一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)

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コラム

2023/08/21 No.116WTOにおけるデジタル貿易のルール交渉の行方

岩田伸人
(一財)国際貿易投資研究所 客員研究員
青山学院大学 名誉教授

有志国会合でのデジタル貿易規律化はどこまで進んだか

2024年初めにアラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビで第13回WTO閣僚会議が開催される予定である。

2019年から始まった、米国やEU、日本など89か国からなる「電子商取引に関する有志国会合」は、同閣僚会議に向けて、WTOのデジタル貿易協定の原案(たたき台)を2023年末までにまとめる模様である(注1)。

有志国会合は、全てのWTO加盟国が自由に参加できるとされるが、実質的には特定諸国だけでの非公式な会合であるため、ここでの決定事項はあくまでも、その後の正式な交渉に向けた、いわば交渉のたたき台作りの場という位置付けである。しかし、WTOにおけるデジタル貿易の自由化規律(ルール作り)の検討は、唯一、本会合でのみ行われているので、その役割は大きいと言える。

その意味で、同会合の共同議長国である3か国、豪州・日本・シンガポールにデジタル貿易自由化のハイレベルな規律化を期待するのも一理はある。

なお、WTO協定上は”Electronic Commerce”(電子商取引)と表記されるのが、一般には”Digital Trade”(デジタル貿易)が用いられるので、以下本稿でもデジタル貿易と表記する。

デジタル貿易有志国会合の議長国共同声明

2023年1月20日付けで発出されたデジタル貿易有志国会合の議長国共同声明は、これまでの会合で進展のあったものが10項目、そして、進展がなく今後2023年末までの交渉に委ねるものが4項目としている。これを著者がまとめたものが表1である。

議長国共同声明には、有志国会合で進展がなかった4項目(表1の右欄)の全ては、米国や日本などデジタル貿易の自由化規律に積極的な国々が目指す高いレベル(high standard)の自由化を満たすための項目である(注2)。他方、EU(7 March 2023) (注3)は、上記の4項目に加えて、今後の交渉に委ねる項目として「プライバシー」と「暗号によるICT製品」をあげている。

以上のことから、有志国会合の共同議長3か国 (豪州、日本、シンガポール)は、高いレベルでのデジタル貿易自由化を目指していること、他方、89か国からなる有志国会合の中では、特に4項目についてのコンセンサス(合意)が得られ難い状態にあること、の2点が読みとれる。

表1. WTO有志国会合によるデジタル貿易・協定案の進捗状況 (2023年1月20日付)

注. WTO有志国会合共同議長国声明(JSI)等から筆者作成。表中の下線は筆者。

4項目の進展(合意)はあるか?

交渉の進展が見られないこれら4項目のうち、(1)「電子的送信に対する関税不賦課の恒久化」については、インド・南アフリカが”恒久化”に反対する姿勢を崩していない。

インドのナレンドラ・モディ首相は、2023年6月に米国を公式訪問し、安全保障に関わる軍事・宇宙・デジタル分野など、さまざまな2国間の協力・提携を強化する旨を表明した。その中には、(後掲の4分野のWTOイニシアティブにも掲げられている)中小零細企業への支援と協力関係の強化も宣言されたが、上記の「電子的送信への関税不賦課の恒久化」にインドが合意することを示唆する内容は見当たらない(注4)。

さらに、(2)データの自由な越境移動の確保、(3)データ・ローカライゼーションの要求禁止、(4)「ソース・コードの開示要求禁止」の三つは中国の国内法(デジタル三法) (注5)と相反するものである(注6)。

他方、米国では2023年になり、民主党支持派の米労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)からの意見として、大手IT企業がAI(人工知能)の監視機能を介して労働者の個人情報を基に雇用配置や人権を不当に扱うことを防ぐために、米国政府が大手IT企業に対して当該AIのソースコードやアルゴリズムの開示を要求する権利を有することが望ましい旨の提案が出された。この提案は、労働者の雇用と権利の保護を掲げる民主党・ジョー・バイデン政権の方針にも沿うものであると同時に、中国の国内法とも整合する可能性がある。

以上のことから、米国を含むデジタル貿易のハイレベルな規律化を目指す国々が、有志国会合の中で、当該4項目の全てで合意を得ることは困難であり、現実的でもない。

もし、仮に同会合の中で4項目全ての合意が得られたとしても、WTO上の正式な多数国間交渉の場では、インドと南アフリカなどの反対で、コンセンサスが得られない可能性は大である。

