一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2018/11/27 No.410インド国境の町、タムーの近景~ITIミャンマー研究会現地出張報告(13)~

藤村学
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
青山学院大学 教授

カレーミョからタムーまで約130km、途中、無数の簡易橋を渡る。タイのメーソットから出発したミャンマー南北縦断は、ここタムーが終着点となる。インドとの国境貿易も、それほど活発ではない。道路がもたらす生産ネットワークの広がりがここまで到達するには、あとどのくらいかかるのか、見通しがつかないのが現状であろう。(聞き手大木博巳ITI事務局長)

カレーミョからタムーまでの道のりは、アラカン山脈を源流とする東へ流れ出る無数の小川をきわめて頻繁に横切って行かなければならないとのことですが…

カレーミョ中心部から10分ほど幹線道路を東へ走って左折し、カレーワ方向へ2~3km走った後、Neyinzaya川(Myitthar川の支流)を渡ってすぐ左折します。これがカレーミョ市街からタムー方向への多少の近道となります。カレーワからタムー方向への幹線道路(インドの援助で建設された「インド・ミャンマー友好道路」)に合流し、北上します。

合流地点からタムーまでの路面の舗装状況は補修のため穴をふさいだ跡が多いですが、路面は比較的良好です。しかし、この区間の問題は、アラカン山脈を源流として東へ流れ出る無数の小川がきわめて頻繁に横切っており、そのたびに片側通行の簡易橋を渡るためにスピードを5km/h程度に落とす必要があります。

大型トラックや路線バスともすれ違いましたが、これらの大型車はいくつかの小さい橋では重量制限をオーバーしていると思います。どこか1か所でも座礁事故が起こると交通は遮断されるでしょう。全般に交通量は少なく、この無数と思える簡易橋と、ときどき立ちふさがる牛の群れに邪魔される以外では50~60km/hで走行できます。

「インド-ミャンマー友好道路」は2001年に建設されています。

タムー国境からカレーミョを経由してカレーワに至る、約160kmの道路区間はインドの援助によって2001年2月に建設されたもので、カレーワの町の中心地に記念碑があります。インドとしては、ここからミャンマーを経由し、正確なルートはわかりませんが、タイのチェンマイからバンコクへ至る国道1号線を含むルートを「3国間ハイウェイ」と名付けているようですが、最近の文献では言及をほとんど見ません。

資金力の差を反映しているのかもしれませんが、中国の「一帯一路」構想に比べ、インドのメコン地域への経済協力は慎ましいと言えます。この友好道路も建設から年月が経ったせいでしょうか、カレーミョ~カレーワの区間は交通量が多いため、傷んだ箇所が多く、補修が追いついていない印象でした。

カレーミョに電力を供給するダムがあるとのことですが。

カレーミョから北約60kmの地点にヤザジョー(Yazagyo)ダムがあります。幹線道路から西へそれて5分ほど舗装のよくないアクセス道路を5分ほど走ると、ダム湖に到着します。Manipura川という川を堰き止めてつくったものです。見たところ東京の多摩湖の3分の1から4分の1程度でしょうか。雨期で水量が大きいためか、堰から流す水の勢いが激しかったです。幹線道路沿いに見えた送電線はここで発電された電気をカレーミョやカレーワ方面に送っているものだと思います。

国境町のタムーの人口は1万人程度、市内でインド人を見かけましたか。

カレーミョから実質走行時間2時間半ほどでタムーの中心地に到着します。町の信号は国境方面とメインストリートの分岐点に1つだけしかなく、メインストリートはせいぜい300mと小さい町です。人口は1万人を切るようです。町のマーケットは地元の人たち用の商品が中心で、中国製とタイ製の日用品、ミャンマー製の衣料品などが混じっています。

海賊版と思われるタイ語ラベルのDVDも売っていました。奥のほうに生鮮品売り場があり、大きな川魚をさばいているところを見ました。明らかにそれとわかるインド人商人らしき姿は見かけませんでした。

当初タムーに宿泊する計画でしたが、運転手に町を一周してもらいましたが、ゲストハウスが2件しかなく、どちらも気が滅入りそうな感じだったので、計画を変更し、カレーミョに日帰りで戻ることにしました。国境町にビジネス用の宿泊施設が2件しかないということは、インド人商人がミャンマー側に入ってきて商談をするような需要はないということだと推測します。

越境貨物トラックの動きはいかがでしたか。

タムー中心地から幹線道路をさらに3kmほど北へ走るとその先に車両専用ゲートがあります。インド側(マニプール州)の治安が悪いとされているせいか、運転手がゲートに近づきたがらず、150mほど手前から観察するのにとどめました。短い国境橋の向こうに「Welcome to India, Obey traffic rules」と書いたサインが見えます。中立地帯はほとんどないようだ。越境貨物トラックの往来はまばらでした。

国境マーケットで売られている商品は中国製品ですか。

貨物専用の国境ゲートから約500m手前を北東方向へ右折して約2km走った突き当りを左折すると、その先が歩行者専用の国境ゲートになっています。ゲート手前の150~200mの左右がNanphalonという名前の国境マーケットになっています。マーケットはそれほど大きくないですが、人口の少ないラオスやカンボジアの山岳国境などと比べれば、人の往来は多い印象でした。

そこで売られている商品は、衣料品以外は、電気・電子製品(見た目は低中級品)、玩具など、圧倒的に中国からの輸入品が多かったです。中国産リンゴも大量に売られていました。インド人が中国の商品をミャンマー国境に買い物に来ているという構図です。ムセからマンダレーを経由して運ばれたものや海路経由でヤンゴンから運ばれたものもあるでしょうが、雲南省からカチン州の山岳地帯の道なき道を運んでカレーミョに着き、そしてタムーへ運ばれている商品もあるでしょう。

国境マーケットに立地する商店群のオーナーは、インド系ミャンマー人とインド人の見分けは外国人にはわかりにくいものの、大半がミャンマー人のようでした。この国境の人流と物流は、ミャンマー人とミャンマーで調達された商品がインドへ流れるという方向が主流のようです。2016年末の高額ルピー紙幣廃止のインパクトがこの辺境を襲い、インド人の往来がめっきり減ったという非公式情報もあります。

国境ゲートでは緊張感が走っていたとのことですが

国境ゲートの出入国管理施設(簡素な小屋のよう)の写真を撮ろうとすると運転手に「やめておけ」というジェスチャーで制止されました。インド側での少数民族紛争をミャンマー側では過敏に意識しているようで、外国人が国境施設でいろいろ詮索するのを嫌っているようです。ゲートの向こうを覗くと、ほんの20m先にインド側のゲートが見えました。こちらも中立地帯はほとんどないようです。

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