2018/08/17 No.382次世代巨大加速器ILCの誘致大詰めに~科学技術立国と東北創生に向け決断を~
山崎恭平
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
1.はじめに
日本に今国際宇宙ステーション(ISS)や南極観測に匹敵する国際科学研究プロジェクトの誘致計画があり、年内にその誘致決定が待たれているのをご存じだろうか。ILCというInternational Linear Collider(国際リニアコライダー)を指しており、超大型あるいは次世代巨大加速器を設置して素粒子の実験や研究を行う国際プロジェクトである。横文字で表記され素粒子物理学の専門用語が使われるから一般には馴染みにくく、日本の候補地が東北地方の北上山地のゆえに全国紙やTVでの報道が稀で認知度が低い。
しかし、ILCは2012年にあらゆる物に質量を与えているヒッグス粒子の存在を突き止めたスイスのLHC(大型ハドロゲン衝突型加速器)の後続で(翌年に粒子発見者にノーベル物理学賞)、ヒッグス粒子の精密測定等宇宙の成り立ちを研究する役割が期待され科学関係者の間では早くから知られていた。また、東日本大震災からの復興を目指す東北ビッグバンの象徴として、東北地方では産官民が一体となって誘致を図り地域の住民や子供達まで関心が広がっており、地域のマスコミには頻繁に報道され良く知られている。
一方、日本の誘致判断のタイムリミットが年内に迫られる中で、検討を進めて来た文部科学省の有識者会議がこの7月に当初計画の短縮案も科学的に意義あると評価し、日本学術会議が再審議を開始した。そのため全国紙にもようやく報道が出始め、8月5日には東京でノーベル賞受賞者による国際シンポが開催されたように、これから数か月日本の誘致をめぐる論議が大詰めを迎える。ILC誘致は、国際社会の期待に応え「科学技術立国」を目指す日本の将来にとって極めて重要と見られつつも、建設費負担の財源問題で楽観を許さない。そこで、この国際科学研究プロジェクトの意義を改めて考察し、千載一遇の機会と目されるILCを日本に誘致すべきと判断して、政府の年内意思表示を求めたい。
2.日本政府に年内態度表明を呼び掛け
ILCは、欧米を中心に国際社会から日本に設置するよう期待されて来た。計画の母体となったLHCを運営する欧州CERN(欧州合同原子核研究機関)のロルフ・ホイヤー前所長は2014年には「日本にILC建設を」と表明していたし、国際的な推進組織LCC(リニアコライダー・コラボレイション)の最高責任者リン・エバンス氏は以降度々来日し、日本での建設を要望し首相を含む政府関係者に誘致を呼び掛けてきた。文部科学省の有識者会議がこの7月検討を終え日本学術会議が審議を開始する運びの中で、8月5日には東京のお茶の水女子大キャンパス内でKEK(高エネルギー加速器研究機構)等17機関が共催の「ILCが開く科学の未来」と題する国際シンポが開催された。1,000人の参加枠は事前に締め切られるほどで、米国から参加した二人のノーベル物理学賞受賞者はILCの日本建設の意義を述べ、日本政府に年内の態度表明を求めた。
1979年に「素粒子の標準理論」でノーベル物理学賞を受賞したシェルドン・グラショウボストン大学名誉教授(85才)は、ILCは単に素粒子物理学者だけでなく日本の科学の振興につながる施設であり多くの物理学賞受賞者を輩出した偉大な伝統(注1)を引き継いで欲しいし、日本の技術開発につながり産業界に利益をもたらす(注2)と、日本での実現を求めた。また、ILCの技術設計に責任者として係わり2017年に「重力波の研究」で受賞したバリー・バリッシュ加州工科大学名誉教授(87才)は、これまでの大型加速器は円形が中心であったが円形のままエネルギーを高めるにはさらに大型化が必要になるとし線形のILCの意義を説明して、素粒子物理学で大きな役割を果して来た日本に世界中が使う国際プロジェクトILCを設置するのは自然な流れとして実現を要望した。
