2018/11/02 No.406モンユワからカレーミョへの難路を走る~ITIミャンマー研究会現地出張報告(10)~
藤村学
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
青山学院大学 教授
アジア開発銀行(ADB)が構想を主導してきたGMS(大メコン圏)経済回廊は、域内の幹線道路整備が進み、ミャンマーをカバーするルートが増え、呼び名も変更された。2015年までは図1のように9本の経済回廊が特定されていたが、2018年3月のGMSサミットで公表された最新の見直しでは、図2の通り、南北(North-South)、東西(East-West)、南部(Southern)の3系統に再整理されたうえで、それぞれのサブ回廊が増えてネットワークが複雑化している。
ITIミャンマー研究会メンバーの藤村学青山学院大学教授と春日尚雄都留文科大学教授が、モンユワからインド国境の町タムーまでの陸路を走破した。今回はモンユワからカレーミョまでの陸路(237km、図3)の道路事情及びカレー工業団地について報告する。なお、モンユワからカレーミョまでの陸路は、最新の見直しで新たに追加されたルートで、南北回廊のサブ回廊の1つという位置づけになっている(図2の左上端部分)。(聞き手大木博巳ITI事務局長)
モンユワから先のインド国境までの陸路は、インパール作戦の遺影が残る地とも言えます。まず、道路事情はいかがでしたか。
現地調達した日産の古い四輪駆動車(運転手つき)で出発しました。モンユワから北西方向への地方道(番号は不明)を5分も走ると路面の痛みが散見され始めます。交通量が少ないので極端に痛むことはないと思いますが、どれほどメンテナンスができているのか疑問です。道路幅が狭いので、低速車両が前にいると視界は狭まり、右ハンドルの日本の中古車の追い越しは厳しいです。さらに10分ほど走ると、交通量は極端に減り、バイクが中心になります。左右は完全な田園風景に変わり、農家がぽつんぽつんと見えるほかは商業施設はほとんど見かけません。牧場を中心とした粗放的な土地利用のようです。電線をまったく見かけず、電化されていないようです。沿道には人間よりも牛や馬の姿のほうが目立ちました。道路はチンドウィン川を右手に並行しながら、最初の1時間は比較的走りやすい尾根道ですが、その後、カーブの多い険しい山道に変わります。舗装が穴だらけ、もしくは剥がれた箇所が多く、1時間ほど凹凸の激しい路面に苦しみました。
カレーミョへの本線から外れて「ダブルトラック道路」に入ったとのことですが…
モンユワから90km強を2時間余り走ったところで、山道を越えて視界が開けてきました。ところが本線から突然右折し、1mほどの幅のコンクリート舗装が2本並行している、これまで見たことのない「ダブルトラック道路」(と命名しておきます)に入りました。二輪車が走るのには問題ないですが、四輪車は舗装を踏み外すと座礁しそうです。幸い我々の運転手は慣れているようで、曲芸のようなハンドルさばきで、この道路を45~50kmを約70分で走り抜けました。のちほど運転手に確認したのですが、本線をそのまま走っていたら、もっとひどい悪路になっていたそうです。この「手抜き」舗装道路は安上がりなバイパスということだと思います。
途中、小川を渡す狭い簡易橋(骨組みは鉄鋼だが路面は木材で組んでいる)を渡ります。水牛たちが何度も行く手を立ちはだかり、警笛を鳴らしてどけさせます。道路の険しさに注意を取られることがなければ風光明媚といえるルートですが、ここをコンテナトレーラーが通るのはとても無理だと思いました。マンダレーからカレーミョへ向かうのに起伏が少ないルートは、北東に進んでシュウェボーを経由する(図2で本ルートの北側に平行する)ルートなのだと思いますが、これものちほど運転手に確認したところ、かなりの悪路のようです。
「ダブルトラック道路」を抜けて本線に合流してからも難路だったようですね…
モンユワを出発して4時間弱経過したところで「ダブルトラック道路」を抜け、ミンギン村を通過しました。それからしばらくは未舗装のラテライト道路ですが、カーブが少ないので比較的スピードが出ました。
ところが約20分後、険しい山道となり、凹凸が激しい路面に変わります。上り坂から突然下り坂に転じたところから、道路のルートそのものを切り開いて工事中の区間を走りました。両側が切れ込んだ崖となる赤土のぬかるみを通るときは緊張しました。
約1時間後、ようやく急峻な上り下りを終え、南北に伸びる渓谷沿いの本線に合流し北上します。しかし、この本線も穴が多く、舗装が完全に剥がれて赤土のぬかるんだ箇所に頻繁に直面しました。
さらに約1時間後、チンドウィン川の支流のMyitthar川に架かるかなり大きい橋を北方向へ渡り、渡ったところで、シュウェボー方面から北西へ伸びる幹線道路(番号不明)に合流します。この分岐点を東へ行けばカレーワの街ですが、車は左折してここから24マイル(38.6㎞)のカレーミョへ向かいます。左手にMyitthar川を見ながら西へ走ります。支流とはいえかなり広く、石炭積み出しなどで中型級の船がたくさん活動していました。
