2014/04/21 No.183米EU環大西洋貿易投資連携協定(TTIP)交渉の行方(その2)-早期合意を目指すが、待ち構える高いハードル-
田中友義
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
TTIP協議・交渉の経緯
TTIP協議・交渉の経緯は、概ね表1に記したとおりである。2011年11月の米EU首脳協議で、オバマ米大統領、ファンロイパイ欧州理事会常任議長(EU大統領)、バローゾ欧州委員会委員長は、米EU間の関税を含む貿易・投資障壁の撤廃に向けた複数の選択肢を検討するための「雇用と成長に関するハイレベル作業部会」(HLWG)を設置することで合意した。米EUがFTAを視野に入れた議論をすることを公にしたのは初めてのことである。2012年6月ハイレベル作業部会が中間報告を公表、米EU首脳は両国・地域間の貿易・投資を拡大するための大胆なイニシアチブこそ成長と雇用創出の向けた戦略に重要な貢献をすることになるとの共同声明を発表した。2012年10月の欧州理事会(EU首脳会議)は、ハイレベル作業部会の最終報告書に期待するとともに、包括的な大西洋貿易・投資協定交渉を2013年中に開始することを目標に掲げた。
2013年2月、ハイレベル作業部会の最終報告書が纏まり、これを受けて米EU首脳がTTIP交渉の開始に向けた内部手続きを開始するとの声明を発表、オバマ大統領も一般教書演説の中でTTIPに言及して、交渉開始への方向性を示した。その後、2013年6月、EU理事会(貿易相)は「文化は例外扱い」だとして徹底抗戦するフランスなどの反対国の主張を一先ず受け入れて、映像・音楽分野を交渉の対象外とすることで、米国との交渉入りにゴー・サインを出した。そして、米EU首脳は、同年6月の英国ロック・アーンG8首脳会議出席の機会をとらえて、TTIP交渉を開始することを発表した。
早期の合意を目指して、第1回交渉が2013年7月にワシントン、第2回交渉が11月にブリュッセル、第3回交渉が12月にワシントンで開催され、第4回交渉がブリュッセルで本年3月に開催された。なお、当初10月に予定されていた第2回交渉は米国の2014年度暫定予算の不成立による一部の政府機関の閉鎖の影響で11月に延期されたものの、現在は当初のスケジュールどおりで交渉は進められている。
表1 TTIP協議・交渉の経緯
時期
|
協議・交渉の概要
|
---|---|
2011年11月 | 米EU首脳協議で両国・地域間の貿易投資障壁の撤廃のためのハイレベル作業部会の設置を決定 |
2012年6月 | ハイレベル作業部会が中間報告を公表、米EU首脳が歓迎の共同声明を発表 |
2012年10月 | 欧州理事会が2013年中に米国とのFTA交渉開始に向けた作業を進めると表明 |
2013年2月 | ハイレベル作業部会の最終報告書を公表 |
米EU首脳がTTIP交渉開始に必要な内部手続きを開始する旨の声明を発表 | |
オバマ大統領が一般教書演説でTTIP交渉を開始する予定であると表明 | |
2013年6月 | EU理事会(貿易相)がTTIP交渉範囲から映像・音楽分野を除外することで交渉入りに合意 |
米EU首脳がロック・アーンG8首脳会議でTTIP交渉開始を発表 | |
2013年7月 | 第1回交渉協議開催(ワシントン) |
2013年11月 | 第2回交渉協議開催(ブリュッセル) |
2013年12月 | 第3回交渉協議開催(ワシントン) |
2014年1月 | オバマ大統領が一般教書演説でTTIP交渉の促進を強調 |
2014年3月 | 第4回交渉協議開催(ブリュッセル) |
米EU首脳協議でTTIP交渉の加速化を確認 |
広範な分野が交渉の対象
米EU首脳の共同声明、オバマ大統領の一般教書演説のFTA交渉開始表明、G8首脳会議での重ねての交渉開始表明は、EUの対応や米国内の諸事情などによって予定よりも公表が約2か月も遅れたハイレベル作業部会(HLWG)の「米EU雇用と成長に関する最終報告書」の勧告に大きく依拠するものであった(注1)。
この報告書は、米EU両国・地域間の貿易投資を拡大するための以下のような幅広い選択肢を明示しているが、これらの選択肢に限られるものではないとしている。
- 関税・関税割り当てなど、物品貿易に関る従来型の障壁の撤廃あるいは削減
- 物品貿易、サービス貿易と投資に対する障壁の撤廃、削減あるいは防止
