一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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2004/11/26 No.73カナダのソフトパワーとは

佐々木高成
(財)国際貿易投資研究所 研究主幹

カナダのソフトパワーといっても米国あるいは世界で活躍するミュージシャンやアニメ等のいわゆるコンテンツのことではない。日本ではソフトパワーと言う時、その中身が産業としてのコンテンツに矮小化されているきらいがある。カナダ自身、ソフトパワーという言葉は使わないがカナダの経済社会のあり方を見ると「ソフトパワー」とでもいうべき力に強い印象を受ける。カナダのソフトパワーとは社会、経済の新たな問題、課題に対して取り組むカナダの姿勢、知的力量のことである。

経済統合の中で培われた生き残りの知恵

一例を挙げよう。カナダが米国という巨大で強力な産業・技術のパワーハウスと競争する中で経済統合を進めてきた歴史の中で経験と知識を蓄えていること自体が大きなソフトパワーである。

今、東アジアでは中国を中心に輸出用家具から自動車、電気、電子、ソフト開発にいたるまで次々に新たな産業集積地が形成され発展している。これは日本における産業集積の将来を考えるうえで課題をもつきつける。例えば、中国等は比較的標準化した製品等で優位性を持つ一方、日本は高度な付加価値の高い製品の生産や研究・開発に特化するような棲み分けが将来目指すべき方向性として提唱されているが、本当に研究開発などの機能が日本に残ることになるのか、あるいは残すためには何が必要なのか。中国では北京、上海、広州など巨大な産業集積をもった大都市が多数あるが、東京や大阪、名古屋といった日本の都市は将来、中国の巨大都市群の経済的吸引力によって周辺化(マージナライズ)され、経済的活力を失うことになるのではないか、そうならないためにはどのようなことが必要なのか等々の課題が挙げられよう。

産業集積地が勃興する東アジアの経済地理の姿を空間経済学の研究者藤田は米国に喩える。なぜなら、端から端まで飛行機で6時間程度の距離という地域の物理的スペースが似ているということもさることながら、(1)それぞれ特徴をもち核となる多数の都市が地域内に広く分布していること、(2)産業発展が東から始まり西方へと伝播していったこと、(3)当初の工業地帯である東部では産業が一旦衰退したもののシリコンバレー等の西海岸地域とともに再び知識経済の一方の中心地としての地位を確保していること、など東アジアの産業地図を考えるうえで参考となる特徴を持つからである。

しかし、東アジアとの比較対照ということであれば、私はむしろ米国ではなくカナダを含んだ北米全体こそが比較する対象として相応しいのではないかと思う。カナダ経済はともすれば米国経済に吸引され地理的にもマージナライズされがちであるにもかかわらず、カナダ国内で東西間の経済的結びつきを緊密化するために政府は努力し、各都市における産業基盤を維持している。また、米国からの製造業投資による分工場としての存在にとどまらず、バイオ産業やIT産業の発展にみるように国際的にも優れた知識経済基盤をもつ国として認知されている。北米におけるカナダ経済はいわば欧州における北欧経済に喩えることもできるだろう。カナダは自国の社会、経済上の競争力や地位が世界的にどのようなものか、ということに常に敏感である。特に米国との比較や競争はカナダ人の念頭から離れないといっても過言ではない。1960年代、カナダが米加自動車協定の締結を米国に持ち出したのもカナダ自動車産業の生産性が米国に劣ることを認識し、米国に対する競争力をどのようにすれば維持できるのかという問題意識から出発している。いまでもこの問題意識は強い。カナダには連邦政府の中で政策研究を強化するために設置された機関として「政策研究イニシアチブ」がある。この機関のサイトをみるとカナダ政府が重要と考えている政策テーマが何なのか最初に示されている。そこでカナダ政府が掲げている5大政策テーマの一つが「北米リンケージ」である。具体的にはNAFTAを超えて米国との経済統合を進めるべきか、北米経済統合が進展するとカナダ経済にどのような影響が及ぶのか、等のテーマにそった政策研究が進められており、経済統合に関する膨大な知識の蓄積とともに今後統合を考える上で何を課題として研究していこうとしているのか、等が示されている。

日本にも有益なカナダの産業クラスター政策モデル

カナダの経済統合に対する問題意識は切実な危機意識が元になっている。経済統合が進めば国際分業が進展する結果カナダには鉱業や林業関連などの資源集約型産業しか残らず、多くの産業が米国に吸収されて空洞化するのではないか、よしんばそうならなくても研究開発拠点などスマイルカーブの高付加価値部分が米国に流出してしまい、カナダは低開発型の経済になってしまうのではないか、米国の有力産業クラスターに伍していけるクラスターはカナダで存立することが可能なのか、などの懸念が問題意識の出発点となっている。こうした懸念を検証した上でカナダ知識ベースの経済構築、技術革新戦略を打ち出しているが、クラスター育成策にしても巨大な市場や豊富な研究資金・人材に恵まれているわけでもなく、多様な専門サービスや「暗黙知」の集積がある大都市の数が米国と比べて圧倒的に少ない、等のハンディキャップを超えていかなければならない。むしろここが日本にとって参考となるのである。

カナダ政府は「エクセレンスの達成」と題する知識経済構築戦略の目標に少なくとも10の有力産業クラスターを発展させることを挙げているが、そのために地域を重視するアプローチが大事だと説く。具体的にはこれまで得られた教訓と政策上の示唆として、(1)地元産業リーダーを見つけ出し関与させる、(2)当該コミュニティーが何らかの関与を行った研究を商業化すること、(3)今既にある強みをベースとすること、等を挙げている。(詳しくは季刊国際貿易と投資No.58「知識経済構築におけるカナダの課題―経済統合がR&D立地に及ぼす影響」を参照されたい)

日本での産業クラスター育成について、大学と産業との連携に関する人材や経験の浅さがよく指摘される。また知識経済基盤が東京に集中している一極集中型の構造となっていることが生産性や効率でマイナスとなること等を指摘する人もいる。カナダでもトロントなどごく少数の大都市に経済活動が集中する傾向がある。カナダはこれを所与としたうえで中規模以下の都市におけるコミュニティーベースの産業クラスター育成にも関心を払っている。この点でも米国よりカナダでの事例が参考になるのではないかと思われる。

別の意味で興味深いのは、こうした政策研究がカナダ人のみで行われているわけではなく、かなりの研究が米国の大学教授などの研究者に委託されていることである。これはカナダだけでは多岐にわたる分野で十分な数の研究者を確保することが難しい現実、ある意味研究という分野におけるカナダ国内市場の狭隘さ、を皮肉にも示しているとも言える。しかし、米国人であろうが当該分野の専門家なら活用すべきものは活用するという実際的なアプローチとも言えるだろう。米国の場合は政策に結びついた研究、知識はシンクタンクやコンサルタントという形で蓄積されているが、カナダはこの層の薄さを米国から補っている。とはいえ、統合の中で米国に吸収されてしまうことなく、いかにカナダの競争力を保持、発展させていくかという問題意識自体は失われていない。

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