2022/11/01 No.105米クリーンエネルギー革命はどのようなイノベーションを引き起こすか~その2 倍増の約60万台に達した米EV販売はインフレ削減法で加速するか~
高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹
ジョー・バイデン大統領は2021年2月19日、就任前からの公約で示唆していたように、地球温暖化対策の世界的な枠組みである「パリ協定」に復帰した。バイデン大統領の気候変動政策の目標は、いうまでもなくクリーンエネルギーの活用やインフラ投資を押し進めることにより地球環境を改善するだけでなく、米国のイノベーション能力や産業競争力を引き上げることにも置かれている。
必要とされる新たな視点と丹念なフォロー
バイデン大統領の公約が反映された「インフラ整備や気候変動及び競争力に関する法案」は、多額の予算を伴う故に、それらに組み込まれたプロジェクトは議会において修正や支出の削減を余儀なくされた。しかも、その反対の声は身内の民主党からも挙がったため、時間をかけて調整せざるを得ないケースも現れた。しかしながら、バイデン大統領のインフラ環境政策の根幹の部分については、可決された法案の中に反映されていることは間違いない。
トランプ前大統領の場合は、アメリカファーストに基づく貿易赤字の是正、あるいは生産や雇用の国内回帰の要求などの強硬姿勢が目立ったものの、新NAFTA(USMCA)交渉の開始や中国への通商法適用による追加関税の賦課など、政策的にはわかりやすく、理解しやすい面もあった。
ところが、バイデン大統領の場合は、高額な支出を伴うインフラ投資やクリーンエネルギー及び競争に関する計画案が議会審議において複雑に絡み合っているだけでなく、IPEF(インド太平洋経済枠組み)のように、既存のFTA(自由貿易協定)とは大きく違う新たな貿易モデルを推進しようとしており、それらのインパクトや影響を把握するには、これまでとは異なる視点で丹念にフォローをする必要がある。
インフラ・人的投資・気候変動に関する計画案を発表
バイデン大統領は公約に基づき、就任早々の2021年3月31日、米国の成長戦略の第1弾として総額2兆ドルを超える「米国雇用計画」を発表した。同計画は、老朽化した道路や橋の補修、50万か所のEV(電気自動車)充電設備支援、電力網や高速通信網の整備、住宅・ビルなどの改修、半導体の国内生産支援、環境技術やAI(人工知能)などの研究開発支援、高齢者・障害者向け施設の整備、などのプログラムから成る。
そして、成長戦略の第2弾として同年4月28日、1兆8,000億ドル規模の「米国家族計画」を公表した。同計画は、無償教育拡充、大学進学・卒業支援、保育支援、有休・病気休暇支援、子育て世帯・低所得者世帯への減税、などを含んでいる。第1弾と第2弾の計画を合わせると、総額4兆ドルに達する成長戦略となる。
インフラ環境関連で最初に成立したのはインフラ投資雇用法
米議会の上院は超党派でもって2021年8月、米国雇用計画の内、インフラ関連分野に特化した1.2兆ドル規模の「インフラ投資雇用法案(The Infrastructure Investment and Jobs Act、IIJA)」を可決した。下院は、同じような法案を同年11月に可決した。それを受けて、バイデン大統領は同年11月15日に同法に署名し、成立するに至った。
1兆ドルを超えるインフラ投資雇用法の予算総額の内、発効後5年間で5,500億ドルが新たに支出されることになる。その内容は、50万か所のEV充電施設の整備、道路や橋及び鉄道など老朽化したインフラの刷新、旅客・貨物鉄道及び空港・港湾の再整備、高速通信網の整備、水道・電力インフラ網の整備、などから成る。
ビルド・バック・ベター(BBB)法案からインフレ削減法案へ
民主党は上院において2021年7月、米国雇用計画に盛り込まれた気候変動関連支出や米国家族計画に含まれていた人的投資関連支出を組み込んだ「3.5兆ドル規模の投資計画」を発表した。
その後、バイデン政権は同年10月28日、民主党提案の「3.5兆ドル規模の投資計画」に則り、その規模を1兆8,500億ドルにまで半減させた「ビルド・バック・ベター(以下、BBB)法案」を明らかにした。
このBBB法案は、下院では同年11月19日に可決されたが、上院では民主党のジョー・マンチン議員が同年12月19日、財政への悪影響やインフレ加速の懸念から同法案に反対を表明し、同法案の審議はしばらく頓挫することになった。
