フラッシュ53
2003年12月26日

EU委員長とEU議長国(伊首相)との水と油の6ヵ月

(財)国際貿易投資研究所
   欧州研究会委員
(元北海学園北見大学教授)
長手 喜典


はじめに

  いまから半年前、フランスのル・モンド紙は、 2003年7月から12月までEU(欧州連合)議長国をまかされたイタリア・ベルルスコーニ首相に関して 「これから大変困難な6ヵ月が始まる」と彼とプローディ欧州連合委員長との間を懸念するコメントを掲載した。
  地元のイタリアのメディアももちろんのこと、両者の関係を大々的に報じた。 すなわち、イタリアの現ベルルスコーニ内閣に先んじたプローディ政権以来の両者の対立が、欧州連合というヨーロッパワイドの舞台で、 今度はEUを引っ張る車の両輪である委員長と議長という立場で、一層きしみあうのは必至との見方が有力だった。
  EUの現プローディ委員長は、もともとイタリア、ボローニャ大学の経済学部教授であり、それ故、 いまもマスコミでは「プロフェッソーレ」の愛称で親しまれ、温顔で得をしている。 一方、ベルルスコーニ首相は2001年5月の総選挙において、プローディ率いるオリーブの木(中道左派連合)に対し、 自由の家(中道右派連合)に右翼勢力を結集して、これを打ち破り首相の座を奪回した。
  彼はプローディに比べ、もともとビジネス界で頭角を現し、 近年はメディアの帝王といわれるほどにイタリア・マスコミ界で支配的な力を持っており、 その強もてする風貌から「カバリエーレ」(騎士の意、またカバリエーレ勲章の受章者を指す)と呼ばれている。 このようにイタリアでは、普通名詞を特定の個人を指す固有名詞に使うことが多い。

プロフェッソーレとカバリエーレ対立の軌跡

  ベルルスコーニ首相のEU議長国期間にほぼ相当する最近6ヵ月間の両者の対立を時系列的に並べてみると、 現地紙の報道のうち主なものだけ拾っても、次のようになる。以下、発言者名はベ議長、プ委員長と略称する。

