一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2023/07/03 No.114IPEF(インド太平洋経済枠組み)のサプライチェーンでの合意と今後の交渉の行方~その2 IPEFのデジタル規制はUSMCA型かRCEP型か~

高橋俊樹
(一財)国際貿易投資研究所 研究主幹

IPEF加盟国は2023年5月末のデトロイトでの第3回閣僚会合において、サプライチェーンの柱で合意に達し、その後のIPEFに関する報道はサプライチェーンの記事で一色になった。サプライチェーンの柱の枠組みは、実利的で企業にもメリットをもたらすことから、大きな関心を集めたことは当然のことであった。サプライチェーンの柱は合意を得やすかったが、残りのIPEFの柱である貿易、クリーンエコノミー、公正な経済については、いずれの交渉においても、米国と発展途上国メンバーとの間に意見の相違が見られる。特に、貿易の柱におけるデジタル規制の分野においては、米国と発展途上国との間だけでなく、米国の労働団体や進歩的な市民団体・議員、ビッグテック(グーグルやアップル等のGAFAM)などの間においても、大きな意見の隔たりがあり、今後の交渉でいかにして合意点を見出すかが注目される。

米国が提出したデジタルテキスト案に発展途上国が反発

2020年に発効したUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)は、当時の米国のデジタル政策を反映しており、公共政策に必要な措置を除いて、国境を越えた自由なデータの移動を制限することを禁止している。また、データの国内サーバーへの保存要求(データローカライゼーション)、あるいはソフトウエアのソースコードやアルゴリズムの開示要求、などを禁止するルールを盛り込んでいる。

一方、IPEFに参加している多くの発展途上国は、デジタル貿易等の国内制度の中に、データの国外への自由な移動などを制限する非関税障壁を設けている。例えば、タイは特定の国を除いて個人データの国外への移転を制限しているし、ベトナムやインド及びインドネシアは、データを国内のサーバーに保存することを求めるデータローカライゼーション政策を採用している。さらに、ベトナムはインターネットへのアクセスを特定のプロバイダーのみ許可し続けるなど、インターネットを利用したコンテンツサービスに厳しい規制をかけている。

インドネシアのバリで開催された第2回交渉官会合において、米国はデジタル経済のテキストを提出した。USTRが発表したデジタル関連文書の要約によると、このテキストには、加盟国が正当な公共政策目標に取り組むことを可能にしながら、不公正な貿易慣行を禁止することを目的としたデータ保護、消費者保護、人工知能に関する規定が含まれているとのことである。

つまり、USMCAの基準を完全に踏襲したデジタルルールではないが、発展途上国が国内制度に設けているデジタル規制を容認するものでもないようだ。この米国の提案は、IPEFに加盟する一部の発展途上国からは反発があったと伝えられる。

USMCA型かRCEP型か

USMCAのデジタル貿易章は、「正当な公共政策の目的を達成するために必要な措置」を除いて、国境を越えた自由なデータの移動を制限することを禁止している。ところが、USMCAにおけるデータの現地化要求(データローカライゼーション)の禁止のルールには、「正当な公共政策の目的を達成するために必要な措置」を除いて、という条件は盛り込まれていない。

このため、AFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)は、国外への自由なデータの移動の制限については、IPEFではUSMCAよりも「政府の公共政策の目的のための規制権」を強化するとともに、データローカライゼーションの禁止に関しても、「機密データ」という領域においては政府の規制権を認めるべきとの見解を示している。

つまり、米国の労働団体は、IPEFのデジタルルールの中に公共政策上の例外を広く活用し、政府の規制権を明示的に強化することで、労働者の個人機密情報やプライバシーの保護を促進しようとしている。同様に、IPEFに加盟する発展途上国も、デジタル規制に関する政府の権限の拡大を支持する姿勢を主張するものと思われる。

これに対して、GAFAMのようなビッグテックなどの産業界は、IPEFのデジタルルールにおいて、「政府の公共政策の目的のための規制権」を強めることは、USMCAのルールより規制の撤廃という面では後退することを意味し、長期的には米国の産業の競争力を削ぐことになると主張している。

IPEFに参加している東アジアの発展途上国は、RCEP(地域的な包括的経済連携)にも加盟しているし、その一部はCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)のメンバーでもある。CPTPPはUSMCAに近いデジタル貿易章を設けているが、RCEPはデータの自由な移動などのルールにおいて、加盟国の政府にUSMCAより大きな裁量権を与えている。

