一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2016/05/25 No.279ブラジル、問われるテメル暫定政権の力量-カギ握るメイレレス財務相の手腕

堀坂浩太郎
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
上智大学 名誉教授

南米初の五輪となるリオデジャネイロ市でのオリンピック・パラリンピック開催を3か月後に控えた5月12日、ブラジル上院本会議はジルマ・ルセフ大統領の弾劾裁判開設を決定し、同大統領の停職、ミシェル・テメル副大統領による暫定政権が発足した。大統領の停職期間は最長180日間で、弾劾法廷は最高裁判所長官を裁判長に上院が担い、公判でルセフ大統領が無罪となれば職務に復帰し、有罪に処せられればテメル副大統領が正大統領となって2018年末までの残り任期を務めることとなる。暫定政権は有罪を想定し本格的な組閣で臨んでいるが、ルセフ大統領は公判で徹底抗戦の構えであるし、10月には全国5570市町村の首長・議員の地方選挙が予定されている。政治情勢は引き続き流動的で、テメル暫定政権の安定は偏に財務相に就任したメイレレス前中銀総裁が経済回復の道筋を示せるかどうかにかかっている。

テメル大統領代行は、就任直後の16日、国際オリンピック委員会のバッハ会長に直接電話をかけている。8月5日のオリンピック開会式を皮切りに9月18日のパラリンピック閉会式まで足かけ2か月に及ぶ五輪の成否が、ブラジルへの国際的な信任を左右しかねないからだ。2年前に、サッカーW杯(ワールドカップ)を開催した折にも世界の注目度のひとつはブラジルの運営能力にあった。結果的には高い評価を得たが、今回は一般犯罪が多いリオの治安状況に加え、感染症ジカ熱の発生に大統領弾劾といった政局の異常事態が加わった。テメル大統領代行は、正大統領の停職によっても五輪の運営には支障が無いとの確約をバッハ会長に与えたと現地報道は伝えている。

暫定政権は、大統領の停職と同時に発足した。昨年12月2日の下院議長による大統領弾劾議案の受理、3月29日における与党連合の重要な一翼を担い副大統領(テメル)を輩出してきたブラジル民主運動党(PMDB)の与党離脱、4月17日の下院本会議における弾劾議案の上院への送致決定、上院での審議といった経緯の中で着々と準備されてきたことによる。閣僚ポストをルセフ政権下の32から25に削減し、かねて主張してきた省庁整理を断行した。外相に野党ブラジル社会民主党(PSDB)の元大統領候補ジョゼ・セハ上院議員をはじめ、10党の有力政治家を取り込んでいる。法制上は代行だが、テレビ・グローボなど有力報道機関の中には「執行大統領」(presidente em exercício)の肩書で報じるところがあるなど、新政権並みの扱いが自他ともにみられる。

ただ、閣僚の顔ぶれをみると、「ルセフ降し」の流れを作った政党・議員に対する論功行賞的な色彩も強く、テメル代行の“お友達内閣”との見方も少なくない。閣僚の大半を政治家が占めるため「議院内閣制への移行?」と揶揄する声も聞かれ、行政と立法がチェック・アンド・バランスの政体をとる大統領制のブラジルにとってはかなり異質な政権となっている。またフタを開けてみると女性閣僚はゼロで女性層から猛反発を招いており、文化省の廃止でアーチストから一斉に不満の声が噴出した。財政投融資の要である国家経済社会開発銀行(BNDES)の総裁に急きょ女性(製鉄大手CSN元社長マリア・シルビア氏)を起用したのも反発に配慮した結果との観測が生まれ、政権発足2週間で文化庁は復活された。

市場はもとより国民が固唾を呑んで見守っているのが、メイレレス財務相を中心に、テメル大統領代行の右腕ロメオ・ジュッカ企画相と大手民間銀行イタウのチーフエコノミストから抜擢されたイラン・ゴールドファイン中銀総裁(就任は国会の承認待ち)からなる経済チームの言動だ。昨年マイナス3.8%を記録した経済成長率は、民間調査機関の推計で今年第1四半期は前年同期比マイナス5.5%、失業率は10%を突破し、4月のインフレは目標値の4.5±2%を大きく上回る9.3%の水準にある。連日、企業の赤字や減益決算(第1四半期)が伝えられ、借金返済に追われて生活を切り詰める中間層の困窮ぶりがテレビで放映されている。

