2005/03/03 No.76前途多難なEU憲法批准
田中信世
(財)国際貿易投資研究所 研究主幹
EU加盟各国ではEU憲法に対する批准手続きが本格化してきている。加盟国のうち、リトアニア、ハンガリー、スロベニアの3カ国ですでに批准手続きが終わり、国民投票を予定している加盟国の中でトップを切って行われたスペインの国民投票では、投票率こそ低かったものの、批准賛成が圧倒的多数を占めた。しかし、ほとんどの加盟国では批准手続きがこれから本番を迎えることに加え(別表参照)、特に英国については、統合推進に反対する国民の声が強く批准までに多くの困難が予想されることから欧州委員会などでは大きな懸念を示している。このため、すべての加盟国で2006年末までに予定どおり批准が終わり、EU憲法が発効することになるのか、依然として不透明な状況にあることに変わりはない。
本稿では去る2月20日に国民投票を実施したスペインをはじめ、英国、フランスなど主要国における最近のEU憲法批准を巡る動きを追った。
注目を集めた初の国民投票(スペイン)
スペインで行われた今回の国民投票は法的拘束力を持つものではないが(法的には議会での批准のみで成立)、国民投票の実施が予定されている10ヵ国の先陣を切って行われたため、内外から大きな注目を集めた。
政府発表によると投票の結果は、賛成76.7%、反対17.2%、白票6.0%と賛成が反対を大きく上回った。一方、投票率については、国民投票実施前からEU憲法についての認知度の低さや関心の低さが指摘されていたが、前回の欧州議会選挙(2004年6月)より約3ポイント低い42.3%にとどまった。
投票率が低かったのは、事前に指摘されていたように、EU憲法の内容が国民に十分浸透していなかったことが大きな要因となっている。世論調査では、EU憲法条約を理解またはよく理解していると答えた人は8.8%にすぎなかった。こうした状況に対して、最大野党の国民党(PP)は「政府は国民に対して国民投票の根本問題について説明することを完全に怠ってきた。一体どれだけの人がEU憲法の中身について知っているのか。内容がわからない問題について国民投票を実施することはナンセンス」などとして政府を激しく批判してきた。このため、政府は、憲法条文の無料パンフレットを郵便局やキオスクを通じて配ったり、連日、テレビや新聞紙上で投票を呼びかけるキャンペーンを行うなど、関心の引き上げを狙ったが大きな効果はみられなかった。
ともあれ、結果として、今回の国民投票で国民の大多数の支持が得られたことから、スペインでEU憲法が批准されることはほぼ確実となり、今後議会での正式な批准手続きに入ることになる。サパテロ首相は2月20日夜、「国民は今日、新しいEU建設への支持を示した。他の加盟国も、スペインが示した道に続いてほしい」と初の国民投票の結果の重要性を強調したメッセージを発表し、欧州委員会のバローゾ委員長も、同日夜「スペインの国民投票の結果は、EUにとって非常に意義深いもの」とスペイン語で謝意を示した。
批准手続きをできるだけ先送り(英国)
英国ではEU憲法の批准を巡る国民投票の実施時期は未定であり、実施時期は労働党政府の戦略的な判断によって決められることになるものとみられている。しかし、「欧州における英国の将来にとって決定的な18ヵ月が始まっている」というマクシェーン欧州問題担当相の言葉から読み取れるように、批准問題についての切迫感が次第に高まってきている。
2004年11月に実施された世論調査によれば、英国ではEU憲法に反対する人は70%を超える高い比率を占めており、EU憲法に反対する声は過去数年間、特に英国企業の間で高まってきている。企業の社長を集めたある夕食会において「反対キャンペーン」主催者が一晩で50万ポンド(約1億円)を集めたというエピソード(ハンデルスブラット紙、2005年1月26日付)は企業の間でEU憲法反対の声が如何に高いかを示すものといえよう。
こうした中でブレア首相は、EU憲法について長時間にわたる消耗的な議論を続けることを避け、特に2005年5月に予定されている下院選挙が終わるまで議論をいったん棚上げにする意向といわれている。しかし一方では、2006年の下半期に議長国の順番が回ってくる英国にとっては、EU憲法批准についての議論が議長国としての立場に影を落とさないようにするため、できるだけそれまでに片付けておきたいという事情もあるとみられている。
政府が批准手続きの引き延ばしを行っている背景には別の理由もある。英国では、仮に英国民が批准に賛成したとしても、それは心から賛成して賛成票を投じるのではなく、EUから取り残されて孤立化することに対する恐怖感から賛成する人が多いとみられている。このため、できるだけ多くの加盟国、できれば英国を除く24カ国すべてがEU憲法を批准した後で国民投票を実施したほうが賛成を得やすいという読みである。こうした例は過去にもみられた。例えば1975年7月に実施された英国のECへの残留を問う国民投票においては、事前の予想ではECへの統合反対派による「英国のEC脱退」プログラムに対する賛成者が多数を占めるとみられていたが、蓋を開けてみると67.2%が残留に賛成票を投じるという結果になった。