- 規制・標準の互換性(compatibility)の強化
- あらゆる分野の貿易に対する不必要な「国内における(behindtheborder)非関税障壁の撤廃、削減あるいは防止
- 共通の関心事項であるグローバルな課題に関するルール・原則の発展およびグローバル経済の共通目標の達成に向けた協力の強化
HLWGは、包括的な協定が大西洋間の貿易・投資の大幅な拡大を通じて新たな事業と雇用を創出し、近年になって、その重要性が増しているグローバルな貿易・投資に対する挑戦に立ち向かう先駆的なルールや規律を発展させ、米EU間の並外れて緊密な戦略的パートナーシップをさらに強化するものになりうると結論付けている。そして、このよう包括的な協定こそ検討対象となった様々な選択肢のうち、最も重要な相互利益をもたらすものだとして、米EU首脳に対して、包括的協定の締結に向けた交渉開始に必要な正式の内部手続きに可能なかぎり速やかに着手するよう勧告している。
HLWGが提言する包括的な協定は、表2にみられるように、大枠として3つの分野を含むものである。
- 市場アクセス分野では、関税、サービス、投資、政府調達に関る様々な障壁に対して、包括的な取り組みを必要としており、これまでの貿易協定を超える市場アクセス・パッケージの合意を目標とするよう提言している。
- 規制問題・非関税障壁分野では、貿易・サービス規制についての効率的で互換性の高い規則を制定するための分野横断的な規律の導入、衛生植物検疫措置(SPS),貿易の技術的障壁(TBT)などの非関税障壁の悪影響を軽減する革新的アプローチが必要だと提言している。
- グローバルな貿易に関する共通の挑戦と機会に対応するルール・原則などの分野では、知的財産権、環境・労働、通関・貿易円滑化、国有企業などの分野で米EU間の通商のみならず、多国間貿易システムの漸進的な発展に資するルールの構築を目指すべきことを提言している。
表2 TTIPの包括的な協定の概要
表2 TTIPの包括的な協定の概要
分野 |
協定の主要な内容 | |
市場アクセス |
米・EUが既存の貿易協定で獲得したものを超える市場アクセス・パッケージを目標とする | |
|
関税 |
関税の完全撤廃を目標とする。最もセンシティブな品目の取り扱いは交渉の過程で選択肢を検討する |
サービス |
一定のセンシティブ分野を考慮しつつ、最高水準の自由化約束を目指す。協定の透明性、公平性、適正な手続きなどを確保し、既存の貿易協定の規制規律を一層強化する拘束力のある約束を盛り込む | |
投資 |
最高水準の投資自由化と投資保護の規定を盛り込む | |
政府調達 |
あらゆるレベルの政府での政府調達機会へのアクセスを、内国民待遇に基づいて大幅に改善し、ビジネスチャンスの拡大を図る | |
規制問題・非関税障壁 |
大西洋間の協定の利益の大部分は、非関税障壁の悪影響を軽減する革新的アプローチに依っている。将来的な規制調和を含む互換性の向上、同等性承認、相互承認などによるコスト軽減のプロセス・メカニズムを整備することを重視する、 | |
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衛生植物検疫措置(SPS) |
米EU間のSPS問題に対処するためのより良い対話と協力の継続的メカニズムを構築する |
貿易の技術的障壁(TBT) |
米EU間のTBT問題に対処するためのより良い対話と協力の継続的メカニズムを構築する | |
製品・サービス規制 |
効率的で互換性の高い規則を制定するための分野横断的な規律を導入する | |
グローバルな貿易に関する共通の挑戦・機会に対応するルール・原則 |
米EU間のみならず、多国間貿易システムの漸進的な発展に資するルール構築を目指す | |
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知的財産権(IPR) |
相手側が関心を持つ幾つかの重要な知的財産権上の課題に取り組む |
環境・労働 |
EU貿易協定の「持続可能な開発」、米貿易協定の「環境・労働」章の規定を踏まえて取り組みを模索する | |
通関・貿易円滑化 |
WTOで交渉中の規律内容を超える水準の効果的な措置を確保する | |
国有企業(SOE) |
国有企業に与えられる補助金その他特別な権利に対するルール作り |
