2016/12/02 No.307観光立国に防災ツーリズムの薦め-震災大国の経験は世界貢献の資源―
山崎恭平
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
東北文化学園大学 名誉教授
Ⅰ. はじめに
国土交通省の発表によると、今年10月までの訪日外国人は2,000 万人を超え、暦年としては初めて2,000万人の大台に乗る新記録となった。政府は成長戦略に観光立国を掲げ、20年には4,000万人、30年には6,000万人の訪日外国人の誘致を目指すが、最近訪日外国人客急増の主役である中国人の増大ペースが鈍くなり、また大都市圏を除く地方への訪日外国人があまり伸びない傾向が見られる。特に東日本大震災と原発事故に見舞われた東北地方への訪日外国人は全体の1%台にとどまっており、政府は2016年度を東北観光復興元年として外国人延べ宿泊者を2020年には現在の3倍の150万人に増やすとしている。振興策では、相変わらず道路網や大型客船就航の港湾設備といったハコモノ整備が図られる一方、財政厳しき折に大金を投じなくとも被災地を訪問し直に見聞して防災や減災を学ぶ「防災ツーリズム」振興の意義が軽視されていると思えてならない。
昨年3月に仙台市で開催された第3回国連防災世界会議では、震災大国日本の被災経験や防災減災の知見が世界的に稀有ないわば観光資源として認識され、それを世界に向けて発信する「防災ツーリズム」の可能性が高まった。訪日外国人の急増や中国人の“爆買い”による消費増には結びつかないものの、被災地を訪れ自らの見聞で防災減災を学びヒトの交流が進む「防災ツーリズム」が観光立国の施策でもっと重視されるべきであろう。
Ⅱ.「仙台防災枠組2015-2030」の意義
11月5日は日本の「津波防災の日」であるとともに、2016年から新たに世界の「津波の日」となった。前者は東日本大震災を機に2012年から定められ、後者は日本のイニシアティブにより国連加盟国142カ国が共同提案して今年から国連の記念日(World Tsunami Awareness Day)となった。国連本部では3日に日本、チリ、インドネシア、モルディブの4カ国によるパネルディスカッション、5日にはインドのニューデリーで国連アジア防災閣僚会議が開催されたほか、日本をはじめ世界各地で津波被害の防災や減災のイベントが行われた。世界の自然災害の地震や津波災害の8割は太平洋とインド洋地域に集中し、特に日本は世界的に最も地震や津波被害に見舞われて来た国のひとつである。そのため日本では古来より防災や減災の知見や知恵が生まれ、「世界津波の日」は日本の伝承を活かし防災の大切さを世界的に発信する記念日となった。震災大国日本では災害は避けられないものの震災に備えるとともに防災減災の意識が高く、その世界的な発信や共有を図るべく国連は防災(BOSAI)の世界会議を開催するようになった。第1回会議を1994年に横浜市で開催して防災理念をまとめ、第2回会議は2005 年に神戸市で開催して防災行動を議論し合い、そして2015年には国連の先進的防災ロールモデル(模範)都市である仙台市で第3回会議を開催し、防災の定着に知恵を絞って2030年までの世界の防災指針「仙台防災枠組2015-2030」(骨子別紙1)に合意した。
第3回国連防災世界会議は、2011年3月11日に東北地方に発生した千年に一度の頻度といわれる東日本大震災から4年後に開催され、大地震の被害に加え地震と津波による東電福島第1原発の複合被害を対象にした。世界から185カ国・地域の代表が6,500人以上出席し、本会議のほかに関係者が自由に参加するパブリック・フォーラムが併設され(注1)、5日間に内外から延べ15万人が参加する仙台初の大国際会議となった。会議では宮城県を中心に半日~1日程度の被災地のスタディ・ツアーが25コース42本催行され、延べ635人が参加して視察を行った。参加者の多くは、映像やメディアを通じてよりも直に災害の大きさや悲惨さを目の当たりにして防災減災の大切さを実感できたとツアーの意義を評価した。比較的参加者が多かったスタディ・ツアーは次のようなコース例であり、防災減災を学ぶ観光資源の発信力があったと見られる。
- 津波への備え・多重防御見学(仙台東部沿岸のかさ上げ道路、流された海岸防災林、使用不能となった荒浜小学校舎、津波避難タワー)