表2. WTO電子商取引に関する有志国会合メンバー (89か国、2023年3月現在)

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有志国会合(注7)の由来と背景

2011年12月の第8回WTO閣僚会議で、 (先のウルグアイ・ラウンド由来の)一括受諾方式(single undertaking)を継続しても未完のドーハ・ラウンド(2001年〜)を収めるのは困難であるとして、これに代えて個別分野ごとの交渉方式を導入する合意がなされた。

これを受けて、2017年12月にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された第12回WTO閣僚会議の最終日(12月13日)に、4分野(下掲)それぞれの「共同声明イニシアティブ」 (Joint Statement Initiative: 以下、JSI)が同時に出された。本稿で扱う「電子商取引に関する有志国会合」は、それら4分野の中の、電子商取引に関するJSIに基づくものである(注8)。

  1. 中小零細企業(micro, small and medium-sized enterprises: MSMES) (注9)
  2. 投資円滑化 (investment facilitation for development) (注10)
  3. 電子商取引(electronic-commerce) (注11)
  4. 国内サービス規制(domestic regulation in services) (注12)

本稿で扱うのは、このうちの「電子商取引に関するJSI」であるので、これを簡略化して”有志国会合(JSI)”と表記する。

有志国会合(JSI)のメンバーは、当初はデジタル貿易のルール作りに積極的な西側の先進国(米国、EU、日本等)が中心であった。しかし、その後は参加国が増える中で、同会合のメンバーは、2023年3月現在で、WTOでのデジタル貿易自由化ルールの策定に消極的な「中国」、さらにロシアなどを含め、総計89か国に拡大した(欧州連合は「EU」ではなく27か国として参加)。

インドの立ち位置

インドと南アフリカは、これら四つの有志国会合があたかも正式なWTO交渉のように扱われるべきではないとして批判的であり、両国はいずれの有志国会合の参加国リストに名を連ねていない。特に電子商取引に関する有志国会合には批判的である(注13)。これは同会合が、当初より「電子的送信への関税不賦課」を恒久的なルールとする姿勢を見せていたためである。実際、日本を含む議長3か国は、米国と並ぶ”筋金入り”のデジタル貿易の自由化推進国である。

インドは、電子的送信に関税を課さないとする暫定的な合意(モラトリアム合意)があることで、本来なら、得られたはずのデジタル関税収入が失われている、としてモラトリアム合意を恒久的なルールにすることに反対し続けている。これはインドが、IPEF(インド太平洋経済枠組み)の柱1「貿易」に参加しない根拠の一つと同じである。

今後の有志国会合の動きを予想する

WTOの中で、新たなルールを設ける場合、それはマルチ(多数国間協定)かプルリ(複数国間協定)のいずれであろうと、基本原則は全加盟国のコンセンサスに拠る。

そうであれば、有志国会合(JSI)で2023年末までに作成される(たたき台としての)デジタル貿易協定案は、2024年以降のWTO理事会及び閣僚会合で、全加盟164か国のコンセンサスが得られ易い内容とレベルにする必要がある。逆にハイレベルな内容であるほど、コンセンサスは得られ難くなる。

つまり表1の右欄4項目が、そのままではコンセンサスが得られ難いのであれば、何らかの工夫が必要となる。三つの工夫案が想定される。

工夫1は、それら4項目を(有志国会合による)協定案から全て削除する案である。工夫2は、これら4項目の中でコンセンサスが得られる見込みがあるものだけを残して、他は削除する案である。工夫3は、それら4項目を協定案の中にそのまま組み込むと同時に、例外事項(但し書きや附属書)を付して、インドや中国さらに米国などの国々の利益が損なわれない柔軟なものにする案である。

識者の中には、WTO設立協定の第10条に基づけば、全加盟国の「三分の二」の賛成によって成立できるので、必ずしもコンセンサスにこだわる必要はないとする見方もある。

しかし、現況の国際情勢下から見れば、このような強行突破を行うことで被る犠牲(インドとの関係悪化)を西側諸国が容易に改善できるとは考え難い。

西側の国々にとっての当面の優先事項は、安全保障の観点からインドとの距離を近づけることにあり、自由貿易の推進ではないのではないか。

インドは、上記の4項目の有志国会合(JSI)すべてを頑なに拒否しているわけではない。その証拠に、中小零細企業に関する有志国会合(MSMEs有志国会合)(注14)の2023年4月26日にハイブリッド形式で開催された同会合には、インドと南アフリカを含む非メンバー7か国を含む45か国が参加して、三つのプレゼンテーション(①シンガポールによるデジタル経済協定のメリット、②WIPOによる無形資産金融、③ITCによる貿易・持続的開発プログラム)が行われた(注15)。