負の連鎖を断ち切る一言が期待されているが、2016年予算の赤字はルセフ政権が停職前に提示していた967億レアルを8割近く上回る1700億レアルが見込まれているほか、州政府から要求が出ている対連邦政府への債務返済軽減措置、急ピッチで増え続ける年金の支払い抑制など難問が山積みだ。「ルセフ政権の公表数字は化粧直しされた数値」「(暫定政権は)真実を明らかにするのが第一歩」(ジュッカ企画相)との立場だが、期待度が大きいだけに時間との勝負でもある。

加えて、「ルセフ降し」に大きく貢献した経済界や市場が期待する、自由度のより高い「市場経済」にどう軌道修正するか手腕が問われている。それを実現するには憲法修正も含む法制改革が必要なうえ、ルセフ政権第1期(2011年-14年)の実績を踏まえ同大統領に第2期を託した底辺層など社会改革重視の世論にも配慮する必要がある。メイレレス財務相の強みは、ルセフ政権の“生みの親”である同じく労働者党(PT)のルーラ政権(2期合わせて2003年—10年)の下で通算8年中銀総裁を務め、この辺りの機微を十分に知り尽くしていることであろう。1990年代半ば、対外債務危機後の経済危機から離脱を可能とした「レアル計画」の実行者エンリケ・カルドーゾ財務相(その実績を買われ1995年から2012年まで大統領に就任)になぞらえて、「20年ぶりの最も強力な財務相」(政治情報紙Drive)の誕生と言われる所以もこの点にある。

弾劾法廷は、レバンドウスキー最高裁長官を裁判長に上院81人の議員で組織される。上院の弾劾特別委員会において、まず訴状やルセフ大統領側の反訴等が整理され手続き事案が同特別委員会および本会議で承認(過半数)された上で、本会議において公判となる。可決には3分の2=54票が必要とされるが、弾劾法廷設置を決めた5月12日の本会議(賛成55、反対22、無投票4)の流れが続けば、ルセフ大統領の失職の可能性が高いといえる。

ただ、これまでの上下両院本会議における裁決が「ルセフ降し」の風潮が強い中での政局絡みで多分に感情的な言動が多い票決であったのに対し、弾劾法廷では法律に則った審議で瑕疵が判断されることになる。弾劾の訴状は、2015年の財政運営で国会未承認の支出および政府系金融機関からの借り入れを問うものであるが、これが1988年憲法第85条で規定した大統領の背任罪および2000年の財政責任法違反に当たるかどうかの法廷闘争となろう。

ルセフ大統領は、「法律に反することは何らしていない」「今回の弾劾訴追はgolpe (政変)である」と反論、「(自ら)辞任することは絶対にない」と述べて徹底抗戦の構えである。同大統領は、軍政時代(1964年-85年)に反政府運動に参加し軍部に拘束され拷問も受けた経歴をもつだけに、golpeの表現はクーデタ(golpe de estado)も想起される厳しい用語だが、停職後の外国メディアとのインタビューにおいても多用している。エドワルド・カルバーリョ元法相をトップに弁護団を組織し、遊説やソーシアル・ネットワーク(SNS)を使い大統領自ら市民との間で活発な対話を繰り広げている。大統領の停職・副大統領の大統領代行就任をきっかけに、攻守がすっかり入れ替わった形だ。

しかも暫定政権にとっても暗雲となっているのが、ラバジャット(車洗浄機)の名称で呼ばれる汚職捜査の行方である(ITIフラッシュ229号259号参照)。ガソリンスタンドを舞台とした資金洗浄が事件発端だったためこの名称が使われているが、その後捜査は本命であった国営石油会社ペトロブラスの事業範囲をはるかに超え、企業・政党・仲介業者からなる汚職構造全体の解明に広がり、連邦警察は5月23日、24日の連日、第29弾、第30弾の捜査(大規模捜査ごとに番号と名称が付記されている)に踏み切った。

これまで上がった疑惑リストの中には、テメル大統領代行や閣僚、レナン・カリェイロス上院議長の氏名も上り、下院のエドワルド・クーニャ議長は弾劾法廷設置決定直前の5月5日に捜査妨害等を問われて最高裁から職務停止の命令を受けている。下院は、目下、議長代行が指揮する状況にあり、捜査の進展によっては暫定政権の政治基盤を脅かす恐れが残っている(本稿執筆時点で、ジュッカ企画相は、就任前のペトロブラス関連企業役員との会話がラバジャット捜査の中止を示唆するものだったと新聞で報じられ、一時離職しテメル大統領代行へ進退伺を出したと伝えられている)。

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