一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2015/01/13 No.218資源輸出国家としてのロシア経済の展望

遠藤寿一
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
一般社団法人ロシアNIS貿易会 顧問
ロシアNIS経済研究所 所長

はじめに

アゼルバイジャン共和国の首都バクー西南で、最初の油井が試掘されたのは1847年であった。ロシア帝国の歴代の皇帝は、石油産業の育成に注力し、1872年から商業生産がスタートし、2万5千トンを産出することに成功した。海外からの投資家もバクー石油に多大の関心を示し、ノーベル兄弟ナフサ会社(1878年)、ロスチャイルド(1880年)などが進出している。1898年には産油量で、ロシアは米国を抜いて世界最大の産油国となり、バクーは石油の都として繁栄した。かくして石油は帝政時代からソ連時代、さらには現在に至るまで国家財政を支えてきた。国家予算の策定に当たっては、原油の市場価格が基準になった。プーチンが大統領に選ばれた翌年2001年のロシア連邦予算は、ウラル原油がバレル当たり21ドルとして算定された。2002年は23.5ドル、2003年は21.5ドルで、2014年は100ドルであった。

1.なんども先送りになった「資源輸出型国家からの脱出策」

2000年ロシア連邦大統領に就任したプーチンは、早急に着手すべき政策として構造改革をあげた。従来の「資源輸出型産業構造」から脱出して、先端技術を基盤とし、国際競争力をもつ製造業を中心とする産業構造に転換する改革を実行しようとしたのである。

しかし、原油の市場価格は乱高下を繰り返しながら、2008年には145ドルにまで高騰してGDP成長率は2001-2007年の7年は年間5-8%を示し、外貨準備高も世界第三位となり、旧ソ連債務残額も2006年8月に繰上げ返済された。国民生活は豊かになり、消費文化を謳歌する時代に転換した。その結果、構造改革は後回しになったのである。

同様のことはロシアの東方政策にも指摘することが出来る。プーチン大統領就任直後の2000年7月アムール州ブラゴヴェシェンスクで行われた演説で「極東地域の重要性」を説いているが、まともに動き出したのは最近のことである。

2014年11月のOPEC総会で、減産見送り決定後の原油価格暴落・ロシア通貨(ルーブル)の暴落・ロシアのインフレ上昇と続くロシア経済への直撃は、強気のプーチンではあるが混迷は益々深まっている。2014年12月26日首相府を訪れたプーチン大統領は、メドベージェフ首相をはじめ全閣僚を前に「新年休暇は返上して、経済対策に尽力せよ。」と檄をとばし、さらに付け加えて「ルーブル暴落の際に内閣が行った対応策に誤りはないが、構造改革への努力が欠落していた為、経済の多角化へのプロセスが頓挫した」と叱責する。

ロシア政府が新年休暇(元旦より11日まで)後に発表するであろう「経済政策」の如何では、メドベージェフ首相更迭問題が復活するかもしれない。(ソチ五輪直後更迭説があったが、ウクライナ問題が深刻化したため消滅したかにみえる)経済閣僚の入れ替えもあるだろう。その背景には、昨年12月16日一時80.1ルーブル(1ドル当たり)と歴史的底値をつけた二日後、プーチン大統領は記者団に「いまロシア経済は、原油市場価格の暴落に順応しようとするプロセスにある。」と述べたことに、リベラル系メデイアは「プーチン周辺は経済音痴である」と具体的対抗策を用意できなかった政権を激しく非難したことにもよる。次の首相候補としては、リベラル系で元第一副首相兼財務相のクドリンと相対立する保守強硬派の現副首相ロゴジンの名前があがっている。

2.国際市場における原油価格の暴落の背景

昨年11月27日OPEC(石油輸出国機構)定期総会で、日量3,000万バレルと決めている生産目標を据え置くことが決まった。減産見送りを受けて、7月以降下降気味であった原油市場価格はいっきに加速して値下がりした。総会では、加盟12カ国のうちベネズエラ、エクアドル、リビア等々少なくとも5か国ぐらいが減産を求めたとみられるが、世界市場におけるシェアの低下を懸念するサウジアラビア、クエート等が据え置きを主張した。

OPECが決めた生産目標(日量3,000万バレル)に対して、2015年(OPECに対する)原油需要は2,920万バレルと予測され、生産目標の段階で80万バレルの供給過剰に陥っている。一方米国のシェール・オイルの生産量は、この三年間で日量300万バレル増加しており、逆に米国の原油輸入量が減少している。その結果ナイジェリアの米国への原油輸出量は、過去3年間で日量100万バレルから30万バレル以下に急落し、昨年8月には5万バレルにも届かなかった。(米国が開発したシェール・オイルとナイジェリア原油の性状は類似している)その結果、ナイジェリアは、米国に代わる代替市場をインド等アジア市場に求めている。