BBB法案の中身に関する調整がしばらく続けられた結果、マンチン上院議員は2022年7月27日、BBB法案に替わるものとして、新たに民主党内で気候変動対策や法人税増税等を盛り込んだ「インフレ削減法案(The Inflation Reduction Act of 2022、IRA)」に合意したことを公表した。同法案は、歳出規模を今後10年間で約5,000億ドルに縮小する一方で、歳入を15%の最低法人税率(注1)などの導入により7,380億ドルに引き上げることで財政問題を解決するものとなっている。
インフレ削減法案の歳出の内訳を見てみると、気候変動対策費は今後10年間で約3,900億ドル、医療保険改革支出は約1,000億ドルを見込んでいる。同法案は、上院では同年8月7日、下院では8月12日に可決され、バイデン大統領により8月16日に署名された。
したがって、インフラ投資雇用法もインフレ削減法も、当初の米国雇用計画や米国家族計画よりも予算が縮小され、スリムになったことは明らかである。
日本企業の参入を阻むバイ・アメリカン
インフラ環境関連で最初に成立したインフラ投資雇用法は、発効から5年間において、EVの充電施設、道路、バス・鉄道、空港・港湾などのインフラ整備といった輸送分野に約2,800億ドル、水道インフラ、ブロードバンド網・電力グリッド網などの整備から成る非輸送分野に約2,600億ドルの予算を組んでいる。
同法の新規支出5,500億ドルの内、約1,200億ドルの配賦については、各州政府の具体的なプロジェクトを運輸省が総合的に評価し、資金配分を決めるという競争的プログラムを導入しているようだ。
また、同法はバイ・アメリカン規則に則り、連邦政府機関に対して「2022年5月14日までにインフラ整備に使われる全ての鉄鋼、工業製品、建材について米国で生産されていない限り、連邦資金援助計画の資金を拠出しないこと」を規定している(注2)。
具体的には、インフラ整備に用いられる全ての鉄鋼や建材については、全製造工程が米国で行われていること、工業製品については、米国で採掘・生産・製造された構成部材のコストが全コストの55%を超えていること、がその要件として定められている。
薬価や税制の改革を含む
インフラ投資雇用法よりも少し成立に時間がかかったインフレ削減法は、ヘルスケアの分野においては、メディケア加入者の処方箋薬価を値下げするだけでなく、薬局に支払う年間上限額を2,000ドルとするルールを新たに設けた。それにより、1,300万人の国民は医療保険の支払いで年間平均800ドルを節約することができる。
さらに、税制の面では、15%の法人税最低税率を導入し歳入の強化を図ったが、同ルールの元々の目的は、アマゾンやネットフリックスなどの多国籍企業が合法的手段を通じ納税額を圧縮し、連邦法人所得税の支払いの多くを回避しようとする動きを阻止することにあった。
様々なクリーンエネルギー分野に税額控除を供与
インフレ削減法の本丸であるクリーンエネルギー分野においては、今後10年間で3,910億ドルを支出し、環境技術に関わる国内の製造業などの分野に恩恵をもたらす気候変動対策が導入された。
具体的には、第1に、ヒートポンプやエネルギー効率の高い住宅関連設備(断熱材、密閉材、ストーブ、窓・ドア・電気配線等)や家電を購入する世帯に、1万4,000ドルを上限に還付する。第2に、家庭での太陽光発電設備などについて、購入額の30%までを税額控除する。
第3に、太陽光パネル、風力タービン、バッテリーなどを製造するための設備投資や、化学、鉄鋼、セメントの工場などで大気汚染を削減するための設備の導入に対して税額控除を行う。第4に、2032年までに建設を開始したCCS(二酸化炭素回収・貯留)などの関連施設を対象にした税額控除額を拡充する、としている。
これらのクリーンエネルギー関連の導入・支援策は、米国の家計・企業に恩恵を与えるだけでなく、日本企業の米国でのビジネスチャンスにも繋がると思われる。
EV購入時の税額控除に北米原産ルール
インフレ削減法は、新規のEV購入に最大で7,500ドル、中古のEV購入に4,000ドルの税額控除を提供する。その前提条件として、「北米で組立てられ、バッテリーの素材や部品を米国やFTAの締結国から一定比率以上を調達したEV」であることが求められる。しかも、その調達比率を段階的に引き上げなければならないことが規定されている。
具体的には、2023年中は、リチウム等の重要鉱物の40%がFTA締結国で処理されること(2027年以降には80%)、バッテリー用部品(正極材、陽極材等)の50%は北米で製造されること (2029年以降は100%)、を要求している。新規EV購入で、重要鉱物の調達率の条件を満たせば7,500ドルの半分である3,750ドル、バッテリー部品の調達率の条件を満たせば残りの半分(3,750ドル)を受け取ることができる。