両氏は7日には外国特派員協会で会見し、また松山政司科学技術担当相とも面談をした。そこでは、欧州は新素粒子戦略(2020~24年)の策定を来年から開始する予定であり、ILC誘致を日本が意思表示しないと優先度が低くなり予算がほかに回る可能性があるし、米国も今は政府、研究者ともILC計画への参加は前向きであるものの時期を失すればどうなるかわからないとの懸念を表明した(注3)。総論は賛成しつつも予算財源問題で誘致の意向を先送りしてきた日本政府に、年内に態度を表明するように求めたと見られている。
所管の文部科学省は2014年以来有識者会議を14回開催・検討し(素粒子原子核物理作業部会、技術設計報告書(TDR)検証作業部会、人材の確保・育成策検証作業部会、体制及びマネージメントの在り方検証作業部会を各5~6回開催)、この7月初めには当初計画の加速器全長31~50kmから20㎞への短縮案について科学的意義ありと評価した。それを受け8月に入り日本学術会議が再審議を開始したところで、時期は明示されていないが年内に答申が行われる運びである。この予定の中で上記の国際シンポが行われたほか、ILC誘致推進の100人委員会やサポーターズ組織の活動といった国内における働き掛けが今後活発に行われる見通しで、また自民党を中心に超党派のILC推進議員連盟が政府や欧米への活動を進める予定である。これらの活動によって国民への認知度が高まり、政府の積極的な誘致表明につながることを望むが、この2月まで誘致候補地の東北で成り行きを見て来た所感では、楽観はできないと危惧している。
3.財政問題や政治や行政への不信感
日本のILC建設候補地は当初福岡、佐賀両県にまたがる脊振山地と岩手、宮城両県にまたがる北上山地であったが、技術的観点やコスト等の調査研究の結果後者が選ばれ世界的にも適地とされた。北上山地は、地下に構造物を造る上で必要な堅牢な花崗岩盤帯が多く、国際的な研究所を建設し研究者やその家族が居住する上で豊かな自然に恵まれているが、明治以来「白河以北百山一文」といわれて来たように現在でも開発状況の相対的な遅れを否めない。また、2011年には東日本大震災で大きな被害を受け、その復興と新しい東北の創生が問われている。そのため、東北地方では、ILC の誘致が復興のシンボルとなり将来のシリコンバレーになると、大きな期待が寄せられ関心が高まってきた。
しかし、知名度の低い建設予定地や国民やマスコミの関心は復興関連の話題に集中して、ILCの認知度はかなり低い。建設に10年、稼働はそれからと長期間の取り組みと大きな財源を要するプロジェクトのゆえに、票に結びつきにくく優先度が低くなりがちな選挙重視の政治の実態や、予算の単年度主義で長期戦略を先送りしがちな行政には馴染みにくい影響がある。最近の国会における「森友・加計学園問題」の審議状況からはかつて世界的に評判であった日本の政治や官僚体制の劣化を感じて、ILC誘致のような戦略的に重要な政策判断は難しいと心配せざるを得ない。
20年近く仙台市に居住して東日本大震災からの復興途上の2014年と17年の衆議院議員選挙をつぶさに見て来た。ILCの建設候補地は岩手県の一関市や奥州市に近く、岩手県の小選挙区は14年が4区、17年が3区で、両方とも現与党の自民党を飛び出して政権交代の立役者であった小沢一郎氏が当選した。14年の選挙で同代議士は「ILCについて政府は全くやる気がなく、調査費で曖昧にしている」と述べ(注4)、首相以下与党の大物を投入した17年の選挙でも敗れた結果に、現地マスコミは所管官庁の幹部は与党が予算を投入するだろうかと忖度するコメントを掲載した(注5)。当時は信じられなかったが、そんな政争の具に国家の重要政策が影響されることは断じてあってはならないと思う。