過去に案出されたデジタル貿易協定のたたき台

2020年以降、有志国会合(JSI)では、これまでに統合交渉テキスト(consolidated negotiating text)と称される、デジタル貿易規律化の全体を構成する(統合交渉テキスト原案の修正版を含む)たたき台が、4度作成された。下記。

 INF/ECOM/62     2020年12月7日付
 INF/ECOM/62/Rev.1  2020年12月14日付
 INF/ECOM/62/Rev.2  2021年9月8日付
 INF/ECOM/62/Rev.3  2022年12月22日付

そのうち原案を含むRev.1とRev.2では、デジタル貿易協定案(筆者仮称)の本文が6つのセクション、すなわち、A.授権上の電子商取引、B.開放性と電子商取引、C.信頼性と電子商取引、D.分野横断的な諸問題、E.電気通信、F.マーケット・アクセス、と一つの「附属書(Annex):範囲と一般規定」から構成されていた。しかし、Rev.3では、そのうち「D.マーケット・アクセス」が削除されて、セクションの数は五つになり、「附属書(Annex):範囲と一般規定」は、”附属書(Annex)”のタイトルがなくなり、単に「範囲と一般規定」と標記されて、別途、新たに設けられた「附属書」の中に「D.マーケット・アクセス」の3項目(サービスのマーケット・アクセス、電子商取引関連の企業人の一時的参入と滞在、財のマーケット・アクセス)全てが組み込まれて、さらに複数の事項が組み込まれた。

まとめ

米中の対立、ロシアのウクライナ侵攻、そしてWTO(特に紛争処理機関)改革の機運、さらに米国の次期大統領選、などの動向に鑑みれば、WTOにおけるデジタル貿易の規律化 (協定化)は、今のバイデン政権の任期内(2021年1月〜25年1月)に完了できるか否かがポイントとなりそうである。

この時間制約がある中で、2023年末までにまとめる予定とされる有志国会合(89か国) における交渉の”落とし所”は、米国のUSTRや日本などがこれまで提唱してきた「高いレベル」の4項目を含めた満額回答を目指すのではなく、協定案に「但し書き」や「附属書」を付記することで、その内容に柔軟さを持たせる、いわば、どの国からも反対を受けない玉虫色のデジタル協定案になる可能性が高いと推察される。

つまり、有志国会合(JSI)で作成される協定案(今後の正式な交渉のたたき台)が、仮にデータの越境移動自由化や、データ・ローカライゼーション要求禁止及びソースコードの開示要求禁止などの「高いレベル」の規律を含む内容になるとしても、それらに「但し書き」や附属書を記して”安全保障上の重大な利益”(essential security interests)、及び公共政策上の目的 (public policy objective)に依る措置は除外する、を付記することで、中国を含む発展途上国が、現状の国内法を変更することなく対応できる仕組みになる可能性は大いに有りうる。

WTOでは、当該国の国内措置が貿易制限的な効果があるとしても、その措置が安全保障または公共の目的が理由であれば、正当化される(WTO違反を問われない)からだ。

他方、有志国会合で交渉の進展があったとされる「ペーパーレス貿易」や(迷惑メール対策などの)「オンライン上での消費者保護」を含む10項目の全ては、WTO全加盟国のコンセンサスが得られる可能性がある。

いずれにせよ、デジタル貿易の規律化(協定化)をめぐる、”非公式”な有志国会合の成果を基に行われる2023年末以降の”正式”な交渉では、どこかの段階で (どの国も異論を唱えない状況を交渉の妥結点とみなす)コンセンサス方式による意思決定が求められるのは避けられそうにない。

以上のように、WTO枠内での(交渉のたたき台としての)デジタル貿易協定案をめぐる動きがどうなろうとも、先進国が、多国間主義の自由貿易でなく、友好国との安全保障の確保に重点をおく姿勢を強める限り、目指す高いレベルの規律化は、今後も、WTO枠外の地域貿易協定(RTA)やデジタル分野に特化したデジタル経済協定(DEA:Digital Economy Agreement)などの中で進められるのは間違いなさそうである。

