一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2022/09/27 No.100見えてきたIPEFの全容~その1 インドの貿易の柱への不参加の狙いは何か~

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

米国はIPEF (インド太平洋経済枠組み)の4本柱の一つである「貿易の柱」ではデジタル戦略を押し進め、対中競争力の拡大を目指している。「サプライチェーンの柱」では中国抜きの参加国間の調整メカニズムを構築し、供給の寸断や緊急時における情報収集と危機対応に当たる考えだ。米国はIPEFで「市場アクセス」に替わるインセンティブ作りに躍起だが、「貿易の柱」へのインドの不参加もあるなど、依然として不確実性を抱えている。しかしながら、インド太平洋地域におけるデジタル経済やサプライチェーン及びクリーンエコノミーなどの新しい通商課題へ対応するには、「ニューパラダイム」や「新プラットフォーム」が必要であり、IPEFはそれを提供する可能性があることも事実だ。

インドは「貿易の柱」への正式な参加を見送る

IPEFは2022年9月8日~9日、ロサンゼルスで対面式による閣僚会合を開き、正式に4つの柱の交渉に入ることに合意し共同声明を発表した。中国に対抗する経済枠組みであるIPEFは5月23日、米国の主導により東京での首脳・閣僚会合において立ち上げられた。これまでに幾つかの準備会合(スコーピング演習)を経て、ようやく正式な会合に漕ぎつけることに成功した。

IPEFの14の参加国は、それぞれ4つの柱のどれに参加するかをロサンゼルス会合において明らかにすることが求められていた。焦点は、インドが4つの柱の一つである「貿易の柱」に参加するかしないか、あるいは参加せずにオブザーバーとして出席するかどうかであった。なぜならば、インドの「貿易の柱」への参加に関する決定は、今後のIPEFの行方を占う上での一つの重要な判断材料であるからだ。

表1のように、インドはデジタル経済とともに労働や環境の分野を含む「貿易の柱」への参加を見送り、オブザーバーとして議論に加わることになった。インドのピユーシュ・ゴヤル商工大臣は、IPEFのデータローカライゼーション(越境データ流通を規制する動き)及び労働・環境の今後の取り決めが発展途上国に利益をもたらさない可能性があり、インドは参加の準備ができていないことをその理由に挙げた。

インドだけでなくASEANから参加した7か国(表1のシンガポールからブルネイまでの7か国を指す)やフィジーも同様に労働・環境などの枠組みは実利を伴わない可能性があるが、最終的には「貿易の柱」への参加を決断した。ASEAN7か国は、「貿易の柱」を含む4つの柱の全てに参加を決めたが、これは米国の用意周到な準備に基づく熱心な説得が功を奏したためと伝えられる。

表1. IPEFの4つの柱の参加国

注. 〇は参加、▲は未定、△はオブザーバーとして参加、▲→〇は当初は未定と見られていたが参加を決定、を意味する。
資料:各種資料を基に作成

インドはIPEFだけでなくFOIP(自由で開かれたインド太平洋戦略)やQUAD(日米豪印による4か国対話)においても、パートナーとして米国と緊密な対話を行っているが、トランプ前政権時に始まった第1段階の「米インド貿易協定」の交渉は審議を中断している。

米国は米インド貿易協定の話し合いで、2019年6月に撤廃したインドへの一般特恵関税制度(以下、GSP)(注1)の適用を回復する代わりに、インドに農業市場の開放、医療機器に適用される価格管理システムの確立などを要求したが、交渉は妥結しなかった。

インドにとって、今後のIPEFの「貿易の柱」に正式に参加するかどうかの判断において、第1段階の米インド貿易協定におけるGSP案件は、その駆け引きの材料の一つになりうる。オーストラリアのドン・ファレル貿易大臣は、インドは最終的には「貿易の柱」に加わる可能性があることを示唆した。すなわち、インドは「貿易の柱」の交渉を最後まで見極めながら、種々の駆け引きの材料と相談しつつ、「貿易の柱」への参加に関する最終的な決定を下すものと見込まれる。

