フラッシュ27

2002年2月25日

強いアメリカの自画像(その3)
――「大国の興亡」と「舞い降りた鷲」――
国際貿易投資研究所
研究主幹 木内 惠

撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり
ヴェルレエヌ

 ポール・ケネディの代表作「大国の興亡」をこの週末に改めて読み直して、気付いたことがある。この本を執筆していた時のケネディは、経済的レベルでの多極化をという点を当時の世界構造を見る上で重視しているように思われることである。これに対し、今日、ケネディが特に関心を寄せているのは、軍事面での一極化構造にあるようにみえる。こうした関心のシフトは、グローバリゼーションの進展下の今日世界における米国の地位の持つ意味と密接に関連している。

ボール・ケネディ著「大国の興亡」

 ソ連崩壊の数年前に執筆された「大国の興亡」の中で、ケネディは戦後の世界構造をどう見ていたか。単純化の批判を覚悟で、この大著で述べられている論点をあえてキーワード風に整理すれば次のようになろう。

  軍事的・経済的な2極構造から軍事的1極構造と経済的多極構造へ。

 第二次世界大戦後、政治、経済、軍事、イデオロギーなどあらゆる側面での米ソ間・あるいは東西間の2極構造が現出した。その後、欧州、日本などの戦後復興に伴い、経済パワーの次元では次第に多極化の様相を強めていく。ケネディは「大国の興亡」執筆時点での世界経済の姿を米国、ソ連、日本、EEC(当時)、中国の5極構造とみていた。のみならず、生産力のバランスからいえば、米ソから他極への支点シフトがみられるというのが、ケネディの見立てであった。

「舞い降りた鷲」の主要論点は軍事覇権

 繰り返すが、上記はあくまでも「大国の興亡」を著した1987年時点でのケネディの世界観である。あれから15年を経て書かれた今回の「舞い降りた鷲」と題する論文で、ケネディが特に視野の中心に置いているのは米国の圧倒的な軍事覇権であり、これが持つインプリケーションだ。

 「一国がこれほど圧倒的な力の優位を持ったことは歴史上類例を見ない」、「これらの戦闘装置の行動範囲はまことに驚嘆すべきものだ」、「これほどの力を備えた国を攻撃しようとするのは狂気の沙汰だと考えるのが普通だろう」――「舞い降りた鷲」の中で米国の抜きん出た軍事パワーの怪物振りを描写するケネディの筆致には「冷徹な観察眼を持つ文明史家」には似合わぬ驚きと興奮さえ感じられる。

ケネディの無常観

 こうして、巨大な軍事力を背景にした覇権国の姿こそが今日の米国の実相だというわけだが、ケネディはこの覇権が未来永劫に続くとはみていない。いよいよ、「舞い降りた鷲」の結論を紹介するときが来た。これについてのケネディの叙述には、ある種の無常観すら漂う。

 ケネディはまず、次のように自問する。

「米国の一極支配は、これから先何世紀も続くだろうか?」

 これに対するケネディの答えはこうだ。

「もちろんそれはありえない。スパルタもローマも滅亡したことを思えば、いかなる国が永続を望みうるか、とルソーは言った。」

米国の地位低下がもたらすもの

 次いで、ケネディの洞察は未来に向けられる。

「米国の現在の地位は、10年に及ぶ目覚ましい経済成長によるところが大きい。もし、今後の4半世紀中に成長が鈍化し、財政問題が深刻化するならば、行き過ぎた勢力拡大の危険が現実化しかねない。その場合には、米国の責任負担能力が破綻をきたし、世界的混乱が起きる可能性がある。」

 この自問自答から浮かび上がるケネディの未来論の核心は、@米国といえども、その覇権的地位は永続しない、というのが歴史の教えるところ、A米国の地位低下は世界秩序の不安定要因となる――の2点に集約可能である。

再び「大国の興亡」へ

 ここでいう「行き過ぎた勢力拡大の危険」、「責任負担能力の破綻と世界的混乱」といった概念は、上記の「大国の興亡」で用いた分析のためのキーワードに通じる概念である。ここで、改めて、「大国の興亡」の執筆に用いられた分析のための概念を整理しておく必要がある。

