2017/10/12 No.352メルケル首相4選、困難が予想される連立交渉
新井俊三
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
ドイツ連邦議会選挙で大政党が後退、多党化が進む
9月24日にドイツ連邦議会選挙が行われた。選挙前の世論調査では4選を目指すメルケル首相がリードし、大きな争点もないとみられていたところから、退屈な選挙といわれてきた。ドイツの選挙は各政党が首相候補を立てて戦うが、今まで連立政権の一翼を担っていた社会民主党(SPD)は、メルケル首相と競える人材が幹部の中に見当たらないところから、欧州議会の議長を務めていたシュルツ氏を党首として選出し首相候補とした。当初は新鮮さからか世論調査ではメルケル首相と拮抗していたが、州選挙での敗北もあり、徐々に差を広げられ、メルケル4選が確実視されていった。
焦点の一つは、メルケル首相が率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)が第1党となることは確実であったものの、過半数には届かず、そのため、どの政党と連立を組むかということであった。社会民主党との大連立を継続するのか、あるいは前回2013年の総選挙で5%を獲得できず、議席を獲得できなかった自由民主党(FDP)の再登場も予想されていたため、同党と連立を組むか、ということである。もう一つは、難民排斥を唱える右翼ポピュリスト政党、ドイツのための選択肢(AfD)が果たしてはじめて連邦議会に進出できるかどうかということであった。
ふたを開けてみると選挙結果はやや意外なものであった。従来連立政権を担ってきた2大政党、キリスト教民主・社会同盟と社会民主党が大きく得票率を落とし、キリスト教民主・社会同盟は1949年以来の最低の数字を記録、社会民主党は戦後最大の敗北を喫した。また、自由民主党が復活、ドイツのための選択肢もはじめて進出したため、6党が議席を持つこととなり、多党化が進んできた。ドイツでは、ワイマール時代に小党が乱立し、政権の安定が損なわれたという反省から、5パーセントの得票を獲得するか、小選挙区の直接投票で3人以上が選出されないと、議会への進出ができないこととなっているが、この壁を突破し、6党体制となった。
ドイツ連邦議会の選挙は小選挙区比例併用制で行われる。投票用紙は2枚あり、1枚で小選挙区の候補者を選出し、2枚目でリストに掲載された政党を選ぶことになっている。議席の配分は各政党が獲得した得票率によって行われるが、小選挙区で直接選出された議員は優先的に議席を確保できるため、定数よりも多い議席が生まれることもある。今回の選挙では定数が598議席であったのに対し、確定した議席が709と、多くの、いわゆる「超過議席」が生まれることとなった。
表1.ドイツ連邦議会選挙2017結果
今回の選挙で、有権者が前回の選挙での投票先をどのように維持・変更したかという分析がなされているが、そのうちドイツのための選択肢および自由民主党への投票を示したのが、表2および表3である。両党にはキリスト教民主・社会同盟から250万票以上が、社会民主党からも100万以上の票が流れている。連立政権への批判票が流出したとみることもできる。また、投票率は前回の71.55%から76.2%と上がっており、前回の棄権者が今回は両党に多く投票している。
表2 AfD(「ドイツのための選択肢})に投票した人の政党支持別内訳
~前回選挙時に投票した政党から今回選挙でAfDに鞍替えした投票者数~
表3 FDP(「自由民主党」)に投票した人の政党支持別内訳(前回選挙時との比較)
~前回選挙時に投票した政党から今回選挙でAfDに鞍替えした投票者数~
躍進したドイツのための選択肢
今回の選挙結果での一番の驚きあるいは懸念は右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢」の議会進出であった。2013年設立の同党は、すでにドイツの16州のうち13州の議会および欧州議会に進出し、前回2013年の連邦議会選挙では5%の壁を突破できずにいたが、今回は12.6%を獲得し、第3位の党として躍り出た。
