2003/04/01 No.43_4アラブ系移民を抱える中南米の対米外交(4/6)
内多允
(財)国際貿易投資研究所 客員研究員
名古屋文理大学 教授
<民族紛争の回避に努めるブラジル社会>
ルーラ・ブラジル大統領は3月20日、米英両国のイラクへの武力攻撃に対して、 ブラジルは紛争を平和的に解決する方針を堅持することを電話でアナン国連事務総長や中南米の全首脳に電話で伝えた。 また、軍事介入はイラクが大量破壊兵器を使用した場合に限って軍事介入を認めるというフランスの方針を支持している。 ブラジルは世界各地からさまざまな民族を移民として受け入れてきただけに、中南米地域の中では難民の受け入れに積極的な国である。 01年には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に協力して、アフガン難民を受け入れている。 UNHCRの発表(01年11月19日)によれば、ブラジルは50名のアフガン難民を受け入れるを決定した。 受け入れ難民の第一陣である2家族(6名の子供を含む10名)は03年1月24日に、 イランの難民キャンプからポルトアレグレ(リオグランデスール州)に到着した。 ポルトアレグレでは今年も、 「世界経済フォーラム」(通称ダボス会議)のグローバル経済に対決姿勢をアピールすることで有名な「世界社会フォーラム」(いわゆる反ダボス会議)が1月23日から始まった。 このような環境を反映して、地元住民は難民を暖かく迎えている。
ブラジルは世界で17番目のアフガン難民受入国である。ブラジルは既に50カ国から、 2,770人の難民を受け入れた実績を持っている。 その中で最大規模の出身国はアンゴラからの1,600人である。 アンゴラもブラジルと同じく、かつてはポルトガルの植民地であった。 なお、中南米でUNHCRにアフガン難民救済資金を提供した国(01年11月19日現在)はチリ(提供額2万ドル)とベネズエラ(同100万ドル)の2カ国である。
ブラジルにはイスラム教徒やユダヤ教徒もいて、 中東紛争や米国とアラブ世界の確執は決して他人事ではない。 複雑な国際社会の対立がブラジルで起きても、不思議ではない。 ブラジル政府が民族対立が影響する外交問題に、 武力対決を回避する背景には他民族社会を抱える国内事情も影響している。
米国の9・11事件に対しても、ブラジルでは民族対立を回避する活動が具体化している。 その一例が01年11月22日、サンパウロ州議会内の講堂で開催された世界コミュニティー協議会の発足会である。 同協議会は9・11事件のようなことが起きた時期だからこそ、 ブラジル国内のさまざまな民族間の協調が必要なことを訴えている。 この発足会には日系人を含む14の民族(出身国)の移民グループが参加した。 同協議会はサンパウロ市内におけるシリア・レバノン系と韓国系の商売上の対立を静めるために、 サンパウロ州議会が移民(民族)コミュニティが一同に会する機会を持つことを提案したことがきっかけである。
9・11事件や中東問題の深刻化を契機に、アラブ系やユダヤ人のコミュニティがブラジル社会に定着していることや、 ブラジルと中東の経済交流が進展していることを報道する記事に接する機会が増えている。 中東をめぐる問題が、ブラジル国内でも複雑な事件を起こしている。 02年3月、サンパウロ市でレバノン人夫婦が消音銃で殺害された事件も82年に起きたパレスチナでの難民虐殺事件に関係があると新聞は報道した。 夫のミカエル・Y・ナッサル氏は同年1月、 ベイルート近郊で車に仕掛けられた爆弾が爆発して死亡した親イスラエルのマロン派民兵の元司令官であったエリー・ホベイカ氏の親友であった。 前記82年の事件のイスラエル側の責任者として、当時は国防相であり、現在は首相であるシャロン氏の責任が問われている。 外国人閣僚を人道に反する罪で裁判にかける法律を採択したベルギーで、パレスチナ人を原告とするシャロン氏告訴の動きがある。 ホベイカ氏は法廷での証言の意向を表明して、反イスラエルに転じた矢先のことだった。 ナッサル氏も同法廷で証言者になる可能性があった。 これらの事件によって、82年の難民虐殺事件の真相は闇に葬られようとしている。
