フラッシュ7  
2001年8月7日
理念発信都市:ワシントン


国際貿易投資研究所
客員研究員 青木健


 極めて短期間であったが、今年5月世界最強の大国米国の首都ワシントンDCを初めて訪れる機会に恵まれ、歴史的記念碑が多くある一角を散策した。これまで世界の多くの都市を訪問したが、ワシントンには他にはない独特の雰囲気が感じられた。この雰囲気は人の心を打ち考えさせる理念が短いフレーズに表現されそして刻み込まれたプレートや記念碑群を通して米国が米国流民主主義や人権思想を不断に点検しつつ国民意識を喚起しさらに世界に発信するという強烈な自己主張をしているということからもたらされる。

現代世界史が集約した都市
 米国の歴史は短い。それにもかかわらず米国が世界の歴史に刻むエポックは少なくない。例えば1776年の独立とその精神、リンカーン大統領の南北戦争と奴隷解放、最初のケインズ政策となった大恐慌期のTVAに象徴されるF・ルーズベルトのニューディール政策であり、戦後では朝鮮動乱、キューバ危機、米国史上初めて敗北したベトナム戦争などである。それ以外でも世界に衝撃を与えた事件も少なくない。ケネディ大統領と弟のR・ケネディ司法長官の暗殺、ニクソン大統領を失脚させたウォーターゲート事件などである。また国家のために殉じた兵士を奉るアーリントン国立墓地がある。これらは全て首都ワシントンDC地区にある種々の記念碑群に集約されている。
 毎年5月末の週末に挙行される米国が20世紀に係わった戦争のMemorial Dayのうち、最大のイベントであるRolling Thundersにたまたま出会った。これは「米国史上最も汚い戦争」といわれるベトナム戦争で5万人以上が戦死し、多数の帰還兵がその後精神異常をきたし苦悩する兵士と家族がいまだ何ら有効な支援をしていない政府に抗議するため、全国からバイクに乗り首都に集結するのである。参加者の大多数は今や50代となった中年男性である。その日つまり2001年5月27日日曜日、11時頃から国務省近くの広場にバイクが続々と集結を始めた。さらに大規模なバイク群が見られるという場所のArlington Memorial Bridge近くに移動して、1時過ぎまで沿道で見つめた。その間目の前を通過して行ったバイクや車の数は優に1万台を超えたのではないだろうか。デモンストレーションの中には、小型トラックの荷台の上のかごの中に座って入っている男性がいた。これはベトナム戦争に参加した兵士がいまだ囚われの身になっていることを意味し(Missing in Action)、政府は彼らに救出の手を差し伸べよと呼びかけているのである。そして私の近くにいてバイクのデモンストレーションを見つめていた中年の婦人はこぶしを作り右手を高く挙げてエールを送っていた。この婦人達の身内や友人がベトナム戦争に行ったのであろうかという感慨に捕らわれた。ベトナム戦争は今でも様々な形で米国と米国人の心の中に存在しているのであろう。

ベトナム戦争記念碑と朝鮮戦争記念碑
 世界の有名な都市の中で、ワシントンDCはロンドン、パリと並び世界中の観光客を引きつけている。その理由は政治が一大産業であり世界政治の中心地であること、また先に指摘した我々の時代に起こった世界史的大事件を実感できる記念碑群が多く存在しているからであろう。数ある記念碑のなかで最も人気があるのがベトナム戦争記念碑である。ベトナム戦争が米国と米国人に与えた衝撃の大きさは、Rolling Thundersとともに、戦死した兵士の名を刻んだベトナム戦争記念碑を訪れる一般市民の多さに象徴されよう。1982年に完成したベトナム戦争記念碑は米国の戦争記念碑のうちでは独特な形すなわちV字型をしている。このVはVictoryのVではなくVietnamのV字なのだ。V字を構成する直立の壁に沿って緩やかなスロープの歩道があり、来訪者はそこを歩きながら戦死した兵士の名前が刻まれている壁面パネルを見て、肉親や友人の名前を確認するのである。中には立ち止まり写真をとるものや、拓本みたいに名前を写しとっているものもいる。政府はこの記念碑のデザインを全世界から募ったという。当時エール大学1年生であった中国人女性のデザインが採用された。退役軍人は何故中国人のデザインを採用するのかと強硬に反対したが、多くの政治家はそのデザインと名前を刻むことに賛成したという。
 退役軍人が想定していたのは朝鮮戦争記念碑のようなものであった。朝鮮戦争記念碑は、軍用コートを着て、腰まであるブッシュの中を自動小銃をかまえ前進する20数人の兵士の姿である。前進する兵士達の前方の路面には、「彼らはそれまで行ったことのない国のため、一度も会ったことのない人々のために戦った」、と刻んである。そしてそのすぐそばの壁面にはFreedom is not freeという文がある。その意味することは自由はタダでない、自由は我々の大きな犠牲で獲得したものであるということであろう。朝鮮戦争とベトナム戦争はともに米国が参戦した戦争である。その2つの戦争の時間的差はわずか25年であるが、記念碑の形や文面に大きな違いがある。なおワシントンDCには第2次世界大戦の記念碑がない。Memorial Dayの翌28日ブッシュ大統領は、史上最大の独裁者を倒し、ヨーロッパとアジアで散った兵士のための顕彰碑を2004年にまでワシントンDCに建設する法案に署名した。その碑にはどのようなメッセージや言葉が刻まれるのであろうか。

米国の魅力と独善
 米国独立の成り立ちと多人種国家という特性により、米国は他のどの国よりも常に歴史の原点と原理に立ち返るという性向が強い。その典型が民主主義と人権思想であろう。そして首都ワシントンDCには、そのため米国が自国はもとより世界に絶えず発信を続ける民主主義や人権外交を自ら問いかけるという有形無形の努力の跡がみられる。それが記念碑に刻まれた理念であり、大統領府や議会への広範なオープンドアであり、ジャーナリストの不正政治家への執拗な追求であろう。それをサポートしているのがグラスルーツである。首都ワシントンはそれが凝縮しているという印象を受けた。民主主義とそれと表裏一体にある人権の不断の自己点検と自己主張であり、それはある意味では奴隷開放に始まる長い歴史を有する公民権活動であり、さらにバリアフリーの立法化でありその具体化である。これらを通して米国の民主主義は日々成長し、それを世界に検証を求める息吹を感じさせるのがワシントンDCであり、これが首都ワシントンが醸し出す独特な雰囲気であり世界中の人々を引きつける魅力となっているのであろう。しかし,米国に代表されるアングロサクソン流のものごとの進め方は理念化、ルール化、コード化の厳格化およびその遵守である。それ故遠くに行くほどつまり米国から遠くなるほど、理念や理想はイデオロギーと化し、米国の使命感のみが先行しあるときには独善と暴力性が際立つということにもなる。これが世界が米国への反発を誘発する理由のひとつとなっているのであろう。