ドイツのための選択肢は、もともとハンブルグ大学の経済学教授であったルッケ(Bernd Lucke)が中心になって2013年4月に設立された政党で、EUのギリシャ支援に反対、ドイツのユーロ圏からの離脱、マルクの復活などを掲げた保守政党、現状批判政党として出発した。しかし、百万人近くの難民の流入で、右派党員の勢力が拡大、その結果ルッケが党を追われ、右傾化が進み、現在では反難民・移民の右翼政党として位置づけられている。
同党の成功について様々な分析がなされている。旧東西ドイツでの得票率の違いを見てみると、旧西ドイツでは10.7%で、11.4%を獲得した自由民主党にも及ばないの対し、旧東ドイツでは21.9%を得て、27.6%のキリスト教民主同盟についで2位となっている。州別に見ると、4つの州で、旧東ドイツの政党、ドイツ社会主義統一党(SED)の流れを汲む左派党(Die Linke)を上回り、キリスト教民主同盟についで2位となっているが、ザクセン州では27.0%を獲得し、2位をわずか0.1%上回り1位となった。
ザクセン州をさらに小選挙区別に見てみると、Sächsische Schweiz-Osterzgebirge (35.5%)、 Görlitz (32.8%)、陶磁器で有名なMeißen (32.9%)、Bautzen (32.8%) 、Mittelsachsen (31.2%)などで第1党となっている。また、Sächsische Schweiz-Osterzgebirge、Görlitz、Bautzenの3小選挙区では直接選挙でも当選者が出ている。小選挙区で少数政党候補者が直接選出されるというのは困難で、今回の選挙では左派党が東ベルリンを中心に5人、緑の党が1人、自由民主党は当選者がいなかったが、ドイツのための選択肢からは上記の3地区から当選者が出ている。(注1)
選挙後、ドイツの記者が上記東ザクセンとよばれるこの地域を訪問し、現地報告を行っている(注2)。ここはポーランド、チェコとの国境に接し、ザクセンのスイスと呼ばれる観光地をかかえるところである。インタビューの対象となったのは66歳の男性で、現在は小さな商店主であるが、東ドイツ時代には大学を卒業しエンジニアとして働いていており、その後父親が所有していたガソリン・スタンドを引き継ぎ、ドイツ統一後は一時商売もかなり繁盛していた。しかし、やがて大手の競争相手が進出、EUの東への拡大によりチェコの方がガソリン価格が安いため、打撃を蒙った。同業者とともに救済策を政治に訴えたが、何もしてもらえなかったという。
さらに難民の流入である。直接的には難民の受け入れはこの地域は少ないと思われるが、それでも、東へのEUの拡大により犯罪が増加しているのに警官が足りず、生活苦にあえぐ年金生活者への支援も少なく、教員も減らさざるを得ないという状況の中で、なぜ多くの難民のために我々が苦労して収めた税金を使うのか、というのがこの男性の不満である。こうした不満をのべると「ナチだ」といわれ、さらに不満が募る。難民は助けたいが、数が多すぎるという。この男性は現状の不満から、候補者を直接選ぶ投票でも比例の投票でもいずれもドイツのための選択肢に投票したという。
旧東ドイツは外国人が少ないにもかかわらず、あるいはそれ故に反難民、反外国人意識の強い地域である。これは、共産党政権下の東ドイツでは、ナチの過去は旧西独の責任とされ、過去の克服の議論はされず、また、外国人と身近に接触する機会、受け入れた経験が少ないため、かえって外国人への反感が強くなったといわれている。
貧しく政治に顧みられないという地域の人々にうっ積する不平・不満が難民の大量流入で、おもてに現れてきたともいえる。旧西ドイツでも、ルール工業地帯の中でゲルゼンキルヒェンやエッセンなど旧産炭地域で産業転換がうまくいかず、失業率が高い地域では、やはりドイツのための選択肢が15~17%の支持率を獲得している。
今回の選挙戦では争点の一つが難民対策であったが、難民の到達ルートの一つであったバルカン・ルートはハンガリーが国境を鉄条網で閉ざしたため使えなくなり、またトルコ経由のルートもEUとトルコの協定により数が制限されたため、難民の流入は以前よりはるかに少なくなり、大きな争点とはなっていなかった。連立を組んでいたキリスト教民主・社会同盟も社会民主党も難民の受け入れには積極的に反対をしていなかったため、なるべく選挙戦の争点にしたくなかったということもある。
社会民主党は選挙のスローガンで「公正さ」訴えたが、これは男女同一賃金や貧富の差の縮小などを想定していたはずであるが、失業率の高い地域、東西ドイツ格差などが選挙民からは問題とされたといえよう。貧困と難民が相乗効果を起こし、ドイツのための選択肢を議会に押し上げた。