HLWGの報告書は、包括的な協定によって、大西洋間の貿易・投資が大幅に拡大する結果、新たなビジネスと雇用が期待できるとしているが、その効果を具体的な数値によって明示的に述べていない。この点については、昨年3月に公表された在ロンドンの経済政策調査センター(CEPR)の報告書の数値が一つの参照値となる(注2)。TTIP協定が完全に実施された場合、最大でEUのGDPは年間当たり1,192.1億ユーロ増加、米国のGDPは949億ユーロ増加すると試算している。GDPの増加は、米EU間の貿易拡大の結果によるとしている。ちなみに、EUの(対域外)財・サービス輸出総額は6%増、米国の財・サービス輸出総額は8%増加すると試算している。
CEPR報告書は、結論として、いわゆる「国内における(behindtheborder)非関税障壁」の撤廃、削減あるいは防止による効果がTTIPの最重要部分であるとして、潜在的利益全体の約80%が官僚的、規制的、行政的などのコスト削減、サービス貿易・公共調達自由化から生ずるとみている。また、TTIPによって生まれた、より高水準の経済活動および生産性による利益は、米EU両国・地域の労働市場において熟練・非熟練労働者の賃金および雇用創出両面で利益をもたらすと結論付けている(注3)。
主要な関心分野・争点
ハイレベル最終報告書は、「協定がもたらす利益の大部分は、非関税障壁が貿易・投資に与える悪影響を軽減すべく、これまでない革新的なアプローチを取れるかどうかに依拠する」と述べているように、TTIPの最大の焦点は非関税障壁の取り扱いと位置付けている。確かに、部分的には高関税を課している分野もあるものの、全品目の実効関税率は平均でEU5.2%、米国3.5%といずれも比較的低い水準で、関税引き下げだけでは米EU双方にとってメリットは大きくない(注4)。さらに、オバマ大統領はTTIPを「世界の貿易体制がその進展を見守る、高度かつ包括的な協定」との位置付けをしており、米EU間での合意で、基準の共通化が実現すれば、デファクト(事実上)の国際基準となり、世界の貿易投資ルール形成への影響は頗る大きいといえる。
表3は、米EU間の主要な関心分野と大きな争点となる分野を想定したリストである。協定交渉の出発点として、「物品の全ての関税の撤廃」を目指すものの、必ずしも交渉が着実に進んでいるわけではない。本年3月に第4回目の交渉を終えているが、直前の2月に米EUは物品貿易の関税削減リストを初めて交換した。EU側が全体の90%台後半の削減案を示したのに対して、米国側オファーは80%台に留まり、EU側が不満を漏らした模様だ(注5)。関税引き下げの他にも、早期の合意を阻む要因になりそうな課題がいくつもある。例えば、「映像・音楽サービスの保護」について、文化の多様性が失われることを懸念するフランスなどの強い反対によって、とりあえず交渉の対象外とするとして欧州委員会は交渉のマンデートを加盟国に認めさせた。もし、米国が交渉対象に含めるように要求してきた場合、EU側は加盟国に議論を差し戻して、全28カ国の全会一致の合意を求めなければならない。フランスは「文化は例外」という主張を1980年~90年代のガット・ウルグアイ・ラウンド(多角的貿易交渉)でも押し通してきただけに、徹底抗戦の構えを崩さない。
さらに、米EU双方で重要分野と位置付けている農業問題でも大きな争点がある。トウモロコシ、大豆など遺伝子組み換え作物(GMO;GeneticallyModifiedOrganism)や成長ホルモン剤使用牛肉など食の安全規制についても、EU側の厳しい衛生検疫規制(SPS;SanitaryandPhytosanitarymeasures)を米国側が問題視している。これらの問題は米EU間のみならず、WTO(世界貿易機関;WorldTradeOrganization)紛争解決機関でもたびたび争ってきた分野である。
表3米EUの主要な関心分野・争点
関心分野 |
EU側の立場 |
米国側の立場 |
(関税)農産品の関税撤廃・引き下げ |
●高関税の乳製品、砂糖、食肉類など例外扱い |
●砂糖、乳製品、牛肉など例外扱い(関税割り当て制、関税撤廃の猶予など) |
(サービス)映像・音楽サービスの保護 |
●交渉対象から除外 |
●保護策の緩和を求める |
(投資)投資ルール・投資保護 |
●交渉の対象外か(二国間協定) |
●投資家と国家の紛争解決条項(ISDS)に賛成 |
(政府調達) 公共事業への外資参入改善 |
●全てのレベルの政府の規制緩和 |