- 最新技術を用いた復興の加速化と津波伝承(陸前高田市の「奇跡の一本松」や希望の架け橋、大船渡市の震災遺構津波伝承館等)復興
- ふくしまの見学コース(津波被害からの復興と漁業の取り組み、食の安全、東電福島 第1原発視察~除染と廃炉~)
その後も被災地を訪れて学ぶ震災ツアーや復興ツアー、教育や研修・修学旅行、インテンシブ・ツアー等が頻繁に行われるようになり、また仙台での2012年の世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)グローバル・サッミトや今年5月のG7財務相・中銀総裁会議では被災地を訪れるツアーが組まれ実施され好評だった。これらから防災減災がいわば有力な観光資源になって訪問者が増える「防災ツーリズム」(注2)が生まれている。
Ⅲ. 被災地ゆえの貴重な防災観光資源
大きな都市型災害をもたらした1995年の阪神淡路大震災を機に神戸市に作られた震災遺構「人と防災未来センター」は、年間で内外300万人が訪れる防災を学ぶ貴重な拠点となっている。東日本大震災の場合はまだ日が浅いが、被災地がいわば観光資源の発信になっている具体例が少なくない(震災遺構保存の意義は別添2参照)。代表的な事例を見ると、次のような実績がある。
岩手県の宮古市には国費の保存が決まった「田老観光ホテル」が震災遺構となり、語り部ツアーで学ぶ防災拠点として訪問者が10万人を超えた。小中14校に学ぶ生徒3,000人が備えに則り一人の犠牲者もなく避難した「釜石の奇跡」の現場は、内外の教育関係者を中心にして防災の備えを学ぶ訪問者が絶えない。また、74名の小学生と10人の教員が死者行方不明者となった宮城県釜石市の大川小学校のケースでは、この10月予見可能性と結果回避義務違反で防災教育に過失があったと第一審裁判の判決が出た。今後さらに市と県の行政と被害者家族の主張が控訴審で争われる運びであるが、教員新人研修の防災カリキュラムに組み込まれる等貴重な教訓を学べる稀有な現場には現地訪問者が絶えないようである。また福島県の東電第1原発事故サイトから20㎞圏外にある通称浜通りの双葉郡広野町は、放射能汚染被害が比較的軽微で住民の緊急避難は2011年9月に解除され13年には警戒地域でなくなった。約3,000人の事故処理や除染関係者の居住拠点となっているものの住民の帰還はなかなか進まず、これからの本格的な住民帰還と復興、Jヴィレッジの再開に向け今年度に「復興国際スタディツーリズム事業」を立ち上げ、来年度から本格的に事業を実施して内外からの誘客や交流人口の拡大を図る(2016年11月6日付福島民報)。
被災地の東北地方では、防災減災をめぐる国際的なシンポジウムが開かれる機会が多くなり、大学の研究所の世界的活動で内外の研究者や専門家の訪問が増えている。東北大学に設置された災害科学国際研究所(IRIDeS)は実践的防災学の世界的拠点を目指し、福島大学に設けられた環境放射能研究所や福島医科大学の国際医療科学センターは原発事故による放射能被害研究や環境教育拠点として内外の研究者が集まるようになった。またODAによる防災の国際協力の分野では、JICA(日本国際協力機構)による外国からの行政やメディア関係者が被災地を訪れる日本研修が頻繁に行われ、JICE(日本国際協力センター)のキズナ強化プロジェクトや自治体の姉妹都市等の交流事業では、防災減災をめぐる海外との人の交流が盛んになっている。政府は国土強靭化啓発活動の一環として11月25日と26日の両日「世界津波の日 高校生サミット」を高知県黒潮町で開催し、これには世界の30カ国から高校生(海外246名、国内110名)が参加、このうち海外からの130人が4組に分かれサミット直前に石巻市、南三陸町、女川町、多賀城市の被災地を見学し地元の人々と交流した。
国際会議の予定としては、来2017年11月にスイスのダボスで今年開催された国際災害リスク会議が仙台で「国際防災フォーラム」(World BOSAI Forum IDRC 2017 in Sendai)として開催が決まった。国際災害リスク会議は隔年開催で、今年開催の第6国際災害リスク会議には70カ国から政府、民間、メディア関係者約500人が参加しており、今後ダボスでの開催の翌年には仙台での国際災害フォーラムが仙台市や国際災害科学研究所等の協力で開催される予定となった。
Ⅳ. 「より良い復興」と賦存資源に気付く
