一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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フラッシュ

2000/11/28 No.1ゴアはSEXYではない?――大統領選外伝

木内惠
国際貿易投資研究所 研究主幹

 「ゴアはセクシーでない」――ある米国人女性が大統領選直前につぶやいたゴア評である。「私はゴアの方が好きなのですが、ゴアはどうして米国人から嫌われるのですか?」――欧米での生活経験のある日本人女性は、ゴアが勝てないのを訝しがった。今回の大統領選結果については様々な角度からの分析がなされている。だが、こうした素朴な疑問が時には問題の一断面を鮮やかに眼前に提示することもある。

<セクシーとは?>

 「セクシー」とは日本では、「性的魅力のある」という意味で使われる。だが、米国でsexyという場合、必ずしも「性的」に限定されない。「人間的魅力に溢れた」、「興味が引かれるような」という具合に、より広い意味合いで使われることが多い。それは必ずしも男性が女性を、また女性が男性を評する場合に限らない。要するに人間としてそこはかとない魅力、一言で言えば「色気」を感じさせるような資質を意味するのだ。

 色気とは何かと言うのは人間心理の機微に触れる問題だけに、なかなか難しい。何処にも非の打ち所のなく完璧にセットされたヘアスタイルは色気を感じさせない。かといって、乱れに乱れた頭髪は論外だ。よく梳られた毛髪。だが、うなじに二、三本の後れ毛が…。そんな危うい均衡を伴う風情にこそ色気が生まれる。

 『不足を不足とするはわびにあらず』――江戸の茶人千宗旦の言葉は「足らざる」の効をついている。逸脱や乱調といったものがどこかにあることが、物事の本質をより美しくするというのだ。

<「完璧」な候補者として…>

 アル・ゴア。52歳。第45代合衆国副大統領。1948年3月31日生まれ。父は上院議員。テネシー州カーセッジとワシントンDCで育つ。ハーバード大学では演説と論争術に長けた学生として知られる。69年に同大学政治学部を優等で卒業後、米陸軍に志願しベトナムへ。76年から8年間、テネシー州選出の下院議員。84年、上院議員に選出され、90年には再選を果たす。その時、共和党と民主党の近代史を通じて初めてテネシー州の95郡の選挙区すべてを制す。92年7月、民主党全国大会で副大統領候補に指名され、同年11月の大統領選で勝利し、93年以降現職にある。

 有名大学を優秀な成績で卒業した上院議員の子が、政治家として下院議員、上院議員、副大統領の階段を着実に上りつめ、満を持して大統領のポストを狙う。絵に描いたような完璧な経歴に彩られた大統領候補である。しかもクリントン・ゴア政権下で米景気は史上最長の景気拡大の渦中にあり、政権与党が選挙を戦うにはこれ以上の完璧な環境はなかった。ゴアは圧勝してもおかしくなかったはずだ。にもかかわらず、結果は史上まれに見る接戦で、最終決着はフロリダ州の票数確定待ちという状況である。

 完璧な候補が完璧な環境下で戦ってもブッシュに圧勝できなかったのは何故か。ゴアの持つある種の完璧さが逆に人心を離れさせた面があったからではないか。「ゴアは米国人から嫌われているのか」との冒頭の問いかけが出て来る所以もこの辺にありそうだ。ここで思い出すのは10月3日にボストンで行なわれた民主・共和両党候補者による第1回討論会である。ここでは、時折口篭もるブッシュの言葉が終わらぬうちにゴアの速射砲のような反論の言葉が発せられた。またブッシュのコメントにわざとらしくため息をつくゴアの姿があった。「自己の政策をドライに論じて政策通の自己をアピールすることはできても、親しみやすさや人間味を印象づけることはできない」――コロンビア大学カーティス教授は11月21日東京で行われた講演会の中で、ゴアをこのように描いてみせた。卓見である。