●州レベルの法律の改正は困難 |
(規制問題)貿易の技術的障壁(TBT)/自動車安全性基準 |
●相互承認には原則賛成 |
●相互承認には原則賛成 |
(規制問題) 衛生植物検疫(SPS)/遺伝子組み換え作物 |
●食品安全の基本規制は変えない |
●EUの規制緩和で農作物の輸出拡大 |
(知的財産権)ワインなど食品の地理的表示 |
●地理的表示の保護強化 |
●保護強化に反対 |
(知的財産権)模造品・海賊版の取引の防止 |
●ACTAの取り込みに反対(注) |
●知的財産権保護の新基準としてACTAの取り込みを求める |
(規制問題)原産地ルール |
●原産地判定を自社で行う企業を政府が認定する |
●企業の自己責任制 |
(出所)執筆者作成
今後の見通し
ところで、米EUはTTIP交渉の合意時期をいつ頃と想定しているのだろうか。EU側は本年末までの合意が理想的としているし(欧州委員会通商担当のデ・ヒュフト委員)、米国側も可能な限りの早期合意を目指している点で意見は一致している。しかし、合意を急ぐそれぞれの事情はまったく違っている。EU側は本年10月の欧州委員会のメンバーの任期切れまでにTTIP交渉の成果を上げておきたいという思惑がある(注6)。他方、米国側の方も本年11月の米議会の中間選挙が控えており、TTIP交渉あるいはTPP交渉など通商戦略面で目ぼしい実績をあげておきたいという考えが強い。
もっとも、早期合意を阻む他の政治的な問題も想定される。米議会が大統領貿易促進権限(TPA、TradePromotionAuthority)付与法案をいつ可決するかという問題もその一つである。日本とのPTT交渉とEUとのTTIP交渉に対する米議会の賛否両論が渦巻いており、TPAの成立は早くて中間選挙後との見方が強くなってきていることも懸念材料である。また、EU側でも政治的な懸念がある。本年5月の欧州議会選挙で形勢が変わり、大衆迎合的な色彩が強まり、反自由貿易的な動きが台頭する可能性も想定される(注7)。
以上のように、早期の合意に向けて、超えるべき多くの高いハードルが待ち構えている状況を考えると、年内の交渉妥結はかなり難しいように思える。しかしながら、米EU首脳はともに高まる政治的な障壁に対して、TTIP交渉のペースを加速させて、今後数ヶ月の交渉の成果が多ければ多いほど、交渉を正しい軌道に乗せるチャンが増える好機とみなすべきであろう。
<注>
1.HLWG,FinalreportoftheHigh-LebelworkingGrouponJobsandGrowth
2.JosephFrancois:ReducingTransatlanticBarrierstoTradeandInvestment,AnEconomicAssessment(CentreforEconomicPolicyResearch,London,March2013)
3.TTIPの経済効果に関しては、ITIフラッシュ179「米EU環大西洋貿易投資経済連携(TTIP)交渉の行方(その1)」(2014/3/5)を参照のこと。
4.WTO協定税率(MFN税率)は、平均でEU5.2%,米国3.5%となっている。
5.日本経済新聞(電子版)(2014/3/15)
6.日本経済新聞(電子版)(2013/10/02)
7.FinancialTimes(16/02/2014)
参考資料:
ジェトロ(2013年)『世界貿易投資報告』、45頁~74頁
安田啓(2013)「TTIP/米国EU、世界のFTAルールの新標準になるか」(特集到来!メガFTA時代)(『ジェトロセンサー』2013年12月号、16頁~19頁)
日本経済新聞
HLWG,FinalreportoftheHigh-LebelworkingGrouponJobsandGrowth(February11,2013)
JosephFrancois:ReducingTransatlanticBarrierstoTradeandInvestment,AnEconomicAssessment(CentreforEconomicPolicyResearch,London,March2013)
FinancialTimes,Notimetowasteontransatlantictrade(February16,2014)
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