2018/09/06 No.386何故マレーシアで政権交代が起きたのか(1)~マハティール改革が目指すもの~
小野沢純
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
2018年5月9日に実施されたマレーシアの総選挙で、野党連合の希望連盟(PH)が113議席を獲得し、国民戦線(BN)に34議席の差をつけて勝利した。1957年の独立以来、初めての政権交代となる。同時に行われた州議会選挙では、PHがジョホール州やクダー、マラッカ、ネグリ・センビラン、ペラ、スランゴール、ペナンを合わせた7つの州議会で過半数を獲得した。
政権交代をもたらした主役は、93歳のマハティール元首相である。マレーシアでおきたマハティール旋風の背景と今後の展望を、ITI客員研究員の小野沢純元拓殖大学/東京外国語大学教授に伺った。(聞き手はITI事務局長大木博巳)
1.マレーシアに歴史的な政権交代をもたらしたマハティール旋風の背景
93歳のマハティール氏が首相に帰り咲きました。激務にご高齢が懸念されていますが、体調は大丈夫でしょうか。
‐マハティールさんが本格的な政治活動に復帰したのは、5年ぐらい前、88歳頃から再開しています。選挙に出ると決めてからは、もう毎日、町に行って“チュラマ”と称する政治集会で話をします。それも、30分ぐらい立ったまま。もちろん原稿もなしです。それを1か所ばかりじゃなく、3か所以上でやっていました。普通の老人はちょっとできない。やっぱり、超人的なところがあるようです。
健康の秘訣を語っているようですが。
‐何でマハティールさんはそんなに元気かというと、必ず言っているのは、やっぱり小さい頃からお母さんから、物を食べるときには、お腹いっぱいになるまで食うなと。お腹がいっぱいになる前にやめなさいと。日本語で言う腹八分目ですね。そういう育て方をされてきたからかもしれません。
今回の総選挙で盤石と思われていた与党、国民戦線が歴史的な敗北を喫しました。
‐マレーシアの政党には、大きく分けて三つの主要グループがあります。国民戦線(BN)、希望連盟(パカタン・ハラパン:PH)、そして、PASというイスラム政党です。総選挙では、この三つ巴の闘いになりました。三つ巴になると、事前の予想では現職が強いということで、国民戦線が勝つだろうと、だれもが思っていました。私もそうでした。しかし、ふたを開けてみると、国民戦線の中核であるマレー人の政党UMNO(統一マレー人国民組織)が一人負け。PHが今回過半数を占めて、政権を握りました。
マレーシアの政権は、独立後60年間、国民戦線が担ってきました。マハティールさんもかつて、国民戦線にいました。国民戦線には13の政党が参加していますが、主力はマレー人の政党、UMNOです。UMNOは88議席から55議席にまで陥落しました。国民戦線を支えていたその他の少数政党が壊滅しました。華人の政党MCA(馬華公会)は1人しか当選ぜず、インド人の政党MIC(マレーシア・インド人会議)も2人に落ち込んでいます。これまでマレーシアの政治を支えてきた与党体制が、ほとんど崩壊に近いところまできたのです。
国民戦線は、ナジブのお父さん、二代目の首相のラザクさんが1974年にこれまでの野党勢力を含む13政党を寄せ集めたつくった連合政権です。今回、息子のラジブが親父のつくった国民戦線体制をぶっ壊したことになります。
選挙戦では、現職の与党のなりふり構わぬ強引さが目立ったということですが
‐野党のパカタン・ハラパンの候補者2人を挟んで真ん中にマハティールさんがいる選挙ポスターがありましたが、マハティールさんの写真が切り取られていました(写真①)。マハティールさんは、野党連合のリーダーだけれども、この政党(DAP:人民行動党)の党首でないという理由で、選挙管理委員が切り取っている写真です。これもナジブ首相一強の実像と言えます。
びっくりしましたのは、与党の華人の政党、MCA(馬華公会)の選挙ポスター(下の写真②)には、習近平国家主席が登場していたことです。馬華公会のリャオ党首が習近平国家主席と握手しているのです。選挙ポスターには、「馬華中共建交」という標語が書かれていました。馬華、すなわち、マレーシア華人政党と中国共産党が交流し、「一帯一路」で人民を幸福にさせるといった意味でしょうか。ナジブ政権の中国傾斜が露骨に反映されたものです。結局、馬華公会は1人しか当選しませんでした。リャオ党首も落選しました。これが華人選挙民の選択だったようです。
①マハティール氏の写真が切り取られた選挙ポスター
②習金平国家主席と握手をする与党の華人の政党、MCA(馬華公会)の選挙ポスター。「一帯一路」で人民を幸福に。
マハティール氏の勝因はどこにあったとお考えですか
-これまで敵対関係にあった野党勢力とマハティールさんが共闘できたことです。野党グループも、もう何十年間も野党生活をしていると、政権を握るには、やっぱり有能なマレー人の政治家がリードしないと、政権は取れないという現実を思い知らされるようになった。特に、民主行動党(DAP)のような華人系の政党は前回の総選挙で善戦しただけに真剣にそう思うようになった。マハティールさんならば、何とかみんなを引っ張っていけるだろうというような期待感が、野党の中で浸透してきた。かつて、マハティールさんは、野党の政治家たちを逮捕したこともあり、嫌われていましたが、それを超えてもうこの際、一緒になってやろう、そして、新しいマレーシアをつくろうではないかということで、野党のグループが、マハティールさんと一緒になり、挙党体制が組めたことが勝因だと考えます。
マハティール氏が、かつての政敵であった野党と手を組むことを考えた理由はなんでしょうか。
2014年、まだ89歳のときですけれども、この頃から、ナジブ首相のやり方がおかしいと、マハティールさんは批判し始め、1人で立ち上がりました。
やがて、ナジブ首相が首相就任直後に設立した政府系投資ファンド1MDB(ワン・マレーシア開発公社)の汚職疑惑が明るみになると、マハティールさんは、2016年2月にUMNOを離脱しました。そして、ナジブ首相退陣を要求して、マレーシアを救おうという、マレーシア市民宣言を訴えて、市民からの署名活動を行いました。100万人ぐらいに達した時に、同年3月に署名書を国王に持って訴えました。もちろん政治的に国王はそういうことができませんので、駄目だということで、マハティールさんはこれはやっぱり選挙に出るしかない。もう自分は90歳だけど、選挙しかない、と決意しました。2016年8月に新党―マレーシア統一プリブミ党(PPBM)を結成しました。
そして、それを見ていた野党グループも、このマレーシア市民宣言に一緒に加わり、マハティールさんは本気だということが分かり、野党の連中もだんだん変わっていくわけです。そして、先ほども言った希望連盟の中で、マハティールさんをトップに推せば、もしかしたらば、政権を獲得できるかもしれないという気持ちが非常に強くなってきました。
マハティールさんとしては、野党グループの希望連盟と一緒にやるには、何といってもそのリーダーたる服役中のアンワル氏の理解と同意がどうしても必要と痛感し、2016年9月5日にアンワルが出廷する高裁にマハティールが突然現れたのです。そして、18年ぶりに面談した二人はマハティールさんのイニシャティブでこれまでのわだかまりが解消したのです。ここで、一挙に野党グループはマハティールさんと一緒になり、打倒ナジブに向けて体制が整ったのです。
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