大震災は、復旧復興を進める過程で産業再生や新たな取り組みを始め、またこれまでは気付いていなかった東北地方に賦存する資源を認識する機会ともなった。「仙台防災枠組」はビルド・バック・ベターという被災前よりも良い復興を図る原則や女性や若者、市民の参加や協働による防災減災の重要性を訴えている。この方針の下で、例えば壊滅的な被害を受けた三陸海岸沿いの水産業は、設備や業界の近代化に取り組み6次産業化によるマーケティング意識を強化した。津波被害で水稲栽培に支障が出た仙台平野や放射能汚染の被害が及んだ福島県の浜通り(太平洋沿岸部)では、農地の集約化で米作の競争力強化を図り、ITを活用する「植物工場」でイチゴや野菜、花卉栽培が行われるようになった、また、生産物は加工して付加価値を高めて販売促進を図る中で、従来はあまり関心がなかった海外市場に輸出を図る取り組みが見られるようになり、国と県市町の自治体やJETRO(日本貿易振興機構)が支援を強化している。
地域に備わっていた技能や知恵の活用例もある。漁網を編み繕ってきた漁村女性の手工業技能を組織化して活用し高級ニット製品の事業化に成功した例(気仙沼ニッティング)があり、「森は海の恋人」運動で知られるカキやワカメ養殖では、養殖場が筏の破損や震災がれきで壊滅的な被害を受けたものの森林と里海連関の環境保全の取り組みが功を奏して予想以上に早い復興をもたらした。中華料理の最高級品のフカヒレは気仙沼で水揚げされるヨシキリザメのヒレを加工した特産品で、切り身、練り物等の食品、ペットフード、革製品、美容液やクリーム等の化粧品加工に多角化し、資源保全の観点から世界的に注目されるようになった。さらに、東北の水産業界は海外から多くの水産加工技能実習生を受け入れていたが、工場経営者達は震災時に水産産加工に従事していた中国人実習生162人がひとりの犠牲者も出さずに帰国させた。これは中国では「女川の美談」として有名になり、日本と中国の政治的な緊迫が続く中でその後の復帰や中国人訪日につながったといわれる(注3)。
震災被害を契機に、未来志向のスマートシティへの復興を果たした例がある。死者・行方不明者が1,000人を超え、全住宅の3分の2以上の1万1,000 戸が全半壊した奥松島を抱える宮城県東松島市は、復興に環境未来都市構想を掲げ、水田を造成した4haに日本初のスマートグリッドを利用したエコタウンを造成して生まれかわった。市は一般社団法人「東松島みらいとし機構」を2012年に設立し、敷地内調整池や集合住宅の屋上に太陽パネルを設置し太陽光発電を行いバイオディ―ゼル非常用発電と組み合わせ、東北電力の電線を使わず独自の配線網を敷き災害公営住宅と病院や避難場所となる公共施設に電力供給をする。この構想の実現は、電力供給でバイオマス、太陽光、風力を中心に再生エネルギー100%を目指している再生エネ先進国デンマークのロナンド・コムネー市と協力協定を結んだことが大きく、地方都市での実施は「東松島モデル」ともいわれて注目されている。
また、東北地方では、東日本大震災からの復興を越えて地方創生を目指す国際的な大プロジェクトの誘致が盛り上がっており、世界から研究者が集まり関連産業の集積が進む期待から子供たちが夢を膨らませている。ヒッグス粒子を発見したスイスのLHCといわれる円形型加速器の後続で次世代線形型加速器ILC(国際リニアコライダー)が岩手県南部と宮城県北部の北上山地に建設される計画が進んでいる。日本政府の誘致決定を控えて12月5~9日に盛岡市で国際学会の会議LCWS(リニアコライダー・ワークショップ)が開催され、世界から約350人の研究者が集まると見込まれる。このILC計画は実現すればこれまでの大規模国際研究プロジェクトISS(国際宇宙ステイション)や南極観測に匹敵するといわれ、また世界から家族を含め約1万人の研究者が集う日本初の国際研究都市が生まれる運びで、「サイエンス・ツーリズム」への期待が高まっている(注4)。
Ⅴ. おわりに