この幹線道路は大型トラックの交通量が多く、その影響でしょうか、舗装が陥没した箇所が多かったです。またMyitthar川に多数の小川が注ぐところで片側通行の狭い簡易橋をいくつも渡ります。これらの橋の1つでも車両が座礁すれば、交通は全面的にストップすると思いました。
結局、モンユワからノンストップで約7時間でカレーミョに着きました。運転手は飛ばせるところは限りなく飛ばしましたが、平均時速は34km/hと、今回ミャンマー国土の南北を約半分を走破したなかでは最低のスピードでした。
カレー工業団地ではミャンマー製造業の真髄を経験したとのことですが…
はい、驚きました。現役の博物館に出会った感じでした。工業団地といっても実態は「車両整備村」のようでした。ざっと見て回った印象では、乗用車、トラック、農業機械など、車両整備の特殊な部分にそれぞれ特化した工房が上手にすみ分けられています。ほぼすべて日本の中古車をベースに、高額な日本の部品は取り換え可能な部分を中国製に組み替えて寿命を永らえさせたりしています。工員たちはすべて師匠からの現場学習によって技術を身につけている。ミャンマーの地方都市にはこうした光景は珍しくないと思いますが、この団地はたたき上げの工房の集積が著しいと感じました。
2017年12月のジェトロ報告によれば、同工業団地は2004年に開発され、面積は170エーカー(約69ha)と大きくありません。進出企業は130社ですべて地場、土地は50年リースで3.7~11ドル/m2ということです。問題は、ティラワのようなワンストップサービスの機能がないため、進出するには企業自らが政府関係機関と直接交渉する必要があるということです。
工房、いわゆるカロッツェリア(イタリア語で馬車や自動車の車体をデザイン・製造する業者。もしくはボディ修理業者(板金工場))が、こんな辺鄙なところで頑張っているとは不思議ですね。
カレーミョで宿泊したホテルの若い男子スタッフがカレー大学の遠隔プログラムの英語学科を卒業したばかりで、即席ガイドをお願いしました。工業団地内で3件、自動車修理工房を訪ねました。
その1つは、団地内で彼らが唯一 “company”と呼ぶMimahaという名前のジープ組み立て工房でした。9フィート、10フィート, 15フィートの3種類ほどのHaimualというブランドの中国製ジープのボディをトラック用やミニバス用に改造し、排気量4000ccの三菱自動車製エンジンと日産製のパワーステアリングを組み込むといった創造性あふれる代物です。見た目はずんぐりとして新車には見えませんが、田舎で走るには馬力があって重宝しそうです。操業15年間で、通算500~1,000台生産したとのことです。1台造つくるのに3か月ほどかかり、視察時に見た15フィートのジープの売値は1,130万チャット(100万円弱)だそうです。買い手は地元かチン州のビジネスマンです。この工房のオーナーは地元カレーミョ出身で、すぐ近くに自動車部品販売店も持っています。そちらを覗くと、店の軒先には無造作に並べた古いギアボックス、店内にはモーター、ディスクなどこれも古いものがずらりと展示販売されています。カウンターの棚には新品のオイルフィルター(ほとんど中国製)や軸受けベアリング(これは光洋精工(現ジャイテクト)やNTNといった日本製)が並んでいました。
部品はどのようにして調達しているのでしょうか。
訪問した1件の工房はエンジンおよびギアボックスの修理専門でした。オーナーはこの村から19マイル(約30km)離れた場所の出身で、7年間ほど自動車部品メンテナンスの技術を師匠からOJTで学び、1999年にここへ移り住んで独立したそうです。雇用する工員は5名すべて地元出身で、具体的に質問することがはばかれましたが、教育水準はかなり低いもようです。日産、日野、いすゞ、扶桑など日本ブランドの中古トラックを扱うことが多いそうで、中古補修部品をマンダレーから調達し、自分で買い付けにいくこともあれば、街の専門流通店に注文することもあるとのこと。カレーミョ空港の近くに「GS tough, MFX, National」と、自動車関連商品のブランド名を連ねた看板の3階建ての流通店があります。
もう1件の油圧ブレーキディスクやパッド交換が専門の工房は、オーナーは地元出身で1986年から操業しています。モンユワ出身の師匠からOJTで技術を学び、雇用する工員は4名です。視察時、工員さんが中国製トラック(Forland)の前輪のブレーキディスクを交換しているところでした。部品調達はマンダレーかヤンゴンから。上述の「National」看板の店に注文することが多いとのことです。パワーショベルなど建設機械については特殊な部品が必要で、ドイツブランドのインド製の輸入品を調達しているとのことです。
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