ブラジルには約150万人のアラブ系(主にレバノンやシリアからの移民)と約13万人から14万人(その内、サンパウロに6万人から7万人)のユダヤ人が居住していると推定されている。 なお、ブラジルの総人口は約1億7,000万人(00年国勢調査)で世界第5位の人口を有する国である。 両者は特に目立った激しい対立を経験したことがなく、ブラジルは「アラブとユダヤが共存するモデル地区である」と評価されている。 比較的平和な両者の将来も、中東情勢によっては安心できない。 ブラジル国内でも中東情勢を反映して、アラブ系とユダヤ人のアピールが展開されている。 02年4月21日には、サンパウロ市内でユダヤ人が「平和を求めて反テロと反ユダヤに抗議」のデモ行進を行った。 デモへの参加者は当初2,000人が予想されたが、実際は9,000人が参加した。
ブラジルのアラブ系社会では9・11事件や中東情勢について、ユダヤ人や米国に対して警戒的な見方を持っている。 これについて、サンパウロで発行されているニッケイ新聞(03年3月21日付電子版)はアラブ系イスラム教徒について、 次のような主旨の記事を掲載した。 「イスラム導師であるハッサン師はシリア系ブラジル人で、メッカで11年間修行した。 ハッサン師のモスクでは同朋イラクへの連帯意識を込めて合同祈祷会が行われている。 イスラム教徒はイスラム圏における最も偉大な指導者はエジプトのナセル大統領であったが、 彼に代わる指導者がいないことを嘆いている。 米国については、イラクを手中に収めた後は、必ず次の産油国に食指を動かすとイスラム教徒は見ている」。 さらにこの記事は9・11事件について、イスラム教徒の次のような意見も紹介している。 「イスラム教徒の指導者らは、 ニューヨークのワールドトレードセンタービルを破壊した同時多発テロ事件は、 オサマ・ビンラディンが率いるアル・カイダの犯行ではなく、イスラエルのモサドの犯行であると語った」。 その理由として、ワールドセンタービルには事件当時、4,000人の従業員が働き多数の来訪者がいたが、 ユダヤ人だけが難を逃れたのは事前に知らされていたからだと言う(なお、モサドはイスラエル政府の情報機関)。
02年4月2日、ブラジリアでパレスチナ系住民約200人がイスラエル軍のパレスチナ進攻に抗議してデモ行進を繰り広げ、 イスラエル大使館前で、イスラエル国旗を燃やした。 イスラエルに対する反発がブラジルやアルゼンチンで、反ユダヤ運動に転じることが懸念される。 ブラジル国内には「さまざまな民族が融合しているブラジルの姿は、中東和平に貢献できる」という声もある。
中東地域はブラジルの輸出市場として、無視できない。 例えば、01年10月にはサウジアラビア向けにバス1,500台の輸出成約が発表された。 この内800台がマルコポーロ社の51人乗りでエンジンはダイムラークライスラー社製が搭載されている。 これらはサウジアラビアでメッカやメジナへの巡礼者の輸送に利用される。 残り700台の車体もマルコポーロ製であるが、フォルクスワーゲン製エンジンが搭載される。 ブラジルからの輸出で「イラク特需」とも言える商品に鶏肉がある。 これは中東諸国が米国のイラク攻撃を見越して、鶏肉の確保に奔走した結果である。 米国と英国がイラクへの攻撃を開始する2か月前からブロイラー業界への輸出引き合いは増加している。 鶏肉輸出額は今年1月の輸出額は前年同月比57%増の1億1,580万ドルに達した。 これは1月のイスラム巡礼祭にイラク情勢の悪化が重なったことが影響している。
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