建設費は確かに巨額で、財政状況に余裕がない現状ではどう手当てをするのか大きな課題で、日本にとどまらず欧米諸国も同様である。そのため建設される国が最多負担しつつも参加国がシェアする方針であり、CERNのLHCも欧州諸国が中心であるものの費用は日米も分担し、研究者は国際的にリクルートされている。また、建設開始から研究や実験が稼働するには約10年を計画しているので、総額の大きさではなく1年あたりの平均建設費で見れば捻出できない額ではなく、インフラ等のいわゆるハコモノ案件ではもっと巨費が投入されている。ILCの短縮案では加速器本体の建設費が約8,300億円から約5,000億円になり、日本が全額分担するとしても年当たり500億円となりそれほど突出した規模ではない、また、限られた科学技術予算だけで捻出すれば他の政策が犠牲になるから反対が多いといわれるので、省庁横断で必要な予算を捻出するか別建て予算を組む方向や、民間資金の活用で官民協力の方策を検討すべきであろう。東北地方で初めて東北大学の青葉山キャンパス内に約300億円で建設される大型放射光施設は、政府の予算だけでなく一口5,000万円で民間企業の参加を募り財源を確保して実現する。建設費を捻出する財政面の厳しさを主因に判断して、日本が今国際社会から期待され千載一遇と目されるILCの誘致機会を失してはならないであろう。
4.地域や子供達の夢を実現しよう
全国紙や全国向け放送・TVには報道されないが、河北新報紙や岩手日報紙に代表されるILC建設候補地のマスコミでは(注6)、地域の産官学一体となった誘致活動が熱を帯びている。住民への教宣活動や小中高の生徒向けの出前授業や生徒自らの学習活動も盛んで、一つのプロジェクトの実現のために地域が一体となってこれほど取り組んでいる例は、全国の中で寡聞にして知らない。
地域創生は重点政策のひとつで多くの施策が講じられているが、地域一体となった熱意と取り組みこそ地域創生の原点ではないかと思う。また、慣例化して目先の課題でくるくる変わる成長戦略ではなく、「科学技術立国」を見据えた日本の未来の夢が広がるILC誘致を今こそ政治的に決断すべきと要望したい(注7)。それは東北地方の復興と創生をもたらし子供達の夢を実現することにとどまらず、結果として閉塞感のある日本経済の現状を越えて日本の再生につながると信じている。
(注1) 日本のノーベル賞受賞者はこれまで24名で、うち物理学賞は素粒子物理学7名を含む11名で最多、化学賞7名、医学生理学賞3名、文学賞2名、平和賞1名。経済学賞は受賞者なしである。
(注2) LHCにおけるヒッグス粒子の発見には、表2に示す通り日本の技術や機器、研究者が貢献している。また、ILCの技術開発が産業振興や生活面に及ぶ例は、以下に示すITIフラッシュNo.339を参照。
(注3)加速器開発は中国も力を入れ、ILCプロジェクトに関心を示しているといわれる。
(注4) 2014年12月7日付岩手日報紙
(注5) 2017年10月8日付河北新報紙
(注6) 河北新報紙は「ILCを東北へ」、また岩手日報紙は「ILC東北誘致」と題した特集で関連する報道を随時続けている。記事はそれぞれのホームページから閲覧できる。仙台をはじめ東北で取材する全国紙の記者も本社に送稿するが、ローカル版に載っても全国版には他の記事が優先されてしまうという。そのため、政策決定が行われる首都圏の読者にはILCはほとんど認知されていないようだ。(注7) ILC誘致が実現すると、世界から研究者が集まるだけでなく学習や視察の訪問者が増えて科学ツーリズムの拠点になり、外国人訪日客のインバウンド振興策としても注目されている。
参考
1. ITIフラッシュNo.339、「ILC、スティジングで早期建設を目指す~加速器の全長を短縮してコストを圧縮~」2017年7月13日
2. 世界経済評論 IMPACT No.675 「ILC誘致で大震災の復興と新しい東北の創生」2016年7月25日
3. 世界経済評論 IMPACT No.712 「ILC理解のバスツアーに参加して ~地域の熱意や子供達の夢に応えるべきだ~」2016年9月12日
添付表
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