一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2004/06/08 No.64レーガンが夢見た「丘の上の輝く町」

佐々木高成
(財)国際貿易投資研究所 研究主幹

  レーガン元大統領(在任 1981 - 1989 年)が 6 月 5 日に亡くなってから日米のマスコミはここしばらくの間、レーガンの残したものについて過去を振り返り、現時点での評価を試みるであろう。私はその試みに参加するつもりはないが、米国の報道を追っていて印象に残った情報があった。一つは「魅力ある謎の大統領として記憶にとどめられるレーガン」というタイトルのロイター電である。レーガンが党派を問わず米国民から好感を持たれていたことは周知の事実だが「謎の大統領として人々に記憶されるだろう」とは、どういう意味だろうか。記事にはレーガンが「実際に政権の実権を握っていたのか、それとも単なる傀儡だったのか、老練な政治家なのか裏で操られているだけのパフォーマンス人間だったのか、これが米国政治史の一大ミステリーだ」とあった。

  レーガンは日本でも最初のころはカリフォルニア州知事の経験はあるものの映画俳優あがりと軽んじる雰囲気があったが、時間が立つに連れ米国での人気は党派を超えて高まった。しかし、日本人の私にはなぜ米国でそのように人気があるのかどうも理解できないところがあり不思議だった。ケネディーのような理想主義的なイメージではないし若さもない。それどころか大統領就任当時 69 歳と史上最高齢で、「激務を無事まっとうできるのか心配だからまさかの時の大統領継承順位を確認しておいた方がいい」という不埒な発言もよく聞かれた。最初のころは政策に具体性がないのではという疑念もかすめた。だからこの記事のように見ている人間も米国にいるのか、というのが私の正直な印象であった。

  当時から権限委譲型の大統領だと言われたが、そういえばレーガンは不可解なところが多かったと頷ける。例えば、レーガンはジェリービーンズが好物だったが、閣議の最中にも大きなジェリービーンズの容器を持ち込んではむしゃむしゃ食べている。はては長官連中にも勧めた(強要した)と言われる。また、閣議ではしばしば目を閉じて瞑想していた(居眠りしていた)というイージーゴーイング振りであった。ニクソンと比べるのは極端かもしれないが、キッシンジャーとニクソンとのやり取りを記録した当時の文書を読むと訪中準備を巡って中国に派遣する人物を選ぶのに「ブッシュ(父)は浅薄で弱いから駄目だ」とか、「ヘーグがいいのじゃないか」とか細かく人物評を交えて詰めている(この人物評がまた傑作なのだが)。ニクソンに比べ何と言う大らかさなのかと感じる一方、レーガン自身には政策があったのか疑問に思うこともある。本当はどうだったのか、将来公開される文書を読んで見たいものである。

  レーガンは通商問題に関しては大統領になる前の 1979 年ごろから北米貿易協定を主張しているが、これは 1994 年に発効した北米自由貿易協定( NAFTA )の魁とも言うべきものである。なぜレーガンが NAFTA のような構想をもっていたのか、冷戦的発想がベースにあったのか、経済に必ずしも強いとはいえなかったレーガンの意図が謎である。日本との通商関係では必ずしも平穏な関係の時代ではなかった。 1981 年には対米自動車輸出自主規制を受け入れることになったし、 1885 年には 74 年通商法 301 条の活用による「目には目を」の「新通商政策」を打ち出し、日本に対しては数値目標、結果主義のクリントン政権にも劣らない強硬な通商姿勢だった。そうせざるを得ない米国内の保護主義、相互主義の高まりがあったとも言える。米国が日本の挑戦に対して立ち上がり競争力回復を真剣に考えたのもレーガンの時代である。米国の競争力増強策を提言したヤングレポートは 1985 年だった。日本の第 5 世代コンピュータに対抗するための国防総省のプロジェクトも立ち上げられた。この時代は日本がまるで経済面での「悪の帝国」のようにみえたに違いない。このときの日本のイメージはクリントン政権になっても続き、今だに「リビジョニスト」の亡霊が消えずに残っている。

  週末に目を通したレーガン関連の記事の中でもう一つ目を引いたのはレーガンがしばしば米国を a shining city on a hill と喩えていたという事実である。レーガンがイメージした米国の理想像とは何だったのか。この言葉は日本的な表現でいえば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が意味するものと似ているようでもある。米国が発展に向かって勢いのあったころを喩えているのか。私にはレーガンの生い立ちと深く係わっていると思っている。レーガンはいわばアメリカの「おしん」ではないだろうか。生まれはアメリカのハートランドと称される中西部の小さな田舎町である。あの「大草原の小さな家」インガルス一家が居を構えたところにも近い。最近の米大統領は皆高学歴である。有名大学や大学院を卒業していないのはジョンソンとレーガンぐらいだ。父親がアルコール中毒だったという決して恵まれない境遇の中、独力で米国の夢を実現したレーガンが描いた米国の理想郷がこの言葉にあらわれていて、深く人の心を打つ。米国人がレーガンを好きなのはこの辺に理由があるのかも知れない。

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