米国の通商専門紙(インサイドUSトレード5月9日)によれば、RCEPは、「正当な公共政策目的」であれば、加盟国が国境を越えたデータの移動を制限し、データローカライゼーションのルールを課すことを認めている。また、RCEPにおいては、加盟国は「何が正当な公共政策目的」であるかを自分で決めることができる。しかも、RCEPのデジタル貿易章は、紛争解決処理の対象にはならないようだ。

したがって、IPEFのデジタル規制を巡っては、GAFAMなどのビッグテックはUSMCA型の枠組み、インドネシアやタイなどの東アジアの発展途上国はRCEP型の枠組みの採用を望むと見込まれる。日本、オーストラリア、シンガポールのような先進国は、USMCA型ルールの方が好ましいようだ。

また、米国のAFL-CIOや進歩的な議員及び市民団体などは、「正当な公共政策の目的を達成するために必要な措置」における政府の規制権を、USMCA以上に引き上げるよう主張しており、どちらかと言えばRCEP型に近い立ち位置にあると考えられる。

RCEP型ルールの採用でインドは貿易の柱に加入するか

IPEFは2022年9月8~9日、ロサンゼルスで対面式による閣僚会合を開き、正式に四つの柱の交渉に入ることに合意し共同声明を発表した。IPEFの14の加盟国は、それぞれ四つの柱のどれに参加するかをロサンゼルス会合において明らかにすることが求められていたが、焦点はインドが四つの柱の一つである「貿易の柱」に参加するかしないか、あるいは参加せずにオブザーバーとして出席するかどうかであった。

結局、インドはデジタル経済とともに労働や環境の分野を含む「貿易の柱」への参加を見送り、オブザーバーとして議論に加わることになった。インドのピユシュ・ゴヤル商工大臣は、IPEFのデータローカライゼーション及び労働・環境の今後の取り決めが発展途上国に利益をもたらさない可能性があり、インドが参加の準備ができていないことをその理由に挙げた。

IPEFの今後の交渉において、もしもRCEP型に近いIPEFのデジタルルールが採用されれば、インドがIPEFの貿易の柱への参加を決断する可能性は高くなると考えられる。しかしながら、IPEFのデジタル規制を巡っての攻防は今後とも激化することから、必ずしもRCEP型に近いルールに落ち着く保証はなく、インドの貿易の柱への参加は依然として混沌としていると思われる。

選択が迫られるバイデン政権

バイデン政権は、IPEFが発展途上国から支持を得にくいUSMCA型のデジタル規制で調整を図るか、よりハードルが低いRCEP型で妥結を求めるかどうかを検討していると思われる。

バイデン政権はIPEFの交渉における合意に関して、議会での承認を必要としないとの姿勢を貫いている。これは、議会だけでなく、その議会にロビー活動を行う経済団体からの要請に対して、独自の姿勢を貫くことが可能であることを意味する。

しかしながら、IPEFのデジタル経済に関する枠組みは、そもそも米国のデジタル産業の強化と成長を目的とするものであることから、ビッグテック等からのUSMCA型ルールの採用の要望に無関心ではあり得ない。

一方では、米国のAFL-CIOなどの労働団体は労働者の権利の保護のために公共政策を目的とする政府の規制権の強化を主張しているし、進歩的な市民団体もビッグテックの反競争的な面への対応からそうした動きに同調している。IPEF加盟の発展途上国に関しては、RCEP型のデジタルルールの導入を主張することは明白である。

そうした中で、バイデン政権は全てのIPEF加盟国や米国の産業・労働界からの賛同を得るために、基本的にはいずれにも偏らない玉虫色の解決策を模索する可能性が高いと考えられる。すなわち、IPEFのデジタル規制の交渉に関して、現時点では発展途上国や先進国及び国内関連団体あるいは議会などの利害関係者の主張の最小公倍数で妥協点を見出さざるを得ないように思われる。

米国のビッグテックは危機感を募らせ、政府の規制能力を制限するルールを求めて議会や政府に対するロビー活動を活発化している。一部の議員や進歩的な市民団体はこうしたビッグテックの動きを懸念しており、いま正にバイデン政権はIPEFのデジタル規制の分野での調整力を試されている。

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