか

‐この区間は道路の痛みがそれほどなく、交通量もヤンゴン方面よりは少ないので、平均時速53km/hで約3時間でモンユワに着きました。

マンダレー中央駅前の1号線をしばらく南下して、右折し、南北に延びる鉄道を横切り、アマラプラ地域を西方向へ走ります。その後2度線路を横切り、エヤワディ川に架かる新インワ橋を渡り、ザガイン管区に入ります。モンユワも含め、今回走破したカレーミョ、カレーワ、タムーはザガイン管区に属します。

マンダレーからモンユワに向って最初に入る町がアマラプラ、ザガインです。ビルマ最後の王朝コンバウン王朝(1752年 – 1886年)の古都です。

‐ザガインヒルからの眺めは絶景でした。ザガイン市街に点在する寺院や仏塔が夕日に映え、南東方向にはエヤワディ川に架かる新・旧2本のインワ橋(古い橋は英領時代の鉄橋を1954年に修復したもの)もよく見えます。

さらにその奥のアマラプラの中央にタウンタマン(Taungthaman)湖という大きい湖があり(ザガインヒルからは見えませんが)、その中央に架かる全長1.2kmのチーク材で造られたウ・ペイン橋がアマラプラの象徴となっています。6年前の乾期にこの橋を歩いたときは、湖底が現れていて、アヒル飼いや牛の草食みなど、農業風景が見られましたが、今回は冠水してまったく異なる風景でした。

道路沿線で目に付いたことは。

‐いくつかあります。Thaw Tar Win Toll Gateというアマラプラに入る料金所の右手にはMyit Nge Dry Portというドライポートを建設中でした。この地点にドライポートがあるというのは、中国方面からの貨物を対象にしているものと推測されます。

ザガインからモンユワへ向かう片側2車線(うち右側はバイク車線)の幹線道路では、寺院が多いせいか、頻繁に寄付を募るボランティアがお布施の壺を持って路上に並んで壺を鳴らしています。風にあおられて壺から飛んでいく紙幣を拾おうとする人たちは危険です。

郊外に出ると、大型バスよりもミニバスが庶民の足になっているようです。また、ミャンマーの地方道路に共通のことですが、生活道路としても利用されているので、牛車が行く手を塞ぐことが多いです。

マンダレー~モンユワ間ではShwe Than Lwin社が担当するBOTの料金所を少なくとも3回通過しました。路面はさほど悪くないですが、痛み始めている箇所も散見しました。また、路肩がないため、追い越しは危険です。

ミャンマーではBOTの料金所や橋の通行料とは別に、市・町レベルで行政区域が変わるたびに少額(500~1,000チャット、35~75円)の料金徴収が行われており、一時停車の頻度が高いです。

モンユワ工業団地の印象は?

‐入口の看板がミャンマー語のみでわかりにくく、地方政府が数ブロックを工業団地と指定した区域に中小企業が点在する程度という印象です。ただし、JICAが支援するミャンマー日本人材育成センター経由でヒアリングさせていただいた、漢方サプリメント企業の社長は来日経験が豊富で、その外向きの意気込みには感じるものがありました。

モンユワ市街から遠方に見える山肌が赤茶げた禿山が、周囲の風景とそぐわず異様でした。

‐チンドウィン川の対岸側で中国企業が採掘しているレパダウン銅鉱山です。チンドウィン市街中心部から約8km地点に架かるチンドウィン橋を西へ渡り、カレーミョ・カレーワ方面への分岐点を過ぎて10kmほどで鉱山のふもとに着きます。途中の右手に地元民による露天掘りの箇所もあります。

トム・ミラー著『中国の一帯一路構想の真相』(2018年5月刊)によると、この銅山を採掘しているのは、11億ドル規模の投資をしている中国兵器工業集団(国有兵器メーカー、通称ノリンコ)の子会社ということです。

2012年に活動家と僧侶が数か月間この鉱山を占拠するという抗議行動が起こりましたが、当局に鎮圧されたということです。地元案内の人たちによれば、このような鉱山が33箇所もあったのが、どんどん掘り崩され、今見えるのは残った数少ないうちの1つだそうです。

2011年に当時の軍事政権が中国企業と20年のコンセッション契約を結んだといいますから、地元民の抗議にもかかわらず、新政権も国際契約を簡単に反故にすることはできず、ずっと採掘が続いているという話です。

モンユワでは日本のディーゼル列車が現役でした。

‐モンユワ市街中心部にあるモンユワ駅から南北に伸びる鉄道では1両列車が走っていました。行き先を「飛騨金山」と書いた旧国鉄のおさがりです。ミャンマーでは日本製の骨董品のような中古バスやトラックを見慣れましたが、こんな列車も現役で再利用をされているのかと感心します。

モンユワ市街から南東15~20kmのところに巨大仏像があるとのことですが。

‐小高い丘に建立されたシュエターリャウンという寝釈迦(111m、マンダレー郊外のウィンセントーヤで見た寝釈迦に次ぐ2番目の大きさ)とその後ろにそびえ立つレーチョン・サチャー・ムニという立像(台座を入れると129.2m、鎌倉大仏(11.5m,台座を含めると13.3m)の約10倍、内部に28階分の階段ありです。その少し離れたところには、そのサイズを計り知れない巨大な座像を建設中です。さらに、寝釈迦の手前には、やはり巨大な「仰向け仏像」(世界初?)を建設中です。まるで巨大仏像のテーマパークです。西日を浴びて燦然と輝く立像は圧巻でした。

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