  • 2003.5.5 SME(旧IRI傘下の国営食品企業)に関する汚職事件(注)の法廷で、ベ議長〜「当時のクラクシ社会党書記長は、 キリスト教民主党左派に企業側から賄賂が送られた」と証言した(プローディは当時IRI総裁であった)。
    (注)旧キリスト教民主党左派系に属するプローディIRI(産業復興公社)総裁は、民営化を進めるにあたり、傘下SMEの民間への売却に際し、 相手側から賄賂を受け取り、国営企業の食品部門を安く譲渡したとの疑いで、競争企業から訴えられた。 その背景には、SMEの買収を意図していたベルルスコーニが、競争相手のデ・ベネデッティに破れたという経緯がある。
  • 2003.5.6 ラジオ・バチカンを通じ、プ委員長〜「SME訴訟について、私は無理矢理事件に引っ張り込まれたが、 規則に従って、しかるべく手続きを踏んで行くだけ」
  • 2003.5.7 プ委員長〜「テレコム・セルビア(セルビア電信電話公社)事件で、 フォルツア・イタリア(党首はベルルスコーニ)が最重要視しているイゴール・マリーニの暴露(注)が、 もし本当のことなら、私はジェノヴァの売春婦殺しの犯人としても法廷に召喚されねばなるまい」
    (注)ミロセビッチ政権下のセルビヤ電信電話公社の株式購入に際し、プローディが汚職に手を染めたとする関係者の発言を、 ベルルスコーニが支持したことに対して、プローディは、ありうべからざる例証として、当時、 世間を騒がせていた売春婦殺害事件を引き合いに出したもの。
  • 2003.5.9 イタリア国営放送RAI“2”のニュース番組Excaliburで、ベ議長〜「私は本件に関与した主人公(プローディを指す)を喚問せずに、SMEの不当売却問題について語ることはできない」
  • 2003.5.10 上記発言への反論として、プ委員長〜「政府のトップの座にある者が、自分の個人的な目的を果たすために、 わが国では前代未聞のやり方(注)で、あらゆるテレビを私物化しているのは許せない。本当に義憤を感じる」
    (注)イタリアでは、国営のRAI“1”および2の他、4つの民放テレビがあるが、うち、Rete4,Canale5, Italia1の3社をベルルスコーニのメディアセット社が独占している。なお、去る12月2日、 イタリア上院で可決されたガスパッリ法(通信大臣の名をとって)、すなわち、メディアの寡占を禁止する現行法を緩和する 「テレビ・ラジオ制度再均衡法案」が、議会を通過したことにより、今後、ベルルスコーニは安んじて、 関連事業でますます電波上の支配権を拡大する素地が出来た。
  • 2003.7.2 欧州議会においてシュルツ、ドイツ欧州議会議員に向かって、 ベ議長〜「あなたはイタリアで制作中のナチス・ドイツの映画に牢獄の看守役で出演するのに向いている」と発言。 これに対しプローディ委員長は直接コメントはしなかったが、ユーロビジョンのテレビカメラの前で、困惑し、 がっくりした彼の様子が写し出された。本件は独伊の間に険悪な空気を醸成したが、これを緩和するために、毎夏、 イタリアのベローナ市で開催されるArena di Verona(古代劇場跡で行われる野外オペラ)に独シュレーダー首相を招き、 ベルルスコーニ首相、プローディ委員長の三者で会合することになっていたが、主催者はこれをドタキャンしてしまった。
  • 2003.8.22 アレーナで、プ委員長〜「彼はもう来ないと決まってしまったが、ドイツ首相はもとより私にとっても、 はなはだ遺憾なことだ・・・・・」
  • 2003.9.4 度々蒸し返されるテレコム・セルビア事件(前記)に関し、 プローディ委員長〜「いつも私の周りに問題をつきまとわせている。イタリアでは、インフォメーションの多すぎることが、 事実を見失わせ、何が真実かを分からなくしている」
  • 2003.9.11 英国の日刊紙“Spectator”に対して、ベ議長〜「ムッソリーニは誰一人殺さなかった」と発言。
  • 2003.9.12 プローディ委員長〜「ムッソリーニがそうなら、続いてスターリンも復権することになるのだろう」
  • 2003.10.4. ローマで開催されたEU政府間会議で、ベルルスコーニ議長は、 まず、プローディ委員長の挨拶からスタートすることを忘れ(?)、尊敬の印にスピーチの順番を最後にしたと述べた。 これに対し、プロフェッソーレのスタッフ一同、激怒したことは言うまでもない。
  • 2003.10.8 プローディとベルルスコーニが欧州ミッションとして、ウクライナのヤルタを訪問したとき、 ベ議長〜「ウクライナは遅かれ、早かれ、欧州連合に加盟することになるだろう」と発言。 プローディ委員長〜「ウクライナは欧州連合を取り巻く友好国の一環としての役割を果たしてくれるに違いない」と勇み足発言を修正した。
  • 2003.1018 ブラッセルにおける欧州評議会後の記者会見で、 ベ議長〜「復活したマルクスは、テレビに出てこう言う、”世界のプロレタリアート諸君よ、私を許したまえ!”と」 プ委員長〜「カール・マルクスどころではない。ここはフロイトの出番だ」(注)
    (注)前後の関係は不明であるが、プローディがベルルスコーニの非常識な発言に対し、 精神分析医が必要では?と痛烈な皮肉を飛ばしたと思われる。
  • 2003.11.6 欧州連合とロシア、プーチン大統領との首脳会談の後で、 ベ議長〜「チェチェンに対するロシアの民主主義を、私が保証できます」すかさず、 プ委員長〜「彼が自国イタリアの情勢より、ロシアの情勢について、より詳しく知っていることを望みます。 (筆者には両手を広げ、首をすくめるプローディの様子が目に浮かぶ)
  • 2003.11.7 ロシアと欧州連合との間の問題にもう一度触れ、 プ委員長〜「欧州のチェチェン問題に対する態度に変化はございません」と念を押した。