政府の成長戦略には観光立国が挙げられている。世界的にGDPの1割近くになろうとしている観光業は、日本では製造業振興を重視した結果これまではあまり注目されて来なかった。しかし、この産業は技術革新や所得向上の恩恵を受けて拡大している上に、関連産業が多い総合産業として生産波及力が大きい。日本は潜在的に観光資源に恵まれており、平和で安全安心時に発展する産業として今後成長の余地は大きい。従って成長戦略や震災からの復興で振興されるのは遅きに失したきらいがあるが、振興策として挙げられている道路や港湾、空港のいわばハコモノ整備は財政的に問題が多い。東日本大震災以降でも熊本地震や異常気象による水害被害が各地で相次ぎ、また2020年の東京オリンピック・パラリンピック招致への備えを考慮すると、大きな財政支出を伴わないで関係者の協働や知恵を絞って臨むいわばソフト的な振興策をもっと活用すべきと思う(注5)。中でも、東日本大震災では被害が甚大で復旧復興過程と将来における防災減災を図る上で多くの貴重な教訓があり、それを現場で直に見聞し学ぶ機会を求めて被災地を訪問する防災ツーリズムにもっと注目すべきである。これは被災地支援だけでなく世界的な防災減災の貢献につながる国際協力でもあり、国連や世銀等の国際機関や多くの外国が日本に期待している方向であろう。
そうした防災ツーリズムの期待には、東日本大震災の場合地震や津波被害に加え原発事故と放射能汚染への対応があった。多くの国が原子力発電を行っている現状から、日本の原発災害は原因究明や対策、除染作業等の説明や情報公開の期待が大きかった。しかし、第3回国連防災世界会議では本会議で原発災害はほとんど議論されず、事故後間もなくの事故終息宣言やオリンピック招致時での放射能汚染はコントロールされているとの国のトップの言明、さらに政府の消極的な情報提供の在り方には内外の不満が大きい。安全安心は現在の国際社会における開発理念の「人間の安全保障」の基本であり、客観的で正確な積極的情報公開や発信が不可欠であろう。
この10月所用を終えて茨城県ひたちなか市から仙台市へ、東電福島第1原発近くを通る国道6号線を自家用車で帰った。まだ住民帰還が認められていない事故現場近くの道路脇にはブタ草等の雑草が生い茂り、廃墟となった家並みとともに、「野生動物の衝突に注意」の看板に驚いた(注6)。国道の通過車両は事故や除染関係のトラックが多く、道路近くでは除染作業を観察するとともに、除染した汚染土や廃棄物を詰めた黒色のフレコンバッグが野積みされているのが随所に見えた。事故から5年半余経過してもなお原状復帰は時間がかかると垣間見て、原発事故の大変さと防災減災の大切さを実感した。事故現場にはまだ一般人は訪れることは出来ないが、将来的には防災ツーリズムを発信するきわめて貴重な全人類の資源になるであろうと感じた。とすれば、現実を内外に包み隠さず客観的に公表し情報発信を続けて防災減災につなげることが必要で、それは風評被害を越えて世界から評価されことになろう。このことを日本の政治家や行政府には強く要望したいと思う。
(注1) 仙台市は市政始まって以来最大の国際会議に備えて国際センターを増設し、誰でも参加できるパブリック・フォーラムは市内を中心にセミナーやシンポが398件、200以上のブース展示、100か所以上のポスターや野外展示が行われた。
(注2) 観光資源は一般的には興味や物見遊山的な娯楽性を満たすものが多いものの、戦争、災害、テロ等不幸な出来事から学ぶ冷戦やテロ遺構、災害遺構もあり、ダークツーリズムといわれることがある。災害遺構の場合防災減災を学ぶ目的を主眼に「防災ツーリズム」の資源として保存されることが多い。
(注3) 藤森三郎『なぜ162人全員が助かったか』日中友好協会宮城県泉支所、2012年
(注4) 山崎恭平『国際リニアコライダーILC誘致の環境整備大詰め』ITIフラッシュ 2016年1月26日。 『ILC誘致で大震災の復興と新しい東北の創生』世界経済評論IMPACT No.675 2016年7月25日 参照。
(注5) 「仙台防災枠組2015-2030」では、政府や自治体だけでなく、市民、地域団体、女性、若者等多様な関係者(マルチ・ステイク・ホルダー)の参加と協働を求めている。また、東北観光推進機構は外国人誘客のため観光資源の広域周遊モデルコースを策定した。7泊8日の旅程で歴史や文化、自然景観、グルメ等の東北の魅力を周遊するもので、大震災関係では「三陸の恵みと復興」コースがある。(注6) NHKスペシャル「原発事故5年目の記録」(前編:被曝の森、後編:無人の町はいま)は3月に放映され、イノシシが人里に住み着き跋扈していると伝えた。この番組は国民や視聴者の懸念を客観的に伝えて、その後数回再放送された。
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