英国では、EU憲法が否決された場合には何が起こるかについても激しい議論が行われている。この点について保守党は、「否決」を英国がEUとの間で加盟交渉をやり直す良いきっかけとして使えるとしている。保守党の主張によれば、英国がEUから脱退することが不可能である以上、共通安全保障政策、外交政策、共通漁業政策といった分野で英国の主権を確保するという条件闘争にならざるを得ず、これらの分野で交渉を行ううえで、「否決」は英国の交渉ポジションを強めることになるというわけである。英国がEU憲法を否決した場合、EUそのものがどうなるのかという点については、EUは現在と同様、引き続き非効率なままやっていかなければならないことを意味するだけのことであり、それはEUの「危機」ではあるが「破滅」ではないと主張している。
これに対して、与党の労働党は「否決」は英国民にとって没落へのシナリオを示すものとして保守党の主張に真っ向から反論している。労働党によれば、「否決」によって英国はEUやEU主要国から経済的な利益という面で締め出され、英国の欧州でのマージナル化が進むとしている。またストロー外相は、「否決」の後で新たな交渉を行ったとしても、それは英国の立場を弱めるだけであるとして保守党の主張に反論している。
影落とすトルコのEU加盟問題(フランス)
フランスでは、議会での批准手続きを終えた後、2005年の5月または6月に国民投票を実施することになっている。国民投票実施の前提条件となっているフランス憲法の改正については、すでに国民議会と上院で可決されている。フランス憲法の改正は、特にEU憲法において対外政策の分野でEUの権限が拡大することから必要となったものである。
フランスにおいては、フランス憲法改正を巡る議論の過程で、保革両陣営の議員の多数が反対しているトルコのEU加盟問題が大きな焦点となった。シラク大統領は、EU憲法問題はトルコのEU加盟問題と関係がないと強調したが、改正されたフランス憲法には、「フランス国民は将来のEU拡大(従ってトルコのEU加盟にも適用)に際して国民投票で賛否を決める」という条項が盛り込まれ、トルコのEU加盟問題とも密接な関係のある内容となっている。この点についてシラク大統領は、憲法改正よって「フランス国民はトルコのEU加盟について最終的な決定権限を持つ」ことになるとコメントしているが、EU憲法批准のためのフランス憲法の改正は、改めてトルコのEU加盟問題の取り扱いの難しさを浮き彫りにすることになった。
フランスで行われた世論調査によれば、フランス人の59%が新しいEU憲法に賛成という結果が出ている(同上紙)。しかし、社会党の支持者の中には、EU憲法に賛成という人であっても、実際の国民投票では「賛成」票を投じることは間接的にシラク大統領を支持することになることから、実際の投票においては「反対」票を投じる可能性もあり、懸念材料として指摘されている。
批准に楽観的(ドイツ)
ドイツにおいても、EU憲法批准で国民投票を実施するかどうかが議論されたが、国民投票を実施するためにはドイツ憲法を改正することが必要であることもあって、社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権は、結局国民投票を実施しないことを決め、議会での手続きだけで批准を行うことになっている。
SPDや緑の党の議員の一部にはあくまでも国民投票での批准を要求している議員もおり、また、野党のキリスト教社会同盟(CSU)の中にも、憲法条約によってEUの権限が広がりすぎるとして憲法反対を主張している議員もいる。しかし、政府は一部に反対意見はあるものの大勢には影響がないと見ており、2005年の5月または6月に予定されている連邦議会や連邦参議院では問題なく同意が得られると楽観的な見方をしている。ドイツにおける議会での批准は、フランスにおける国民投票を側面的に支援するため、フランスの国民投票の直前に行われるという見方もある。
また政府は、ドイツ以外の他のEU加盟国における批准手続き全般に関しても、成功の見通しは良好であるとして楽観的な見方をしている。もっとも、政府が他の加盟国での批准見通しについてことさら明るい見通しを強調している背景には、一部の加盟国でEU憲法が否決されることもあり得るということを常に口にすることによって、流れがそちらの方に傾いてしまうことに対して強い警戒感を抱いていることも背景にあるものとみられている。
EU加盟国のEU憲法批准状況