 歴史に現れる覇権国の栄光と没落の過程を文明史的に描いた大著、それがボール・ケネディが1987年に著した「大国の興亡」である。大国が興り、そして没する――このプロセスを貫く、あるいはこれの根底に横たわる原理は何か。これを歴史の中にみいだすことがケネディのテーマであった。

 このテーマに沿ってケネディがたどり着いたキーワードは、経済と軍事の相互作用というものである。「大国の興亡」とは畢竟、16世紀以来の世界史に登場する覇権国の興亡の姿を、経済と軍事の相互作用の分析から浮かび上がらせて叙述した物語に他ならない。

 ケネディによれば、ある大国の持つ経済力と軍事力の均衡ある発展こそが、その大国のパワーの相対的な地位変化を決定するという。大国の安全保障は、短期的には軍事パワーにより、長期的には経済パワーによりもたらされるからだ。軍事力のみを優先して経済を無視するならば、長期的にはその国の安全を阻害し、国力を低下させることになる。逆に、経済にのみ力を注いで、軍事を無視するならば、「今、そこにある危機」に対応できなくなる。ケネディがこの著作で、「経済力と軍事力の均衡」を説くのはまさに、その故である。

「大国の興亡」にレーガノミックスの影

 「経済力と軍事力の均衡」というテーゼは、この本が書かれた1980年代後半の米国という時代的背景を無視して語れない。この時期は双子の赤字(財政と貿易)がという構造問題に米国が直面していた時代だ。これへの対応としてレーガン共和党政権の打ち出した政策パッケージがいわゆるレーガノミックスに他ならない。

 レーガノミックスとは、単純にいえば、80年代の構造問題対策として導入された「経済・財政改革」のための処方箋であった。レーガノミックスを特徴付けるキーワードを列挙すれば、小さな政府、減税、デレギュレーション、国防費増強――などである。そして、その具体策は、(1)歳出削減、(2)大幅減税、(3)規制緩和、(4)安定的な金融政策――の4本柱から成る。歳出入の削減により政府の規模を縮小し、諸規制の緩和により政府の役割を限定する、これらを通じて民間の活力発揮を促し、産業競争力を高めるとともに、通貨供給量(マネーサプライ)のコントロールを通じてインフレ抑制を目指す金融政策を導入しようとするものであった。上記中(1)、(2)、(3)は供給重視(サプライサイド)の、(4)はマネタリストの政策の骨格を成す。レーガノミックスがニューディール以降の需要重視のケインズ型政策からの脱却といわれる所以である。

 だが、レーガノミックスの真骨頂は、国防費だけは歳出カットの例外扱いとしていたことにある。「強いアメリカ」の旗印を掲げるレーガン政権は、当時の冷戦下で、ソ連との対抗上、国防支出を大幅に増やした。結果的にはそれが近年の財政赤字の黒字転換の誘因となった。その回路を単純化して表せば、レーガン政権下の軍事費増強→ソ連崩壊→冷戦終了→米国の国防費削減→歳出削減→小さな政府→財政赤字の縮小(主因は歳入増)→財政
黒字への転換→減税財源の確保――という具合である。こうしてみると、レーガン大統領の軍拡路線が結果的にレーガノミックスの推進を後押したとの指摘も的外れではない。
 
 この辺で紙面が尽きたようだ。意外に長いレポートになってしまった。以下は「強いアメリカの自画像(その4)」として明日もしくは明後日、執筆、掲載の予定。その際、本稿冒頭に掲げたベルレエヌの詩の一節の謎解きもお届けする。


 レーガノミックスについて詳しくは季報掲載の拙稿「レーガノミックス再評価」(pdf-file)参照。
 同時多発テロがレーガノミックスに及ぼし得る影響についてはフラッシュの拙稿「19.テロは米経済の流れを変える分水嶺か(その1)―レーガノミックス、負の連鎖出現の恐れも―」「20.テロは米経済の流れを変える分水嶺か(その2)−経済の好循環に暗雲−」参照。


※関連サイト
  1. フラッシュ25 「強いアメリカの自画像(その1)―インデペンデンス・デイの寓意―」
  2. フラッシュ26 「強いアメリカの自画像(その2)―米国の圧倒的軍事「覇権」が意味するもの―」

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