フラッシュ65
2004年6月10日
 

ピョンヤン(平壌)にゲーテ・インスティテュート開設
〜ドイツ経済・技術文献等を4,000種類以上完備〜

 
(財)国際貿易投資研究所
研究主幹
田中 信世
 

  6月2日、北朝鮮のピョンヤン(以下平壌)市内の中心部にドイツのゲーテ・インスティテュート(Goethe-Institut)が開設された。

  ゲーテ・インスティテュートは、日本ではどちらかというとドイツ語の語学学校というイメージが強いが、第二次世界大戦後の1951年に非政府機関の独立公益法人として設立され、ドイツ最大の国際文化交流機関として、(1)ドイツ語普及教育、(2)文化交流、(3)情報提供の3分野を中心に、ドイツ国内と国外で積極的な文化交流活動を行っている組織である。国内事業は語学教育の受講料を中心とした独立採算制で運営されており、国外事業は政府の財政援助を受けている。ミュンヘンとボンのゲーテ・インスティテュートが共同で本部機能を果たしており、ドイツ国内にはこのミュンヘン、ボン校のほか、フライブルク、ムルナウ、シュベービッシュハル、ローテンブルク*など南ドイツを中心に16校、国外には世界各地に127校(日本には東京・大阪・京都・関西校)の語学学校が設立されている。このほか、世界に56ヵ所の資料センター、50ヵ所以上のゲーテ・センターおよびドイツ文化協会が設立されている。

  ドイツの経済紙ハンデルトブラット(2004年6月2日付)の報道などによると、今回設立されたゲーテ・インスティテュートは正式には「平壌のゲーテ・インフォメーションセンターにおけるドイツ経済・技術文献仲介所」(以下資料センター)と呼ばれ、約1,300平米の敷地に4,000種類以上の文献・資料を閲覧できるようにしたものである。閲覧資料には技術書や社会科学関連の文献とならんで、ドイツ文化、ドイツ社会、現代問題、法律、教育関連の資料も用意されており、その中には、ドイツの代表的な政治・経済関連の週刊誌Der Spiegelや大衆誌Sternなどの雑誌をはじめ、婦人雑誌、住宅関連雑誌なども用意されているという。また、同紙によれば、ドイツ側関係者は閲覧対象資料の数を2年以内に現在の2倍に増やしたい意向であるという。

  ドイツと北朝鮮が国交を樹立したのは、2001年3月1日である。国交樹立後、ゲーテ・インスティテュートは、北朝鮮・ドイツ友好協会との間で、平壌の中心部にあるチョリマ文化ハウス内に共同で資料閲覧所を設立する交渉を進めてきた。そして交渉の結果、北朝鮮側が、1)閲覧文献・資料の検閲を行わないこと、2)希望する市民は誰でも自由に文献・資料にアクセスできること、の2点を受け入れたため、今回の開設の運びとなったものである。

  平壌のゲーテ・インスティテュート資料センターの開設は、予想外に早く交渉がまとまったとドイツ側では受け止められているが、 資料センターが早期開設にこぎつけた背景には、国交樹立後に韓国ソウルのゲーテ・インスティテュートのイニシアティブの下で、北朝鮮とドイツの間で実施されてきた20に及ぶ共同・交換プロジェクトも良い影響を与えたという事情もあったようだ。例えば、このプロジェクトの一環としてDAAD(ドイツ学術交流協会;Deutscher Akademischer Austauschdienst )から派遣された女性講師が北朝鮮でドイツ語の講義を行っており、北朝鮮の医師や音楽家に対する奨学金給付なども行われている。さらに今年5月には平壌のIsang Yunアンサンブルによるドイツ5都市での巡回演奏も行われたという。

  今回の平壌でのゲーテ・インスティテュート資料センターの開設をドイツ側関係者は、「文化政策上の大きな成功」と評価しており、この成果がきっかけとなって今後の北朝鮮の門戸開放が進むことに大きな期待を寄せている。しかし、この資料センターがドイツ文化の紹介という初期の目的を達成し、 北朝鮮の更なる門戸開放を促すきっかけになるかどうかは、ドイツ側関係者も懸念しているように、北朝鮮側が、開設に当たって約束した検閲なし、自由アクセスという2つの条件を本当に守るのかどうかにかかっているといえよう。

  私事にわたって恐縮だが、筆者は若いころ(1965〜66年)、語学研修生としてドイツに派遣され、ローテンブルクとパッサウのゲーテ・インスティテュートでドイツ語を学んだことがある。現在はどういうシステムになっているのかわからないが、筆者が通っていたころのゲーテ・インスティテュートでの生活は、朝は校舎内の広間でブロートヒェン(Broetchen)と呼ばれる丸いパンとバター、ジャムだけの簡単な朝食をとる。午前中一杯はドイツ語の授業、昼は学校指定のガストシュテーテ(Gaststaette)と呼ばれるレストランでいくつかのグループに分かれて先生とともに昼食をとる。そして昼食後は下宿(学校のあっ旋)に帰っていっぱい出された宿題に取り組むという毎日であった。ローテンブルクでドイツ語を習い始めたばかりのころ、新芽がようやく硬いつぼみを膨らませはじめた初春の道をゲーテ・インスティテュートのドイツ人の先生と歩いていて、先生に新芽のつぼみを指さして“Der Fruehling kommt”(春がきますね)と言ってみた。先生の答えは“aber langsam !”(しかし、ゆっくりとだね)であった。他愛ないことながら、これが筆者のドイツ語会話事始であった。

  今回開設された平壌 の資料センターには現時点では語学学校は併設されていないように見えるが、いつの日か、北朝鮮の若者とドイツ人の先生との間で上記のような会話が交わされる日がくるのであろうか。そのような日ができるだけ早くくることを筆者は切に願っている。


*正式名称はローテンブルク・オップ・デア・タウバー(Rothenburg o.d.T)。タウバー川(マイン川の支流)を見下ろす場所に位置するローテンブルクの意。バイエルン州のロマンティック街道沿いにあり、中世の城壁を残す観光都市として有名。

(注)本稿の執筆に当たっては、ゲーテ・インスティテュートのホームぺージ(http://www.goethe.de )、ハンデルスブラット紙(2004年6月2日付)などを参考にした。