3政党による連立か、難航が予想される連立交渉
選挙結果を受けて、社会民主党のシュルツ党首はキリスト教民主・社会同盟との連立を拒否し、野党になることを選択した。これ以上連立を続けるとさらに埋没してしまうことを恐れたためである。左派党、ドイツのための選択肢とはどの党も連立を組むことを拒否しているため、残された可能性はキリスト教民主・社会同盟と自由民主党、緑の党との3党連立である。
ドイツでは各党のシンボルカラーが決まっており、キリスト教民主・社会同盟は黒、自由民主党は黄色、緑の党はもちろん緑。社会民主党は赤である。連立政権ができると、たとえばキリスト教民主・社会同盟と自由民主党との連立であれば黒黄連立、社会民主党と緑の党であれば赤緑連立などと呼ばれたりしていた。社会民主党と自由民主党、緑の党との連立は赤・黄・緑で、これは信号機の色であるため信号機連立とも呼ばれている。キリスト教民主・社会同盟と自由民主党、緑の党との連立の可能性が出てきたとき、探してみたらジャマイカの国旗がこの3色からできているため、この連立政権は「ジャマイカ」と呼ばれるようになった。
このジャマイカ連立政権であるが、3党の連立であり、しかも自由民主党と緑の党との政策の違いが大きすぎる。たとえば環境政策であるが、緑の党は2030年までに電力はすべて再生可能エネルギーで賄うよう主張しているし、車についても2030年までに新車はディーエルおよびガソリン車を廃止することを目標としている。これについては、中小企業経営者、大企業幹部、自由業者などを支持基盤として、自由経済を掲げる自由民主党が受け入れるはずがない。
また、閣僚ポストに割り振りについてもさや当てが始まっている。自由民主党は2013年の選挙で敗北したのは、2009年の選挙で掲げた減税を実施できなかったためであり、その原因は財務相のポストを獲得できなかったためであると分析している。したがって今回は財務相を獲得することを念頭に置いている。現在の財務相は、財政黒字達成に執念を燃やし、ユーロ圏のギリシャ支援でもタカ派であったショイブレであるが、同氏はすでに連邦議会議長に横滑りすることが内定している。これは財務相を自由民主党にわたし、連立交渉を円滑に行うためのメルケルの戦術ではないかという憶測も出ている。
ドイツにおける連立交渉は時間がかかる。今までの連立交渉は平均で37日かかっている。
これは同じ組み合わせの連立政権が続く場合も含まれているため、新たな連立の場合はもっと長くなる。2013年の連立交渉は、交渉を始めてから新政権が議会で宣誓するまでに86日かかっている。これは社会民主党が交渉結果を党議にかけたためである。
連立交渉は予備交渉から始め、やがて3党からテーマごとに交渉担当者が決まり、長く厳しい交渉の結果、連立契約(Koalitionsvertrag)を締結する。これは契約といっても普通の契約ではなく、連立政権の協定書のようなものである。この契約はやはり党議にかけられることが予想されるので、長期化する。現在はクリスマス前までには、と予想されている。
連立交渉が不調に終わった場合はどうなるか。ドイツ連邦政府の歴史では、少数政権があったが、それはたとえばシュミット社会民主党・自由民主党連立政権で、自由民主党が連立を解消したため、次の政権ができるまでの短期の政権という例外的なものであった。発足当初からの少数政権というのは、基本法の規定上可能ではあるが、歴史的には例がなく、また政権が不安定であるため、3党とも政権樹立に向けて努力するはずである。ただし、発足後政策の不一致から解体の危険はともなうのではないか。メルケル首相はまだ社会民主党との連立の可能性も捨てていないといわれている。(2017年10月6日記)
注1. ドイツ公共放送第1(ARD)のウェブサイトにはかなり詳しい選挙結果、分析が掲載されている。
注2. “ AFD-HOCHBURG Das macht ihnen Angst” Frankfurter Allgemaine ウェブ版 2017.9.25同様の記事はFinancial Times にも掲載されている。”Discontent from Germany’s Eastern states boost AfD” 同紙ウェブ版2017.9.30
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