しかし、今や世界経済は視界の見えない停滞期に入って、資源を焦って買いまくるような状況にはないことである。その上従来の伝統的なサプライアーに加えて、米国が輸入国から輸出国に大転換したことで、市場は逆転した。原油の市場価格は、短期的には乱高下が繰り返されるが、今年の春以降には落ち着いてくると予測する市場関係者も多い。

価格幅がバレル60-70ドルなのか、70-80ドルなのか、それ以上なのか。期待値を込めて予測するが、正確なことは誰にもまだ判らない。

3.国際市場における原油価格の暴落は米国の謀略なのか

1980年代の世界的な原油価格暴落は、米国とサウジが仕組んだもので、これに起因する長期経済低迷がソ連経済に深刻な影響を与え、1991年ソ連崩壊の一因となったという説が当時流布したことがある。

(参考)
原油価格は、1981年のバレル35ドルをピークに下落し、1999年18ドルを記録するまで低迷を続けた。プーチン大統領が誕生した2000年は28ドルに上昇したが、2001年には23ドルに下がり、若干の乱高下を繰り返しつつ、2008年には145ドルに達している。

しかし、状況は当時と様変わりして居り、その可能性は薄いと思われる。

原油価格が下落すると、イランやロシアに政治的圧力をかけることができて、米国とサウジの利害は一致するが、オバマの中東政策にサウジは反発している。昨年ケリー米国務長官が中東湾岸諸国歴訪した時にも、関係を改善することは出来なかった。

2011年の「アラブの春」に対する対応に始まり、エジプトやリビアの政権崩壊を静観した米国は、イラン・トルコ・イスラエル等の非アラブ諸国を重視する政策に転換し、サウジの対米不信をさらに強めることになった。

世界最大の原油輸出量を誇ってきたサウジにとって、米国のシェール・オイル増産は脅威である。2007年米国の原油生産量は、平均で日量508万バレルに低迷していたが、2014年1~10月平均で849万バレルにまで回復している。

一方ロシアは、「米国謀略説」を事実として世界に認めさせようとする。構造改革を優先課題としてスタートしたプーチン政権も、原油市場が高騰して財政赤字は黒字転換し、海外からの投資も拡大、国民生活も豊かになると、危機に対する対策は忘れられた。

国民の目から、内政の失敗を外し米国の所為にしようとする。東西冷戦時代の論理となにも変わっていないことが判る。

4.今後のロシア経済の問題点は何か

ロシア経済は、プーチンが大統領に就任した2000年以降着実に成長した。その背景には原油をはじめとする資源価格の急速な高騰によるところが大きい。2001年から2008年までの8年間は年平均6.58%で成長した。2008年末ロシアにも到達したリーマンショックの嵐で、2009年は前年比7.8%減を記録したが、続く2010から2012年までの3年間は、原油価格も夫々年平均104ドル・105ドル・104ドルと高止まりで推移したため、成長率も夫々4.5%・4.3%・3.4%となって、3年で完全に回復した。

しかし、2013年は原油価格が前年比0.9%減となっただけで、成長率が1.3%に急落した。

この主たる原因は投資の減少で、特にパイプライン建設の減少があげられる。さらに2012年家計消費が前年比7.9%増であったが、2013年には4.7%増にほぼ半減した。(ロシアの家計消費が経済成長に大きく寄与していることが判る)ロシア経済が、直接的にも間接的にも原油価格に関わってきたことを示している。その上2013年秋からは、ウクライナ情勢の影響を受けるようになってきた。

米欧の対ロシア制裁とロシアの逆制裁:

プーチン大統領は、当初米欧の経済制裁は影響がないと豪語し、逆制裁として米欧からの食料品の輸入を禁じたが、これによりロシア国内で販売される食料品が大幅値上がりし、インフレが久しぶりに二桁に突入した。(速報値は2014年のインフレを11%と発表)

プロジェクト関連で制度金融を利用した日本からの輸出が、制裁の対象になって進展していない。すべて中型以上のプロジェクトであり、日本企業からも期待している案件である。新首相候補にも噂されているクドリン元第一副首相兼財務相は、「米欧の経済制裁は、ロシア経済に徐々に浸透してきている。ロシアの実体経済に与える影響は今や約40%に迫っている。」と警告している。