 討論での議論の内容や討論技術ではゴアがブッシュを上回ったとみられた。討論会直後に行われたギャロップ社調査では、「どちらの候補が勝っていたか」との問いに、ゴアとの答えは48%で、ブッシュの41%を凌駕した。だが、討論でのゴアの優位は支持率のアップに繋がらなかった。それどころか、好感度ではゴアの失点、ブッシュの得点という現象が見られたのである。同調査によれば、「討論会後、どちらの候補者をより好ましいと感じるようになったか」との問いには、ゴアは27%にとどまり、ブッシュの34%の後塵を拝した。さらに一層ゴアへの好感度の低下を物語るのは「どちらを好ましくないと感じるようになったか」との問いに対してゴア18%、ブッシュ14%という結果になったことである。ブッシュとの論争で議論には勝ちながらも、相手を低く見るようなゴアの態度に人々は完璧な経歴を持つ男の傲慢さを感じ取ったからではないだろうか。

<ベルトウェイの内と外>

 人々のこうした屈折した捉え方は、ポピュリズム、反ワシントンの感情という深層心理に一部根ざしているように思われてならない。ポピュリズム(民衆主義)とは19世紀米国の一種の階級闘争をリードした理念である。1892年のポピュリスト党結成は労働者や農民層が自らの政治的権利や経済的配分の拡大を求めて運動の成果であった。このポピュリズム運動の原動力はエリート支配体制への反感すなわち反ワシントンの感情であった。副大統領としてのゴアは典型的なワシントンのインナー・サークルの人間である。しかし、近年の選挙に現れた傾向はこうした「政治のプロ」に対する嫌悪感の高まりである。ブキャナン、ネイダー、ロバートソン、ペロー――近年の選挙における撹乱分子はワシントンの外からやって来る。弱小州アーカンソーの知事から大統領になったクリントンも当初はその一人だった。

 495号線はワシントンDCの郊外を走る自動車道だ。ワシントンの街をベルトで囲むようにして走る環状線である。住人は親しみを込めてこれを「ベルトウエイ」と呼ぶ。ここから派生した、「インサイド・ベルトウエイ」(環状線の内側)という言葉がある。これはあまりよい意味では使われない。「政治都市ワシントンの中だけでしか通用しない行動様式」を指し、「庶民感覚からずれた」という意味になるからである。日本で言う「永田町の論理」が語感的に最も近い。

 余談になるが、私も2年ほどワシントンでアパート暮らしをしたことがある。アパートは495環状線の内側に接して建っていた。友人達は私を「インサイド・ベルトウエイの住人」と呼んでひやかした。私は「アクロス・ベルトウエイの住人」(環状線をまたぐ住人)と自称することにした。私のアパートの敷地の一部は環状線の外側にも広がっていたからである。とまれ、こんな軽口が交わされるほどに、ワシントンで長いこと住んでいる政治家達には、政治都市の中でうごめく魑魅魍魎といったイメージが付随しているのである。

 ブッシュも自らをベルトウエイの「外側」の住人であることをイメージ付けることに腐心した。実際、共和党の大統領候補指名受諾演説の中では、ワシントンのエスタブリッシュメントとは一線を画する存在としての自画像をアピールした。キャンペーン過程では、しばしば「汚れたワシントン政治」を批判する言葉を発した。前大統領の子息である自らをワシントンのアウトサイダーとして位置付けようとするのが、ブッシュの基本戦略だった。

<自画像に敗れて>

 ゴア陣営がキャンペーン戦略を構築するに当たっての問題は、クリントンとの関係をどう位置付けるかにあった。クリントンは当初は確かにアウトサイダーとしてワシントンにやって来た。だが、8年もの間の政権担当を通じて、クリントン自身が「インサイド・ベルトウエイ」の住人と化していた。加えて、この住人にはホワイトハウス内での不倫スキャンダルという伏魔殿での密事のイメージが付きまとう。ゴアが選択した戦略は言わば「良いところ取り」作戦であった。つまり不倫スキャンダルにまみれたクリントンのイメージとは一線を画しながら、未曾有の好景気については、クリントンとの共同の手柄としてアピールしようとしたのである。これによりゴアが描こうとしたのは、倫理面で高潔さを、実務面で優れた政策運営能力を併せ持つ完璧な大統領候補者としての自画像であった。

 だが、この種の完璧なる自画像こそ、セクシーとは最も縁遠い美意識の産物ではなかったか。

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