2022/04/28 No.94新たな中国への貿易手段を模索するバイデン政権
高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹
はじめに
バイデン政権が引き継いだ米国のEU・英国・ケニアなどとのFTA(自由貿易協定)の交渉は、依然として開始されず先送りされたままである。それだけでなく、米国の中国や日本との第2段階の貿易協定交渉も同様に進展が見られない。
一方では、ジョー・バイデン大統領はインド太平洋地域における経済枠組み(The Indo-Pacific Economic Framework:以下、IPEF)を積極的に推進しようとしている(注1)。そうした中で、バイデン政権の中国に対する新たな貿易ツールが浮かび上がってきており、その中身と影響について探ることにしたい。
濃淡があるアジアでのIPEFへの関心
中国は2021年9月16日の夜、CPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)への加盟申請を行ったことを発表した(注2)。また、台湾は9月22日の午後にCPTPPへの加盟申請を行った。TPP委員会は、中国と台湾の加入手続きを同時に開始するか、タイムラグをつけてどちらかを先に進めるか、あるいは合意に至らず継続協議とするのか、などについてまだ判断を示していない。
中台に先んじて2021年2月1日に加盟申請した英国については、TPP委員会は6月2日に加入手続きの開始を決定し、その第1回作業部会が2021年9月28日に設置され2022年2月18日に終了した。これに伴い、英国は市場アクセスのオファーなどを作業部会に提出し、次の段階である市場アクセス交渉に移ることになる。
一方、米国のバイデン大統領はCPTPPへ参加については依然として慎重な姿勢を崩していない。これは、CPTPPへ参加が生産や雇用の減退につながり、中間選挙において中西部のラストベルトの労働者の票を獲得できない可能性があるためである。さらに、TPA(貿易促進権限)(注3)が2021年7月に失効しており、バイデン大統領はTPA無しでのCPTPPの審議を避けているためとも考えられる。
しかも、キャサリン・タイUSTR(米国通商代表部)代表は2022年3月の記者会見において、FTA(自由貿易協定)は一つのツールではあるが20世紀の貿易政策であるとし、米国の労働者の利益を守るにはより新しい手段が必要、と発言したことは注目に値する。こうした背景もあり、バイデン政権は議会の承認を必要としないIPEFを積極的に推進しようとしている。
そうした中で、中国は2021年11月1日、チリ、ニュージーランド、シンガポールの3か国が加盟するDEPA(デジタル経済パートナーシップ協定)に対しても参加申請を行った。DEPAにおいては、カナダの加盟のための協議が開始されており、韓国も既に加盟を申請済みである。中国の加盟申請を受け、米国のDEPAへの加盟の動きに微妙な変化が生まれているようである。
また、インド太平洋地域におけるIPEFへの参加の動きであるが、台湾やシンガポール及びオーストラリアは積極的であるものの、インドネシアでは関心が低く、ベトナムではIPEFが打ち出す民主主義のメッセージに懸念を抱く可能性があるようだ。つまり、総じてインド太平洋地域の国におけるIPEFへの関心には高いものがあるものの、一様ではなく濃淡が見られる。
中国の米国からの輸入目標は未達成
中国は第1段階の米中貿易協定において、分野別に2020年と2021年の2か年における米国からの輸入額を拡大することを約束した。しかしながら、実際には約束したどの分野の輸入目標も達成することができなかった。むしろ、2021年には、中国からの輸入がノートパソコン、携帯、ゲーム機器、玩具などを中心に増加し、中国との貿易赤字は前年から拡大した。つまり、米国は対中追加関税で中国からの輸入を抑制し、中国が約束した米国製品の購入拡大で対中輸出を増加させようとしたが、現実には思惑通りにはならなかった。
具体的な数字を見てみると、第1段階の米中貿易協定において、中国は2020年からの2年間で、2017年の輸入実績をベースラインとして、米国から工業製品や農産品、エネルギー、サービス等の分野においてそれより2,000億ドル以上を追加購入することを約束した。ピーターソン国際経済研究所のエコノミストによれば、この追加購入の約束を考慮すると、中国は米国から2年間で総額5,024億ドルの財とサービスを輸入する必要があった(注4)。ところが、実際には2,866億ドルしか購入しなかったようである。これにより、2021年の米国の対中貿易赤字は3,553億ドルとなり、2020年の3,103億ドルよりも増加することになった。
産業補助金への301条の適用を検討
キャサリン・タイUSTR代表は2022年3月30日~31日、議会公聴会で証言し対中政策に新たな貿易手段や既存の手段の拡張、あるいは国内投資を進めることの重要性を訴えた。
トランプ前大統領は2018年3月22日、中国に対して知的財産権の侵害という不公正貿易慣行を指摘し、1974年通商法301条に基づき中国に対する制裁措置を発動することを命じる大統領覚書に署名した。この結果、同年7月6日には第1弾目(リスト1)の追加関税が発動され、2019年9月1日の第4弾目(リスト4A)の追加関税の発動まで、都合4回にわたって総額3,700億ドルの最大で25%の追加関税が発動された(注5)。
現行の301条に基づく追加関税に関しては、産業界からUSTRに対し適用除外の対象品目の拡大を求める声が多く寄せられている。これまでに行われた適用除外は累計2,200品目超に達するのに対して、延長された品目数は限定的で、延長品目の大半が2020年12月末で期限切れとなっていた。こうしたことから、USTRは2022年3月23日、一部の品目(352品目)に対する適用除外措置を再開した。
通商法の規定によれば、この301条適用による追加関税は、発動から4年後には最後の60日間の間に産業界の利害関係者から継続を求める書面が届かない限り自動的に停止される。また、米国のCIT(国際貿易裁判所)では、第3弾目(リスト3)と第4弾目(リスト4A)の対中追加関税は無効かどうかの審理が行われており、もしも米政府が敗訴すれば徴収した関税を還付することもありうる。