  1. WTO(6 July 2023)”joint initiative on e-commerce, Co-convenors of e-commerce negotiations review progress, reflect on way forward”
  2. 有志国会合(20 January 2023)は、これら4項目全てが、デジタル貿易の推進派 の言うハイレベルなもの(All of these issues are key to high standard)と記している。
    WTO(20 January 2023)”WTO Joint Statement Initiative on E-commerce: Statement by Ministers of Australia, Japan and Singapore”
  3. EU(7 March 2023) “E-commerce JSI ,Civil Society Dialogue”
  4. The white house (22 June 2023)Joint Statement from the United States and India
    (https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2023/06/22/joint-statement-from-the-united-states-and-india/)
  5. 第一は、国家(中国政府)が国内のデジタル・ネットワーク(インターネット)を管轄することを定めた「ネットワーク 安全法」(2017年6月1日発効)、第二に、国家が国内のデジタル・データを保護・管理する「データ安全法」(2021年9月1日発効)、そして第三は、国家が国内の個人情報の保護とその海外移転を規制する「個人情報保護法」(2021年11月1日発効)である。
  6. 中国のデジタル関連国内法は「安全保障」及び「公共の利益」を根拠に形成されているが、これが結果的にデジタル貿易の自由化を妨げている、というのがデジタル貿易自由化を推進する国々の見方と言える。
  7. 有志国会合の前身は、TiSA交渉である。当時、米国、豪州及びEUの3か国・地域がローテション(輪番制)で共同議長国となり、ほぼ2か月に1回の頻度で2013年4月~2016年末までに計21回開催された。TiSA交渉の目的は、サービス貿易の自由化を推進するための新たなサービス協定(Trade in Services Agreement,略称Tisa)のたたき台となる協定案を作成することであった。だが、2017年に発足したトランプ政権は、TiSA交渉を進めることに関心がなく、結局、TiSA交渉の中の電子商取引(デジタル貿易)の分野だけの交渉を抜き出して、”電子商取引に関する有志国会合”として、再スタートしたものである。よって、TiSA交渉に参加していた23か国(EUは1か国とカウント)は、ほぼそのまま有志国会合の初期メンバーとなった。
  8. 外務省(2 December 2020)”WTOでの新しいルール作り: 4つの「JSI」とは” (https://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/it/page22_003478.html)
    なお、第5番目のJSIとして「貿易と環境」(trade and environment)と称する有志国会合の設置が予定され、JSIの第1回会合が、WTO第12回閣僚会議(2021年11月30日〜12月3日)を機に開催される予定であったが、同閣僚会議が新型コロナウイルス感染症(オミクロン株)の発生によって再度延期されたことで、同会合の設置は遅れることになった。
  9. WTO(13 December 2017) “WT/MIN(17)/58” 11th Ministerial Conference, Joint Ministerial Statement – Declaration on the establishment of a WTO informal work programme for MSMEs” 参加国は約98か国 (https://www.wto.org/english/news_e/news23_e/igmsm_03jul23_e.htm
  10. WTO(13 December 2017) ”WT/MIN(17)/59” 11th Ministerial Conference, Joint Ministerial Statement on Investment Facilitation for Development.参加国は約110か国。(https://www.wto.org/english/tratop_e/invfac_public_e/factsheet_ifd.pdf
  11. WTO(13 December 2017) “WT/MIN(17)/60” 11th Ministerial Conference, Joint Statement on Electronic Commerce.
  12. WTO(13 December 2017) “WT/MIN(17)/61” 11th Ministerial Conference, Joint Ministerial Statement on Services Domestic Regulation.
    参加国は約70か国(https://www.wto.org/english/tratop_e/serv_e/sdr_factsheet_jul22_e.pdf) 
  13. WTO(19 February 2021)”WT/GC/W819”
    (https://docs.wto.org/dol2fe/Pages/SS/directdoc.aspx?filename=q:/WT/GC/W819.pdf&Open=True)
  14. WTO(30 March 2023) “INF/MSME/2/Rev.11” (https://docs.wto.org/dol2fe/Pages/SS/directdoc.aspx?filename=q:/INF/MSME/2R11.pdf&Open=True)
  15. インドと南アフリカは同会合の参加国リストに掲載され、シンガポールはデジタル経済協定(DEA)に関するプレゼンテーションを行った際に、電子的送信には関税を課さないことに同意する旨を述べた。WTO (12 May 2023)”INF/MSME/R/38”. “agreeing to refrain from applying customs duties on electronic transmissions. Digitally enabled trade can have a number of benefits for MSMEs, including reduced business costs, increased efficiency, and more consumer trust.”
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