つまり、中国産のバッテリーの素材(リチウムなどの重要鉱物)や部品(正極材、陽極材等)を使用する割合が高い企業はEVの税額控除を受けることができなくなる。さらに、中国やロシアなどの懸念される国からの重要鉱物は2025年以降、部品については2024年以降には税額控除の対象外になる。税額控除の車両価格上限は、SUVで8万ドル、乗用車で5.5万ドルである。このため、韓国はWTOへの訴訟を検討し、EUも懸念を表明しており、バイデン政権は両国・地域と今後とも話し合いを行うものと思われる。
日本はEV対応の遅れを取り戻せるか
インフレ削減法に盛り込まれたEV購入に伴う税額控除のルールは、中国の自動車関連の部材に依存する度合いが強い企業の米市場でのEV販売に不利に働く。米市場におけるEVやPHV(プラグインハイブリット車)の販売は、主に米国企業とともに、欧州や韓国及び日本のメーカーで占められている。
今回のEV購入時での新ルールの導入により、北米で生産を行っていないだけでなく、中国産部材の調達率が高い韓国や欧州のEV関連企業は、要件に変化がない限り今後とも税額控除を受けられない状況が続くことになる。しかも、韓国や欧州の企業だけでなく、米国メーカーもその対応に手間取ることが見込まれる。このため、2021年に前年比で倍増の約60万台に達した米国市場でのEV販売は、急速に拡大してきた伸び率を低下させる可能性がある。
日本企業に関しては、米市場でのEV販売が米韓や欧州の企業と比べて遅れているため、税額控除を受けるための条件をクリアする問題については相対的に影響が少ないと考えられる。したがって、「重要鉱物における調達率の段階的適用の延期」などのルールの見直しの可能性はあるものの、その分だけ日本企業には、急速に拡大する米国のEV市場での販売への対応に少し時間的余裕が生まれることになる。
さはさりながら、日本企業もEV販売に伴う税額控除を得るには北米での生産や調達を増やさなければならず、韓国や欧州の企業と同様に新ルールからの影響を受けることには変わりはない。
この流れの中で、既にトヨタは日米での車載用電池生産に最大7,300億円を投資することを発表。ホンダは韓国のLGエナジーソリューション(LGES)と44億ドルを投資し、バッテリーを生産する合弁会社を米国で設立する予定だ。一方では、トップの世界シェアを誇る中国のEV用電池メーカーなどは、インフレ削減法のEV購入に伴う税額控除の厳しい制約を受けて米国での生産を躊躇する可能性がある。
まとめ
米国のインフレ削減法を活用し、EV購入時の税額控除を受けようとしても、現時点での日本のEVの米国における販売シェアは低く、当面の間は米国メーカー並みのメリットが発生しにくい。このため、日本の自動車関連企業には、税額控除をフルに得るために、EVの部材調達先の問題をクリアするとともに、将来に向けた北米でのEV関連の生産と販売の拡大を検討することが求められる。
また、現時点では、インフラ投資雇用法を利用して半導体補助金を獲得し、米国に半導体工場を建設することを表明した日本企業を見出すことはできない。このため、韓国や台湾の企業に後塵を拝する状況が生まれており、今後の日本の半導体産業の再活性化が期待される。
バイデン大統領は、選挙公約において総額4兆ドルを超える規模の気候変動・競争政策を発表した。実際には、インフラ投資雇用法では1.2兆ドル(新規支出は5,500億ドル)、インフラ削減法は5,000億ドル、CHIPS法では2,800億ドルの支出が見込まれており、これらの合計は1.3兆ドル~2兆ドルとなり、当初の計画の半分以下の水準になっている。それでも、巨額なインフラ環境や競争に関する対策費であることは間違いない。
特に、ヒートポンプや住宅関連設備及び家電購入に伴う還付、あるいは再生可能エネルギーやCCS(二酸化炭素回収・貯留)の関連施設の建設での税額控除、EV購入での税額控除などの政策は、今後とも米国企業だけでなく日本企業などに対してもメリットをもたらすと考えられる。日本企業には、このような好機を逃さないクリーンエネルギー戦略の策定と迅速な遂行が望まれる。
(注1)インフレ削減法は、米国に本社を置き3年間の平均収益が10億ドル以上の企業、または外国に本社を置き米国内での同収益が1億ドル以上の企業には、15%の最低法人税率を課すことを導入。2023年1月から実施される。
(注2) ジェトロ、ビジネス短信、2022年4月20日、「バイデン米政権、インフラ計画におけるバイ・アメリカン規則を発表(米国)」を参照。
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