以上、主としてローマの左派系日刊紙、ラ・レップブリカ記事をもとに紹介。

  このように両者の対立が先鋭化する背景には、 明年に控える欧州議会選挙にプローディは現野党の「オリーブの木」を中心に立候補者をまとめて、欧州議会に送り込むべく、 いわゆるマニフェスト(注)を与党に提示しており、これに対して「自由の家」に依るベルルスコーニは、 そうはさせじと真っ向から対決する状況がある。
(注)元々は“掲示”とか“声明”を意味するイタリア語であるが、日本では前回選挙から、周知の通り、 「具体的な公約」の意味に使われている。イタリアでは「プログランマ」という言葉がそれに当たる。

微妙に絡み合うイタリア国政と欧州連合

  度々問題をはらみ、その前途を懸念されながらも、ベルルスコーニ首相は、この12月で議長国を終わり、 明年はイタリア国政選挙の年を迎える。4月15日から6月15日までの2ヵ月間のいずれか2日を選挙日とするのが順当な日程であるが、 6月に委員長職が満了するプローディ、そして、5年ごとの欧州議会議員選挙が、同じく6月中旬に行われるので、 現在、イタリアの政局はこの3要素をにらみながら、綱引き状況が続いている。

  そんな中、11月27日付、L’espresso誌は興味深いアンケート結果を掲載している(別表参照)。

  すなわち、IPRマーケティング社を使って、4万人の有権者を対象に、性別、年齢、地域のバラツキを勘案し、 次のような質問を設定して、電話によるインタビュー調査を行い、94%の高回収率を上げた。

設問:「もし明日、首相を選ぶ選挙があるとしたら、あなたは中道左派のプローディか? 中道右派のベルルスコーニか?  どちらを選びますか?」(実施日:2003年10月5〜25日)

別表 リーダー対リーダーがいま戦えば
  プローディ   ベルルスコーニ
北東部州   リグリア 65   35
ロンバルディア 53   47
ピエモンテ 60   40
ヴァッレ・ダオスタ 53   47
北西部州 エミリア・ロマーニャ 64   36
フリウリ・ベネツィア・ジューリア 55   45
トレンティーノ・アルト・アディジェ 64   36
ベネト 51 49
中部州 ラツイオ 52 48
マルケ 55   45
トスカーナ 65   35
ウンブリア 62   38
南部州 アブルッツオ 52 48
バシリカータ 60   40
カラーブリア 56   44
カンパーニャ 55   45
モリーゼ 54   48
プーリア 48 −−−−− 52
島嶼部 サルデーニャ 59   41
シチリア 52 48
(注)−−−印は唯一ベルルスコーニ勝利州、〜マークは接近州

  結果はきわめて明瞭で、ベルルスコーニは南部プーリア州(出身州ではない)でのみ48対52で、 かろうじてプローディを破ったが、その他すべての州で敗北した。善戦したのは〜マークの4州を別にすれば、 出身のロンバルディア州とベネト州位のものである。
  一方、プローディは欧州連合委員長としてのネームバリューをきかせて、地元、エミリア・ロマーニャ州はもとより、 リグリア、トレンティーノ・アルトアディジェ、トスカーナの各州で圧倒的な強味を見せた。 しかし、最近の彼は欧州議会選挙のマニフェスト作りで、Lista Unica(統一リスト)を目指しており、 欧州議会政党のうち社会党系と自由党系に分かれる「オリーブの木」内の諸派の動きをまとめるため、 ブラッセルからの遠隔操作で苦労している。また、プローディ自身が委員長満了の後(途中、退任は考えずらい)、 果たして、オリーブの木を率いてベルルスコーニと一騎打ちとなるのかどうかイタリア紙誌はまだなにも伝えていない。
  いずれにせよ、2004年上半期はEU憲法問題でプローディ最後の手腕が試されそうだし、かたや、 こんな状況のままでは選挙戦を戦えないベルルスコーニは、国政選挙日の設定に神経を使っている。 できれば秋までずらしたいとの考えも見え隠れするが、口実が見付からない。 とりあえずは、プローディに有利な委員長在任中の選挙は避けたいようだ。
  これまでは議長国としての重責を果たすため、内政は二の次の構えを示してきたベルルスコーニも明年は捲土重来、 国政面での不人気挽回に注力することになろう。