市場アクセスを含まないIPEFの4つの柱

ロサンゼルス会合の前に公表されたIPEFの4つの柱は、①貿易(デジタル経済、労働、環境)、②サプライチェーン、③インフラ、脱炭素、クリーンエネルギー、④税・腐敗防止、などであった。ところが、ロサンゼルス会合で披露された共同声明における4本柱は、全体的な構成には変わりはないが、表現や細かい点で幾つかの変更が見られる。

IPEFの「4つの柱」の中でも、第1の柱である「貿易」においては、当初に公表されたものとそれほど違いはなく、AI(人工知能)などを活用したデジタル経済、労働者の権利と労働力開発の支援、環境法の効果的な施行と環境保護の強化を目指す内容となっている。

その中で、デジタル経済においては、規制などに対処することで信頼できる安全な国境を越えたデータの移動を促進するとしている。また、これまでの自由貿易協定(FTA)では輸入増や投資の対外移転などを通じて労働者の雇用などに不利に働く面もあったが、IPEFの労働の分野においては、国際的な枠組みを導入することで労働者の権利などの保護を志向するものになっている。

IPEFの第2の柱である「サプライチェーン」では、「重要なセクターと商品」の基準を定め、参加国間で連携する「情報共有と危機対応のメカニズム」を盛り込んだ。また、物流データの収集・利用を促進し、物流の改善に向けた投資や技術協力の進展を目指している。そして、新たに女性を対象にした職業訓練の機会を提供するスキルアッププログラムを導入した。

第3の柱は、これまで「インフラ、脱炭素、クリーンエネルギー」を対象とすると公表されていたが、共同声明ではタイトルを「クリーンエコノミー」という表現にした。温室効果ガス削減やゼロエミッション、あるいは再生可能エネルギーへの移行に必要なインフラ整備、クリーンエネルギー技術の開発・協力などの促進を図っている。

第4の柱は、「税・腐敗防止」を扱うことになっていたが、「公正な経済」というタイトルになり、腐敗の防止や脱税の抑制、グローバル企業への二重課税の問題などを取り扱う。また、共同声明では「キャパシティ・ビルディング(能力開発)とイノベーション」という項目が付け加えられた。

サプライチェーンとスキルアップイニシアティブ

IPEFのロサンゼルス会合で明らかにされた「サプライチェーン」の共同声明をより細かく具体的に見てみると、国家安全保障や経済の回復力にとって「重要なセクターと商品」の基準を定め、「関連する原材料の投入、製造・加工能力、物流の円滑化、保管」に効果的に対応することが盛り込まれた。

また、参加国間で連携する「情報共有と危機対応メカニズム」を組み込んだ。各国政府間で調整メカニズムを構築し、供給の寸断や緊急時の際の情報収集と危機対応に当たる。そして、在庫情報の共有や代替調達先の調整により、物資の融通に生かす。サプライチェーンでは、陸上や航空、水路、海運、港湾などのインフラを含めた物流の強化にも触れ、物流データの収集・利用を促進し、物流の改善に向けた投資や技術協力を進めるとしている。

「スキルアッププログラム」に関しては、ジナ・レモンド商務長官はわざわざロサンゼルス会合の最中にシンポジウムを開催し、今後10年間で、アマゾン、アップル、IBM、グーグル、マイクロソフトなどの14の米国企業が、IPEFメンバー国の700万人の女性と女児にトレーニングと教育の機会を提供することを発表した。これは、市場アクセス分野を持たないIPEFに対するインセンティブ強化の一環であると考えられる。

こうした、主要な米国企業による女性向けのスキルアッププログラムは、IPEFの目玉商品の一つとして華々しく打ち上げられた。それにもかかわらず、効果が期待できるサプライチェーンの「情報共有と危機対応メカニズム」に加え「スキルアッププログラム」を考慮に入れたとしても、依然としてこれらが従来の「市場アクセス」に替わるほどのインセンティブを発揮すると言い切るには難しい面がある。

(注1) 一般特恵関税制度(GSP:Generalized System of Preferences)は、開発途上国から輸入される一定の農水産品、鉱工業産品に対し、一般の関税率よりも低い税率(特恵税率)を適用する制度。

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