2015年連邦予算への影響:

OPEC総会終了の直後ロシアでは、原油は6.3%減のバレル73ドルとなり、外国為替市場ではルーブルは対ドル48.655、対ユーロは60.696ルーブルに急落した。

シルアノフ露財務相は、2015年の連邦予算に触れて、215億ドルの財源不足が生じることを記者団に述べ、さらに短中期予測に触れて、原油価格がバレル60ドル台で安定することを前提にして、為替は対ドル51ルーブルで予算の見直しに入る。いずれにせよ当初予算より約10%減は避けられないと断定している。

(参考)
2015年度ロシア連邦国家予算は、昨年12月3日プーチン大統領が署名して成立した。総額15兆5,000億ルーブルで、原油価格はバレル100ドルを前提としており、市場の現実を反映していない。尚、連邦予算で国防・治安関係が3分の1を占めており、適正化が課題になってくる。

連邦予算はこのままでは実行できない。プーチン大統領は経済活性化のための大プロジェクトを並べ「発展するロシア」を内外に誇示したが、これらの目玉案件が動かなくなる。
この中には「ワールドカップ2018ロシア」もあり、インフラを中心とする公共工事に影響が出る怖れも否定できない。

日本企業のロシア投資への影響:

日本企業が取組んで契約済のプロジェクト案件が、制度金融がロシア制裁の対象となっている関係で一時サスペンドの状況にあることは前述の通りである。

一方自動車産業を初めとする日本を代表する企業が、ロシアに進出し製造業を起ち上げてきた。これらの工場で使用する部品等は業種により異なるが、60%前後を日本ならびに欧米からの輸入に頼り、現地化が一向に進んでいない。これは、ロシア国内に国際競争力をもっている有力な企業がなかった為であるが、ルーブル下落により新たな問題を抱え込むことになった。

ロシア企業の対外債務問題:

ロシア企業が抱える対外債務は、市場関係者の話によると総額6,000億ドルにも達すると言われ、本年末までに返済すべき金額は1,300億ドル前後になるらしい。

昨年末(12月30日)メドベージェフ首相は、政府系大手銀行VTB(外国貿易銀行)に1,000億ルーブルの資本注入を決め、さらに他銀行に対しても総額最大1兆ルーブルの資本注入を約束した。ロシア企業が債務不履行(デフォルト)になることを回避するためである。

ユーラシア経済同盟の行方:

ロシア、カザフスタン、ベラルーシの三国で、2010年発足した関税同盟(3か国域内の関税撤廃)は、昨年アルメニア、キルギスが加わって「ユーラシア経済同盟」に発展する予定であったが、ルーブル暴落も影響して、経済同盟の将来への不安が広がってきた。

ベラルーシのルカシェンコ大統領は、ロシアとの貿易をルーブル決済から米ドルかユーロに切替えるよう要求、カザフスタンもロシア向け電力の輸出をルーブル安を理由に一時中止した。プーチン大統領が、EUに対抗する経済同盟と位置付け、積極的に推進してきたものだけに期待も大きかった。

おわりに

プーチン大統領は1月1日午前零時「新年メッセージ」をテレビを通じて国民に述べた。先ず「昨年クリミアのロシア参入は重要な偉業である」ことを強調した上で、「2015年は我々に多くの課題を解決することを求められている。」と国民の結束を呼びかけている。

世論調査によるプーチン支持は、今も80%を超えて揺るぐことがないと報道されてはいるが、庶民の生活を脅かす要素が一気に噴出すると基盤は一瞬に崩れ落ちる。

最近の報道も政府系を除いては、現政権に不満を示す兆候が感じられている。

制裁はそろそろ限界にきており、制裁解除への動きが水面下で激しくなってきた。

1月12日ベルリンで開催予定の4か国外相(ロシア・ウクライナ・ドイツ・フランス)会談が注目されている。この会談が首脳会談のアジェンダを合意出来るだろうか。

オランド仏大統領は、5日ラジオ番組で「制裁は、ウクライナ問題で進展があれば解除すべきだ」と述べたが、7日プーチン大統領は、仏新聞社銃撃事件の直後、誰よりも早く、声明を出して、テロとの戦いで連帯する姿勢を示している。ロシアに対し強硬路線に転じたメルケル独首相に代わって、オランド仏大統領にすり寄る姿を垣間見る。

今や、世界はヨーロッパ発の経済不況が、世界同時不況に追い込まれないよう叡智を結集すべき時にきている。

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