こうしたことから、バイデン政権は中国への新たな貿易手段として、2021年から「産業補助金」を対象にした301条調査の開始を検討していたようである。伝えられるところによれば、産業補助金の影響を定量化することが困難であることもあり、新たな301条の調査開始の決定は遅れているようだ。
競争力法に基づく国内投資を促進
タイUSTR代表は議会での証言において、今後の対中政策の1つとして、現在審議中のイノベーション・競争力関連法に基づく国内投資の拡大について言及した。中国との長期的な競争に対峙するには、米国内の製造業やインフラへの投資の増大が不可欠である。
インフラの拡充に関しては、総額1兆ドル規模のインフラ投資法が超党派で2021年11月15日に成立した。同法は、50万か所のEV(電気自動車)充電施設の整備に加えて、道路や橋、鉄道など老朽化したインフラの刷新、高速通信網の整備などを含んでいる。
さらに、米国議会は上院(2021年6月)に続き下院(2022年2月)において中国を念頭に置いた「競争法案:America COMPETES Act of 2022」を222対210の賛成多数で可決した。上院版は、「米国イノベーション・競争法案:the U.S. Innovation and Competition Act、USICA」というタイトルになる。下院の競争法案では、米産業界が要請する5年間で520億ドルもの半導体産業向け補助金の予算が含まれており、まさに対中競争力の拡大を念頭に置いたものであることが窺える。今後は上下両院での調整を経て、米国の競争法が成立することになると思われる。
また、タイUSTR代表は、下院の競争法案に盛り込まれた規定を活用すれば、これまでは発動されなかったケースについても、アンチダンピング・相殺関税を適用することが可能になることを示唆した。下院の競争法案の中に盛り込まれた競争条件平準化法(Leveling the Playing Field Act[2.0])は、これまでのアンチダンピング・相殺関税の調査では対象に含まれなかった工場の海外移転や中国以外の生産における補助金支出をも考慮することを可能にしている。
つまり、外国の生産者がアンチダンピング・相殺関税の発動を回避するため工場を他の国に移動する場合があり、これにより貿易救済策は一時的なものになりうることから、下院の競争法案はそのような抜け道を防ぐための調査を可能にするルールを設けている。また、一帯一路構想の拡張により、中国以外の国での生産にも補助金が拠出され始めているとして、下院の競争法案はそのようなケースに対しても商務省に相殺関税法を適用する権限を与えている。
新たな301条で同盟国を巻き込むか
タイUSTR代表は、現時点の米国の対中政策は貿易赤字の改善や中国との競争条件を同等にするという面では行き詰まっており、抜本的な手法を取り入れなければならないと発言している。同時に、中国に対しては力による強制にとどまらず、行動の変革を促すことが重要であるとしている。
もしも、産業補助金に対する301条の調査が開始され、最終的に同規定による追加関税の発動が可能な事態になれば、バイデン政権にとって有力な貿易手段になりうる。しかし、補助金への追加関税が効果を発揮し、中国の補助金支出に影響を与えるにはその措置が大きなインパクトを持っていなければならない。
新たな301条は、既存の追加関税を引き上げたり一部の品目の追加関税を引き下げたりする調整の効果を発揮することになると思われるが、中国の行動の変革をもたらすほど効果的であるとは限らない。したがって、バイデン政権は同盟国である欧州や日本に対して、何らかの形で米国と歩調を合わせて対中関税の引き上げの効果を最大にするよう協力を求める可能性がある。
さらには、バイデン大統領は日本にQuad(日米豪印による4か国対話)において半導体をはじめとする先端技術分野のサプライチェーンの確保への支援を求めるだけでなく、IPEFへの参加と協力を要請してくるものと思われる。そして、一帯一路構想に対抗するため、日米豪などのインフラ投資計画(ブルー・ドット・ネットワーク)への一層の支援を要求してくる可能性がないわけではない。
タイUSTR代表は、CPTPPなどの自由貿易協定は必ずしも米国の利益にはつながっていないとして、当面はFTA交渉よりもIPEFを優先して進める意向を表明している。同代表は、トランプ前政権時代においては、下院歳入委員会の主席貿易顧問として、新NAFTA(USMCA)に関する下院とホワイトハウスとの交渉で重要な役割を果たした。
米国産業界では対中追加関税の除外措置の拡大を望む声が依然として強く、タイ代表の一連の議会での証言がどれだけ今後のバイデン政権の対中政策に反映されるかは現段階では明確ではなく、上下両院での競争法案の調整審議を含めて今後の推移を見守るしかない。現時点で言えることは、米国の自由貿易システムに対する基本姿勢は、トランプ前政権を境に微妙に変化しつつあるということだ。
注1. 「米中のデジタル・デカップリングと日本の対応」、国際貿易投資研究所、 ITIコラムNo.89、2021年12月20日
https://iti.or.jp/column/89
注2. 「中国、台湾のTPP加盟の動きと各国の対応」、国際貿易投資研究所、ITIコラムNo.88、2021年11月4日
https://iti.or.jp/column/88
注3. 大統領にTPA(貿易促進権限)が与えられれば、議会は大統領の提出した通商協定案を修正できなくなり、協定案の諾否を採決するのみとなる。
注4.“China bought none of the extra $200billion of US exports in Trump’s trade deal” , Chad P. Bown, Peterson Institute for International Economics (PIIE), March 8, 2022
注5. 「米中対立の狭間での日本企業の選択」、国際貿易投資研究所、季刊国際貿易と投資、2020/No.122
https://www.iti.or.jp/kikan122/122takahashi.pdf