加盟国 | 批准方法 | 批准・国民投票予定 | 過去に実施した EU 関連の国民投票 |
リトアニア | 議会 | 2004年11月11日、議会で承認 | 2003年(EU加盟) |
ハンガリー | 議会 | 2004年12月20日、議会で承認 | 2003年(EU加盟) |
スロベニア | 議会 | 2005年2月1日、議会で承認 | 2003年(EU加盟) |
スペイン | 議会(下院および参議院)+参考国民投票 | 2005年2月20日に参考国民投票実施(賛成76.7%、投票率42.3%) | - |
キプロス | 議会(国民投票は行わない) | 2004年2月に議会のEU問題委員会で最初の討議。承認は2005年3月末の見込み | - |
イタリア | 議会(下院および参議院) | 2005年1月25日、下院で批准法案を承認し、参議院へ | 参考国民投票 1989年(憲法草案) |
ラトビア | 議会 | 2004年12月に議会審議開始。批准手続き完了は2005年初めの見込み | 2003年(EU加盟) |
ポルトガル | 国民投票 | 2005年2月に繰り上げ総選挙が実施されたため、国民投票は、当初計画の2005年4月より遅れる可能性あり | - |
ベルギー | 議会(上下両院および地方自治体の総会)(国民投票は行わない見込み) | 批准予定は2005年5月? | - |
ギリシャ | 議会(国民投票は行わない) | 議会での採決は2005年6月以前の見込み | - |
フランス | 国民投票 | 批准手続きのために必要なフランス憲法の修正法案は2004年2月1日国民議会で、2月17日上院で承認。議会でのEU憲法承認は2月28日の予定。国民投票は2005年5月または6月の予定 | 1972年(EEC拡大)、92年(マーストリヒト条約) |
ドイツ | 議会(連邦議会および連邦参議院)(国民投票は行わない見込み。実施するためには憲法改正が必要) | 議会での批准手続きは始まったばかりで、批准手続き完了は2005年6月の予定(フランスの国民投票の直前の可能性あり) | - |
オランダ | 2005年1月25日に上院で参考国民投票実施の決議。 国民投票;2005年6月1日 | 2005年1月25日に上院で参考国民投票実施の決議。 | - |
ルクセンブルク | 議会+参考国民投票 | 国民投票;2005年7月10日 | - |
マルタ | 議会(国民投票は行わない) | 議会での採決は2005年7月 | 2003年(EU加盟) |
デンマーク | 国民投票 | 国民投票;2005年9月? | 1972年(EU加盟)、86年(単一欧州議定書)、92年(マーストリヒト条約)(2回)、98年(アムステルダム条約)、2000年(ユーロ導入) |
ポーランド | 国民投票 | 国民投票の実施時期は未定( 2005 年秋の可能性) | 2003年(EU加盟) |
スウェーデン | 議会 | 批准法案は2005年9月に議会に提出。議会での採決は2005年12月の予定 | 参考国民投票 |
チェコ | 国民投票 | 国民投票を2005年に実施するか、2006年6月の総選挙と一緒に実施するか検討中 | 2003年(EU加盟) |
フィンランド | 議会 | 批准法案は2005年秋に議会に提出見込み。2005年末/2006年初に批准手続き完了の見込み | 参考国民投票 1994年(EU加盟) |
アイルランド | 議会+国民投票 | 2004年2月9日、議会のEU問題委員会で最初の審議。EU憲法についてのキャンペーンが終わるまで国民投票の実施時期は未確定 | 1972年(EU加盟)、87年(単一欧州議定書)、92年(マーストリヒト条約)、98年(マーストリヒト条約)、2001年および2002年(ニース条約) |
スロバキア | 議会 | 議会での採決時期は未定 | 2003年(EU加盟) |
オーストリア | 議会(国民議会およ び連邦参議院) | 議会での採決時期は未定 | 1994年(EU加盟) |
エストニア | 議会(国民投票は行わない見込み) | 議会での採決時期は未定 | 2003年(EU加盟) |
英国 | 議会(下院および上院)+参考国民投票 | 批准法案は 2005年2月9日、議会で承認。批准手続きは2006年初め以前には完了しない見込み | 1975年(EC加盟継続) |
(資料)EUホームページ(TheFutureoftheEuropeanUnion−Debate)より作成
関連資料
- 「EU憲法草案と「小国」の懸念」(田中信世、フラッシュNo.46、2003年7月)
- 「EU憲法で合意」(田中信世、フラッシュNo.68、2004年7月)
- 「欧州はどこへ行くのか QUO VADIS EUROPA?」(田中友義、ITI「季刊国際貿易と投資」No.53、2003年8月) (pdf-file)